2016年度 9月編入(日本在住でも受験可)(⇒募集要項一式)
出願期間:2016年5月30~6月17日(必着)
募集人数:小学部5/6年、中学部1/2/3年、高等部1/2年それぞれ若干名
選考方法:一次:書類審査、二次:筆記試験、面接
選考期日:日本受験:2016年6月26日 (日)於 立教大学(池袋)14号館
英国受験:日程は1次試験合格後相談
2016年度 9月編入(日本在住でも受験可)(⇒募集要項一式)
出願期間:2016年5月30~6月17日(必着)
募集人数:小学部5/6年、中学部1/2/3年、高等部1/2年それぞれ若干名
選考方法:一次:書類審査、二次:筆記試験、面接
選考期日:日本受験:2016年6月26日 (日)於 立教大学(池袋)14号館
英国受験:日程は1次試験合格後相談
5月29日(日)に東京国際フォーラムにて開催されるベネッセ進学フェアに本校も参加致します。イギリスから担当教員が参ります。会場内に本校ブースを設け、個別相談に対応します。
日時::5月29日(日) 10:00 – 16:00
場所:東京国際フォーラム B2F 展示ホール1・2
(東京都千代田区丸の内3-5-1)
→詳細はこちらをご覧下さい。
この立教英国学院に入学して、早三年が経ちました。当時はまだ身長が150センチメートルあったかなかったか、そんな僕が、今ではこんなに大きくなりました。
もちろん入学当初は何もわからず、入学前には、立教のホームページでこの学校について少し調べていました。本館の、普段は使わないガーデン側から見事に綺麗に撮られた写真。元々ステーブルだったイーストウエストをバックに一見綺麗そうに見える池。僕はなんと素晴らしい夢の国へ行けるのかとワクワクしていました。
さらに、みなさんは立教英国学院辞典というインターネットサイトを見たことがあるでしょうか。そこには立教に関するたくさんの語彙とその意味が書かれています。例えばアウティングやコンチ券など。そのサイトを見ていると、こんなことが書いてありました。昼食のデザートでアイスが出た時の決まり文句「アイスを愛す」、生徒が遅刻してしまった時の決まり文句「遅れないでおくれ」など、つまらない親父ギャグが書かれていました。それはいつの時代かの校長先生の持ちネタだったそうです。こんな文章を見てしまった僕は少し不安になりながらも、2013年4月14日、この立教英国学院に入学しました。
毎朝行う体操後のパーカッションに合わせて中庭を一周する。食事の席で「〜を回してください」と、みんなが伝言ゲームをいきなり始めだす。男子ドミトリーのドアが全て同じで、当時はドミトリー番号の札もなかったので、入学当初、自分のドミトリーがどこだかわからなかった。片っぱしから全て周り、ここだと思ったドアを開けると、そこはトイレ。もちろんベッドはない。
そのいかにも怪しそうな学校に入学して間もなく、来るところを間違ってしまったのかと思いました。しかしなんだかんだで三年が経ち、日本にはあまりないであろうECの授業、中1、中2でのイギリスの村の住民へのインタビュー、そしてこのもったいないほどの大自然。やはりイギリスならではの勉強、環境に触れることができて、今ではとても良い場所だと思っています。
その恵まれた立教英国学院の良さの中で、僕は食事の席も素晴らしいものだと考えています。隣には必ず先輩か後輩が座り、毎日正面の人が変わっていく。普段はあまり関わりを持つことができない先輩や後輩と仲良くなれるチャンスだと思います。こうして仲良くなった生徒とは、休暇中に食事に行く機会もたくさんありました。要するに、色んな先輩、後輩と関わりが持てて、人間関係を築くことができる。これもこの学校の良さだと思います。
いきなりですが、立教で一番盛り上がるイベントはなんだと思いますか? その通り、オープンデイ。オープンデイといえばフリープロジェクト。まずオープンデイを経験したことのない方の為に説明しますと、オープンデイとはいわゆるこの学校の文化祭です。そしてフリープロジェクトとは生徒が好きな企画へ入り、オープンデイ当日にそれまで練習した成果を発表するものです。僕はエンターテイメント企画に所属していました。エンターテイメント企画では、視覚で訴えるような驚き、笑いを提供することを中心に活動してきました。僕はそのエンターテイメント企画で3年間活動していました。たくさんの学年が集まり、本番まで少しでも良いものを作ろうと、それまで関わりのなかった先輩方とも一致団結して、努力をしていました。今思うとこれも人間関係を築ける良い場面でした。3年間顧問をしていただいた先生方ほんとうにありがとうございました。
