立教から車で40分ほどでつくサウスダウンズ。ここに中2は、7人だけでミニアウティングに行った。期末テストも、テスト返しも終わった5,6時間目、私はとてもうきうきした気分でこのちょっとした外出に出かけた。
ミニバスの中で音楽を聴いたり、うとうとしたりして気がつくともうサウスダウンズ。バスから降りると強い風とともに広大な景色が目の前に広がっていた。丘の向こうには海がきらきら光り、反対側にはたくさんの自然と住宅、全てが見渡せる。
雨の中行ったにもかかわらず、バスから降りるときには晴れて、虹まで見えて丘から見える全てが美しかった。丘を歩いて、寒いーー!と叫びながら皆で丘の頂上から大ジャンプをしたり、駆け下りて、また駆け上がったり、とにかくはしゃいで、駆け回って遊んで、めちゃくちゃ楽しい!!そう思えた。
丘には牛の落し物もたくさんあって、皆キャーキャーいいながらも面白がってよけていた。
しばらく丘で遊んだ後、またミニバスに乗り込み、こんどはアラン川の近くのティールームでティータイム。クリームティーを頼むと、かわいいポットに紅茶が入れられ、大きいスコーンとクリームとジャムが運ばれてきた。スコーンを食べてみると本当においしくて、一口だけで幸せな気持ちになれた。夢中で食べていると、スコーンはあっという間になくなってしまったが、私はその後も至福の時をティールームで過ごした。今日ここに皆で来れて本当によかった。そう思った。
ふと、3学期ももう終わりなんだ。そう感じた。本当に一学期間、一年間もあっという間で、でも凄く充実していた。少人数ながら、少人数だからこそ楽しめた一年であったし、中2でよかったと思える一年だった。
来年中3になってまた色んな友達が来ると思うし、いろんなことがあると思うが、そこで、また中3らしさを作れたらいいな、と思う。
(中学部2年生 Mさん)

フラワーアレンジメント部は、毎週金曜日に校内の3箇所、ダイニングの入り口、教員室、そしてチャペルに飾る花をいける活動を行っています。昨年度の終わりには数える程しかいなかった部員も、今では小6から高2まで男子生徒4人を含む総勢20名で活動しています。
一年間、部を支えてきた高校2年生4人は、卒業礼拝に飾られたお花のアレンジを最後に引退となります。高2になってからフラワーアレンジメントを始めた4人ですが、今ではなくてはならない存在に成長し、自分の担当箇所のお花をいけながら、後輩に教えてあげることも出来るようになりました。
一年間の部活動を通して、お花をいけるテクニックだけでなく、自分の作品を丁寧に作り上げること、責任もって生きている花を扱うこと、枯らさないように世話をすること、人の気持を和ませるアレンジを作ること・・・など多くのことを学びました。
3月10日の卒業礼拝当日、立教英国学院のスクールカラーである黄色と紫の素敵なお花が飾られ、晴れの門出にふさわしいアレンジが、チャペルを華やかにしてくれました。最後の活動を終え、一年間を振り返った部長、副部長の作文をどうぞ。
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私はフラワーアレンジメントを高2になるまで1度もやったことがありませんでした。
やるきっかけをくれたのは前部長でした。1度もやったことのない私を、
「入部して部長やってくれない?」
と誘ってくれました。正直驚きましたが、良い機会だと思ったので部長をやることにしました。
初めは全くわからなくて、何を、どのようにいければ良いのかもわからなかった私が、今では卒業式の時、チャペルに飾られていた大きなアレンジメントが出来るようになりました。OPENDAYでもRoyal Wedding(王室結婚式)をテーマにして、造花を使った大きなアレンジメントを作りました。
ささいなきっかけだったのかもしれませんが、それが今では素晴らしい運命の出会いだったのでは・・・と思えるほどになりました。
将来、絶対また何回かフラワーアレンジメントをやる気がします。
(高校2年生・フラワーアレンジメント部・部長)
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この1年間、フラワーアレンジメント部で活動できて、すごく幸せでした。産休に入られたイギリス人の先生に代わり、今年の1学期から来てくださっている新しい先生のもとで、基礎から学ぶことが出来ました。
以前は気にならなかったお花が、自分で作っているとよく目に入るようになりました。ホームステイ先のお宅で、一緒にアレンジメントしたり、学校の庭師の方と仲良くなれたのも、このクラブに入っていたからだと思います。
また、今年のOPENDAYでは、一教室をいただいて、”ロイヤル・ウェディング”をテーマに造花を使ってアレンジメントしました。たくさんの人に私たちが普段やっていることを知ってもらえて嬉しかったし、来年からのフラワーアレンジメント部に何か残せた気がしました。
後輩や先生とわいわい話しながらお花をいけるという、忙しい立教生活の中での、数少ないゆったりとした時間が大好きでした。このクラブに誘ってくれた友人である現部長、教えてくださった先生、立教の庭をすべて管理して下さっている庭師の方にとても感謝しています。
(高校2年生・フラワーアレンジメント部・副部長)

