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期末試験が終わっていよいよ夏休みを迎えようとする6月30日(木)、約80名の地域の方や保護者をお迎えして、立教英国学院チャリティーコンサートが開かれました。

これは毎年1学期末と2学期末に行われるもので、音楽の授業やプライベートレッスンでの練習の成果を発表します。今回は19組の生徒が歌や楽器の演奏を披露しました。
今年は特に、クラシックだけでなくジャズや現代風の音楽をとりいれたり、ピアノ演奏に衣装や振り付けをいれて趣向を凝らしたものにしたりするなど、出演者自身もこのコンサートを心から楽しんでいる様子が伝わる、とても楽しい会になりました。今回が最後の出場になる高等部3年の生徒たちの心を込めた演奏は、特に胸を打ちました。小さいころから練習を続けてきた腕前を披露する生徒もいれば、立教に来てから始めた生徒もいます。経験の有無にかかわらず、200名を超える聴衆の前で発表するというのは、生徒にとって大きな挑戦であり、大きな糧となることでしょう。

また、ステージの裏方、照明係、会場設営や受付といった、陰で開催を支えてくれた生徒たちの頑張りも、このコンサートの成功に大きく貢献してくれました。
会場のお客様にも、「今日はとても幸せな気持ちで眠れます」と言っていただけ、心温まる会になったようです。出演者、応援する仲間たち、そして来てくださる地元の方々、その場にいる全員で素晴らしいときを共にし、音楽が作り出す空間を共有する喜びを感じる一夜になりました。

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6月27日月曜日、午前4時半、当番日直である生徒が、起床の合図である鐘を響き鳴らせ、生徒たちが一斉に起床し出します。土曜まで期末試験期間で疲れを隠せない様子であった生徒達ですが、早朝のホームルームに集まる生徒達は、どこかワクワクとした明るい雰囲気でした。予定通り、午前5時に学校を出発し、バスでウィンブルドンに向かいます。

ウィンブルドンに到着してからは、いつも使っているゲートが使えず、回り道をしなければならなかったり、天候が悪く小雨の中、試合会場に入るまで先の見えない長い列に並ばなくてはならなかったりと一筋縄ではいかない道のりでした。しかし、このような中でも生徒たちは友達と話したり、写真を撮ったりしながら、楽しい時間を過ごしていました。列に並んでいる現地の方と交流している生徒達も見掛け、このようなコミュニケーションを国籍の異なる方と怖気づくことなく取れることは、立教で教育を受けるということの1つの意義なのではと感じました。

幸運なことに途中で雨も止み、晴天の中、12時半頃ようやく試合会場に到着しました。会場には試合のコートだけではなく、食事ができる場所やお土産ショップなどがありましたが、どこも多くの人で溢れており、活気や熱気を感じました。生徒たちは、グループに分かれ、自由行動を行います。生徒の中には、試合スケジュールを念入りに調べ、試合観戦を楽しみにしている生徒もいました。日本から来ている選手の試合も行われており、観戦を楽しんだという話も聞いています。集合時間である17時半まで、グループごとでそれぞれの時間を楽しめたようです。

早朝からの外出で、その夜の就寝は、疲れたように熟睡している様子が見られましたが、いつもの立教学院の中の生活とは異なる充実した1日を過ごし、生徒達の満足そうな顔を見ることができました。

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私は親と3人でこのハーフターム中アイスランドへ行った。3泊4日の小さな家族旅行だが、受験シーズンに突入した高校3年生の私にとっては、「なんでこのタイミングで行くのかなぁ。」と嫌に感じるものがあった。
しかし、初日から、レイキャビク空港に着いた時点で、私はそこにある圧倒的な自然に心を奪われて、そんな気持ちは無くなっていた。
無限に広がっているかのように見える草原、遠くから見ると柔らかそうに見えるけれど、近くに来ると、全身が鼓動しているかのように感じる滝、建物の少なさによって隅々まで強調される青い空。
私は地球に生きているんだと感じた。そんなハーフタームだった。