この学校は普通の学校に比べて人数が少なく、たくさんの交流、行事があるので、人間関係を築くチャンスがたくさんあります。そのチャンスを無駄にせず、一生の友人をたくさん作っていきたいと思います。
最後に、この学校に通わせてくれている両親に感謝しています。そして僕が中学1年、中学2年の時の担任の月見先生や、中学3年の時、僕が面白くないことを言うと鋭く冷たい視線を注いでくださった杉本先生を中心としたたくさんの先生方、先輩、後輩、そして学校を陰で支えてくださっているイギリス人のスタッフの方々、本当にお世話になりました。そしてこれからもよろしくお願いします。
僕が高校生になり、覚醒する姿を見ていてください。ありがとうございました。
卒業を迎えられた生徒の皆さん、保護者の皆様、本日はご卒業誠におめでとうございます。そして、子供達を卒業まで導いてこられた先生方、関係者の方々にも、心からお祝いを申し上げます。
私は立教英国学院を訪問するのは本日が初めてですが、緑豊かな広大なキャンパスと立派な設備にまず感銘を受けました。日本国内では考えられない素晴らしい環境ですね。このような素晴らしい環境の中で、大家族のような寮生活を送りつつ、真に国際社会に通用する人間を育成するという高い理念の下で、厳しくものびのびと教育を受ける機会に恵まれた皆さんは、大変幸せだと思います。海外との接点は社会人になるまで全くなかった私からすると、正直羨ましい限りです。立教英国学院が、先ほど祝辞を述べられた欧州三井住友海上英国支店長の須藤さんのように、各方面で国際的に活躍する人材を輩出してこられたのも頷けます。外務省で私の1期下にも立教英国学院の出身者がおりますが、彼はワシントンや北京の日本大使館で勤務し、現在は、日本の安全保障政策に大きな役割を果たしている内閣官房の国家安全保障局で活躍しています。
今日卒業する皆さんにも、立派な先輩方のあとに続いて、グローバリゼーションが進む国際社会の中で日本の未来を担っていく人材となることを期待しています。こんなことを言うと、荷が重いなあと思うかもしれませんが、皆さんは、そのための素養をここ立教英国学院で身につけてきたはずです。
皆さんの将来に期待を込めて、頭の片隅に置いてもらいたいことを2点だけ申し上げたいと思います。
1つは、日本人としてのアイデンティティと誇りを保ちながら、様々な文化や価値観を理解し、それと共存できる心の豊かさを持ってほしいということです。皆さんは、英語による授業のみならず、ローカルコミュニティとの様々な交流、ホームステイ、短期交換留学、大学のワークショップへの参加等々、日本国内ではできない貴重な経験を沢山して、英国の文化や習慣、英国人の考え方、また、英国という国の懐の深さにも触れてきたことでしょう。同時に、日本の国、日本の文化などについて英語で語ろうと努力することを通じて、日本の優れた点、世界に誇れる美点を再発見することもあったのではないでしょうか。自分の母国、文化を理解した上で、多様性を受け入れられる寛容の心を持つのが、真の国際人であろうと思います。国際社会においては、主張すべきは主張しなければならない場面が多くありますが、一方的な主張を押しつけるのではなく、相手の立場にも配慮しながら論理的に議論することができる人、そして他者への思いやりや謙虚な立ち居振る舞いが尊敬されるような、そんな品格ある国際人を目指していってほしいと思います。
2つ目に、失敗を恐れずチャレンジする精神と、困難に立ち向かうたくましさを持ってほしいと思います。これから先の人生、楽しいことや成功ばかりではなく、壁にぶつかって悩むこと、辛いこと、失敗することもいろいろあるでしょうが、挫折の経験も人生の糧となります。