 

昼食を食べた後で眠かったせいもあり最初は無理やりテンションを上げていた。
しかしそれはただの空元気に過ぎず、ほんの数分ももたず気持はすぐに落ちた。車の中では会話もなく、外の景色を見ながらただただ到着するのを待っていた。
ここ、イギリスの景色はどこを見ても、のどかで落ち着く雰囲気をもっている。そのせいかミニアウティングに行くことすら億劫になった。
「つまらない」、そんな気持ちを変えたのは一瞬の出来事だった。
前の方にいる女子が一斉に黄色い声を出したのだ。うるさいなぁ、そう思った僕はふと女子の方に目をやった。女子が騒ぐのもすぐに分かった。フロントガラスの向こうに映っていたのは大きな、大きな虹だった。その虹は、絵に描いた様に丘の端から反対の山の天辺までかかる大きなアーチを描いていた。僕の心の灰色の部分を虹が明るく染めてくれた。
丘の上に車が止められ、ドアを開けたらものすごい風。本気で飛ばされるかと思うくらいの強風。
そして絶景。空気も澄んでいて気持ちが良い。さらさらと降っていた雨も気にならないくらい興奮してしまった。気付いたらとっても小さい子供の様にはしゃいでいた。大声で叫びながら丘を駆けた。下を見ると転んで吸い込まれそうになるにもかかわらず、夢中に走った。
ジャンプしてみると、上に跳んだはずが、風にさらわれて前に行ってしまう。それぐらい強い風が吹いていた。飛んでるって感覚を生まれて初めて知った。まぁ、飛ばされたというのが正しいけど。
日本では味わえないような楽しい経験が出来てよかったと思う。こんな経験をもう一度したいと思った。
(中学部2年生 H君)

 