(高等部3年生 男子)

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小学5年生の9月、私は立教に入学した。当時は見るもの全てが新鮮で、どんなに些細な事でも感動していた。そしてその感動を与えてくれる先輩方に、強い憧れを抱いていた。
中学1年からは、クラスメイトがうなぎ登りに増え続けた。教室は徐々に賑やかになっていった。それにつれて先輩との関わりは減っていった。しかし先輩たちへの憧れの気持ちは、無くなるどころか、増す一方だった。

中学を卒業し、高校生になった。憧れていた高校生活は、今までの生活と何も変化がなかった。今まで通りの毎日に落胆した。同時に焦りと不安を感じた。しかしその気持ちの理由は、当時の私にはわからなかった。

そして2016年春、ついに学校の最高学年になった。「あんなに輝いて見えた高校3年生の生活も、結局はほとんど変わらないな。」最初はそう思った。しかし、違った。私が変化に鈍感だっただけで、実際は変化は徐々に着実に起きていたのである。自分より上の学年がいない。頼れる人がいないのだ。そして自分たちが後輩に頼られる側になっていた。こんなに当たり前のことに私は気付けなかったのだ。後輩の面倒を見たり、注意したりしている同学年の子を見てやっとわかった。そしてその瞬間、初めて自分が高校3年生になった実感が湧いた。抱いていた不安も消えた。

「今まで憧れて追いかけてきた高3に、本当になれるのだろうか。」今思えば、これが一番の不安の要因だった。良いか悪いかは知らないが私は誰が何と言おうが高3だ。そしてあと1年しないうちにここを去る。限られた時間を最大限に使って、「最高の高3」になりたい。そしてその姿から後輩が何か感じ取ってくれるならこれ以上の幸せはない。

(高等部3年生 女子)

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授業が終わり、シャワーに入り、30分後には、また教室にいる。ギターの音、後輩たちが部活に向かう声、小学生たちが仲良く遊び楽しんでいる声、こんな音を耳にしながら僕は教室で放課後、勉強をしている。

よく、1年前を思い出す。自分たちが部活に行く途中で教室で勉強を黙々としている高校3年生の姿。そんな姿と今の僕は、重なっているのだろうか。そう思うとなんだか不安だ。刻々と時間が過ぎていき、受験という壁に当たるからだ。

ハーフターム後、模試の結果が返ってきた。これもまた、僕を不安にさせてくる。
しかしそんな中、先輩たちは、壁を乗り越えていった。
尊敬する一方、自分もという気持ちが出てくる。こう思うと不安よりも期待の方が大きい。

母親から、一通のメールが来た。
「自分の努力というパワーで高い壁を乗り越えていきなさい。」
受験を反対していた母からのメールだった。
涙が出た。よりいっそう、スイッチが入った。

今後、おそらく、家族にはいろいろな迷惑をかけるだろう。だからこそ、自分が決めた道を進みたい。
そんな事を思った今日であった。

(高等部3年生 男子)

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受験をするか悩み始めたのは高校2年の3学期で、人の意見に流され続けて気がつけば高校3年になっていた。受験をするのだろうと他人事のように思いながらも、両親の前ではついごまかしてしまう。良い大学に行きたいという思いと、失敗するのが怖いという思いの狭間で私は常にプライドと戦っていた。

私の人生を列車に例えるなら、それはもう快適で何不自由のない安全なものだったと思う。なぜなら今まで歩んできたレールは両親が選んでくれた道で、何があっても守ってくれるという保証があったからだ。もちろん歩む以上は後悔しないように努力してきたが、高校3年になって、時折何とも知れぬ恐怖に悩まされるようになった。私の目の前の安全だったレールがなくなっていく感覚だ。そして私はそれが何を意味するのかを知っている。これからの新たなレールを作っていくのはもう両親ではなく、自分であるということだ。決められたレールの上を安全に歩くことができた私はもういない。あるのは無限に散らばるレールのパーツと、選ぶ責任。既成ではなく未知なのだ。選びようによっては果てしない後悔に嘖まれる恐れもある。こう考える度、私は自己責任という言葉のあまりの重さにパーツを選べなくなってしまう。誰かが決めてくれればいいのに、と思ってしまうのだ。

