
本校第8期生の小坂文乃さんのお父様から昨年8月上海万博で行われた「孫文と梅谷庄吉展」の写真が届きました。
中央に写っているのが岡田克也外相、そして向かって左のブルーのドレスの女性が小坂文乃さんです。
彼女は梅屋庄吉のひ孫にあたります。
今年は、1911年の辛亥革命から丁度100年にあたる年。
その革命で中心的役割を果たしたのが「中国革命の父」と言われている孫文でしたが、その影にあって見返りを求めることなく膨大な資金援助をしたのが梅屋庄吉でした。
梅屋と孫文との出会いは1895年。
梅屋が香港で営んでいた写真館に孫文が訪れたのがきっかけ。
中国の将来を熱く語る孫文に共鳴した梅屋は日本に帰って「日活」の前身となる映画会社を立ち上げた後も巨額の資金援助を続けます。
「君は兵を挙げよ、我は財をもって支援す。」この梅屋の言葉は二人の長年に渡る盟友関係を象徴しています。
しかしこの2人の関係は、それを「一切口外するな。」という梅谷自身の遺言のため、長い間歴史の裏側にあり明らかにされていませんでした。
それが公にされ始めたのが約20年前。
梅屋の孫にあたる文乃さんの母親が「きちんと後世に語り継がなければ」と公表に踏み切ったのが始まりです。
以来その意思を引き継ぎ、文乃さんは「これを機に日中両国でこの2人のきずなを再確認したい」と様々な活動を続けています。
写真の上海万博「孫文と梅屋庄吉展」もそのひとつ。
2008年に中国の胡錦濤国家主席が来日した際、父親と共に経営するレストラン「日比谷松本楼」にお迎えし、孫文と梅屋の交友を偲ぶ資料を紹介したのがこの企画のきっかけでした。
「志を同じくした日本人と中国人が100年前にアジア平和のために行動した歴史を、中国の一般の方々にも広く知っていただきたい」という思いのもと、日中の学生ボランティアと協力して準備を進め、8月の展示公開期間には予想を大きく上回る20,000人以上の来場者を迎え大成功を収めたとのことです。
学生時代を本校で過ごした文乃さん。
当時中国は彼女にとって「遠い国」でしたが、母親を亡くした2006年から「使命感を覚え」て中国との交流を始めたそうです。
若い時に身に付けた「外から日本を見る」感覚が、彼女のグローバルな視野と感覚を育んだのだとすれば、在校する生徒たちのこれからの励みと自信にも繋がると思います。