2015年3月22日現在の状況

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〈2003〜2013年度〉

〈2014年度〉卒業者数43名
大 学 名       合格者数 大 学 名       合格者数
国公立 東京工業大学 4 国公立 一橋大学 1
国公立 東京外国語大学 4 国公立 東北大学 1
国公立 筑波大学(うち医学部1) 4 国公立 筑波大学 1
国公立 横浜国立大学 3 国公立 東京農工大学 1
国公立 一橋大学 2 国公立 横浜市立大学 1
国公立 埼玉大学 2 私立 立教大学 19
国公立 大阪府立大学 2 私立 上智大学 6
国公立 横浜市立大学 2 (1は医) 私立 慶応大学 4
国公立 東京大学 1 私立 法政大学 4
国公立 東京医科歯科大学(医学部) 1 私立 早稲田大学 3
国公立 山形大学(医学部) 1 私立 明治大学 3
国公立 東京海洋大学 1 私立 青山学院大学 3
国公立 国際教養大学 1 私立 千葉工業大学 3
国公立 首都大学東京 1 私立 津田塾大学 2
国公立 山口大学 1 私立 関西学院大学 2
国公立 広島市立大学 1 私立 中央大学 1
国公立 愛媛大学 1 私立 国際基督教大学 1
国公立 富山大学 1 私立 東京薬科大学 1
国公立 金沢大学(薬学部) 1 私立 明治薬科大学 1
国公立 北見工業大学 1 私立 聖心女子大学 1
防衛医科大学校 1 私立 フェリス女学院大学 1
私立 立教大学 139 私立 東海大学 1
私立 早稲田大学 53 私立 東邦大学 1
私立 慶應義塾大学 24 私立 桜美林大学 1
私立 青山学院大学 24 イギリス LIVERPOOL UNIVERSITY 1
私立 東京理科大学 20 イギリス SURREY UNIVERSITY 1
私立 明治大学 19 イギリス MANCHESTER UNIVERSITY 1
私立 上智大学 16 アメリカ MASSACHUSSETTS LOWEL 1
私立 中央大学 16
私立 日本大学 11
私立 成蹊大学 7
私立 法政大学 7
私立 東京農業大学 7
私立 北里大学 6
私立 南山大学 6
私立 明治学院大学 6
私立 学習院大学 5
私立 立命館大学 5
私立 東京薬科大学 5
私立 フェリス女学院大学 5
私立 関西大学 4
私立 関西学院大学 4
私立 立教女学院短期大学 4
私立 日本女子大学 4
私立 武蔵工業大学 4
私立 津田塾大学 3
私立 国際基督教大学 3
私立 成城大学 3
私立 東洋大学 3
私立 立命館アジア太平洋大学 2
私立 玉川大学 1
私立 獨協大学 1
私立 東京慈恵会医科大学 1
私立 日本医科大学 1
私立 日本歯科大学 1
私立 同志社大学 1
私立 聖心女子大学 1
私立 東京家政大学 1
私立 京都女子大学 1
私立 近畿大学(薬学部) 1
私立 聖隷クリストファー大学 1
私立 LEHIGH UNIVERSITY 1
その他

今から二年前、五年生に進級するときに、私は、立教英国学院の小学部に入学しました。入学する前、初めて全寮制の学校だと聞いたとき、私は少し戸惑ってしまいました。なぜなら私はそれまで、家族から離れて生活したことがほとんどなかったからです。そして実際に立教に来てみると、本当に分からないことばかりでした。そんな私を温かく迎え、生活の仕方を優しく教えてくださったのは先輩方でした。食事の席では、テーブルマナーや当番のときの仕事の行い方、ドミトリーでは、シャワーの場所や洗濯日、そしてリネンチェンジの仕方を教えてもらいました。
初めは、自分だけでできないことがたくさんありましたが、少しずつできることが増え、だんだんと立教での生活に慣れていくことができました。まだ十分ではありませんが、今では自分のことだけでなく、他の人のことにも、気を配ることができるようになりました。

