自分の高校生での目標は、「継続」です。自分は今までサッカーや塾、卓球など様々な事をやってきましたが、どれも共通して細く、短く、あまり熱中して取り組んできませんでした。それは、自分の短所である、「何ごとにも熱しやすく、冷めやすい」という性格が原因だからでしょう。
自分の、この立教英国学院に入学した理由は、自分を大きく変えたかったからです。全寮制で今まで世話になってきた親からも離れ、新たな環境に自分を置き、自分の事は自分でやるという、本来なら当たり前の事を、心を入れ替えて一から始めようと思ったから、というのも大きな理由の一つです。
具体的にここでやりたいことは、今までいちばん長くやってきたので、サッカー部に入ることと、ギターを始めること、そしてもちろん勉強に力を入れていきたいと思っています。今までの反省を生かし、高校では更なる成長をしたいと思っています。そして英語の勉強に特に力を入れ、この学年中に英検二級をとりたいです。それと自分が中学校で学んだ「友達の大切さ」を改めて理解し、ここでは一生の友達になれるよう互いに支えあい、競いあい、切磋琢磨してよりよい人間になろうと思います。

 僕は将来外国人と一緒に仕事がしたいと思っています。この仕事がしたいとはっきりしたものはないのですが、外国人と仕事をするということに漠然とした憧れがあります。それには、まず英語力が必要だと思いこの学校に入りました。なので、この英語力を高めることができる環境の中で、努力をして、三年間の中でまずは海外の大学に行ける程度の力を身につけたいと思っています。もう一つの目標が人間性を高めることです。約170人もの生徒が一緒に生活をしているこの学校で、皆が楽しく共存していくには、他人への思いやりや礼儀等をきちんとしていくことが、とても大事だと僕は思います。普通に日本の学校に進み、そこでもし誰かを嫌いになったら今の僕はたぶんその人の嫌いな部分だけを見てしまうと思います。しかしそれでは、何も楽しくはありませんし、ずっと自分自身も成長しません。その人にも良い所はたくさんあるだろうし、その人の友達はその人の良い所を見つけて、友達になっているのです。なので僕はこの大家族体験ができる立教を楽しくするために、また自分も成長するために、嫌いな部分があっても、そこだけを見るのではなく、良い所も見つけ、認められるようになりたいと思います。この学校は自分が成長するのに、とても素晴らしい環境なので、むだにしないように頑張っていきたいと思います。

 寒さが長引き4月に入り花を咲かせた桜は私が飛び立つ頃には満開に咲き私は気持ちよく送り出された気がした。
4月、入学式。立教で迎える入学式もついに6回目となった。あっという間だったような、長かったような。重たいトランクケースを持って空港に足を運んだ小学5年生の春とは全く違う足取りで空港に向かった。新しい仲間も増え、これから一緒に過ごしていく高校3年間。一体どんな風になるのだろうか、考えるだけでワクワクした。そしてもう一つ高校生になった今「華のJK」というモノが名乗れるのだ。女子高校生、通称JK。さらに華をつけたりして「華のJK」。ドラマの様な楽しい理想の高校生活を送る、この言葉にはこの様な意味が含まれているらしい。
大きな期待を抱き過ぎているせいか、毎回感じていた「不安」というものが私の頭によぎる事はなかった。更に新しくなる環境に本当に慣れて行くのだろうか。新学期に近づくと私の心の中に毎回の様に疼いていた不安は何かによって打ち消されていた。その何かとは考えなくてもすぐに答えは出てきた。不安を忘れるぐらい大きな期待を抱いているから。確かにそうだ。しかし不安を打ち消したものはそんなものではなかった。「仲間」。そう、いままで一緒に過してきた仲間の存在が、私の心の不安を打ち消したのだ。
中学校三年間、勉強面では多くの事を学んだ。そして同じ様に生活面でも多くの事を学んだ。辛い時は支え合う、楽しい時は一緒に笑い合う。今では掛け替えのない存在となっていた。仲間がいる心強さ。それはきっとどこへ行っても感じるどんな不安が襲ってこようと打ち勝つことのできる無敵な物なのだ。
私はこの心強い仲間と共にまた新たな一歩を踏みだせる事をとても嬉しく感じた。「華のJK」、名乗れる期間は3年間。人生に一度しか経験できないこの時を精一杯、そして何事も一生懸命やっていこうと思う。