“雪どけ”と聞くと思い浮かぶのは春の訪れではなかろうか。2012年の立春、イギリス南部では20cmをこえる積雪があり、真冬に逆戻りした。そのあと2度ほど降雪があり、約2週間にわたって零下が続くほど冷え込んだ。
さて、雪がふればとける時がくる。
雨が降っても雪がとけても、水は地中に沁みこみ、地下水を形成する。ふんだんに水を含んだ土壌は、多くの生物の住処となり、植物を育てる。
という理解でよいのだが、イギリスではすこうし違っている。どこが違っているのか?水は地中に沁みこみ…というところである。
イギリスでも雨水や雪解け水は地中に沁みこんでゆく。だが、日本でイメージするものとはだいぶ異なる。日本の土壌は水はけが良く、掘り返してみると、やわらかく、ほろっとくずれる。イギリスのこの地方の土は、さながら粘土である。掘り返せば、カタマリのまま。粘りがつよく、触れた手にからみつく。レンガ文化が生まれたわけである。
このような地質のイギリスでは、雨水や雪解け水が土に沁みこむといっても日本ほどの量はない。ちょっと大雨が降れば水たまりができ、川は水量を増してあふれ、土地を侵す。アスファルトの車道に通行を妨げるほどの大きな水たまりができる。これをFLOOD(フラッド)と呼び、こちらでは大雨のあと、FLOOD注意の看板がよく立つ。
このような降雨や雪解けとFLOODの関係を熟知したイギリス人は、”川からあふれる水を逃がす土地”を用意した。学校の近くのGUILDFORDには、このような土地がある。ラグビー場の隣に、雑草が生える広い草地がある。ふだんはゆったりと牛が草を食む姿が見られるが、一度豪雨がやってくると、隣接するウェイ川からあふれた水で、風景は一変、突如として湖が誕生する。
これを目の当たりにしたときの驚きは非常なものである。山岳地帯を中心に成り立つ日本列島出身者にはこのような土地利用法が存在するだろうか。
私たち日本のひとびとは、昔から川を制御しようとしてきた。水はけのよい土壌、傾斜の激しい土地は、山脈にぶつかって降った雨が川を流れて下流へあふれてゆく。特に夏に多いこの災害に備えるため、高い堤をきずき、農地や家々を守ろうとしてきた。その一方で水の恵みに感謝した。激しく荒れ狂い、山野を蛇行し、そして恵みをもたらす川は、中国では龍のイメージを生んだ。龍は水をつかさどる伝説獣として私たちの文化に浸透した。
水はけのよい土壌は土砂くずれを起こしやすいが、粘土質の土壌は水がたまりやすく床下・床上浸水を起こしやすい。数年前にイギリス北部では大規模な床上浸水が起こった。日本では堤を築き、イギリスでは水を逃がす広い土地を用意したのであろう。
FLOODの代表的な日本語訳は「洪水」である。洪水といえば、水量を増して荒れ狂った川から水があふれ出し、勢いを増して流れ去ってゆくイメージではないだろうか。イギリスのFLOODは床上浸水のような極端なケースを除けば、今まで自然のままであったフィールドに湖ができ、ひたひたと水がたたえられるイメージである。言葉からうかぶ印象もところ変われば変化するのである。
2週間の冷え込みのあと、イギリスのあちこちではたくさんFLOODが出来たことだろう。雪どけによるFLOODは、春の先触れなのだ。

 

毎年卒業式に地元ホーシャム市議会議長から本校生徒に「アンバサダー賞」が授与されます。その年イギリス人との交流に最も積極的に取り組んだ生徒に与えられるこの栄誉。今年は、短期留学生と意欲的に交流し、さらにバトミントン部の対外試合や校外学習などでも率先してイギリスの人たちに話しかけ和やかな雰囲気作りに貢献した高校2年生のMさんにこの賞が贈られました。以下、その時の市議会議長のお話を掲載します。
Mr Chairman, Headmaster, Ladies and Gentlemen and Students – Good morning.
I am truly delighted to be with you for your Graduation Ceremony which marks the end of your Academic Year. A special day which I’m sure you will remember a long time from now.
Although it is 20 years ago, I have very happy memories of visiting Japan. My daughter, who was ten at the time, was great friends with a young girl called “Ai “and we spent a week with her family in Yokohama in April. It was an amazing trip; we were warmly welcomed by Ai’s family and experienced Japanese culture at close hand. I remember tea-tasting ceremonies, flower ceremonies, Mount Fuji and of course, the breathtaking cherry blossom! Wonderful memories.
I am here today to present the Ambassador Prize which has always been presented by the Chairman of Horsham District Council. You will be aware that the Chairman of the Council is elected annually in May. This is the second time I have been privileged to serve as Chairman. The first time was 10 years ago and I warmly recall coming to Rikkyo to present the Ambassador Prize back in March 2002.
The Ambassador Prize is given to the student or students who have best represented the Rikkyo School during the course of the year. The award this year will go to Haruka who, with six other students, spent a week last July at Wolverhampton Girls’ High School, and boarded with students’ families. Although all the girls were eager to interact with the Wolverhampton students, Haruka went to great lengths to do so and played an active part in entertaining the Wolverhampton students when they stayed at Rikkyo in January. I understand that whenever the School has sports fixtures at home and away, Haruka makes an effort to speak to the English students and has a very approachable attitude. She has been an excellent ambassador for the School, and has shown a keen interest in establishing cultural exchanges with English students. She is clearly a very fitting candidate and I am delighted to present her with the Ambassador Award.