昨年ラグビーワールドカップ・イングランド大会で日本代表チームが強豪南アフリカに対する勝利をはじめ歴史的な3勝を挙げたことは記憶に新しいですが、そこで大活躍した五郎丸選手も、過去に大きな挫折を経験していたそうです。大学ラグビーで1年生からエースで、19歳で日本代表になるという順風満帆であったのが、2011年のワールドカップでは直前に代表から外されてしまったのです。五郎丸選手は、最近のインタビューの中で、「失敗して初めて気づくことが多かった」「逆境は自分にとってのチャンスと思えばチャンスになる」と述べています。その言葉どおり、失敗に学び、その後4年間たゆまぬ努力を続けた結果、昨年のワールドカップに29歳で初出場し、歴史に残る活躍をしたわけです。
五郎丸選手と並べるのは一寸おこがましいのですが、私自身も、もう30年も前の話ですが、挫折をばねにした経験があります。私には子供の頃から将来は外交官という夢があったのですが、大学4年のとき外交官試験に落ちて、1年留年して再挑戦しましたがまた落ちてしまいました。或る会社に入社し、北九州に配属になって独身寮に入りました。しかし、このまま長年の夢を諦めていいのかと自問して、ある日、もう一度だけ試験に挑戦しよう、それでも失敗したらもう悔いはないと思い定めました。その後半年ほど、時々天井から百足が落ちてくる古い独身寮の6畳一間に同期と2人という生活、特に最初の1ヶ月半は新入社員の現場研修で、ヘルメットをかぶって工場で汗を流して夜勤するという、およそ勉強には適さない環境でしたが、そういう逆境にあったからこそ、かえって本気で勉強できたのでしょう。3度目の挑戦で外務省に合格しました。この経験が、その後の私にとって様々な困難に対処していける精神力・忍耐力を養ってくれたと思います。
皆さんも、これから先困難な状況に直面しても、「逆境はチャンスと思えばチャンスになる」と考えて、挫けずに努力し、チャレンジしていく、精神的な強さを是非身につけていってください。
最後に、皆さんが立教英国学院で学んだことにより、将来世界に羽ばたいていける大きなチャンスを得たことを祝福すると共に、自分の意志と努力で明るい未来を切り開いていくことを心からお祈りして、私からの祝辞とさせていただきます。 あらためて、ご卒業おめでとうございます。
只今ご紹介に預かりました本校の卒業生で、理事の須藤です。
今年の卒業生は、小学校の部で3名、中学校の部で17名、高等学校の部で41名、合計で61名とお伺い致しました。まずは皆さん、ご卒業おめでとうございます。
私は本校の8期生として1983年の春に高校一年生で入学し、1986年の3月に卒業を致しました。ですので本校を卒業してちょうど30年になります。長かったような、それでもあっという間でもあった30年の歳月です。
30年前を思い出しますと、当時の英国と今の英国では色々な面で少し様子が異なります。
当時の日本は好景気の真っただ中。サッカーの最高峰であるプレミアリーグは、当時はDivision Oneと呼ばれておりました。そのDivision Oneに属するチームの中で、数多くの日本企業が強豪チームのスポンサーとなり、各チームのユニフォーム上に日本各社の英語名が続々と登場する時代でした。また、当時の通貨価値もかなり違って1ポンドが約400円に相当。日本円に換算すると、コカコーラ1缶が何と400円相当もするという状況でした。町中ではFish & Chipsを新聞紙でくるみ、それを歩きながら食べている人が沢山行き交う光景もよく目にしました。今流行のモダンなコーヒーショップは少なく、専ら喫茶店でミルクティーを飲むのが主流で、食事も今のような多種多様なジャンルの料理を食べることはなかなか出来ませんでした。
30年ぶりに住んでみたロンドンは、随分とモダン化が進んだ印象を受けました。私が勤務しているシティ地区には斬新なデザインの建物が続々と登場。エスプレッソやカプチーノを飲む人が多く、料理のジャンルも飛躍的に増え味も良くなりました。昔ながらの良い伝統も守りつつ、新しいトレンドも受け入れて着実に進化しているロンドンの息吹を感じました。
国道A281を車で走って懐かしの母校を訪れ、約30年ぶりに本校の正門をくぐった時には心が躍動しました。皆さんが着用している制服もネクタイも昔と一緒。本館も新館も昔のまま。懐かしい先生方をお見かけし、正に高校時代にタイムスリップした気分になりました。