新学期が始まり早一ヶ月が過ぎようとしている。
全校で盛り上がる球技大会が終わり、地元のイギリス人の方々を招いて日本文化を紹介するJapanese Eveningも終わった。そして息つく暇もなく次の行事、Guilford Shoppingがあった。生徒会が主催するこのイベント、昼食前から数台のコーチに分乗してGuildfordという地元の大きな町に行って思い思いの半日を過ごす。企画・運営する生徒会役員達にとっては少々準備が忙しくはあったものの、他の生徒達にとっては大きな息抜き、これまで目一杯頑張ってきたご褒美とも言えるイベントだ。受験勉強を本格的に始めた高校3年生の一部と数名の生徒を除くほとんどの生徒が参加した。

午前中の肌寒い曇り空は、コーチが町に着く頃にはポカポカ陽気の絶好のショッピング日和になった。気持ちのいい日曜日の午後とあって、地元の人たちが大勢町に溢れる中、立教生がいい感じにそれに溶け込み、楽しそうな笑顔で闊歩するのはなかなかいい風景だ。小学生は担任の先生が付き添って初めての大きな町でのショッピングにどこかウキウキ。クラスみんなで食事をしたりお店を見たり… 行く先々で中学生や高校生の先輩達と出会って笑顔で挨拶を交わしていた。いつもの制服姿ではない生徒たちの姿はどこか新鮮でとても幸せそうだった。
今週はスクールショップの代わりにこの町で1週間分のおやつを購入する。いつもと違う種類のお菓子を探したり、学校では購入できない文房具を見つけたり、そしてちょっと目新しい遊び道具を手に入れたりもできる。お洒落なカフェで友達と一緒に食事やお茶が出来たりするのもまた格別だった。

気がつけばあっという間に集合時間、コーチに揺られて学校に戻ると午後4時を過ぎていた。でもまだ日は高い。いつの間にかすっかり日が長くなった。午前中のあの寒空はどこへやら、少し汗ばむほどの陽気がキャンパスを包み、帰校早々体育館やテニスコートでスポーツを始める生徒達もいた。キャンパスのあちこちでは今日買ってきたボールやフリスビーで遊ぶ生徒たちもいた。ハーフタームの中間休みまであと3週間。その前にしっかりリフレッシュができたショッピングだった。

4月22日土曜日、気持ちの良い青空のもと、立教英国学院では球技大会が開催されました。児童生徒たちはこの日までそれぞれの競技ごとに一生懸命練習してきました。また新入生にとってはこれが初めての学校行事とあって、皆気合は十分です。今年はオレンジチームとバイオレットチームの二色で戦いました。
バスケットボール、バレーボール、ネットボール、サッカー、ドッジボール、ポートボール、キックベース、ソフトボールの各競技戦では、選手たちが練習の成果を見せようと激戦を繰り広げ、抱き合いながら歓喜の声を上げたり、皆で悔し涙を浮かべたり、様々なドラマが生まれました。午前の全体競技、綱引きや応援合戦などでも、それぞれのチームが力を合わせて頑張りました。結果はオレンジチームの勝利となりましたが、どちらのチームも一丸となって戦い、どの生徒も最後までやり切ったという清々しい顔で閉会式を終えることができました。
この球技大会を通して、学年・男女を超えた交流が更に深まったことでしょう。新入生も一気に学校に馴染んだように思えます。この日の経験を糧に、これからの一年を充実した楽しいものにしていってほしいと思います。

4月16日の午後、毎年恒例のブルーベル散策に出かけました。ブルーベルは森に自生する紫色の小さな花でイギリスに春の訪れを知らせる花です。日本で言うならば桜というところでしょうか。入学礼拝後の
最初の行事であるこの散策には、小学生から高校生までそろって一緒に出かけます。森の中を通っていくため長袖長ズボンという歩きやすい服装に着替え、点呼を取ったら出発です。

少しだけ寒い春の日でしたが、教室を離れての散歩に気持ちはうきうきします。息を弾ませながら一心に歩く者、友達との会話に夢中になる者、美しい風景を写真に収めようとシャッターを切る者。皆、各々の散策を楽しんでいます。ブルーベルのぽつぽつと咲くフットパスを30分ほど歩いて行くと一面にブルーベルが広がります。紫の柔らかな絨毯を敷き詰めたような景色に「わあ、きれい」と思わず声が上がって後、イギリスの春をしんと見つめました。心地よい風に鳥のさえずり。出発時には曇っていた空も、気がつくとすっかり晴れ上がっていました。

