進路を定めて前進を(1)

 

私は、高校三年の時、広島文理大学を
卒業した担任に進路相談に行ったことが
あります。

大学に進学したいと言う私に、彼が言い
放った言葉はこうでした。

「君の家は経済的に苦しいようだ し、それ
に成績も良くないのだから、大学、大学など
と考えないで、就職したらどうですか。就職
してまじめに働くことも大切だと思うのですよ。」

広島文理大と言えば、当時は東京文理大に
次ぐ名門です。彼には教育界での栄達が
保障されていました。

それだけに、このような形式的、一般的指導が
彼の口をついて出たのでしょう。

その2につづく…

遠くを見て微笑む

 

二年、三年の諸君。君たちは、
この一年乃至二年をどのように
生きますか。

勉強が順調に行っ ている人も、
そうでない人も、色々でしょう。

様々な人がいるのが学校なのです。

しかし、今、 勉強で苦労している
人々であっても、諸君が「若い」と
いうことを忘れないでください。

若さと は何か、それは可能性です。

今の己を嘆くのではなく、己の努力
の足らざるを補い、自らの無限の
可能性に賭けて出直してください。

「遠くを見て微笑む」

これは私が作った言葉ですが、
私は、諸事うまくいかな いときには、
思いを未来に馳せ、遠くを見て
微笑むことにしています。

明日への希望に燃え、一年生に、
真摯に生きる諸君の後ろ姿を見せ
てやって下さい。

後ろ姿で育てよ(2)

 

私は、旧制度の中学校に入学
しました。

当時中学校は、五年で卒業だった
のですが、これが新制高等学校に
変わり、中学四年生になるとき、私
たちは高校一年生に編入されました。

結局私たちは、同じ学校に六年間
在学する結果となったのです。

一年の時、三年生に大道さんという、
全校生徒から尊敬され、慕われている
生徒がおりまし た。

大道さんから声をかけられただけで、
下級生は大変な誇りに思ったものです。

私は、新聞編集委員として、大道さんの
下で仕事をしていたのですが、あるとき、
予定して いた原稿が届かず、新聞に
空白を生ずる危険が出てきました。

そのとき私は、不用意にも、「じ ゃあ僕が、
明日までに小説を書いてきましょうか。」と
言ってしまったのです。

大道さんの顔色が変わりました。小説など、
そんな簡単に書けるものではないと散々
叱られた後で、彼は「小説の書き方」という
本を図書館から持ってきました。

明日までにそれを読んで来なさいというのです。

尊敬する先輩の命令ですから、私は徹夜して、
その本を読んで行きました。翌日彼は、「ど う
です、小川君。小説などというものが、そんな
に簡単に書けるものではないということが分か
りましたか。」と、改めて厳しく叱られました。

当時の私の学校には、このように下級生から
尊敬されている「カリスマ」が、何人もおりま し
た。彼らから私は、先生方より遙かに多くのもの
を学んだのです。

後ろ姿で育てよ(1)

 

新進気鋭の一年生が入ってきます。

この先、失望したり挫折したりする
ケースもあるでしょう が、彼らは、
狭山ヶ丘高校での三年間に、
はちきれんばかりの期待を抱いて
入学してきます。

二年、三年の諸君は、彼らが、
その初心を失うことなく志を
遂げられるよう導いてあげなくては
なりません。

「いかに教えるかということは、
いかに生きるかということに
ほかならない」

と、私は常々考えていますが、諸君にも
私は、この「後ろ姿で教える」姿勢を
保っていただきたいのです。

 

昔の子供 今の子供(4)

 

でも木登りが禁じられている本当の理由は もっと、
別なところにあるらしい。

即ち、万一転落して死亡事故が発生したような
場合の責任問題である。我々の幼い頃、 池に
落ちたりしたら、ぼやぼやしているからだと叱ら
れたものだが、今では、そのように危険な施設を
放置した「管理責任」が問題にされる。

