暗記の大切さ (14)

 

しばしば言うことだが、書き言葉は
話し言葉に百倍する豊かさを持っ
ている。

話し言葉 に習熟するだけでは、
国語の持つ本当の深さを知る
ことができない。

それは読書による以外に道がない。

それも まず最初は音読を中心とする
ところから出発しなければならない。

音吐朗々と音読を繰り返す中で、読み
言葉が話し言葉のように肉体化していく。

このよう に肉体化された豊富な語彙が、
実は読書を底深い部分で支えていくので
ある。

 

これもしばしば強調していることだが、
読書は面白さと難しさとの競争である。

難しすぎる本は直ぐに投げ出されて
しまう。面白さが難しさを追い越せば、
子どもは仕事を言いつけられても、
本を手に、読みながら移動するくらい
本に熱中してしまう。

要はどれだけ豊かな語彙を身につけて
いるか、どれだけ読書の底力が身につ
いているかなのである。

文章を書く上でも、音読の繰り返しによって
豊かな語彙が肉体化されていれば、筆は
すらすらと運ばれるようになる。

英語も同じである。近頃の高校生は、おそらく
中学生もそうなのであろうが、音読を避ける傾向
が強い。

英語も言語である。もともとは話し言葉から
発生したものである。その言語を、声に出して
反復することを怠れば、英語の力など決して
定着するものではない。

そのようにして豊富な単語知識が頭脳に定着
して初めて、大学入試のような難問にも対処
できるようになるのである。

その15につづく…

暗記の大切さ (13)
アメリカとの戦争に敗れ、いわゆる
新教育が続いた、この六十年間、
知識は創造性を阻むものであるか
のごとく、敵視されがちであった。

そのようにして、知識もないが、
思考力も独自性も創造力もない
世代が育ってしまったのである。

天才松陰は、その後19歳で、
玉木文之進らの後見人を離れ、
藩校・明倫館の独立師範 (兵学
教授)に就任する。

素読で育った彼には、既に確乎
たる哲学が確立されていた。素読
の力、また必要な知識を暗記する
ほど習熟することが、どれほど大切
であるかが痛感さ れるのである。

「新教育」においては、音読そのも
のも軽視されがちであった。小学校
の廊下を歩いていても どこからも
音読の声が聞こえてこない学校全体
が不気味に静まりかえっている。

私の小学校時代には、国語では、
今とは比べものにならないくらい
音読が重視された。

授業の三分の一は朗読、音読に
費やされていたのではないだろうか。

だから今でも、小学校六年生の国語
の教科書のほぼ全部を記憶している。

いつでも直ちにすらすらと全文を暗唱
することができる。

 

その14につづく…

暗記の大切さ (12)

 

しかし子どもは、このような素読を
繰り返していく中で、いつしか文章
全体を暗記してしまう。

幼いなりに、その意味内容についても
おぼろげに考える。やがて人生経験を
積む中で、その本当の意味を深く洞察
するようになる 「詰め込み勉強」を恐れ
る余り、古文  漢文の知識もないままに
年を取っていった世代は、人生の峠に
立って、色々思い悩むこと があっても、
洞察に至る基礎知識がない。

悩みの中から深い教訓を汲み取ることも
できないままに人生を過ごしてしまう。

 

その13につづく…

平成30年2月10日(土) 午後2時~午後3時30分に

PTA父母教室を行います。

東京大学薬学部教授の池谷裕二先生をお迎えしての講演会です。

ご講演のタイトルは「脳から見た学習」です。

脳科学の豊富な知見から、効果的な学習法等についてお話し下さる予定です。

 

公開講座

 

公開講座の詳細はこちら→

暗記の大切さ (11)

 

11 歳と言えば今で言う小学校の四年生
である。

当時武士階級の知的水準は高かったから、
彼らを感銘させた松陰の天才は驚くべきもの
だったと言えよう。

松陰の天賦の才、刻苦勉励はもとよりのことで
あるが、それにしても何が幼い彼を、これほどの
天才に育て上げたのであろうか。

松陰に限らず、当時の教育は素読と手習いを
中心とするものであった。素読とは「文章の意義
の理解はさておいて、先ず文字だけを声を立てて
読むこと」である。(広辞苑)

江戸時代の、論語その他漢籍の学習は大部分
この方法によるものであった。教師の範読に従 い、
生徒は、その口まねをするように音読を行うのである。
斉読だから、今で言うコーラ スリーディングである。

このような、意味内容も分からぬまま教師の口まねを
するような教育は、現代の学校教育においては、
ともすれば白い目で見られがちである 「子どもは教育
の主体であって客体ではないのだから、常にその意味
内容を考えながら学ぶのでなければならない」とする
思想が、今日支配的だからである。

その12につづく…

暗記の大切さ (10)

 

