フルシチョフさんにご馳走になった貴腐ワイン(2)
多少ロシア語の勉強はしておりましたが、
国際会議で使えるような代物ではありません。
私は「原水爆を禁止する世界青年の集い」の議長で
ありましたので、私には極めて優秀な通 訳がついて
くれました。
七カ国語を自由に話せるという人物です。名前を言えば
誰もが知っ ている方、土方与平さんです。小山内薫さんと
一緒に築地小劇場を創設した土方与志さんは彼のお父
さんです。
私は若かったし、土方さんはその頃、既に著名な方でした
から、通訳なのに私を「小川君」と呼ぶのです。
尊敬できる人物でもありましたので、私は喜んで彼の指導に
従って行動しました。風貌も実に素敵な方でした。
あれも、ある種の園遊会というものなのかも知れません。
定刻になると、当時のロシア政権の主要人物が場内に
入ってきました。
先頭にフルシチョフ、その後ろに国防大臣のボロ シーロフ
それからブルガーニン首相、モロトフ、ミコヤン副首相という
ような順序だったか と思います。フルシチョフは血色も良く
実に気品のある人物でした。ミコヤンは小柄で人相も目つきも
悪く、絶えず眼鏡を拭いてきょろきょろしているような人物でした。
その3に続く…