スイスのユングフラウに登り、氷河の上を歩いた
とき、そこには「危険には自分で責任を持て」と
書かれてあった。

しかし、我が国にそのような論理は通用しない。
管理責任も大切だが、ある程度の危険負担は
覚悟しても、自由に木登 りが許されるくらいの
環境が、子ども達には求められているのでは
ないだろう か。

昔の「悪ガキ」は木に登ってカラスの卵を盗み、
茹でて食った。今の子ども はパチンコでカラスを
撃ったりすることはない。

その代わり人間はカラスにすっかり舐められて
しまっている。時には、女性や老人の頭をつつく
こともある そうである。

青大将を玩具にしろとは言わないが、子ども達の
生活の「文明化の度」は、いささか過ぎてしまって
いるのではないだろうか。

<完>

昔の子供 今の子供(3)

 

私は入間市の西武グリーンヒルという
団地に住んでいる。最近には珍しい
樹木に包み込まれた団地である。

550 世帯だから、かなり大きな集合
住宅だが、 森の中に包み込まれて
いるので、団地というような感じがしない。

数年前私はここの管理組合の理事長を
務めたが、その時ふと疑問に思うことが
あった。

こ の団地の子どもは絶対に気には登ら
ないのである。あんなに沢山木が生えて
い るのに、誰一人木登りをする者がいない。

奇妙に思った私が尋ねると、この団地では、
不文律のように木登りが禁止さ れている
らしいのである。団地の木くらい自由に登ら
せて良いではないか、私はそう思うが、
どうも事はそれほど簡単な問題ではない
らしい。

第一木が傷む。 確かに枝が折れるかも
知れないし、木の上で大声を出されたり
したのでは静謐が害される。

 

その4につづく…

 

昔の子供 今の子供(2)

 

後で知ったことだが、「山の子供たち」は
蛇を「加工」し、その危険性を取 り除いて
玩具にしている。

すなわち彼らは、柔らかい柳の木を用意
した上で蛇を捕まえる。柳の木は柔らかい。
皮を剥くと真っ白なみずみずしい木肌が
現れる。

その木を鋸ですぱっと切る。

蛇を「無力化」するために、彼らはその柳を
使うのである。彼らは蛇を捕まえると、無理
矢理その口に、くだんの柳の木を つっこむ。

蛇は嫌がるが、そんなことに頓着するような
彼らではない。遮二無二、口の奥までつっ
こむと、蛇の口のあたりを、上と下から何度も
何度も丁寧に押さえつける。

柳の木は柔らかいから、蛇の歯は完全に木に
突き刺さる。確実に突き刺さったかどうかを
確かめた上で、彼らは口の上下を押さえたまま、
柳をすぽっと引き抜くのである。蛇は痛かろうし
苦しかろうが、彼らはそんなことは気にしない。

柳の木には、深く突き刺さったままの蛇の歯が
食い込んで いる。つまりそこで、「歯のない蛇」
ができあがるのである。

ケンマは、学校の裏の空き地に蜜柑箱を隠して
いて、そこに何匹もの「無力化」した蛇を飼って
いた。

時代が変わったとは言いながら、このような大自然
の中で育った子どもには現代の子どもにはない
逞しさと素朴さがあった。

その3につづく…

昔の子供 今の子供(1)

私が英語の代用教員として北海道の
中学校に勤務していた頃である。

ケンマというあだ名の一年生がいた。

勉強は苦手だが、すこぶる生活力が
ある。魅力的な生徒なのだが、授業は
ほとんど聞いていない。

話は聞かなくとも良いが、 せめて聞いて
いるふりくらいはしてもらわねば、私も立場上
困る。

そのケンマが、どうも私の存在など忘れて
しまったかのように、机の陰で何やらごそごそ
やっている。

どうも玩具か何かを持っているらしい。

「ケンマ、 お前そこで何をやっているんだ。」

私は一喝した。

ケンマは「玩具」をさっと 机の中に隠した。
「出しなさい」怒り心頭に発した私は、ケンマの
傍に近づい た。

しばらくもぞもぞしていた彼は、遂に諦めた
のか「玩具」を机の上に置い た。

瞬間私は後ろに飛び下がった。

机の上に置かれた「玩具」は蛇だったので
ある。

私の蛇嫌いは年季が入っている。その蛇、
青大将が机の上で動いている のだから、
たまったものではない。

「先生、ケンマはほかにも何匹も持って
い るんだよ。」

他の生徒が教えてくれた。

怖々全部を机上に出させたが、ケンマ は
合計三匹の蛇を「所有」していたのである。

 

その2につづく…

日本赤十字看護大学看護学部合格!

