道具を使うからす(6)

 

ところが、感謝するどころか、彼はぷいと
横を向いてしまったのである。

「何、お前、皮を剥けって言うのか。」

私は手早く皮を剥いた。その手元を、
く っつくくらいの近さで彼はじっと
見守っている。剥き終わって私は、
再びそれ を彼の足下に置いた。
狭山ヶ丘高等学校付属中学校校長メッセージ
一気に食い始めるかと思いきや、
彼はまたしても、ぷいと横を向いて
しまっ たのである。

「こんなかたまりを食えるか。」

というわけなのであろう。いったい
これまで、どんな育ち方をしてきた
のであろうか。

「バラバラにせえって言うのか。」

私は、蜜柑を幾つもの小袋に分け、
彼の足下に一列に並べた。並べ終わる
まで、彼は食いもせずじっと見つめている。

もしかすると、上流家庭のご出身なので
あろうか。 並べ終わったのを見届けて、
彼は食い始めた。足でおさえて、薄皮を
剥き、 くちばしをぴっぴっと振ってそれを
はねとばす。蜜柑の薄皮をぴっぴっと
はね飛ばす彼の技は、それはもう見事な
ものであった。

鳩や雀などとは、頭の出来 が違うのである。

その7に続く・・・

道具を使うからす(5)

 

職員会議で「かあ、あ」と鳴かれて
私の進退は極まったが、それでも
教頭に厳しく叱られたくらいで、
どうやら「懲戒免職」にもならずに
済んだ。

そんなわけで、私を愛するカラス君
との交流はその後も続いた。 給食に
私の大好きな蜜柑が出た。仕入れの
時、教育委員会の人が十分吟味して
いるのであろうか、給食の蜜柑は実に
うまい。

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残った一個を手にした私は、 これを
グラウンドのベンチで食べようと出かけた。
不謹慎な話だが、グラウン ドで、
思いがけぬ物を食うのは、その頃の
私の生き甲斐だったのである。

蜜柑を手にして児童玄関を出ようとすると、
右手の足洗い場の、コンクリー トの上に
カラス君がいた。まるで私が出てくるのを
待っていたような感じであ る。

「おう、お前そこにいたのか。」

声を掛けると、彼はピョンピョンと二歩私に
近づいた。しかしその目は、じっと私の
手の中の蜜柑に注がれている。

少し迷ったが、まあ、この際仕方がない。

「何、お前、これが食いたいのか。」

まさ か「はい」とは言わないが、彼の挙動、
目の動きは、まさにそれを肯定してい る。

「仕方のないやつだなあ、これはひとつしか
ないんだぞ。でもまあ、お前 にやるか。」

私は、蜜柑を彼の足下に置いた。

 

その6に続く・・・

 

 

道具を使うからす(4)

 

しかし私は「実力者」だったから、
「後難を恐れて」誰も文句を言わない。
声を出せない私は、彼に向かって
うなずいたり、あれこれと表情を示した。
昔よほど人に可愛がられていたので
あろう。彼はなんと、戸棚から少し離れてい る
私のデスクの上に、ぴょんと跳び移ったのである。

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これには私も参った。デスクの真ん真ん中に、
カラスがいるのである。なで るわけにも行かず、
折角来ているものを追い立てるわけにも行かず、
私は困り 果てた。近くから、女の先生のくすくす
笑いが聞こえた。いつものように語り かけないことを
不満に思ったのか、彼は、一声高く「かあ、あ」と叫んだ。

その5へ「まだまだ」続く・・・

 

道具を使うからす(3)

 

何と彼は、職員会議に姿を現すように
なってしまったのである。 小学校の
職員会議は、図書室や会議室などで
行うことが多い。

しかし、案件 によっては職員室で開かれる
こともある。 それほど重大ではない会議
だったのであろう、その日の会議は、職員室で
行われていた。
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私の席は窓際にあった。現在の勤務校は
私学だから、「全館冷暖房」である。公立
小学校にはこれがない。私は学校にエアコン
など設置すべきではないと思っている。冬の
寒さは格別、 暑い時は暑いと言って暮らす
のが、人間らしい暮らしというものだと信ずる
か らである。「お前の学校はどうなんだ」と
言われれば面目ない話だが、厳しい競争
原理にさらされている私学としては、校長の
信念一途というわけにも行かない。

話がそれたが、そんなわけで、会議中、
職員室の窓は開け放たれていた。 例の
カラス君は、給食時間でもないというのに、
職員室の窓の所にやって来た。私に会いたく
なったのかも知れない。彼は、私をめざとく
見つけると、窓の敷居の所に止まった。

私の顔をじっと見ている。語りかけるわけにも
行かないので、私は、「おう、来たか」という風に
目配せをした。窓の敷居には戸棚が密着している。
目配せを「許可」と受け取ったのか、彼はぴょんと、
その戸棚の上に跳び移った。敷居の上ではない、
今度は明らかに室内である。気づいた先生もいた。
当然、校長も教頭もこれを見ている。

 

その4に続く・・・

 

道具を使うからす(2)

 

彼はそれから、毎日確実にやってきた。
それも正確に給食の時間にである。
一年生と、身体だけは大きくなった
子がらすとの交流は続いた。

そのうち彼は、私の顔をしっかりと覚えて
しまったらしい。人のいい、「信頼できる」
おじさん、くらいに思ったのか、
給食の時間以外にも、私の身辺に現れる
ようになっ た。 二十分休みに、グランドに
出たりしていると、木の上から私を見つけ、
時折 「かあ、あ」と親しげに鳴く。
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生来少しおかしな所のある私は、夜、
路傍の花に話しかけたりして、近所の人に
不気味がられたりしている。カラスに返事する
くらいは、日常茶飯の事である。