そんな私に、小さな契機が訪れた。今までどの職業、大学・学部にも興味を持てなかった私に、「行きたい学部」が見えてきたのだ。ジェンダー感やLGBT、また様々な事柄における社会の反応や人々の考え方…。国語の授業中の雑談の一環だったが私にとって恋に落ちるような感覚だった。これだ、これを学びたい、と思ったのは初めてで、たまらなく嬉しかった。意思を失くした私にパーツを選ばせてくれたように思えた。

正直まだまだ断言できるほどしっかりとした進路を立てたわけではない。目指す先が高ければ高いほど失敗した時のことを考えてしまうことに変わりは無い。しかし高校3年になったことを考えると、今更怯えてもしょうがないと思った。初めて自分の意思だけで選んだ道。前向きに努力していきたいと思う。

(高等部3年生 女子)

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活力にあふれた人達。それが、私がここの生徒達を見て思ったことだ。

球技大会は入学してからわずか2週間後に行われる。ここに来たばかりの私は、忙しい寮生活や学校生活に直面していた。慣れない環境の中、放課後には大会の練習が始まり、さらに授業や小テストといった日常があり、私はすぐに心身ともに疲弊した。自分が望んできた学校だから、後悔は微塵もない。だが、一抹の寂しさと戸惑いが私を襲った。単に忙しさに当てられ、疲れて、どこかに逃げ出したいような衝動に駆られそうになった。

そんな時、私を奮い立たせたのは、この学校の生徒達だった。別段、何かしてもらったわけではない。私はただ、生き生きと日常を過ごしている彼らを見ただけだ。放課後は、大会の練習をして、自習の時間ではしっかり勉強する。時間を無駄にせずに日々を生きている彼らを凄いと思った。私もそうなりたい。いや、ならなければならない。負けてたまるか。わたしのちんけな自尊心が垣間見えた。

それから、私は一日一日を大切にするようになった。いつも気を張るのではなく、勉強するときはしっかり勉強し、大会の練習には集中する。時間は、短い休憩を利用したりして、自分で工夫して作る。こういうことをできるようにしていった。

私の参加種目はサッカーだった。この二週間、一生懸命練習した。練習試合では大差をつけられて負けたが、本番では勝つことができた。私はもちろん嬉しかったが、それ以上にチームメイトの活力に感心した。一つ一つのことを一生懸命やっているからこそ、彼らは生き生きしていた。私も、今回の球技大会で、生き生きした彼ら立教生の一員になれたかもしれない。

(高等部2年生 男子)

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「絶対勝つぞ!」「おー!」
同じTシャツを着た五人は円陣を組み、気合を入れる。数十秒後に始まる試合にどきどきしながら、作戦の最終確認をし、細かく足でステップをして、軽くウォーミングアップをした。そして、ブザーと同時にバスケットボールはジャッジの手を離れ、私たちの頭上に上がり、私たちは一斉に動き始めた。私が鮮明に思い出せるのはここまでだ。試合が始まってからのことは、あまり覚えていない。無我夢中だった。

私は今年の球技大会でバスケットボールを選択した。高2のとしての球技大会は今までとは少し違った。今までのように先輩の言う通りに練習しているだけではいけなかった。最高学年を支える学年として、練習メニュー、Tシャツのデザインの相談や決定、後輩に技術を教えることも必要だった。それは大変なことであり、責任の重いことであった。自分は絶対にミスをしてはいけないという緊張感が、練習のときからあった。もちろん、人間にそんなことができるはずがなかったが、私がミスをしてしまったときには先輩が優しく声をかけてくれた。

