本校で22年間にわたって英会話の授業をされてきたアップコット先生が今学期をもって引退されることになりました。

以下、アップコット先生から頂いたメッセージをご紹介します。

 

 

   *   *   *   *   *

 

 

‘All good things come to an end’ and on Saturday 12th March 2011, I am retiring from my job as an English Teacher at the Rikkyo School.

I cannot believe it is almost 22 years since I arrived for my first day on a beautiful sunny September morning in 1989.  

I have worked for four Headmasters and have seen many changes.  When I arrived the classroom block, teachers’ room and sports hall were not yet built.  

There was no running track and there were fewer tennis courts.  

However, some things remain the same, not least the beautiful gardens, but more importantly, the atmosphere of the school is still as warm and friendly as ever.  

The kindness of both staff and pupils is what makes Rikkyo such a happy place to work in.   

Two things have always impressed me, the friendliness shown by  students to each other,  irrespective of their  year group, and the wonderful welcome students always give to visitors to the school.

 

I have loved the teaching.  Sometimes it has been quite challenging but it has always been rewarding  and a great pleasure watching the students grow up, develop and improve their English.  

I so enjoy  hearing  news from  students after they  have left.  

It has also been a great privilege to learn about and appreciate the Japanese culture.   

I am very fortunate to have had wonderful colleagues and I shall miss staff and students alike.  

I want to thank everyone for making my time at the Rikkyo School so happy.  

I very much look forward to coming  to concerts and open days in the future.

 

3月12日(土)、卒業終業礼拝が行われました。

受験のため日本に帰国していた中学3年生、高校3年生が数日前から続々と帰寮、中学部は全員が、高等部は20名が式に参列しました。

 

きれいに晴れ上がった空からは春らしい日差しが注ぎ、卒業式にはぴったりの天気。

チャペルに入堂する前に生徒たちが中庭に集まると保護者の方々が写真やビデオを一斉に撮り始めました。

イギリスはもとより、ヨーロッパの国々や日本から遥々来て下さった方もいらっしゃいました。

 

今年の卒業終業礼拝は、まず東日本で起きた大地震で被害を受けた方々のためのお祈りで始まりました。

続いて各種表彰。

この1年の学校生活に積極的に取り組み各種資格試験に合格した生徒、音楽活動で活躍した生徒、英語でめざましい進歩を遂げた生徒達が表彰されました。

表彰の最後は地元ホーシャム市議会の議長ブライアン・ドネリー氏よりアンバサダー賞の授与がありました。

その名のとおり、地域との交流を通して学校の代表としてふさわしい活動を続けてきた生徒に毎年贈られる名誉ある賞です。

今年は、夏の短期留学や地元の学校との交流プログラムに積極的に参加し、さらにバスケットボールの対外試合や校外での練習活動を通して地域と密接にかかわり合いながら活動を続けた高等部2年生の女子にこのアンバサダー賞が贈られました。

 

祝辞は在英国日本国大使館の特命全権大使 野田様、そして本校の守村理事より頂きました。

数年間をこのイギリスの地で過ごした生徒たちにはとても励みになるお話でした。

これからの日本を「外からの目」を持って考えられる人でありたい、卒業生の一人一人がそんな自覚を持ってくれたのではないでしょうか。

 

最後に卒業学年生徒のスピーチ。

まずは小学部6年の男子生徒が英語でスピーチをしました。

全校で一番小さなこの生徒が話し始めると、その滑らかな英語に来賓の方々は少々ビックリした様子。

ホーシャム市議会議長や、本校のイギリス人スタッフも皆微笑みながら楽しそうに聞いていました。

続いて中学部3年生の男子生徒。これも英語でのスピーチでした。彼は逆に全校で一番大きな生徒。

流暢で、しかも堂々としたその話しぶりにはイギリス人の方々だけではなく、保護者の方々やスタップ、他の生徒たちも皆感動していました。

そして最後は高等部3年女子生徒のスピーチ。中学部1年から本校に6年間在籍していた生徒です。

数々の地域交流プロジェクトに参加し、いつも笑顔で積極的に学校生活を送って来た彼女の話は、同輩には懐かしい思い出の宝、そして後輩達にはとっても刺激的なメッセージでした。

