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1月23日(土)、24日(日)の二日間に渡って、今年度最後の英語検定試験が行われました。初日は準一級を受験する24名の生徒が本会場、ロンドン大学のインペリアルカレッジへ。まだ辺りが暗い中、眠い眼をこすりながらコーチに乗り込み、車に揺られること一時間半。会場に着いた生徒たちは緊張した面持ちでしたが、早々に受付を済ませ、いざ試験開始です。約一時間半に渡る筆記試験を終えて、生徒たちは口々に難しかったと言って試験会場から戻ってきましたが、みんな試験が終わってほっとした表情を浮かべていました。

翌日曜日は二級、準二級、三級、四級の試験が立教を会場にして行われました。約80名の生徒が受験をしましたが、小学五年生から高校二年生まで、それぞれの受験級合格を目指して本番に臨みました。前日の夜はかるた大会、英検受験後の夜は合唱コンクールと行事が立て続けにあっても、試験にはしっかり集中して切り替えができているのはさすが立教生。試験終了の合図の後、張り詰めていた空気から一気に教室が賑やかに。終わったという開放感はがんばったからこそ。みなさんの結果に期待です。

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私は東京に住んでいるのに、東京のことを全然知らないんだ。

私は夏休みに研修を受けた。それは2020年に行われる東京オリンピックに来る外国人を、観光スポット等に案内するボランティアだ。私たちのするべきことは、旅行者に東京の魅力を伝えること、東京を好きになってもらうこと、そして何よりも相手の立場に立って行動することである。

まず人を案内するためには、相手の立場に立ってみなければ相手が何を欲しているのか分からない。そのため夏休みは、すでにボランティア活動をしている方々に東京を案内してもらった。
そして、冬休みは、実際に自分たちが街中に出て、困っている人を道案内した。偶然にも東京でサッカーのFIFAクラブワールドカップが行われているため、スペインの人が日本を訪れていた。私は新宿の駅近辺で活動をした。最初は人が多すぎて、困っている人を見つけることさえ一苦労だった。困っている人を見つけても、単に待ち合わせしている人や、どこで昼食を食べようか迷っているだけの人のケースもあった。たいてい迷っている人は、スマートフォンを片手に画面を見ながら、街を歩いている人だ。ようやく困っている人にめぐり会えても、近づくと不審に思われてしまう。「ボランティアです。」と言って心を許してくれる人もいるが、やっぱり断られる時もある。「このお店どこですか。」と聞かれても私が現在地からの行き方を知らなければ意味がない。私は新宿をあまり知らないため、教えるのに時間がかかってしまった。

冒頭の文は私の感想だ。特に海外のお客はオリンピックなどのイベントの時だけ日本に来てもらうのではダメだ。「また来たい」と思ってもらうために日本の魅力を伝えるのが私たちの務めである。そのためにはその場所を知る、日本を知るということの重要性に気づかされた。

私たち高校生の5年後は、大学生か社会人だ。そんな私たちが日本をリードしなければならないのだと改めて実感した。

(高等部2年生 女子)

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1月23日の土曜日に全校百人一首大会が行われた。私は、百人一首など少しも興味がなく3学期になってクラスの自習の時間で練習を始めた時は正直、面倒くさかった。

でも1〜10の札を覚えて百枚の札を並べて練習を始めると目をつけていた1〜10の札だけでもとれて、だんだん楽しくなってきた。

「あしびきの」–「長々し夜を」、「田子の浦に」–「富士の高嶺に」、「奥山に」–「声聞く時ぞ」、「かささぎの」–「白きを見れば」、「天つ風」–「乙女の姿」の5句を覚えて残りは軽く覚えて大会にのぞんだ。メンバーは、高等部2年の1組二人、高等部1年の1組二人、中学部3年生が二人と中学部一年の私で計七人だった。

私は、自分が完全に覚えていた5句の場所を探して、自分なりの集中をした。

そして、40枚の札が読み終わった時。私が持っていた札は5枚だった。「あしびきの」はとられてしまい、「かささぎの」は出なかったが、軽く覚えていた2枚を取って計5枚を取った。

練習する前は面倒くさくて何も覚えていなかった自分がこの場で5枚も取れたことに、少しうれしかった。来年は10枚くらいを目指して覚えていきたい。

(中学部1年生 女子)

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3学期ギター部コンサート〜感動の高2引退コンサート〜

3学期が始まって、早3週間が経ち、立教英国学院は1月30日(土)からブレイク期間に入りました。
2月2日(火)までは、いつもの授業はお休み。
その代わり、アウティング(遠足)があったり生徒会選挙があったり、ちょっぴり特別な期間の幕開けです。

そんなブレイク初日の30日、いつもより1時間ゆっくり起きて、ゆったり過ごす午前中……かと思いきや、何やらホールがにぎやかです。
それもそのはず、今日は学期に1度のギター部コンサートの日だからです。
出演者は朝からリハーサルを行っていました。