 

期末テストが終了し帰宅まであと数日と迫った水曜日の午後、小学生から中学2年生までの生徒たちが今学期最後の外出をしました。今年度は「学校から外に出て、なるべくイギリスに触れよう!」ということで英語/社会の校外学習を始め、アウティングやショッピング等何度も外出し「イギリス社会」に触れてきた彼ら。学年最後の締めくくりは担任の先生方の企画で「イギリスの自然」に触れる外出となりました。
立教があるウェストサセックス州は「イギリスの庭」と呼ばれているほど美しい風景が広がるところ。ものの30分も行けば息を飲むような自然が広がっています。
小学生と中学校1年生は、学校から15分のところにあるCranleighという町の裏手に広がる丘に、学校のミニバス2台に分乗して行ってきました。飲み物とスナックを持って約1時間のウォーキング。途中にわか雨にも見舞われましたが、森の木陰で雨を凌ぎ、しばし皆で歓談。雨が上がった後は眼下に広がるCranleighの町を見ながら再び歩き始めました。1学期に英語の授業で毎週訪れてインタビューをしたこの町も、こうして丘の上から眺めると何だかとっても不思議な感じがしました。
中学校2年生は担任の先生が運転するミニバスで南に向かって出発。
「先生、どこに行くんですか?」
「小学生と中1の今日のテーマは『歩く』だからな。我が中2の今日のテーマは『飛ぶ!』だぞ!」
良く訳の分からない先生の言葉でしたが、楽しそうなその響きに皆で「イェーィ!」と盛り上がって学校を出発しました。
10分ほどで雨が降り始めましたが、「大丈夫、向こうの方は雲が切れていて空が明るくなっているからね。」と担任の理科の先生の頼もしい分析。そして30分近く南下して目的地が近くなると、本当に日が差し始め北の空には虹まで出現!
「昼間に虹が出るのは珍しい。君たちラッキーだよ。ほら、昼間の虹だからアーチが低いけど、きれいに全部見えているね。さあ今度は反対側を見てごらん。あの丘の上にこれから登って行きますよ。丘の上から虹が見えたら最高だね!」
狭いくねくね道に入り、急な坂を一気に登ると急に視界が開け、丘の上に到着。
「うぁー!見て!虹がまだある!」
眼下に横たわる町やフィールドを眺めながら、担任の先生の後をついて歩いて行きます。雨上がりの草原は、すでに春を感じさせる眩しい緑。先頭を行くグループが突然歓声を上げると、後続の生徒たちも走って追いつきます。
「うぁー!」
歩いていた小道が小さな丘の尾根に変わり、両側がスロープになっている不思議な場所に出ました。
「さぁ、ここで飛ぶぞ!」
担任の先生が大きな声で皆に叫びます。丘の下から吹き上げる風に、本当に飛べそうな気がしてきました。
「いいか、一斉のせっ! でジャンプだぞ!」
副担任の先生がカメラを構えます。
「よーし、じゃぁいくぞ! せーのっ、ジャンプ!!」
カシャ!
「もっと高く!」
カシャ!
「もう1回! せーのっ!」
カシャ、カシャ、カシャ!
サウスダウンズの丘の上で、先生が言った通り、本当に見事に「跳ぶ」ことが出来ました。
この後は近くを流れるアラン川のほとりのティールームでお茶をしました。初めてのイングリッシュ・クリームティー体験をして手作りの大きなスコーンを頬張り大満足の中学2年生、学年最後の外出に皆大満足でした。
彼らの感動のコメントは後日このホームページにアップする予定です。
この日の写真はこちらのギャラリーでご覧になれます。

 

