八月の上旬に家族全員で富士山に登りました。
山岳ガイドツアーを利用する人も多いのですが、私たちはフリーで挑みました。
まず五合目に着き、一時間くらいのんびりして、それから登り始めました。(いきなり登ると、高山病になりやすくなるためです。)
五合目から六合目まではなだらかな坂道のため、頂上までもすぐ行けるだろうと思ったのが間違いでした。
登り始めてすぐに私は、空気が少ないせいか疲れてしまい、『休みたい』と思いました。
けれども、いくらなんでも早すぎるので我慢をしました。
しかし、写真を撮る余裕もなくなり、だんだんつらくなり休みました。
母と父は全然疲れていないため、自分一人で帰るということも考えました。
辺りを見渡すと木がたくさんあり、緑のにおいがして、うぐいすの鳴き声が聞こえました。
風で根っこがぬけているにもかかわらず、決して倒れない木々があることにも驚きました。
新たに生きようとしている生命力に勇気づけられ、六合目に到達できました。もう私はへとへとでした。
それから休みをたくさん入れながら、七合目に着きました。
そこからは六合目に置いてある黄色いブルドーザーはとても小さく見え、大きな達成感が感じられました。
そしてあと一合登れば宿が待っていると思い、頑張って登り始めました。
しかし、私を待ち受けていたのは岩だらけの坂でした。私は本当に下山したいと思いつつ、体は登っていました。
祖母が三度挑戦し、最後ははって登っていった岩だらけの登山道を、私はよじ登り続けました。少し進んでは休みの連続で、途中から霧雨が降ってきました。
そして、私たちが泊まる宿が見えた時は、体が暖かくなりました。
宿に足を入れた時、宿のおじさん、おばさんが「お疲れ様です!」と言ってくれたのが、とても嬉しかったです。
けれどもあまりにも疲れていたせいか、夕食のカレーライスは、ほとんど食べられませんでした。
それに加えて山小屋はぎゅうぎゅう詰めの中、寝なくてはいけません。朝食もほとんど食べられませんでした。
二日目になり、今は夜中の〇時半です。
雨がどんどん強くなる中、ヘッドライトをして歩きました。
その景色はテレビでよく見た光が連なる景色と同じでした。
しかし途中の宿で休みを入れたせいか、人がさっきより少なくなっていたため、心配になりました。
嵐の中一生懸命進みます。大雨と台風並みの強風に体はどんどん冷えていきます。
水などの入った重たいリュックが肩にズシリとくいこみます。
少し下を向いて、首からレインコートの中に雨が入り込まないようにしました。
それから少し時間がたち、ツアーの人たちを見つけたため後を追おうと思ったら、追い出されてしまいました。
どこが山道か分らないくらい真っ暗です。
しかたなくヘッドライトで道案内用の反射板を照らしながらロープがはってある道をどんどん進みました。
無言のまましばらく経つと、嵐の中に宿が見え、そこまで頑張ろうと思いました。
だんだんと宿が近くなるにつれて人が見えてきました。宿も人も見える前は、「つらい」「死ぬ」などマイナスの言葉しか頭に思い浮かびませんでした。
宿で一休みしました。おしるこを30分位かけてゆっくり飲みます。
なぜなら飲み終わると出ていかなければならないからです。
宿の人には「頂上に行くのはおすすめできません。」と言われました。
団体客は山岳ガイドの判断で下山が決定されたそうです。
しかしここで引き返したら、あの苦しくても進んだ道をまた登らなくてはいけません。私たち親子は頂上に向かいます。
途中から雨が止み風だけになりました。
頂上目指して登っていると、きれいな星空が見え始め、希望が見えてきました。
その時私は、心の中にあった雲が消えたように気持ちが晴れました。
鳥居をくぐり、頂上に着きました。その時は、足が痛かったです。
始めは信じられませんでした。六合目で疲れていた私が、頂上に着いたのです。
空がうっすらと明るくなってきました。頂上でご来光を見て、影富士も見ました。
お鉢巡りもできました。
私は登頂をあきらめなくて良かったとしみじみ感じました。
今回の富士山は私にとって大きな自信となりました。そして楽しい思い出として深く心に刻まれました。
剣が峰にある3776mの石に足をかけて写真を撮り、下山しました。
心の中では一生に一度だけの大切な思い出になったと思いました。
なぜならもう二度と登りたくないと思ったからです。
(中学部1年生 女子)