開演は午後3時半。
いつも通り軽快なギターの音で始まります。
今回のコンサートは中学3年生と高校1年生の部員にとってはデビューコンサートであり、高校2年生にとっては引退コンサートということもあり、開演時間にはホールにたくさんの生徒が集まっていました。

今日は楽しむぞ!と、気合十分な高校2年生たち。
先学期転入してきたために最初で最後の舞台だった生徒もいれば、中学3年の頃から一心に技術を磨いてきた生徒もいます。
それぞれが思い思いに、好きな音楽を、苦楽を共にした仲間とともに奏でます。

先学期、「来学期は最後だけど、いろいろ忙しいし、出ないでおこうかな…」なんてつぶやいていた生徒も、やっぱり最後は出たいと決意を固めたようで、舞台上では楽しそうに歌っていました。
そんな気持ちの生徒が多かったからでしょうか、今日のコンサートはいつもより出演者が多く、約1時間半続きました。

コンサート終盤、最後のドラムの音が響くとコンサート終了。
「今日は、最後の音を出したくなかった。最後の音を聞きたくなかった。終わってしまうのが寂しかったからです。」
1年間部長を務めた男子の言葉です。

「ここにいる仲間と見てくれている人たち、みんなのおかげでやってこれました。ありがとう。」
部長による最後の挨拶には、この1年間の部活動への思いが詰まっていました。
次のコンサートからは新しい部長が作っていきます。どんなギター部になっていくのか、今から楽しみです。

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冬休みにおばあちゃんの家に行って気づいたことがある。猫の寿命が近い。僕ら家族の予想では、冬は越せないくらいだ。
小さい頃はよくしっぽを引っ張って引っかかれたりしていたが、今ではしっぽを踏んでも怒らない。昔は台所にも飛び乗っていたのに今では椅子にも乗れない。昔は追いかけると走って逃げていったやつが今ではむしろすり寄ってくる。そんな姿を見ていると悲しくなってくる。
ひいおばあちゃんも去年の5月3日に亡くなったのだが、安らかな死に方だったそうだ。自分もいずれそうなることを考えると、今現在やっていることの意味がよく分からなくなってくる。今積み上げているものが全て崩れる瞬間が死のように思えてならない。
死んだあとって何が残るのだろう?と半分冗談で友達と話したことがある。
その時は、家族とか、功績じゃん?と軽く流したのだが、実は違うように思えてきた。と言うよりは、死の定義するものが分からない。
脳死、部位的な壊死、他にも色々な死があると思うが、根本的に死が意味するものは何だろう。僕の持つひとつのイメージとしては機能の停止なのだが、それだけでは説明しきれない特別な意味合いが含まれているような気がする。
例えば、僕は色々なスポーツが好きで、調子が悪いときなどに、これは死んでるわ、などと言ったりする。スポーツをやっている人なら分かるだろう。しかし、この時の死んでいる、というのは、ダメだという意味で、決してどこかの機能が停止している訳ではない。

冬休みや夏休み、色々なことを考えていて考えても分からないことが意外と身近に多いことを知った。辞書的な意味や、一般論はあっても、それがしっくり来るとは限らないといった感じだ。それが分かる日は来るのだろうか。

(高等部1年生 男子)

▪️中学部/高等部 入学試験(日本在住でも受験可)

中学部1年 2016年4月入学〈B日程〉

出願期間:2016年1月29日~2月9日(必着)
選考期日:2016年2月14日
試験会場:立教池袋中学校・高等学校

高等部1年 2016年4月入学〈B日程〉
出願期間:2016年1月29日~2月5日(必着)
選考期日:2016年2月14日
試験会場:立教池袋中学校・高等学校

※募集要項等詳細は当校ウェブサイトの入学入試情報(http://www.rikkyo.co.uk/info/admission.html)をご確認ください。

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いよいよ今学期から私たちは、最高学年となる。はっきり言って想像さえできない。中学2年に立教に入学した時からずっと先輩方にいろいろなことを教えてもらってきた。厳しい時もあり、泣きそうにもなったが、今では感謝している。

先学期の終業式で先輩方が「卒業」することに対し、さびしいと感じた。加えて、今までの先輩方のような、立派な先輩になれるのだろうかという不安があった。その不安は今でもある。後輩に物事を教えたり、注意したりすることは、意外にも疲れるし、大変なものだと学年が上がっていくにつれて分かってきた。見て見ぬふりをする方が楽だったり、自分でやった方が早い場合もたくさんある。それでも、今までの先輩方は指導して下さった。私が後輩の時は、何も分かってはいなかったから、なんでこんなに注意されるのだろうと思ったこともある。しかし、今では先輩からの指導や注意が大切だと分かってきた。もちろん、むやみやたらに注意したりするのはよくないけれど、間違っている場合は注意してもらわないと気づくことさえできなかったと思う。

