進路選択は成人にとっても永遠の課題(3)

 

大人になってからも進路選択は重要である。

私の学校にも、国語の教師として優れた実績を
残しながら、在職時に「社会保険労務士」の資格
を獲得し、退職と同時に開業した先生がいる。

私自身も若い頃に税理士の資格を取得しておき、
退職後の活動に備えていた。 もっとも私の場合は、
本校での仕事に専念しているので、その資格を
活用することは、も うあるまいと思う。

会社、役所を定年退職した人々は、その多くが
年金生活に入る。しかし心身共にすこぶ る健康な
方が多い。

多摩湖の周遊道路を走っていたり、山に登っている
人にお会いすることがあるが、皆さん若々しく背筋も
ピンとしていて声も美しい。

こんな方々が、どうして 第二の社会活動にお入りに
ならないのか、私には不思議でならない。人それぞれ
であり、 余計な節介は遠慮しなくてはならないのだが、
世の中全体としては勿体ない話だと思うのである。

国家の手で、定年退職者の再教育、その後の職業の
確保に、もっと力を入れて頂 けないものだろうか。

 

その4につづく…

進路選択は成人にとっても永遠の課題(2)

 

難しい問題ではあるが、私は万一失敗した
場合には、そこで妥協せず、翌年挑戦して、
もともとの希望だった大学に進む方が良い
のではないかと思う。

しかし家庭の事情もあり 簡単には言えない。

高校時代にしっかり学び、現役で希望大学に
入学することが一番望ま しいのである。 但し
大学だけが素晴らしいのではない。

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先日「カリスマ左官」という記事を週刊誌で読ん
だが、これなどは、大学進学など吹っ飛ぶほど、
きらびやかな人生を進んでいる人の一 人であろう。

大工、調理師その他、学校に進まずに選ぶべき
コースも豊かにある。要は、 周囲の大人が、豊富
な情報と豊かな体験に基づいて、若者の進路選択
に協力することだと思うのである。

 

その3につづく…

 

進路選択は成人にとっても永遠の課題(1)

 

二度と繰り返す事はない人生だけに、進路選択は
重要である。

私ども高校教師は 「浪人してでも第一目標に挑戦
すべきであるかどうか」と生徒に尋ねられることがある。

兄弟姉妹の数、父母の年齢、家計の実情などが
関わってくる分野なので、軽々しいことは言えない。

しかし出身大学が、その後の人生に及ぼす影響は
小さくないし、一浪してでも所期の希 望大学を目指す
べきであるかも知れない。難しい問題である。

私自身は、都合で、高校卒業と同時に、中学校の
代用教員になった。英語教師だったの だが、四年間を
教師として過ごした。日大の通信教育を受け、正教員の
資格を取る道もあったのだが、結局私は「四浪」の後、
大学に進学した。

仲間達が大学院に入学する年に私は大学一年生に
なったのである。 はて、それで良かったのかと自問して
みると、私は矢張り大学に進んで良かったと思う。

大学はそれほど素晴らしいところではないが、それを
経過せずに働き続けていることは、 私を今よりもさらに
小さな人間として閉じこめてしまったのではないかと
思うのである 。今も後悔の思いを抱いていたのでは
ないだろうか。

 

その2につづく…

治安の悪化と身を守る術(5)

 

自由、人権、権利が安手に強調される中で
「世間様」という考えが完全に欠落している。

池袋地下街などで、向こうから若い女性が
歩いてくると、昔は向こうから道を譲って
くれたものである。こちらも譲りたくないわけ
ではないが、下手に譲る と衝突する結果に
なるから私は、こちらは譲らずに真っ直ぐ
歩いていって、混乱を 避けることができた
のである。

 

今はそうではない。譲らずに行くと正面衝突
してしまう 。だから、「妙齢な 」女性が向こう
から歩いてくると、私はさっと 道を譲るこ とに
している。女性は、道を譲った私には一瞥も
くれることなく、真っ直ぐ堂々と歩いて行く。

その様は土民の横を傲然と通り過ぎていく
昔の「悪侍」に似ている。 譲る 心、世間様など
という我が国古来の文化は滅び去ってしまい、
「 私は正しいの よ」「今のままの私を認めなさい」
という知性欠落の傾向が、うら若き 「美女達」
の生活作風になってしまっているのである。