高揚感と軽い疲労を伴う帰り道、クラスの仲間たちともさらに打ち解けて明るい声が響きます。鮮やかな春の光景をそれぞれの心に刻む1日となりました。

中1では4月から、Oxford Owlシリーズの絵本を使い、iPadの英語の絵本の音読練習を行ってきました。2~3学期も、中1の英語学習の基礎として、音読を続けています。英語学習の習得具合、また資格試験の合格状況を見て、2学期には音読学習を卒業し、iPadで文法練習に移った生徒もいます。文法練習には、iPadの文法練習ソフト(British Council提供)を使っています。

3学期に入り、クラスで、英語でニュースを見ることも始めました。題材は、BBCニュース(英国の国営放送)。BBCは『CBBC』という子供向けチャンネルを持っており、このチャンネルでは子供向けのニュース『Newsround』を放送しています。Newsroundは、朝・昼・夕方の3回放送。5分の短いニュースです。iPlayerを通して視聴できますので、夕方のニュース番組をダウンロードして、夜のホームルームの後に出来るだけ毎日見ています。

Newsroundのほかに、BBC天気予報の番組も見るようになりました。天気予報は大人向けですが、毎日同じテーマで、同じような単語を使い回すので、予報図と一緒に繰り返し聞いていると、だんだん表現や意味が分かってくるという、ちょうどよい題材です。さらに、大人向けのBBC NEWSのある時に見ています。

英語学習の一環なのですが、予想以上に中1の子供たちは毎日楽しみにしていて、見たい見たいと大騒ぎ。見ている間も、あれこれ感想や知っていることを話題にして交換し合うので、5分のニュースをうっかり聞き逃してしまわないよう、「静かに!」「聞こえないよ~」と何度も声がかかります。天気予報も役に立つので便利。週末に雪が降ることも、来週気温が上がることも、木曜日に嵐が来ることも、中1の子供たちはBBC天気予報を見ることで、知っていました。Sunny Spell、Galeなどイギリスの日常的なお天気用語も少しずつ入ってきて、なかなか楽しいテレビ観賞です。

遠藤周作の『沈黙』がスコセッシ監督によって映画化され、日本でも、イギリスでも公開され話題となっています。江戸時代のキリシタン弾圧という限界状況を通して、遠藤周作自身の信仰を描くという小説です。
この『沈黙』の舞台である長崎とその西百キロに浮かぶ五島列島へと、以前私が牧師をしていた教会の信徒の方たちと巡礼に行ったことがあります。
戦国時代や江戸時代だけではなく、幕末から明治にかけても、キリスト教迫害の歴史が日本にはあります。明治の始めに、長崎の浦上のクリスチャン、約三千四百人は全国約二十箇所に連れて行かれ、六百十三名が殉教しました。たった百五十年ほど前のことです。

長崎から西へ約百キロ離れた五島列島からは、そう簡単に全国各地に連れて行くことができません。そこで、同じ島内で、同じ島民によって迫害が始まったのです。
ひどい牢ですと、たった六坪に二百人が押し込まれて衰弱死をしました。拷問で殺された人も数多くいました。
クリスチャンだから殺してもいいという理由で、刀の試し斬りのため、夜中に家に押し入られ、妊娠している女性も含めて六名が切り捨てられたということもあります。
明治の二十年頃、ある司祭が臨終の信徒を看取るため、嵐の中十一人の若い信徒達と共に小舟で長崎本土から戻る途中に遭難してしまいます。助けに来た島の男達が船に乗り込むのですが、船には新しい聖堂を建てる資金がありました。そのお金のために、司祭含む十二人のクリスチャンは殺されたのです。
これが何故わかったかというと、助けに来た男達の中に一人のクリスチャンがいたのです。彼は周りが怖くて止めることができず、司祭たちを見捨てたのでした。それは彼が臨終の時に、いてもたってもいられず告白したことによってわかった事実です。

これらのエピソードはガイドブックや文献の中には余り描かれていません。というのは、これが同じ島の中でたった百五十年ほど前に起こった出来事だからです。
加害者と被害者と傍観者に、逃げ場がないのです。ずっと顔を合わさなければいけない、それが島の環境なのです。
そこにはどれほどの葛藤があることでしょうか。加害者側は、罪意識を持つかもしれません。あるいは、かえって差別意識を持つかもしれません。被害者側も、彼らを赦せないままかもしれません。何十年経った後でも、殺した子孫と殺された子孫が同じ島の中に、逃げ場のない島の中で生活しているのです。