この二年間の立教での生活を通して、学び、経験し、身につけてきたことを生かして、私には、中学部へ進んだら頑張りたいと思っていることが三つあります。
一つ目は、来学期に入ってくる新入生の力になろうということです。四月から始まる一学期は、球技大会やジャパニーズイブニング、漢字コンクールやウィンブルドン観戦など、たくさんの行事があります。慣れないことやわからないことがいっぱいの新入生の生活について、私が先輩方からしていただいたように、しっかりとサポートし、一緒に良い思い出をたくさん作りたいと思います。
二つ目は、今まで以上に勉強に真剣に取り組む、ということです。中学生になると、小学校の算数が数学に変わり、地理の勉強も始まります。今までとは違う教科が始まり、学習する内容も増えると思うので、計画的に物事を考え、時間の使い方も工夫して、より効率的に勉強できるようにしていきたいです。
三つ目は、続けてきた部活動を、これからも頑張ろう、ということです。私は立教に入学してすぐ茶道部に入りました。部活動紹介で、上手にお点前をしている先輩方がとても素晴らしくて、私もやってみたいと思ったからです。でも、いざ入部してみると、作法や道具の名前など、覚えなくてはいけないことがたくさんあって、くじけそうになったこともありました。そんな時にも、私を支えてくださったのはやはり先輩方でした。私も、先輩のように、茶道の素晴らしさを伝えることができるように、中学部に進んでも、しっかり活動していきたいと思います。

最後に、この二年間温かく見守ってくださった先生方、毎日食事を作ってくださった方々、校内をいつもきれいにしてくださった方々、本当にありがとうございました。中学生になっても頑張りますので、これからもよろしくお願いします。

(小学部6年生 女子)

二学期の終業式、高三に別れを告げた。
私にとって高三との別れはとても辛く虚しいものだ。この学校に入学した当初から、私は今の高三にとてもお世話になっていた。部活、休み時間、食事の席、イベントごと、何をするのも高三と一緒だった。いつの間にか、高三のみなさんも自分を後輩というよりも、友達としてみてくれる方が多くなっていたと思う。私は高三のみなさんを兄のように慕い、尊敬していた。そんな高三が来学期からいなくなってしまう。そして今度は私自身が先輩とならなくてはいけない。特別仲のいい後輩もおらず、ましてや怖がられているという噂も聞くほどだ。やっていける自信がない。

私は冬休み、何人かの高三と会うことができた。一緒に笑って馬鹿騒ぎして、学校じゃなくてもこうやって会ってくれる。こんな先輩たちが大好きだ。辛い時、うれしい時、いつでも話をきいてくれる先輩たちが大好きで仕方なかった。ある一人の先輩が
「俺たちといる時はおもいっきり甘えていいから、学校に行ったら甘えられる存在になりなさい。お前なら、絶対ついてきてくれる後輩がいるから。」
と私の背中を押してくれた。

残り一年、この学校で私ができること。それは上の代から与えられたものを、下の代に与えることなのではないのか。それが先輩になるということではないのか。私の目標、それは先輩たちの思いを受け継ぎ、私自身が今の高三のようになることである。今度は私が後輩の背中を押せるよう、頑張っていきたいと思う。

(高等部2年生 男子)

今回、スペイン旅行に行き、たくさんのピカソの絵を見てきました。

最初に行ったのはピカソ美術館。その名の通り、ピカソの絵がたくさん鑑賞できる美術館です。そこでは、ピカソの絵が時系列に並んでおり、ピカソの絵の作風の変化が目に見えて分かるようになっています。
ピカソは美術の先生の父を持ち、小さいころから美術とずっと関わっていました。そして十代の頃には、既に大きなキャンパスに絵を描いたり、大人用の大会に出場できるレベルの腕前を持っていました。その頃の絵は、写真のように上手で、私たちのイメージするピカソとはかけ離れた表情の細かさ、色づかいがありました。十八でパリへと出たピカソは、いろいろな人に出会い、学び、徐々に私たちの知るピカソのイメージへと近づいていきます。ピカソは時を経るにつれ、作風が変わっていくことが有名な画家です。例えば、友人の自殺により大きな衝撃を受け、青を基調とした絵ばかりを描いていた「青の時代」、恋人を得て明るい色調の絵ばかりを描いていた「ばらの時代」など。区切りごとに色やタッチが変わっていく様子はとても面白く、よくわからなくてピカソが嫌いだった私でも引き込まれていきました。

ピカソの作風に目を慣らした後、ソフィア美術館に「ゲルニカ」を見に行きました。有名なことは知っていたし、教科書で見たこともありましたが、怖いし暗いし、嫌いな絵の代表格でした。この絵には無差別に行われ、住民を大変苦しめたゲルニカ空襲の様子が描かれています。