道行くイギリス人に英語でインタビューをする中学校1年生の英語校外学習。今学期は大きな町でのインタビューに挑戦。それぞれの町で行ったインタビューの集計結果をまとめ、レポートにしました。今学期2つ目の町は世界で初めて公共の電気街灯が灯ったというGodalmingです。

  • ゴダルミンの町並みを写したものです。この通りで僕達がインタビューする訳ですが、人が多く通りその半分以上がインタビューを拒絶するのでインタビューはとても難しく勉強になります。そして英国人の話を聞いていると、とても楽しいです。また、協力しながら作業するので絆も深まります。

Oさんがゴダルミンで英国人に質問していたところを写したものです。英国人とは全て英語で話すのでとても勉強になります。
(左)ゴダルミンの教会を写したものです。僕が最初この教会を見た時、古い教会だろうなと思いました。ゴダルミンの教会は、ゴダルミン市民の集会所みたいな役割を持っています。とても高い塔に圧倒されます。
(右)この建物はゴダルミンにあり、町の中心に建てられている。前は市役所だったという。外見はシンプルだが、建物の中は塗装がされていなくて、ベンチが置いてある。最初見たとき、シンプルできれいなので良さそうな建物だなと思いました。他の建物と雰囲気が違うので町のシンボルのようにも見えました。

これは1668年に造られた建物で、レンガで出来ています。窓ガラスには工夫がこらされて、模様が面白いです。下にはお店があって、僕達はそこででお茶を飲んで休憩しました。僕は最初この建物を見て教会だと思いました。近くによって見てみると1668と書かれていました。結局これは教会ではなく古くて歴史が長い建物なのだとわかりました。これはすごいと思って撮った写真がこの写真です。下の写真はこの建物の下のお店の前で僕の班のメンバーを撮った写真です。
*   *   *        *   *   *       *   *   *
2回目の英語外出インタビューは立教から車で20分ほどのところにある「ゴダルミン」と言う町に出かけました。
今回の目標は前回よりも5人多く、1人15人聞くことが目標でした。しかし、前回出かけたホーシャムの町より人が少なく、とっても寒かったため、結局ひとり10人くらいしか聞けませんでした。寒い中頑張ったので、最後に近くのお店でお茶をしました♪ 前回と比べて、積極的にアンケートをとることができたと思います。この調子で次の町では、今回達成できなかった目標を達成できるように頑張りたいと思います!!
【集計結果】
質問した内容
①Do you know our shool ?    (Rikkyo Japanese School)
②(Yes⇒)  How did you know our school ?
②(No⇒)   What do you think about Japan ?
質問に答えてくれた人・・・31人
質問に答えてくれなかった人・・・21人
合計・・・52人(5人で聞き、全員10人以上の人に聞くことができました)
①の質問に対し、31人のうち、12人の人が立教を知っていて、19人の人が立教を知りませんでした。
12人になぜ立教を知っているのか聞いてみたところこんな答えが返ってきました。
・行ったことがある・・・1人
・インターネットで知った・・・1人
・祖母が立教の近くに住んでいる・・・1人
・立教を車で通りかかる・・・7人
・夫が「コーチ」の運転手・・・1人
・立教の昔の先生が、友達の家に住んでいたことがある・・・1人
立教を知らない19人に、日本をどう思っているか聞いてみました。
・カメラなどのテクニックがハイクオリティだと思う・・・2人
・lovely・・・1人
・super・・・1人
・never been・・・3人
・面白い・・・2人
・漫画が最高・・・1人
・友達が大阪にいる・・・1人
・ちょっと問題を抱えていると思う・・・1人
・桜と日光が美しいと思う・・・1人
・すばらしいと思う・・・5人
・文化がすばらしいと思う・・・1人
この集計の結果から思ったことは、GODALMINGはホーシャムより立教から遠いから、立教を知っている人がホーシャムより少ないのではないかということです。また今回の町はホーシャムよりも人が少なかったので、聞いた人数も前回よりも少なくなってしまいました。でも、全員10人以上聞くことができたのでよかったです。

 

 

 

 

