朝鮮人の思いで2(1)
校長 小川義男
八月十五日は、我が国が英米との戦争に
敗れた日である。
これに先立ちロシアは、日 ソ不可侵条約を
一方的に破って八月八日に戦闘行為を
開始した。
私は中学一年生だったが、敗戦の日の
悔しさは今も忘れない。
食糧事情がもの凄く悪かった。米は需要に
追いつかないので配給制であった。全員が
公平に食べられるようにと、国から出る切符を
持って米屋に買いに行くのである。
ひと り二合五勺(375g)が割り当量であった。
月に 11.25キログラムだから、随分多いように
思う人もいるかも知れない。
しかし当時は副食が極めて少なく、飯が食卓の
栄養源の主力だったのである。野菜に漬け物、
それにみそ汁とご飯というのが、ごく普通の
食事であった。
だから月 11,25 キロではとても足りない。
それに配給は建前で、米が届かないことも
あった。遅配、欠配が珍しくはなかったので
ある。
その2につづく…