私自身、高校を卒業した後、なかなか母校を訪れる機会を作ることが出来ませんでした。ですので、その分英国に駐在している間は出来る限り多くの機会を見つけて本校を訪れようと決心し、毎年のオープンデーをはじめ、学期単位の終業礼拝にも可能な限り出席するようにしました。そうした中で、今のロンドンと同じく、わが母校も創立以来の古き良き伝統を守りつつも、色々な面で発展を遂げていることを感じました。
最初に驚いたのが本校の校歌。この校歌は本校創始者の縣康先生が作詞をされ創立15周年にあたる1987年、ちょうど私が卒業した翌年に完成したものです。私の在校当時には校歌はまだ完成していなかったため、30年ぶりに終業礼拝に参加した時、校歌があること自体が驚きでした。素晴らしい校歌で、お陰様で今では完全に歌えるようになりました。
そして体育館と陸上競技トラック。これらも我々の時代には存在せず、テニスコートの隅に専用のスペースを設けてバスケットボール等を行っていました。1,500メートル走も当時は校内のコンクリート道を何往復も走りながらの計測。現在の立派な授業棟も昔は存在せず、当時の教室はプレハブ仕立てが大半。夜の学習も殆どの生徒が食堂で勉強をしていました。
今のような少人数型のドミトリーではなく、当時は12人部屋が主流でベッドも2段式。今皆さんが使用している最新型のシャワー設備に比べて、昔はボイラーも小さかったためか、毎日最後の方にシャワーに入る生徒はお湯が殆ど出ない状態の中で体を洗っておりました。
今にして思えば、昔は相当に不自由な生活を送っていたのだなと思う一方、当時は学校生活がたまらなく楽しかったです。全校生徒が一堂に会して食べる食事の時間。ルームメートと語り合いながらいつの間にか眠りにつく毎夜。金曜日午後のフライデースポーツ。当日までの1週間、全校生徒がその準備に没頭するオープンデー。当時を思い出すだけで胸が熱くなります。設備や施設は現在の法定基準に合致するよう着実に進化しつつも、根底にある伝統や行事そして大家族教育が今もしっかり継承されていることが確認出来て嬉しかったです。
自分が卒業して30年の間、欠かしたことのないもの、それは本校クラスメートとの交流です。社会人としてみんな忙しい毎日を送りながらも、同じ釜の飯を食べた者同士が集まると、それはまさに特別な時間であり、特別な空間となります。そしてそんな仲間たちと会うと、不思議とまた明日へと繋がる活力が沸いてくるのです。
英国のこの空間この環境の中で学校生活を送っていること自体が特別なことです。皆さんがそのことに今は気が付かなくても、卒業し何年か経って昔を振り返った時、そのことを必ず確信することでしょう。
4月以降も本校に残り続ける在校生諸君には、仲間と共に過ごす掛け替えのない今の日々を大切に、文武両道の毎日をしっかりと送って欲しいと願っています。そして本校が提供する様々な教育プログラムを通じてぜひ英語力を着実に身に着けて下さい。これからは英語を話せなければ益々苦労をする時代です。この学校で学んでいる特権をフルに活用し、これからの時代に通用する実力を養って欲しいと思います。
そして3月に本校を卒業し大学生となる高校三年生諸君には、次のことをお願い致します。
• ここで一旦、高校生活をリセットし、暫くの間は高校時代を振り替えずに、大学で新しい仲間を沢山作って、大いに新生活を楽しんで下さい。
• 大学4年の間に成し遂げる目標を定め、情熱を持ってその目標完遂に努めて下さい。
• 立教英国学院の卒業生であるという誇りとプライドを忘れずに、本校卒業生として恥じることのない行動と言動を是非心がけて下さい。
私事ながら、私自身も5年間の英国勤務を終え、3月末に本帰国をすることになりました。母校がすぐ近くにある地での駐在生活は最高に楽しかったですし、母校を訪れることでその生活が更に充実したものとなりました。
皆さんも、これから一生懸命に学び、多くの経験を積まれた後で、是非とも機会を作って母校を再び訪れてみて下さい。立教英国学院の伝統ある正門をくぐった時、心の故郷に戻ってきた気分となり、明日に向かって必要な活力をこの学校はきっと与えてくれることでしょう。そして、その力をバネに更に自分に磨きをかけ、前に向かって大きく羽ばたいて下さい。
以上、皆さんの門出を祝し、私のお祝いの言葉とさせて頂きます。