今までの先輩方のような先輩になれるかどうか分からない。たぶん、最初の方は、無理だと思う。しかし、良い先輩を目指してこれからの立教生活を送っていきたい。

(高等部2年生 女子)

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全校合唱コンクールの準備が本格的にスタートしたのは、3学期が始まってからです。実質2週間ほどの練習期間で各クラスの曲を仕上げなければなりません。生徒会が定めた今年の合唱コンクールの審査基準は、「歌声」「完成度」「表情」「クラスのまとまり」などが総合的に判断されるため、各クラスが知恵を出し合い、工夫をします。
今回、特に高等部2年の両クラスは、間奏にバイオリンやサックスの音色を響かせたり、ソロパートを設けるなど、多くの工夫がなされていました。曲の完成度も非常に高かったように思えました。舞台に上がった時の生徒一人ひとりの表情は真剣そのものであり、中には、本当に笑顔でその時間を楽しんでいるように思えた生徒もいました。
各クラスそれぞれの発表が生徒、教員のこころに響く、とても素晴らしい合唱コンクールになりました。

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大会当日を迎えるにあたり、各クラスでは百人一首の暗唱テストを実施したり、オリジナルシートで実戦形式の練習をしたり、さらに、実際に札を持ってきて本番を想定した練習も行っていました。本校のかるた大会は、全校が縦割りで対戦相手が決まるため、小学部、中学部、高等部の児童・生徒が混ざり合って対戦することも度々あります。特に今回の大会では、小学生が高校生に善戦するという活躍も見られ、健闘している生徒が多かったように思えました。

高校2年生は、過去に何度もかるた大会を経験している生徒もおり、決まり字による素早い反応を見せ、下級生を圧倒している場面も数多くありました。大会が終わった後の表情や、感想はそれぞれでした。努力の結果が獲得枚数に表れた生徒、練習でうまくいっていたのに記録が伸びなかった生徒、自分の想像以上に獲得できて喜んでいた生徒。最も喜ばしかったのは、来年の大会に向け目標を持った生徒がいたことです。今から、着実に努力をしていけばたくさんの句が覚えられるし、きっと目標も達成することができるでしょう。来年の大会も楽しみです。

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目を奪われた。
幼い頃に憧れていたような、キラキラしていて、回ると花が咲いたような衣装に身を包み、しなやかに、華麗に。視線のすぐ下で奏でられている音に合わせて踊るように。

待ち続けた、暖かで、光に包まれていたクリスマスが終わり、少しだけ寂しさを感じていた、そんな時に、イギリスに住んでいて初めてロイヤルバレエ団のくるみ割り人形を観に行った。ちゃんとしたバレエなど見たことがなかったため、どんなものかも正直分かっていなかった。楽しみにしていた、といったら大げさだと言えるくらいだった。姉が大好きなミュージカルは、付き添って何度も観に行っていたので、そんな感じかなと思っていた。しかし、「バレエはミュージカルと違って歌もないし、セリフもないのよ」と言われた時は「それって面白いのかな」なんて思った。要は無知ゆえに、あまり期待はしていなかったのだ。

ロイヤルオペラハウスに入ると、まずは荷物チェックをされた。目に入るのは、ホールに入る前から続く綺麗な装飾。世界屈指のバレエ団ということは知っていたから、きっとすごいんだろう、そんなペラペラな紙みたいな感情だけど、期待は高まった。
ホールが開場した。母と姉と口を合わせるように「わぁ。」とその綺麗な内装に声がもれ、重厚さを肌で受け取った。歴史の重みだろうか。さらに期待が高まり、ワクワクして席に着くと、金の装飾がなされた、大きな、重そうな赤いカーテンが揚がった。
何層にも降りていた幕が、物語に合わせて揚がる度引き込まれていった。体も気づいたら少しずつ前のめりになっていた。夢に見たようなクリスマスの景色が広がる舞台に、次から次へ出てくるバレリーナ達。一人ひとりが、お姫様のようだった。

物語が、ヒロイン、クララの夢の世界へと入っていった。クララの夢の中のお菓子の国でいろいろなお菓子の踊りが始まり、その一つ一つが終わる度に起こる拍手。自然と私も大きく手を叩いていた。めくるめく繰り広げられる、その美しい物語の虜となっていた。物語に一度も言葉はなかったけれど、私はすっかり物語の中に入り込んでいた。

最後の金平糖の踊りの舞は、バレエをよく知らない私の目にも格別に思えた。大きな舞台に一人のバレリーナ。存在感も格別だった。キラキラと輝く舞台にキラキラと輝く衣装に身を包み、華麗に踊る、優雅な姿。綺麗だった。

やがてクララは目を覚まし、私もゆっくり現実へ戻っていく感じがした。大きな赤いカーテンが下りた。

「もう行くよ、ほら、早く。」そう母に言われるまで立つことを忘れていた。そこに言葉はなかったけれど、夢を見ているようだった。

(高等部2年生 女子)

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