「馬鹿野郎、お前にも必ず、世間様の恐ろしさが
骨身にしみる日が確実に来るの だぞ」と思い
ながら私は、毎日慨嘆して暮らしているのである。

<終>

治安の悪化と身を守る術(4)
性犯罪が多発している。多発しているのでは
ない。世の中が多発させているのだ。小学生
対象の漫画に始まり、低級ビデオ、低級サイト
が、これでもかこれでもかと劣情を刺激する。

子どもも学校で、我慢することよりは、やりたい
ように振る舞うことが大切だと教えられる。だから、
その劣情の赴くまま、やりたい放題に振る舞うの
である。

低級メディアをしっかりと取り締まるべきである。
だが、エログロ文化を規制す ることを主張する
政党はひとつもない。

治安を向上させるため、私にひとつの提案がある。
ひとつはテレビ、ラジオの放 映、放送を、すべて
夜11時 で終了させるのである。レストランは、夜11時
以降に営業した場合はすべて営業停止とする。

11 時以降は 街の明かりをすべて消し、市民はすべて
それまでに家に帰る習慣を確立する。しかしこの提案は、
単なる夢に留まるであろう。しかし、メディアを健全な方
向にコントロールする事は決して不可能 ではない。

政治家は利権を貪らず、官僚は天下り先で国民の
膏血をすすったりせず、その本来の使命に立ち返って、
我が国の文化、治安の向上のため努力するのが当たり前
である。

 

その5につづく…

 

 

治安の悪化と身を守る術(3)

被害は路上ばかりとは限らない。最近では、
夫が妻に、妻が夫に用心しなければならぬ
時代である。

赤ん坊も年若い父親に警戒しなければならない。

赤ん坊は、自 らに迫る危険を覚知する能力さえ
ない。 我が儘放題の夫、 子育ての労を惜しむ母、
少し泣きわめくと、「うるさい」と赤 子を投げ殺す
ような父親が急増している。

昔は「尊属殺」というのがあったが、こ れからは
「卑属殺」という刑罰を設けたら良いのではない
だろうか。我が子を殺したら、その者には「死刑
又は終身刑」を科するのである。赤ちゃんは
ヘルプレスな ものだから、国家は幼児の為に
後見的役割をしっかりと果たさなくてはならない。

凶暴亭主の記事が跡を絶たない。力の絶対に
強い男が力なき女を殴るなどとは正気の沙汰で
あろうか。凶暴亭主に私は言ってやりたい。

「おいおい、 男も落ちぶ れたものだよなあ」と。

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その4につづく…

治安の悪化と身を守る術(2)

 

沖縄で、米兵の車に乗せて貰っていた
女子中学生が、男の部屋に入った後、
性被害に遭うというケースがあった。

これに抗議するデモ隊が、「女子中学生
は悪くない」 と大書した横幕を掲げて行進
していたから、デモ隊は、「中学生も中学生だ」
というような現地の人々の非難に、強く反撃する
必要があったのであろう。

いつから若い女生徒が夜中にふらふらと
出歩くようになったのであろうか。もしかすると
それは、学習塾が隆盛を極める昨今の時代
風潮と無縁ではないのかも知れぬ 。

通塾生は夜の 9時 、10 時に帰宅するのが
当たり前である。よくあれで親が不安になら
ないものだと思う。性被害は、既遂に達した
場合は、ほぼ確実に被害届が出されず、
表面化することがない。被害者はひたすら
被害事実を隠し通すから、ま だ被害に遭って
いない女生徒やその保護者は 、「世の中は
安全な場所だ 」と思いこ んでしまうのである。

その(3)につづく…

治安の悪化と身を守る術 (1)

 

語学研修でバンクーバーのコンドミニアムに
滞在した事がある。「 オートロック は危ないな」
と思った。

鍵で閉鎖され、不特定多数の通行人はいない
のだから、内部に何らかの方法で侵入し、物陰
に潜んでいる犯罪者に対しては、ご近所同士の
防禦力が全く期待できないからである。

戸締まりがだらしなくとも、向こう「三軒両隣」に
ちらほらする人影があれば、犯罪は発生し難い。

やはりご近所づきあいを大切に出来るような住居
の構造が求められている。その意味では、エレベ
ーターもない中層マンションが、案外安全なのかも
知れない。

定時制高校の女生徒が、残虐な方法で殺害された。
この被害者は夜中の1時過ぎ に「田んぼ」とやらを
「散歩」していたと言う。昔は良家の子女は、日没
以後は外出しないというのが当たり前であった。

良家でなくとも、私の少年時代の家庭でも9時過ぎに
帰ると大目玉を食らった。夜は他出しないという習慣は、
相当古くから 定着していたのである。

 

その2につづく…

 

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