「ふたりの親密な交流」は続いた。

しかしここに、大変な問題が発生した。

その3に続く・・・

道具を使うからす(1)

 

学校を訪れる予期せぬ客は、
「メリーさんの羊」とは限らない。
小学校で一年生を担任して
いた頃だから、かなり昔の話で
ある。

給食の準備 に入っていると、
窓外の、それもずっと上の方で、
からすの鳴き声がした。ど うも普通の
カラスの声とは違う。どことなく甘えっぽい
声なのである。 私は窓を開けてみた。
一羽のカラスが、辺りを飛び回りながら
私を見つめて いる。逃げる気配など
全くない。そして時折、甘えっぽく
「かあ、あ」と鳴く のである。
狭山ヶ丘高等学校付属中学校校長メッセージ
幼い頃から、人になつくカラスをしばしば
見てきた私は、「は、はあ」と思 った。
時はまさに給食の時間である。
事情に通じた彼は(もしかすると彼女か も
知れぬ)、餌をねだりに来ているに違いない。
試しにパンをひとちぎりして、空へ投げあげて
みた。ひらり、ゆったり身を ひるがえすと、
信じられぬほどの巧みさで彼は、パンを
受け止めた。 一年生が黙って見ている
はずがない。お行儀も何もあらばこそ、
どっとばか りに彼らは、窓のそばへ
押し寄せた。それぞれにパンをちぎって
空へ投げあげ る。一度に三つ、四つの
パンが投げあげられるのだが、
彼はひとつとして受け損なったりはしない。
甘えた声で鳴きながら、ひらり、ひらりと、
すべてのパ ンを受け止めて食うのである。

その2に続く・・・

在校生から受験生へ 

~狭丘的生活~

私たちの中学校では、軽登山、理科実習(巡検)、

体育祭、文化祭などの新しい行事がたくさんあります。

軽登山は年に2~3回ほど実施され、みんなで汗を

たくさん流しながら、登頂の喜びを噛みしめ、さらに

助け合いながら登ることで、かけがえのない友情を

確認することができます。

在校生から受験生へ 狭丘的生活
在校生からのメッセージの続きはこちらへ→

名作劇場~初めて見たアメリカ兵(4)~

 

月の美しい夜であった。「彼らも人間だったのか」
そんな複雑な思いで我々は田圃の中に立ちつく
していた。

外国人を全く見ることなく、白人の悪業ばかり
聞かされて私たちは育った。だか ら私たちは、
白人なるものを全く信じる事ができなかったの
である。戦争中の宣伝は明らかに行きすぎた
ものであった。しかし当時の軍部や学校関係者
のみを一方的に非難する事はできない。

第二次世界大戦が始まる直前、世界のほとんどは
白人列強の植民地であった。先日私を訪ねてくれた
ある老人は、津波で有名になったスマトラのバンダアチェに
十六歳の頃から住んでいた。当時オランダの植民地支配の
残忍さは言語に絶するものであったという。それだけに
日本軍が入ってきたとき、民衆は地鳴りがするような
どよめきでこれを歓迎したそうである。

狭山ヶ丘高等学校付属中学校校長メッセージ

やがて日本は敗れ、再びオランダの支配が始まった。
このオランダ軍と戦う中で、インドネシアの人々は、
祖国の独立を勝ち取るのである。 インドネシア以外の
アジア各地においても同様だったであろう。だから、
少年の日の私が、これほどに米軍を恐れたとしても、
一笑に付す事のできない歴史的経過はあったので
ある。

「外国人は天使ではないが悪魔でもなかった」

それが少年の日の 私の、初めてのアメリカ兵との
出会いだったと言えるであろうか。

 

完・・・

「アメリカだ」誰かが叫んだ。数百台の米軍トラックだった
のである。「戦争に負けたら、男は去勢され、女は黒人
の妾にされる」私たちは、そう教えられていた。

事実サイパン島では、米軍の残虐行為を恐れる女性達が、
崖の上から次々に身を投じた。その場所は今「万歳クリフ」
と呼ばれている。クリフは崖という意味である。 我々は橋の
真ん中にいた。空知大橋は長い。走りに走ったが、とても
間に合いそ うにない。幼い妹は走るのは嫌だと言ってぐずる。

狭山ヶ丘高等学校付属中学校校長メッセージ

「もう間に合わない。必ず轢き殺 されるだろう。」そう考えた
私は、水中に飛び込もうかと思ったが、妹も姉も泳ぐ事が
出来ない。浅瀬に激突する危険もある。私は妹を横抱きに
かかえ、走り続けた。 「もう駄目だ」そう思って振り返ったとき、
私は自分の目を疑った。何と米軍の トラックは、我々が渡り
きるのを待っていたのである。

「これはだまし討ちだな、みんなが橋の上に揃ったあたりで、
一斉に轢き殺すつもりだろう」私たちは、ひたすら走り続けた。
渡りきると、堤防の上から転げ落ちるようにして逃げた。
ここまではトラックも追いかけては来れないだろうと思って
田圃の中に逃げ込んだ。靴が泥濘るのも忘れて橋の反対側の
袂を見ると、米軍は明 らかに全員が渡り切るのを待っていた。

橋の上に誰もいないのを確かめたのであろう、彼らは轟音と
共に空知大橋を渡り始めた。いつ果てるともなく、トラックの
大部隊は空知大橋を渡っていく。

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