球技大会は全学年が協力して優勝を目指す大イベントの一つ。協力し合って成り立っているイベントであり、私はそこが大好きだ。試合では、結果的に数点差で私たちのチームが負けてしまった。とても悔しかった。もし、私が打ったシュートが入っていれば同点で抑えられたかもしれないという思いが頭から離れなかった。しかし試合後、同じチームの先輩が私のところに来て、「本当に楽しかった!ありがとう!」と笑顔で声をかけてくれた。その瞬間、私の中のモヤモヤはどこかに消えた。勝敗が関係ない、とは言わないが、今回はそれよりも大事なことがたくさんあったのだ。仲間と協力し合い、声をかけ合い、支えあうこと。仲間が失敗したときには責めるのではなくて、次に生かし、自分もそこから学ぶこと。自分のミスに優しく声をかけてくれる仲間に感謝すること。そして、何よりも笑顔で楽しむこと。

たった二週間という短い期間でこんなにもたくさんの大切なことに気づかせてくれた後輩、先輩に感謝の気持ちでいっぱいである。来年は最高学年として、後輩たちに大切なことに気づいてもらえるように、さらに頑張っていきたい。

(高等部2年生 女子)

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私は今朝まで球技大会が嫌で嫌で仕方がなかった。なぜなら転校してきたばかりの私は、前日にクラスの輪に入ることができず、みんながTシャツにコメントを書いてもらっている横で、結局一言も書いてもらうことができなかったからだ。当日の朝も本当に嫌で仕方がなかった。何もかもすべてネガティブに考えていた。担任の奥野先生には先輩などに書いてもらえばいいとも言われたが、無理だと思った。先輩に頼んだりして迷惑なのではないかと思ったりした。

でも、実際は違った。球技大会が開始したと同時に、寺園さんや金山さんがTシャツにコメントを書いてくれたのだ。私は本当に嬉しかった。最初は早く終わってくれればいいのにと思っていたのが、コメントを書いてくれた人の分も頑張りたいと思うようになった。その後も先輩や後輩がコメントをくれた。実際、他の人よりもコメントは少なかったかもしれないが、一つ一つのコメントにこめられた思いは大きいものであると思う。結局ピンクは負けてしまったが、楽しんで競技ができたし、先輩、同級生、後輩と仲良くなることができたので、本当によかった。

私は最初、人間関係に臆病になっていた。周りの目が気になって本当に怖いと思っていたし、孤独感があった。しかし、コメントをもらった後は、自分がいろいろと考えすぎだったこともあるし、気にしすぎだったこともあると気づくことができた。コメントをもらうというたったそれだけのことが、こんなに気持ちを変えるんだということに気づかされた。

今日は本当に最高の一日だった。そうなったのも、体育委員や先生方のお陰だと思っている。本当に感謝している。ありがとうございました。

(高等部2年生 女子)

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ハーフタームはあっという間に終わりましたが、終わる1日前に、兄が家庭科の宿題でおおさわぎしていました。だから仕方がないから、手伝ってあげました。
何を作ったかというとざる豆腐と親子丼です。僕は作る過程をカメラで撮りました。
大豆を水につけたり、ミキサーにかけたり、お湯の温度を計ったり、とても大変な作業だと思いました。
でき上がったざる豆腐は、しょう油をかけて食べました。とても美味しかったです。親子丼も、たまごがフワフワしていて、美味しかったです。そのやわらかさに、イギリスの美味しいスコーンがなつかしくなりました。母にも試食してもらわないといけなかったので、食べてもらいました。
「兄弟丼だよ。」
と言って出したら、母が笑いました。食べているとき母は無言だったけれど、僕は、美味しかったんだと思っておくことにします。
今度は、僕が母と兄にクリームティーを食べさせてあげたいです。

(小学部6年生 男子)

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