歴史に名高い吉田松陰は、幼い頃
叔父玉木文之進の厳しい指導を
受けた。

文之進は松陰の兵学教育に当たった
のであるが、山鹿流兵学、免許皆伝の
人物であった。

玉木文之進は自宅で松下村塾を開いた
人物である。松下村塾は松陰が初めに
開いたものではなく、叔父 玉木文之進の
創出になるものだったのである。

この玉木文之進の教育は、甘えや妥協を
許 さない、極めて苛烈、厳格ななもので
あった。 玉木文之進の厳しい薫陶を受け、
松陰は11歳になったとき、藩主毛利敬親
の前で講義 をすることになった。

彼は山鹿流『武教全書』戦法篇を朗々と講じ、
その講義は、藩主を はじめ居並ぶ重臣たちも
目を見張るほどのものであったという。

その日から「松本村に天才あり」と松陰
(大次郎)の名は萩城下に知れ渡ることに
なる。

 

その11につづく…

暗記の大切さ (9)

 

ゆとり教育は、今や抜本的に検討され直そう
としている。

高等学校段階での学校五日制は、数年内に
廃止されることであろう。私が著書「学校崩壊
なんかさせるか」で十年前に指摘した通りに
事態は進行している。

徳育重視を名とし て、ごり押しされてきた知育
軽視、知識軽視の時代風潮も根本的に見直さ
れるようになるであろう。

加工貿易国である日本にとっては、国民の賢さ
だけが唯 一の拠り所である。

そのことを深く自覚し、国家百年の計を確立して
いかなければならないと思うのである。

その10につづく…

暗記の大切さ (8)

 

我が国では、知識を覚えるのは罪悪で
あるかのような雰囲気が形成されている。

その実、生徒達は 「学力とは記憶した
知識の総量のことである」と知悉 している。

彼らは、期末試験の折にも、大学受験の
折にも、問われるのは所詮、記憶した知識の
総量でしかないことを悟りきっている。

だから「詰め込み教育否定」の建前とは
別に、彼らはせっせと暗記に励むので
ある。

建前に明け暮れる学校とは別に学習塾も
徹底的に知識の吸収を重視する。

かくして我が国には、本音と建前との奇妙な
「住み分け」が実現されてしまったのである。

 

その9につづく…

暗記の大切さ (7)

イスラム教徒の中には、コーランを全部
暗誦できる人が少なくないそうである。

このような教典を一冊丸暗記している人は、
体系的に物を考えることができるようになる。

またこのように大部な物を暗記してしまうと、
その人の頭脳 には、大量に記憶する経絡が
形成されるという。

そのことが、次の新たな大量記憶につながる
とも言うのである。 昔アメリカ映画で、新入生に
対し教授が次のように語るのを見た。

彼は猛烈 に分厚い医学書を重そうに手に取り
「この本を覚えてください。大体ではあり ません。
全部を記憶するのです 」

 

その8につづく…

暗記の大切さ (6)

私は校長デスクのガラスの下に
世界地図を挟んでいる。

毎朝これを見つめることから
一日の業務を開始することに
している。

その地図によると中国には、
次のような国々が国境を接して
いるのである。

ロシア 北朝鮮 カザフスタン
パキスタン キルギスタン
アフガニスタン ネパール
ブータン インド ミャンマー
ラオス ベトナム

upside down

これを見れば、中国がいかに
巨大な大国であるかをうかがい
知ることができ る。この大国と
円満な関係を維持することなしに、
我が国の安全も繁栄も考えられない。

例の「毒入り餃子事件」*を見ても、
我が国メディアの報道には、中国の
民衆 に対する気配り心遣いがあまり
感じられない。

私は、このことがさらに一層中国人の
反日感情をかき立てるのではないかと
憂慮するのである。

毒入り餃子事件の真相を究明しようと
するのは、あくまでも中国の優れた
商 品を大量に購入したいからなので
あって、その底には日中永遠の友好を
願う気持ちが息づいているのだと言う
ことを、今の千倍の言葉を以て繰り返す
べきで あろう。

このような気配り、心遣いも、中国に
対する地理的、歴史的に正確な知識を
保有することによってこそ可能になるので
ある。

知識もないくせに、国際感覚の重要性を
一方的に叫び立てたり 「詰め込み 、 勉強」
の弊害を一方的に強調することは、極めて
危険ではないだろうか。

*毒入り餃子事件:ジェイティフーズが輸入した
07年10月1日製造の「中華deごちそうひとくち餃子」、
同月20日製造の「CO・OP手作り餃子」から有機リン系
農薬のメタミドホスが、同年6月3日製造の「CO・OP
手作り餃子」から同様のジクロルボスが検出された。
いずれも中国・石家荘市の天洋食品で製造されており、
日中の捜査当局で、薬物が混入した経緯や原因を
調べている。

(2008-02-19 朝日新聞 朝刊 大分全県1地方)

 

その8につづく…

 

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