 

小学部6年生は全員本校中学部へ進学、中学部3年生は3名が日本の高校へ進学し他は本校高等部に進学、そして高等部3年生は全員が日本に帰国します。

皆それぞれ次のスタート地点につくべく、新しい生活の準備を始めています。

卒業して2年経った今でも在学中の事はすぐに思い出す事ができます。

久しぶりに訪れると、何も変わっていないようでやはり確実に変化はしていて、少し寂しいような気もします。

しかし生徒の皆さんや先生方の温かい雰囲気はいたる所で息づいていてとても嬉しかったです。

突然の訪問にも関わらず受け入れて下さってありがとうございました。

 

3月9日(水)、受験を終えて卒業式のために帰ってきた高校3年生11名が、小学校6年生、中学校1年生と一緒に、英国南部の有名なリゾート地、ブライトンに行ってきました。

海に伸びる桟橋、ブライトン・ピアで楽しいひと時を過ごしました。

風が強くて、寒さにくじけそうになりましたが、生徒たちは美味しいものをたくさん食べ、海の上にある遊園地で大いに楽しみました。

 

絶叫マシーンにも皆で挑戦! スリル満点の気分を味わいました。

高校3年生の下級生の面倒見の良さには目を見張るものがありました。

こまめに声をかけてあげたり、一緒に乗り物に乗ってあげたり、お菓子を分けてあげたり、自然と受け継がれている素敵な先輩後輩の関係に心が温かくなりました。

小学生、中学生はそんな先輩方と接する度に心から満足そうな顔をしていました。

まるで本当の家族のようでした。

これから立教を去っていく先輩達に、後輩達は大事な事を教わったのではないでしょうか。

そして高校3年生にとってもまたひとつ、最後の思い出が加わったことでしょう。

 

イギリス人先生との特別ディナーの日を迎えると、そろそろ帰宅だなぁ、という気分になる学期末恒例のランチ。

この日は朝から快晴!日差しはすっかり春めいているのに、最近はなぜか連日の低気温。

でもスペシャルディナーのテーブルがセットされた食堂には暖かな日の光が眩しいくらいに注ぎ、白いテーブルクロスの上に飾られた水仙の花がもうすぐそこまで来ている「春」を演出していました。

 

今学期の覇者は中学部3年生の面々。

日本の高校入学試験を受けるため帰国していた仲間がいない状態でもしっかりとECの授業に取り組み、見事全校で一番のクレジット獲得率を達成しました。

イギリス人による週4時間のこの英会話授業では、積極的に授業に取り組んだ生徒たちに、その証しとして毎週クレジットが渡されます。

学期末にそれを集計し、平均獲得枚数が1番のクラスが、このスペシャルディナーをイギリス人の先生方と一緒にとることになっています。

 

「またあのクラスだ。」「なんでいつも…?」

こんな声が昼食前のダイニングホールで呟かれていましたが、その担任の先生に「何でですかね?」と伺ったところ、「特別なことは何もしていませんよ。ただね、イギリス人の授業の時にも、絶対にあとに引いちゃ駄目だ、といつも言っています。」とのこと。

特に現地校から来た生徒が多い訳でもないこのクラス、やはりクレジット獲得の秘訣は「積極性」なのかも知れません。

 

他のテーブルとはちょっと違うお洒落なテーブルセッティング、特別なデザート、そして6人のイギリス人の先生とのたっぷり1時間の英会話付きディナーは、期末テストを終えてゆったりとした気分になっていた生徒たちにはぴったりのご褒美でした。

卒業から10年、2回目の訪問となりました。

当時から学生の数が減ったものの、特に変わりもなくホッとしています。

今回は結婚と転職というタイミングで来ましたが、また何かのタイミングで戻ってきたいと思います。

 

卒業してから2年経ち、また来させて頂きました。

相変わらず生徒の皆さんは礼儀正しく、「立教生」としての生活を送っているように感じます。

 

前回からpower upして帰って来れたのかは分かりませんが、自分の進路を信じて日々歩んでおります。

また、その進路を信じ、この立教英国学院に帰ってきます!

2012年、待っていて下さい!

