12月22日朝の朝日新聞の紙面や一部地域の折り込みに

漱石アンドロイドが紹介されていました。

今年は漱石没後100年ということもあって、

漱石が学んだ二松學舍を中心に、

ここのところあちこちで取り上げられています。

 

それはそれとしてこれは110年前の話です。

「明治39(1906)年、津田英学塾に入りまして

そこに通うようになったのですが、英学塾は五番町にあり、

二松学舎は三番町にありまして道順もよいから、

二松学舎に伺うようになったわけです。十九歳ごろでした。」

というのですが、これはいったい誰のことでしょう。

明治44(1911)年、日本の婦人解放運動に大きな役割を果たした

文藝雑誌『青鞜』を刊行しました。

その後、大正デモクラシー

つまり「人民による、人民のため政治」の潮流のなか、

婦人参政権運動を展開しました。

これは平塚明(はる)・雷鳥の談話で『二松學舍百年史』という本の中にあります。

 

2学期終業式の講話から:平塚らいてふと女性の活躍から

 

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