改めましてご卒業おめでとうございます。
2016年 大学合格速報はこちらから。
3月5日(土)、2015年度卒業終業礼拝が執り行われ、小学部3名、中学部17名、高等部41名、計61名が卒業しました。
高等部3年生は大学受験のため日本に帰国していましたが、卒業式に参列するために10名の生徒が帰寮し、久しぶりに再会する後輩達、先生方との最後のひと時をすごしました。
当日は朝からかなり冷え込みましたが雲ひとつない快晴、キリリと引き締まった空気が気持ちの良い朝でした。が、式間際になると高いところからチラチラと白いものが舞い始め、まさかの雪。3年前の入学式に、桜が満開だったことを思い出して、「始まりは桜、最後は雪でしたね。」と感慨深げに言っていた高校3年生もいました。
式は毎週生徒たちが日曜礼拝に参加する地元ラジウィック教会のキング司祭による司式、クランレイ教会のフレット司祭の補佐で執り行われました。ロンドンはもちろん、はるばる日本から式に参列するために来校された保護者の方々、在ロンドン日本国大使館総括公使兼総領事の宇山様、地元ホーシャム市議会副議長のミッチェル氏、その他沢山の方々にご参列頂き、多くの皆様から祝福されて温かい雰囲気の中で式が進行しました。
式の中で、難民とその他の被災者のため、また5周年を迎えた東日本大震災を覚えて祈りを捧げました。卒業証書授与の前には例年通り、校長からチャペル後方に飾られたお雛様の説明がありました。第1回卒業生のうち2名が、日本にいて卒業式に参列出来ない友達を代表してはるばるイギリスの地に運んでくれたというお雛様。以来38年間、毎年その場所から静かに式を見守っていてくれます。その話を聞くたびに後輩の生徒達は、日本にいて式に参列出来ない先輩達の事を思い出し、そして同時にあと何年かしたら自分達も同じように日本からこの卒業式のことを思っているのだという不思議な気持ちになります。そういう長い時間が、そして、長い距離がとても愛おしく思えてくる、そんな厳かで静かな時間の中で、卒業生が1人ずつ校長先生から卒業証書を受け取りました。
その後は年間・学期を通して優秀な成績を修め、たゆまぬ努力をしてきた生徒達に各賞が授与されました。英人スタッフからはユーモアあるコメントを添えてEnglish prize, History prize, Music prizeが贈られ、ミッシェル市議会副議長からは地元との交流に貢献した2名の生徒にAmbassador awardsとして大きなカップが手渡されました。
続いて本校の第8期卒業生であり理事でもある須藤氏と、宇山様よりご祝辞を頂き、未来を担う国際人として本校生徒達が世界で活躍していく夢を託されました。そして演奏ーー高校2年生女子生徒の美しいソロソプラノで始まったクワイヤーの曲に続き、2台のピアノによるデュエット、そして最後は1月の校内合唱コンクールで優勝した高等部2年1組による合唱でした。地元の教会でも大好評だったこの曲は、静かにゆったりと始まりながら、時に力強く、そして時に優しく響き、参列している方々から大きな拍手を頂きました。
最後は各校代表生徒によるスピーチ。立教での体験を素直な視点から話してくれた小学生のスピーチ、ユーモアを交えて本校ならではの中学校生活を語ってくれた中学部3年生のスピーチ、そして最後は高等部3年生が内容も語り口も素晴らしい英語のスピーチで締め括ってくれました。卒業までの苦労話、忘れえない感動の瞬間、立教の友達や先生方のこと等々、皆で一緒に過ごした一瞬一瞬が鮮やかに蘇り、今年もまた素晴らしい卒業生達が次のステージに向かってスタートを切る勢いと頼もしさを感じることができたスピーチでした。
式が終わる頃には雪もやみ、落ち着いた曇り空。ランチョンの後は再び気持ちのいい晴れ間がのぞいたかと思うと、再び小雨… 人生には様々な時がある如く、目まぐるしく移り変わるこの日の天気が、今卒業を迎えた若者達の限りない可能性を象徴しているかのようでした。
2月6日、ロンドンのSouthwark大聖堂で東日本大震災追悼礼拝が行われ、全校生徒でこの礼拝に参列しました。
礼拝堂に入ると、震災で亡くなった方々の見つかった場所が記された紙が、一人ひとりに手渡されました。
その紙は桜の花びらの形にかたどられており、礼拝のなかで、祭壇に用意された木に一人ひとりその花をつけ、皆で桜の木をつくりあげる時間がもたれました。