長崎のクリスチャンたちは、様々な時代において何を待ち望みながら、祈っていたのでしょうか。
それは自由です。一つは信仰の自由があるでしょう。もう迫害されない、いじめられないという安心、平和という自由でもあります。それをもっと深めますと、罪からの自由、赦しということに他なりません。
やってしまったという罪意識からの自由だけではありません。罪を赦すことができない、どうしても憎い、このことからの自由、自分の人生に絡みついた様々なことからほどかれるということ、これが罪からの自由、赦しなのです。

復活日(イースター)の物語では、十字架に架けられて三日目に復活されたイエスが、家に隠れて集っていた弟子たちの真ん中に現れた、という箇所が読まれます。弟子たちは互いに罪の意識を持っていました。彼らは自分も殺されるのではないか、という恐れのためイエスを見捨て逃げ出していたのです。彼らは被害者でもあり加害者であり傍観者でもあったのです。
そこに主イエスが現れ、手を広げられます。その手には十字架の傷、弟子たちがつけてしまった傷が刻まれたままです。イエスは傷ついたままの手を広げられて、彼らに「平和があるように」と告げられ、パンとぶどう酒、聖餐(せいさん)(ミサ)の準備をされるのです。
傷ついた手を見た時、その手が自分に差し伸べられた時、その手からパンとぶどう酒が、自分たちの「人を傷つけた手」、「人に傷つけられた手」に渡された時、どれだけの自由を、赦しを、愛を、彼らは受けたことでしょうか。

人は愛されたから、誰かを愛そうとすることができます。赦されたから、誰かを赦そうとすることができます。この喜びを伝えるために、教会は作られ、世界中に広がり、毎週日曜日に聖餐式が続けられているのです。
ですから、長崎の人々にとって、キリスト教禁制の250年の時を経て、聖餐式にあずかることがどれほどの喜びだったことでしょうか。明治になっても自分の親や子供が殺された中で、日々の中で、聖餐式にあずかることがどれほどの慰めとなったことでしょうか。
そして誰よりも、神ご自身が、人々が慰め合い、愛し合い、自由に生きることを、強く待ち望まれているのです。
私たちがこのことを深く思いながら、日々を送ることができるよう、お祈りしております

僕にとってこの学校の6年間で得た事は、かけがえのないものになりました。学習環境だけでなく、寮生活や人々との出会いなどの全てが貴重な思い出となり、イギリスにいた時間が僕の人生を明るく導いてくれている気がします。今こうしてイギリスの大学に進学が決まって、その準備を進めることができるのは、これまで傍で支えて来てくれた仲間達、親のように長い間見守ってくださった先生方とスタッフの方、そして何よりもたくさん心配をかけた両親のお陰です。皆さんに感謝の気持ちを伝えたいです。
僕がこの学校に入学した頃は、自分の持っている知識が今よりも未熟で、知らなかったことが沢山あり、知識をスポンジのように吸収して、充実した日々が続いていました。人との接し方や勉強方法、テーブルマナーなど、社会に繋がることをたくさん身に付けた中学3年間だったと思います。
しかし高校に入ってから、色々な壁にぶち当たりました。英語が伸びなくなってきて資格試験になかなか合格しなかったり、部活動と勉強の両立が難しくなってきたりと、頭を抱える日々が増えてきました。
特に悩まされたのは英語の勉強法でした。僕は毎日、英語科の先生方が選んだ英語の記事を読んで質問に答えるというリーディングマラソンに取り組んでいました。中学のときまではとても力になって良かったのですが、ある程度英語力がつくと、リーディングマラソンはウォーミングアップで、それだけでは英語力が伸びない事に気付きました。
そこで僕が去年新しく始めたいくつかの勉強法の中の一つが英文解釈です。具体的には、複雑な文や長い文を頭の中で整理して文の骨格を素早く掴む読解力をつけることができます。その勉強法を始めて半年、英検やIELTSなどの資格試験で合格することができました。リーディングマラソンの読み方も変わり、設問を間違えなくなりました。このように、ちょっとした新しい地味な勉強法が大きな成功に繋がることに気づきました。今でも英文解釈は毎日欠かさず続けています。英語の勉強が本当に大好きになりました。
毎日24時間生活を共にした仲間の存在や、たくさんの先生方との何気ない会話がいつも僕を支えてくれて、僕の背中をたくさんの人が押してくれました。僕が無事に卒業できるのも周りにいた方々のお陰です。これからまた新しいステップへ足を踏み出しますが、僕は絶対これまでのサポートを無駄にしないように、諦めずに走り続けます。
僕は将来、世界中のテニスの国際大会の主審になれるように、去年から日本国内で審判員活動を始めています。即時の判定や、選手の名前をすぐに覚える事、臨機応変に対応していく事など、たくさん学ぶことがあって大変ですが、自分の今やっていることが将来に繋がることを信じて、世界へ飛び立てるように地道に取り組んでいます。
いつか、僕の蕾が開いて自分の夢を叶えることが出来るように、大学に進学しても、この学校で得た粘り強さ、マナーや生活習慣を生かして頑張りたいです。