この3月をもって6名の方が退任されました。添田保彦先生(地理 36年勤続)、梅澤司先生(国語 5年勤続)、ラッセル先生(G.C.S.E. Biology 11年勤続)、ミセス・ウッド(校長付秘書 17年半勤続)、男子寮のクリーニングレディースのミセス・ダッドマン(22年半勤続)と、ミセス・ジョスリン(7年半勤続)。長い間ありがとうございました。
その中から3名の方に退任の辞を頂きましたので以下にご紹介します。

*   *   *   *   *

あの日から始まった          添田 保彦

1976年4月6日、立教女学院で働いていた私が地理の教師としてここに呼ばれ、ヒースロー空港に降り立った夜8時頃、空港は薄汚れて見えた(当時空港は古かった)。侘しい気持ちがしたのを覚えている。時差で学校に着くまで眠りこけていた。寮の四人部屋に同僚となる2人の教師がいた。荷物を少し整理して11時頃床についた。翌朝、8時頃起き、宇宿先生の所でトーストとベーコン(だったと思う)をおいしく頂いた。その後、長袖セーターで外に出て歩いた時、日本の高原の様だなと思うと同時に、「こんな所に来ちゃった、静かで空気が軽井沢のようなのはいいが、静かすぎる、何もない山村のよう。夜は真っ暗でお先真っ暗、こりゃ2年で帰ろう」と思ったのを覚えている。
その後、教室整理、ベッド運び、校内清掃等1週間で学期が始まるまで働いた。学期が始まると中学2年生の担任となった。全校生徒数は95人、高校生は5人いたが、その当時は正式に文部省の許可は受けておらず、その学年が高3になって初めて正式に日本の高校と同じ資格になった。最初の二年はがむしゃらで徹夜に近い時も多かった。生徒も教員も殆ど何もないところから創っていった。宇宿先生の提案で初めての球技大会が5月に行われた。今と違い、女子の方が少なかったせいか、女子は物足りなさそうにしていた。翌年、中学修学旅行が初めての海外スイスになり、担任として付き添ったものの、入国の時に生徒に仏語を手伝ってもらった。天気も良く、素晴らしく楽しかった。1977年、女王のシルバージュビリー(即位25周年記念)で、生徒が貼り絵を作り、ロンドンの宮殿かまたはどこか他の展示場に持って行った。今年、ダイヤモンドジュビリー(即位60周年記念)の年に退職することになったのが感慨深い。
2年で帰るつもりがあっという間の36年。短かったような、いや長かったような。思い出すのは生徒と過ごした日々。色んな事が起き、思った日々。生徒がいたからここまで来られたのだと思う。(反面教師でしかなかったかも…)生徒に一番感謝している。英国の自然・鳥・羊・きつね、リスさんにも同じく感謝して、さようならとありがとうを言います。 皆さん、お元気で。

From Mrs Wood

I initially came to Rikkyo as a part-time English teacher 18 years ago, and was delighted to be offered the position as Headmaster’s Secretary the following year. I have always enjoyed coming to the School in its beautiful setting and experiencing all the seasons here,
particularly the Spring, when the cherry blossom is so spectacular.
Everyone I have worked for has always been appreciative of my efforts and, although sometimes demanding, I have always found my job very interesting. I love the calm atmosphere here, with occasional bursts of exuberance from the students – always a delight to hear.
I am looking forward to spending more time with my grandchildren, although I will miss the School, so I plan to return for concerts and Open Days.
My one regret is that I didn’t make an effort to learn Japanese, beyond the essential phrase, when answering the telephone to a Japanese speaker, “Sho sho omachi ku dasai!”

From Mrs Russell

I would like to thank the staff and students for making my 12 years at the Rikkyo School very happy ones. I have always been amazed at the students’ determination to achieve the very highest of academic standard – and in a foreign language!!! I have to admit they have been very supportive in my lack of ability in learning more than a few words in Japanese. What I will miss most is their sense of humour and eagerness in answering questions. My time with them has enabled me to have an insight into the Japanese way of life and unique culture. It is a culture that produces an inner calm and tranquillity. I leave with the fondest of memories.

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