「われら青春!」は本校で撮影された青春ドラマシリーズの2本目にあたります。
今日は生徒役の俳優さん・女優さんが来校しました。

2011年3月11日に東日本を襲った大震災は未だに爪痕を残しています。俳優の中村雅俊さんが1974年に初主演した「われら青春!」が本校で撮影されたことから、被災した中村さんの故郷宮城県女川町を支援しようと上野原市民が「上野原♥ハート」というグループを作り、現在も同町を支援したり、交流を進めています。一方、中村さんのデビュー作「われら青春!」のスタッフ・キャストなどが女川町や中村さんの出身高校のある石巻市の復興を支援するため「われら青春!女川復興支援隊」を結成して、現在まで活動してきました。今日は上野原市社会福祉協議会が開催した地域福祉向上を推進する交流の場「太陽のつどい」に出店するために上野原を訪れた「われら青春!女川復興支援隊」のメンバーで「われら青春!」に生徒役で登場していた俳優さん・女優さんが40年ぶりに本校を訪れました。エスコート役として「上野原♥ハート」のスタッフのみなさんも同行しました。


本校を訪れた「われら青春!女川復興支援隊」に所属する俳優・女優のみなさんと
上野原♥ハート」のスタッフのみなさんが本校を訪れました。

本日、本校を訪れた「われら青春!女川復興支援隊」のみなさんは…

  • 青木英美さん
  • 関谷益美さん
  • 高尾礼子さん
  • 堤 昭夫さん
  • 樋口憲子さん
  • 山口紀子さん

の男性1名、女性5名です。

本校側は「われら青春!」に詳しい広報部教員が校内の案内をしました。本校はドラマの中では「太陽学園」という名前になっています。「飛び出せ!青春」に生徒役で出演、その後の「われら青春!」には太陽学園卒業生として出演していた青木英美さんが支援隊のリーダーです。支援隊のみなさんは本校に到着後、まずは本館(管理棟)を見たあと、ホールに入りました。ホールの中では女優さんたちが来校することを知らせるポスターを見つけ、その中に載っている当時の写真を見て懐かしんでいました。写真は野球場の裏山から本館を見下ろしたもので、当時の女優さんたちが手前に写っています。当時の自分の姿を見つけたり、懐かしい当時の仲間を探していたのかもしれません。

本館を通り抜けて体育館の坂を登っていきます。撮影当時には、この坂には屋根がありませんでした。そして生徒役の堤さんがフィーチャーされた「涙は心の汗だ」の回のことをみんなで話していました。当時、体育館脇の桜の木はまだとても小さいものでしたが、その気が大きくなったことにみなさん驚いた様子でした。そして、野球場の向こうの丹沢方面の山々を見て話をしていました。この場所は「飛び出せ!青春」の時から、ドラマでは何度も登場する場所です。

坂を下り、1号校舎の脇の通路を通っていると、青木さんが水道を見つけました。グラウンドを使っている部活動のマネージャーさんたちがよく使っているあの水飲み場です。間もなく、他の女性陣も来て、みんなで懐かしんでいました。みなさん、ここはよく覚えているそうです。当時は撮影の時、水道の近くでお弁当を食べていたんだそうです。ですからよく覚えているんでしょうね。

テスト一週間前に入り、ラグビー部が人工芝で練習していなかったのが残念でしたが、本校に来てみなさんが当時のことを思い出しているのを横で聞いていて、明誠高校の姿が記憶に焼き付いているのは、在校生や卒業生だけでなく、全国で当時テレビを見ていたたくさんの人たち、それにもちろん、出演していたキャストのみなさんだということに改めて気付きました。来校時間はほんの少しでしたが、そばにいた私も昔を思い出しましたし、支援隊のみなさんにも懐かしんでもらえてよかったと思います。そのうち、沖田先生(中村雅俊さん)やもっとたくさんの太陽学園の同窓生と一緒に、ここを尋ねていただけるようにとお願いして、みなさんとお別れしました。

女川だけでなく被災された人たちの中には、私たちのようななつしかい思い出の場所も失ってしまった方も多いのです。1日も早い復興を願うとともに、「われら青春!女川復興支援隊」のますますのご活躍を祈らずにはいられませんでした。このような機会を作っていただいた「上野原♥ハート」のみなさん、どうもありがとうございました。


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