今年の春休み、約1週間僕は交換留学に行った。留学する学校の名前はフォレストスクール。イギリスの現地校だ。現地校への留学は人生で2回目だ。1回目はオーストラリアの現地校だ。
1回目は小学生の時だからあれから随分と時間がたった。久しぶりの交換留学は、やはりとても緊張した。しかも今回行くところは全校生徒が1000人程いると聞いて驚いた。立教には200人もいないので人見知りな僕はうまくコミュニケーションが取れるかとても不安だった。しかも英語で。

交換留学初日、ドキドキしながらフォレストスクールに着いた。僕と一緒に交換留学をする4人もおそらく僕と同じ気持ちだっただろう。到着するとミスターライダーと言う交換留学の担当の先生が出迎えてくれた。そして、そこには5日間一緒に過ごすバディがいた。僕のバディの名前は、トリー。フランス生まれの子だった。トリーはとても優しく、緊張して一言も喋れなかった僕に色々話しかけてくれた。フォレストで何をしたのかと言うと、基本的にはシャドーイングでバディの授業に参加する事がほとんどだった。1時間目はヒストリー、歴史の授業だった。授業の初め、僕とトリーは自己紹介をお互いにした。そんな簡単な会話をしていた。その後、トリーは授業の内容を丁寧に説明してくれた。しかし、やはり現地校。聞き取れない。言ってる事はなんとなくわかったが、早すぎてわからない。自分の英語力がこんなものかと実感した。しかし、トリーはそれを理解してくれて少し簡単な英語で話してくれた。1日目の午前は授業を受け、午後は学校を案内してもらった。あまり話せないまま1日目が終了した。ホームステイ先に帰った。とても疲れた。もうめんどくさいと思って学校に行きたくないと思った。せっかくの春休みを無駄にしたと思った。

交換留学2日目、一日中授業だった。昨日よりは耳が慣れてきたのか少しずつ聞き取れるようになった。今日こそはと思いこっちから話しかけてみた。そしたら、通じた。とても気分が良かった。今まで英語をやって無駄ではなかったとおもった。そこから最終日までトリーとたくさん話して仲良くなった。トリーと話していると周りの人とも自然に話すようになり気づいたらたくさん友達ができていた。海外の人は怖いイメージしかなかったが今回の交換留学でイメージが変わった。優しくフレンドリーで面白く、いつも僕たちを笑わせてくれた。

水曜日はただの授業ではなかった。その日は、チャレンジデーという日で、学年ごとに1つのテーマを決めてそれについて1日使って考えるものだった。その日だけは、バディとは行動せず中学2年生と行動した。中学2年生の人たちはとても日本に興味を持ってくれて、僕たちが日本について色々教えると日本に行きたいと言ってくれて嬉しかった。

今回フォレストスクールで、1番驚いたのは皆んな食べることより遊ぶことに休み時間を使っていたことだ。フォレストでは、座ってゆっくりと昼ごはんを食べる人は1人もいなかった。皆んな歩きながら食べ、制服のままサッカーや、バスケをしていた。立教ではあり得ないことだった。日本の学校とは随分違うんだと実感した。

そしてあっという間に5日間が過ぎた。早かった。初日にめんどくさいと思っていた自分がバカバカしく思えた。別れの時は悲しかった。5日間でとっても仲良くなり多くのことを一緒に学んだ。必ず立教にきて欲しいと思った。するとフォレストの校長がぜひ立教にも生徒を行かせたいと言ったのでバディに絶対きてくださいと何度も言った。バディはもちろんといってくれた。そして5日間の交換留学が終わった。行って良かったと改めて思った。イギリスと日本の違いや考え方の違いについてたくさん学べた。1番大きかったのは、海外の友人ができたことだ。これらのことを今後また交換留学できたら活かして行きたいと思った。

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