改めて、あの日に失われた命の存在を想う時間が与えられたように感じます。
また、日本聖公会による被災者支援活動である「いっしょに歩こうプロジェクト パート2」の事務局長である池住圭さんによる報告もあり、震災から5年経ったいまでも支援が必要とされていることを痛感しました。
私自身、5年という歳月が経ち、震災が起こった当時感じていたことや考えていたことが薄れてしまっていたように思います。
被災した方々のために直接できることはあまり多くないかもしれません。
そうだとしても、被災した方々を想い、祈り続けることはできる、ということに気づかされる場となりました。
また、立教英国学院のクワイヤーの生徒は、この追悼礼拝で聖歌隊をつとめ、普段は座ることのできない大聖堂の聖歌隊席に着く、という貴重な体験をしました。
礼拝のなかでクワイヤーが歌ったのは『ゲール人の祈り』という曲で、皆が平安・平和のうちにいることを祈り願うものでした。
この追悼礼拝を通して、日本人であろうとそうでなかろうと、その場にいる全員で、5年前の東日本大震災に想いを寄せ、共に祈ることができました。
日本からは遠く離れた土地ですが、そのような場所にも、あの日を思い出し、祈る者がいるということが、少しでも被災した方々の力になることができたらと、思っています。
期末試験が終わった日に私の所に一枚の紙切れが届いた。そこには「職員室に来て下さい」と書いてあった。訳も分からず職員室に行くと先生二人とチャプレン、オルガニストの先輩二人が私を待っていた。みんな笑顔で私を迎えてくれた。そして先生に、
「オルガニストに選ばれました」
と言われた。その時の私は、オルガニストに選ばれた喜びよりも、動揺や不安の方が大きかった。「夏休みに練習とかした方が良いですか」
と先輩に聞くと、
「特に何もしなくて良い」
と言われた。そのため夏休みは何もせずに2学期が始まった。
始業式に自分が弾く曲の紙をもらった。私的には順調に仕事をこなしていた。ある一つを除いて。それはオルガンを弾くことだ。オルガニストにとってオルガンを弾けないのは、かなりの致命傷である。ちなみに私ができていた仕事は毎日聖歌番号を替えること、その学期に弾いた退堂の曲を覚えておくことだ。
オルガンを弾けない私を当時の高校3年生の先輩が叱ってくれた。
「CDの音楽を流した方がまだ良い」
と言われた時はさすがに涙が出そうになった。しかし私は堪えた。高3なので勉強で時間がない先輩は、私が入ったことによって楽になるはずが、逆に重荷になっていると思うと泣いてはいけない気がした。期末1週間前まで毎日プラクティスに行き、死ぬ気で練習した。他の事に目を向けている余裕など少しもなかった。それでも私は上手くならず叱られていた。ほとんど毎日私を叱ってくれた先輩がたった一度だけ誉めてくれた日がある。その日がどれだけ嬉しかったか、今思い出しても涙が出そうになる。やっと先輩に認めてもらえた気がした。いつも叱ってくれた先輩から誉められるのと、他の先輩が誉めるのとでは全然違った。
3学期になり高3の先輩は卒業し、高2の先輩と私だけになった。私は上手くなりたくて毎日プラクティスに行っていた。けれども相変わらず下手だった。そのため高3の先輩が抜けた分の穴を埋めるために高2の先輩にどれだけの負担がかかったか、計り知れない。今考えても「ごめんなさい」と申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
学期の終わりになると、また職員室に呼ばれた。理由は勘付いていた。そして私の勘は当たった。私の同学年の子が1人オルガニストに選ばれたという知らせだった。その子はもともとオルガニストをやりたくないと言っていたため、申し訳なさがあった。でもやっぱりありがたいという気持ちもあった。高2の先輩は、私が選ばれた時より友だちが選ばれた時の方が喜んでいた。これを見て自分の未熟さを感じ、いっそう胸にズキンときた。
そのまま順調に時が過ぎ、高2の先輩も卒業してしまった。今は1人後輩の男の子もいる。まだオルガンに不慣れな姿を見ると、つい昔の自分と重ね合わせてしまう。