実際に見て思ったことは、とにかく大きい!ということでした。人がまわりに群がっていても迫力を十分に放つ大きさからは、小さい頃に教科書で見た絵よりも、切迫した様子がよくわかりました。そしてモノクロで描かれていることに、私は希望の色の無さを感じました。死んだ子供を抱いて泣き叫ぶ女の人、暴れる馬、ナイフを持った腕…。本物の現場とは程遠い形なのに、実際の悲しい現場の想像ができました。ピカソは前もって決めていたデザインを、期限ギリギリで変えてこの絵を描いたそうです。ピカソは戦争の悲惨さを見る人に伝えたかったのでしょう。そしてそのためには、見る人に大きな衝撃を与える必要がありました。その結果、暗くて、怖くて、空襲をそのまま見てきたかのような絵を描いたのでしょう。

そんな絵が私はずっと嫌いでした。美術の教科書で見つけてしまうたびに、不快な気持ちになりました。いまになって思うことは、それがピカソの作戦なのでは、ということです。綺麗な絵しか見たがらない平和ボケした私のような若者に、現実であったことをわからせるため、心の隅に残させるために、嫌わせるために過激に描く作戦。私はまんまとその作戦にかかっていたようです。

今回の旅行を通してピカソが二十世紀最大の画家といわれる所以がわかった気がします。まだまだ理解できない絵もたくさんありましたが、これから時間をかけてゆっくりと自己解釈し、他にもしかけた作品がないか、見抜いていきたいです。

(高等部2年生 女子)

卒業終業礼拝も終了し、大部分の生徒が帰国してすっかり静かになった立教英国学院で、33名の生徒が引き続き生活をしています。春期休暇の特別補習に参加している高校二年生の生徒です。この補習は、大学受験に向けた基礎力を固めることを目標にしており、生徒は主要5科目15種類の授業から、自分に必要なものを自由に選択して履修することができます。たとえば英語は文法やアクセント、英文読解など分野ごとに細かく授業が分かれており、苦手分野が克服できるようになっています。授業は90分。午前中に2時間、午後に2時間授業があり、夜は12時まで全員で図書館で自習をします。受験勉強が本格的に始まるこの時期、一人で勉強に向かうのはなかなか難しいもの。でも集中している同級生が隣にいるだけで、自分も頑張らなくちゃ、という気持ちになってきます。高校二年生はこれから、大学受験に向けた長い一年が始まります。この春期講習で勉強の習慣をつけ、苦手を克服することで、いいスタートダッシュがきれるよう願っています。

たった1年間の立教生活でしたが、思い出も思い出せばきりがないほどで、今でも私の原点です。
ここで先生方に愛情たっぷりに育てられたこと、友人たちと過ごした時間、雄大な空を想いながらこれからも頑張って大学生活を送りたいと思います。
また一回り大きな国際人になった時、立教英国にお邪魔します。
(名古屋さん)

今日は2年ぶりに私と同学年の卒業式、そしてお世話になり、今年度で退職される担任だった東先生に会いに来ました。久しぶりに皆の懐かしい笑顔が見れて、変わらない私の大好きな立教英国学院に来れて本当に良かったです。
またいつか来れたらいいと思います。
(岩崎さん)

今日は東先生の卒業式に参加できればと来ました。1977年からお世話になりましたが、先生の居ない立教は考えられません。今後はゆっくりと第2の人生を楽しんで下さい。
卒業式での卒業生のスピーチを聞いて、昔と同じ立教を感じて、嬉しかったです。
いつまでも同じ立教でいて下さい。
(今時さん)

今回は東先生の御卒業に合わせて伺いました。
高3の時は受験で帰国のままだったので自分自身も33年ぶりの卒業式のような気持ちで礼拝に臨みました。決して優秀な生徒ではありませんでしたが、自分の母校と思えるのは先生の皆様がいかに慈しみ深く生徒に立ち向かっていたか、そしてその心が、数十年をかけて、最高のウィスキーの様に熟成したのだと思うに至りました。
本当にありがとうございました。
(若園さん)

春の訪れを感じる気持ちのいい朝。立教英国学院は卒業終業礼拝の日を迎えました。4名の小学六年生は全員が中学部に、15名の中学三年生は13名が高等部に進学し、そして、43名の高校三年生は立教英国学院を本日卒業することになります。在英の学校ということもあり、高三生の中には受験のために日本に帰国中の生徒も多くいますが、この日のために日本から12名が立教に戻ってきて式に参加しました。3学期ずっと見ることがなかった赤ネクタイの高三生がいるだけで、学校の雰囲気がずっと頼もしくなる。この頼もしさが立教の高三生の魅力です。

