「負いて渡らせ」

宗教に迫力がなく、葬儀も営利の対象となる時代で
ある。 昔は、 葬式は家でやった。

私にも兄がいたらしいのだが、幼くして死んだ。幼い子
に死に装束をさせ、 草鞋を履かせ、杖を持たせたあの
時は、本当に辛かったと父が語った。

「若ければ 道行き知らず
賄(わい)はせむ 黄泉(よみ)への旅路
負いて渡らせ」

江戸時代の歌である。

賄は代金のこと、「幼いので、あの世への道筋も分からない。
料金は払うから、誰か背負って三途の川を渡ってやって下さい。」

そこに溢れているのは、血吹雪くような親の愛である。代金
と言っても、「真田六文銭」の六文程度の金であろう。

結核、栄養不良で、幼子が死ぬことは少なくなった。
人生八十年となり、親孝行の質も変わらねばならない
のかも知れぬ。

しかし、女性神主が弟に殺害される時代である。その妻も、
殺害実行に荷担し、自殺覚悟で、白刃を振り回したという
のだから、聞くのも辛い。 時の変遷を感ずる。

離婚が多発している。弁護士人数の激増が、その一因を
形成していなければよいのだが。家庭の食事も、セレモニ
ーとしての側面を失い、只の食事場になってはいないだろ
うか。私は、食事はセレモニーだと思う。坐った順番に食い、
食った順番から食卓を離れる。これでは、家畜の餌やり場と
あまり変わらない。昔は、遅い人に合わせて、みんなが食べ
終わるよう配慮したものである。 今、 それはない。

幼子の死を、耐え難いものと受け止めた江戸の人情は、家族
の温かく、深い結びつきを象徴していた。この豊かで利便な
時代にあっても、人を幸せにするものは物質ではない。我々は、
日々の食事にセレモニーを持ちこむことから出発すべきでは
ないだろうか。

(校長 小川義男)

 

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