 

気持ちの面ではもう一つ気をつけたものがあります。

それは悩みができ たときにできるだけ早く解決する
ことです。もしすぐに解決できなければ、受験が終わ
ってからで もいいやというようにいったん忘れるように
していました。

受験期は心が不安定になりがちです。 私もあまり思い
悩む性格ではないと思っていましたが、受験直前は
精神的にかなり追い込まれてしまいました。ただでさえ
そのような状況におかれるのに、他に悩みを抱えて
しまったら、手に した結果は違うものだったのかも
しれません。

他にもルーティンを作ること、1日のノルマを決めること、
努力の成果を目に見えるかたちとして記録することなど、
試験当日まで数々のことを気にかけて日々の生活を
送っていました。

最後に、来年以降に受験を控える皆さんに伝えたい
ことがあります。それは学生生活をめいっぱい楽しんで
ほしいということです。

これから修学旅行や体育祭、文化祭とまだまだ楽しい
行事が残っています。その一つ一つの思い出、それを
共に楽しんだ友だちの存在が、試験当日大きな力とな
ります。背中を押してくれるのです。

だからこそ最高の思い出を最高の仲間とともにつくって
ください。

本校で過ごした中で、自学自習の習慣が身についたことは
大きな財産となっています。ただ与えられた課題をこなすだけ
だった中学生の頃とは違い、自分の目標に向けて自分で課題を
見つけ、それらに挑戦する。

自分の力では理解ができなかったところや、勉強方法について
先生方にアドバイスをもらうなど、能動的に学習を進めていくこと
で、より学習への理解が深まり、自身の成長を実感できました。
力を貸してくださった先生方に深く感謝します。

本校卒業後はこの自学自習の力、向上心を以て患者やその家族
だけでなくともに働く医療 従事者からも信頼されるような看護師を
目指して、努力を重ねていきます。

私の体験が、この先受験を迎える皆さんへのアドバイスとなれば
幸いです。

<完>

日本赤十字看護大学
 看護学部合格!

松村 颯

私には小学生の頃から看護師になるという
目標があります。なかでも日本赤十字看護
大学を目指し たきっかけは、身の回りに
その卒業生や在校生が いたことによります。

実際の大学生活を耳にして、この大学に
対して興味を持ちました。

また、医療従事者の方々とお話しできる
機会があった時に、日本赤十字看護大学は
看護を学ぶ大学として医療従事者から高い
評価を受けてい るところだと耳にしました。

更に調べていくうちに赤十字は医療の分野
にお いて世界中から信頼と実績を得ている
団体であると知りました。

そして、自身もその一員となり、高度な知識と
技術を身につけたいと思うようになりました。

そこで学ぶ自身の姿はたまらなく「かっこいい」
のではないかと想像し、 看護を学ぶには日本
赤十字看護大学以外に存在しないと確信しま
した。

受験までの学習の取り組みについては人に
よって様々な方法があります。

特に意識して実践していた体験があります。
大学受験で最も重要なこ ととして、「しっかりと
した明確な目標を確立できているか」ということを
思い浮かべます。私の場合は「第一志望校に合格
し、その学校で看護師にな るための勉強をする」
というものでした。

明確な目標を立てることで、私にはこんなにも立派
な目標があるぞという想いが生まれ、その想いが
自信に繋がっていきました。そのような気持ちが
受験生としての日々の行動にもプラ スの影響を
与えたと思います。

その2につづく…

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