 

2月の下旬に毎年、中1以下の生徒は力を合わせてひな人形の飾り付けを行います。

1年に1度の行事であるため、ちょっと埃のかぶった箱からおひな様や三人官女など一つ一つ丁寧に出していきました。

 

その時、事件が。

7段15人飾りのひな人形を飾るための見本がない。

そこで、生徒はまず自分たちの力で飾り付けをすることに。

「お雛様はこっちで、弓を持っている人はこの辺りかなー。」などと自分たちの記憶をたどりながら次々に置いていきます。

 

なんとか先生方の助けも借りて、飾り付けが終わったひな人形。

このひな人形は卒業生の保護者の方が寄付して下さった貴重なもので、毎年卒業式まで片付けずにチャペルに飾られ、戻って来ることのできない卒業生の代わりに卒業式に出席します。

 

今年の卒業式も無事に終わり、あたたかく卒業生を見送っていきました。

 

「100年以上前に建てられた本校女子寮の屋根裏から発見された埃まみれのトランク。

           現在、生徒たちの手によって、その調査が進んでいる。名づけてトランク探偵。」

【 トランク探偵第9回 】

2学期にはじまったトランク探偵。

 

トランクが本館屋根裏に放置され、そのままになっていた謎を解くべく、3学期に行ったことは、本館の歴史を探ること、であった。

 

3学期は、学校に伝わる資料を集め、ひたすらこれを読んでいた。資料は以下のとおり。

  ① 立教周辺の地域史

     立教の所在地はホーシャム市ラジウィック村。

     ここには村が発行する機関誌があり、これに連載された地域史の中に

     立教にも関わる記事があった。ロジャー・ナッシュ氏という地域史家が

     執筆されたもの。

  ② MRS.TOOLEYの学院史

     MRS.TOOLEYは以前学校秘書をしておられた方。

     立教創立期から勤めていらっしゃった。

  ③『ゲームキーパーの娘』という資料

     正門脇のロッジという建物には、立教より前から門番をしていらっしゃった

     家族が住んでおられた。そのご家族の娘さんの手記。

 

とにかく全部英語なので、生徒探偵たちは辞書を引き引き、解読することになった。

5年ほど前にオープンデイで、中1が学校史を展示したことがあった。

この時の資料が参考になるとしても、高校生ゆえに探偵たちは改めて資料を読み込む必要がある。すべて英語となると、やはり簡単にはいかない。解読で3学期を費やしてしまった。しかし探偵諸君は本当によく頑張ってくれた。英語資料を読むということは、非常に難しい。ただ読むだけではないのだから。

 

そして

トランク解明に関係する部分は「ほんの少し」だった。

長い英語解読作業と、この結果につまらなくなってきた(かもしれない)探偵たち。

「初めはゼロからだから発見ばかりだけれど、そのあとはとっても地道な作業だよ!」と言っていた先生の言葉の意味がいまになって実感を伴う。

知りたい言葉を入力すれば、すぐに答えが判明するコンピュータと違って、世の中のほとんどの事項は、長い長い時間を費やして、答えが見つかるか見つからないか、見つかっても小さなことであったりするものである。資料も関係のないところまでしっかり読み通さなければ、どこに役に立つ情報が隠れているか分からない。

「知る」ということがどういうことか、ほんの少し分かったような気がしているのではないだろうか。

 

さて、本館のたどった歴史を概観してみよう。

 ① 1890年にアーウィン・シューマッハ氏が本館のみを買い取り、居住。

 ② 1919年に売却され、マックアンドリュー氏が購入。

    彼が亡くなる1959年まで滞在した。

 ③ 1959~1960年代 空白の期間。

 ④ 1960年代 ホテルになる。

 ⑤ 1972年に立教が買い取り、学校になる。

 

手紙の1916年、ハガキの1920年にしたがえば、トランクが放置されたのは、

   シューマッハ氏からマックアンドリュー氏に売却された頃

または

   マックアンドリュー氏が居住していた頃

ということになる。

 

さて、シューマッハ氏、マックアンドリュー氏とは何者か。

 

 

トランク解明には直接結びつかなかったが、

立教英国学院の本館の長い歴史が読み解かれてきた。

いつかこの資料をきちんとまとめ、光を当てたいものである。

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