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東日本各地に甚大な被害を及ぼした、東北地方太平洋沖地震。
いまだに余震が続き、原発被害を筆頭に、影響が現在進行形で色濃く残ります。
その全容は明らかになっていませんが、謹んで犠牲者のご冥福をお祈りするとともに、被災者の皆様に心よりお見舞いを
申し上げます。
また、懸命に続けられる救援作業が奏効し、被災地が一刻も早く復旧されることを切に願います。
さて、3月11日(金)の成城中・高等学校は、三月考査(三学期末試験)の答案返却のための全校登校日でした。
午前10時過ぎにはどのクラスもHRを終え、部活などで残る生徒以外は下校していきました。
午後、校内にいた生徒はクラブ活動をしていた各部員、「中3を送る会」の劇の練習をしていた中2、補習授業を受けていた者
など約300名。
その他、後輩の指導に来ていたOBと、専任の教職員がほぼ全員残留していました。
午後2時46分、東北地方太平洋沖地震が発生しました。
大きく長い揺れは5分も続いたでしょうか?
その間、各々は退避経路確保のため扉を開け、机の下に隠れたり、中庭やグラウンドに退避したりしていました。
また、安全を確保して冷静を保つように呼びかける放送が、揺れている最中になされました。
成城では主に火災を想定した避難訓練が定期的にあり、教職員の役割分担がはっきりしています。
この日も揺れが収まると、避難誘導班の教員が生徒を最も安全なグラウンドに避難させました。
その間、警戒班の教員は無線機を持って校舎内各所に散り、被害状況を調査すると同時に残留者がいないことを確認しました。
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幸い、怪我人は一人もいませんでした。
全員無事 この情報を、最も知りたい人に迅速に伝えなければなりません。
そこで、次の情報を『FairCast®-子ども安全連絡網』(メール・電話・FAXの登録済みメディアに一斉伝達できる仕組み)にて
全保護者・全教職員に一斉送信しました。
「3時11分現在、成城中・高等学校では生徒に被害はありません。なお、安全を確認するまで学校に待機させます。」
同時に、ほぼ同じ内容を本校ウェブサイト上に作成した◆地震関連・緊急連絡ページ◆にも掲載しました。
このページの更新は翌朝までの約18時間で、実に28回に及びました。
ご覧になれば、当時の雰囲気がご理解いただけるのではないでしょうか。
一刻も早く保護者のもとに生徒をお戻ししたいところですが、交通機関の乱れは想像に難くないところです。
実際、電車の運行停止情報が続々と入ります。
長期戦の様相を呈してきたので、グラウンドに避難していた生徒を南校舎2階の教室に移しました。
並行して、校内待機者の名簿作成作業が進められました。
下校途中で帰宅を諦めた生徒が続々と成城に戻ってきますので、必ず名前を記入させて名簿に反映させなければなりません。
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各生徒の帰宅方法・経路も確認し、午後5時過ぎには徒歩・自転車通学の生徒を帰宅させました。
また、保護者の方が直接お迎えになった場合も、その都度帰宅させました。
夜が近づき、教室の生徒たちには非常食と飲料水、緊急時保温アルミシートのセットが配布されました。
これらは、非常時に備えて全校生徒分を備蓄していたものです。
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教室内では、相次ぐ余震にもかかわらず、先輩後輩が入り交じって楽しく(?)過ごしていたようです。
というのも、基本的にはクラブ単位でまとまって教室に入ってもらったからです。
夜9時過ぎには、校内待機生徒リストをウェブサイト上に掲示しました。
この頃から、都営線を中心に運転復旧の情報が入ってきましたので、帰宅可能な高校生を路線ごとに順次下校させました。
しかし、それ以外の生徒と中学生は安全面を考慮して、そのまま教室に宿泊させることにしました。
日付が変わる頃、校内には256名の生徒と69名の教職員、そして避難してきた近隣住民の方数名が校内待機していました。
その他に、OBも数名いました。
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写真左は学業の傍ら本校で理科助手を務めるH先生。
出入りが激しく把握困難な生徒の名簿作成に大車輪の活躍を見せてくれました。
地震に関する知識も豊富で、状況判断にも一役買いました。
写真右で、かいがいしく立ち働くのは本校近くの某有名大学在学中のI君です。
六本木ヒルズの某有名企業に内定している彼は、「成城に恩返ししたい」とわざわざ立ち寄ってくれました。
二人とも徹夜で頑張ってくれましたから、さぞかし疲れたことでしょう。
実に有り難いことです。
これは12日午前3時20分、地震から12時間半後の写真です。
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ホワイトボードの待機生徒数は246名となっていますね。
10名減っているのは、深夜になってからお迎えの保護者の方と下校した生徒がいたからです。
結局、この数字は朝には231名まで減りました。
保護者の皆さまの中には、夕方自宅を出たにもかかわらず大変な渋滞に見舞われた方や、300km以上遠方の単身赴任先
から駆けつけた方、帰りの交通機関が確保できずお泊まりになった方もいらっしゃいました。
本当にご苦労さまでした。
ちなみに教員も朝まで交代で正門前に立ち、警備と保護者の方のご案内にあたりました。
そして、長かった夜が明けました。
(実際にその場にいた者の印象としては、あっという間に感じましたが…)
前日に校長先生が注文したお弁当400食とお茶が届きました。
それを教員が3階の教室に整然と並べ、7時前には「いただきます」
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久しぶりの温かい白いご飯は美味しかったのではないでしょうか?
食後、生徒はお行儀よく自分たちが使った教室を清掃しました。
その間、我々は交通機関の運行状況を確認。
また、オートバイに乗った教員が新宿駅周辺に行き、実際に混乱が無いことを確認して万全を期します。
午前8時、各自家庭と連絡をとって帰宅するよう指示をして、ほぼ全員解散しました。
その時点で帰宅手段が確保できなかった数人の生徒も、しばし職員室で待機後、無事に帰宅の途につきました。
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それまでは気が張っていたのでしょう、我々にはどっと疲れと眠気が襲ってきました。
それでも、全員を無事にご家庭にお戻しできた安堵感、充実感は何ものにも替え難いものでした。
振り返ってみますと、反省すべき点もあり、本校の防災体制が完璧だったとは思いません。
普段想定する災害とは違った形の事態が発生し、新たな決断が必要な場面が生じたのは確かです。
しかし、教職員のみならずOB、保護者の皆さん、そして生徒諸君の協力、献身、知恵によって乗り切ることができました。
今回の事態を教訓にして、よりよい防災体制を築いていきたい所存です。