今の私もまだ下手で、後から入った子の方がよっぽど上手く弾けている。今の私を見て、叱ってくれた先輩は幻滅するかもしれない。
「2年経ってまだこの出来?」
と言われる気もする。
「オルガニスト辞めれば?」
といわれるかもしれない。それでも私は先輩に出会えた事、教わった事、叱ってくれた事、全てに感謝している。後輩の事を本気で叱ってくれる先輩を、嫌いと思うことや憎らしいと思うことは一回もできなかった。ひょっとするとまだ未熟な私が後輩を教えるなんて、笑いものになるかもしれない。それでも私はかわいい後輩を育てたい。
私はオルガニストになってピアノはもちろんのこと、心も成長した気がする。私にとってオルガニストは自分自身を成長させてくれた所である。友だちにも後輩にも、立教生全員に、何か一つ手に入れて、この学校を卒業してほしいと思っている。
(高等部2年生 女子)
勝負は好きな方だ。テストだって嫌いではない。ベストを出せるコンディションであるならば。本来私は好戦的なタイプだ。絶対に勝てる試合であるならば。だからかるたは嫌いだった。絶対なんて根拠はどこにもないから。
私達高校2年生は、中学の頃から百人一首に特別力を入れていた。楽しんでいる生徒も多かったし、何よりエネルギッシュでやる気に満ちていたと思う。私だって例外ではなく、一通りの句は覚えていた。しかし、中学2年生で初めてかるた大会に参加した時に、言いようのない不安に襲われた。「皆より早く札を見つけられたら。」
「ちょうど見ていた所にあれば。」
「敵が弱ければ。」
これらは全て、”もしもの話”だったからだ。
つまるところ、私は勝てる試合しかしない。正確に言えば、出来ないのだ。そしてこれを自覚した時、ふと一学期に習った『山月記』を思い出した。当時は他人事のように漠然と捉えていたが、読み直してみると痛いほど理解できた。臆病な自尊心と尊大な羞恥心。正に私が捨てきれない愚かな私自身だったから。
かるた大会がいよいよ迫ってきた頃、クラスにスイッチが入ったような気がした。今年が最後だから頑張りたいという思いがひしひしと伝わってきて、自分も頑張らなくては、と思った。けれど同時に、頑張っても無駄だった時のことを考えると、本気になるだけあほらしいと考えてしまった。それでも良い結果でないと満足できないことも知っていた。ああ、なんて面倒臭い性分なんだろう!
結局私は負けず嫌いの延長線にいたのだろう。最終的には負けたくない一心で、上の句も下の句も反射で答えられるまで覚え、一字決まりも全てチェックした。そしてベストなコンディションに近い状態を作り出し、自分を落ち着けようとしたのだ。我ながら愚かで見事な執念だ。
ついに大会が始まった。座に着いた時、不安、緊張、抑制された自信がそれはもう見事に入り混じっていた。札を睨み付けながら直前に自分が言った言葉を反芻した。
「期待しないでね。」
嘘つけ、と自分を詰った。期待しないで、なんて言って本当は自分が一番期待しているくせに。期待に応えたいくせに。期待に応えられないことを、他人のものであれ、自分のものであれ、怖がっている臆病者のくせに。
『山月記』は凄いと思う。私たちはどんな些細なことだったとしても、必ず李徴になる瞬間があるのだ。自覚がないだけできっと。テスト前に緊張することだって、良い結果を自慢したくてたまらない自分が卑しく見える時だって、その小さな隙間に李徴がいるのだ。しかし、かるた大会を通して気づいた。それは仕方のないことなのだと。プライドを持たない人間などいない。いるのはプライドが傷つくのを恐れて何もせず、プライドという名の脆い盾で自己保身をする人だけだ。実際に私が代表例なのだが、ある意味プライドとの戦いが終わった後、私はとてもすっきりしていた。圧迫からの解放と自己満足を手にして、漲るほどの高揚感と達成感を味わうことができた。そして思った。私はプライドに縛られてまでこの感覚が欲しかったのであり、本当の満足はプライドとの戦いによって生まれるものである、と。
だから私は勝負が好きだ。自分の誇り高く低俗な欲を満たすことができるから。そしてまた、臆病な自尊心も嫌いにはなれないのだ。私を努力させているのは、この自尊心に他ならないから。
(全校かるた大会優勝者 高校2年女子)
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