この日の聖書朗読は「コリントの信徒への手紙一 第13章1節〜13節」です。今学期を以て日本へ帰国する香蘭女学校からの留学生が朗読をしました。朗読の一部を紹介いたします。「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」。毎日読んでいる聖書の言葉も、この特別の日にはより強いメッセージとして生徒の心に届いているようでした。

礼拝では、日本国大使館の川村総領事と伊藤忠欧州会社社長の今井理事からご祝辞をいただき、また、在学中に特に優秀な成績を修めた者、学校生活へ積極的な貢献をした者への表彰が行われました。国際交流の分野で英国と日本との懸け橋になるような活躍をした生徒には、ホーシャム市議会議長から表彰していただきました。

卒業礼拝後は、すぐに帰宅する生徒もたくさんいますが、ホームステイ先に出発する者、短期交換留学に出発する者はこの日から約一週間、英語だけの生活が始まります。一か月後の新しい学期のスタートに向けて、充実した休暇を過ごしてくれることを期待しています。

ロンドンアウティングを通じて
ロンドンに行ったのはこれで何回目だろうか?僕は、ロンドンから学校へと向かう帰りのコーチの中で、そんな事を考えていた。この季節の夜のイギリスは寒いため、僕はマフラーを首に巻き、窓から外を眺めていた。
学校に着き、シャワーを浴びて寝た。ドミトリーの仲間はすぐ寝てしまったので、皆疲れたんだなと思った。僕は、就寝後、夜一人、ある事を思い驚いた。
中学の頃は日本の高校に入学するか、この学校に来るか迷った。僕はここに来るまで、こんなに海外の都市を行き来するなんて、夢にも思っていなかったからである。しかも、そんな事がまるで、普通のように思えてくる。普通ではない。日本の学校では絶対に経験できないし、日本にいたら、海外にすら出ようと思わない。
僕はそんな事を考えて、前に自分が決めた高校の進路が正しかった、少しそんな感じがした。そう思えた時、うれしかった。これから僕ら高二は受験生。どれが一番正しいのかはわからないけれど、進みつづけようと思う。

(高等部2年生 男子)

「ミレーの生徒が一週間、立教に来る」
それは紛れもなく私にとって大きなことであり、緊張、不安、楽しさが入り混じっていた。私はペラペラ英語が話せるわけではないが小学校のころから習っていて心から英語が大好きだ。だからこそ今回のミレー交換留学も応募した。
私のバディーの子の名前はエロイス。来る前から名前でそれなりにいじられ注目を浴びていた。どんな子なのかと思っていたらエロイスは私より年下なのを忘れるくらい大人っぽかった。

今回の交換留学ではたくさんの思い出が作れたが、多すぎるので一部を紹介しようと思う。まず会って一日目。お互い緊張していた。なにを話せばいいのかわからず、とりあえず趣味などを聞くことから始まった。そうこうするうちにすぐ仲良くなることができ、二日目には恋バナで盛り上がり、女子が恋バナを好きなのは世界共通なんだなと思った。そのあと交換留学のプログラムの一貫でバディーの子とフラワーアレンジメントをするという企画があった。私はフラワーアレンジメントを体験するのが始めてでエロイスも同じく初だった。お互い初心者なのでどう作ればいいのかわからず試行錯誤した。まずフラワーアレンジメントなのにオアシスに茎だけを刺したり、臨場感を出すためとか言って花びらを散らしたりした。ついには茎でちゃんばらをしたりした。先生やフラワーアレンジメントの先輩にはあきれられたがこれが涙が出るほど楽しかった。お互いふざけあって、心の底から笑い、国籍という壁を乗り越えた気がした。

だがこんな楽しい思い出があるなか、唯一心残りがある。あまり放課後や授業の休み時間にエロイスといられなかったことだ。ミレーの交換留学の直後に生徒会選挙を控えていた私は台本作りに追われていた。さらにギターコンサートの練習もしなくてはならずエロイスと話す時間があまりなかった。この心残りを思い切って最後にエロイスに伝えてみた。あまり一緒にいられなくてごめんね、と。エロイスはそんなことないよと笑顔で答えてくれたが、あと一週間後に迫っている私たちがミレーに行くときは心残りのないようにしようと思う。

どんなことも全力で楽しむ。
これが私のモットーだ。一週間後が私は楽しみだ。私はまた貴重な体験ができるだろう。

(高等部1年生 女子)

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