平成30年度生 第5回学校見学説明会 【中学校入試対象】

 

 

今年度最終回の学校見学説明会でも、

各教科担当者による入試解説をいたします。

入試問題や勉強法を解説しますので、ぜひご参加ください。

【タイムスケジュール】

 9:00~説明会開始前 学校紹介ムービーの放映
校長メッセージ
内進生よりメッセージ
※別ウィンドで開きます
 10:00~見学説明会 ・学校長挨拶
・入試要項の説明
 11:00~入試解説
※各教科担当者が、入試問題や、入試までの勉強方法をわかりやすく解説します。
開始時間は予定です。見学説明会終了後より開始します。
11:00~11:20・・・国語入試解説
11:25~11:45・・・算数入試解説
11:50~12:10・・・理科入試解説
12:15~12:35・・・社会入試解説

(昨年度の入試問題解説の様子)
 11:00~個別相談
(説明会開始前に番号札を配付します)

(個別相談会の様子)
 11:00~校内見学ツアー

スクールバスの運行予定表はこちらをご覧ください!

 

 

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入試個別相談会【高校受験対象

第3回 12月2日(土) 
13:30~16:00

~光り輝く「原石」を発掘し、それを磨きあげていくのが、狭山ヶ丘です~

入試個別相談には、私たちを「感動」させるような資料をお持ちください。

なお、事前の連絡は不要ですので、開催時間内にお越しください。

私は、人間というものは、たとえていえば、ダイヤモンドの原石のような
性質をもっていると思うのです。すなわち、ダイヤモンドの原石は、
もともと美しく輝く本質をもっているのですが、磨かなければ
光り輝くことはありません。 (松下幸之助「人生心得帖」より)

  • 事前予約の必要はありません。上記、時間内におこしください。
  • 受付で番号札を配布しています。混み具合によって多少お待たせすることがあります。
  • 受験生の良い面を示す資料などがあればご持参ください。
  • 上履きなどは必要ありません。


個別相談会向けのスクールバスの運行はありません。

ご注意ください!

 

 

皆様のご来校を心よりお待ち申し上げております。

 

尊敬するから厳しく要求する(4)

 

教師には授業を静粛に保つ絶対の責任がある。
教師の指示に従わず、授業を妨げる行為を続ける
生徒に対しては、十分な指導と叱責を繰り返さなく
てはならない。

それでもなお執拗に妨害を続ける生徒があったら、
高等学校であればこれを退学処分に付す。

中学校は義務教育だから、そのようなわけにも行く
まいが、しかし妨害分子を放置するようなことがあって
はならない。

学校全体で取り組めば、必ず解決方法は見つかる
筈である。

小学生が私語や立ち歩きを続け、教師に打つ手が
ないなどと言うのは嘘である。気力においても体力に
おいても、教師が妨害生徒に対抗できないなどという
ことがあるはずはない。

問題は、生徒のそのように放恣な言動を制止することに
ついて、教師の側に思想的確信、教育的確信があるか
どうかなのである。戦後教育、ゆとり教育は、 生徒の自主
性に過大な期待を寄せるあまり、教師からこのような確信を
うばってしま ったのかも知れない。

粛然と授業に耳を傾ける本校生徒の中で授業を進める
喜びを日々味わいながら、これがどうして日本のすべての
学校に広がって行かないのかと、不思議でならないので ある。

 

<完>

尊敬するから厳しく要求する(3)

 

青年時代私が尊敬していた教師にマレンコという学者がいた。

「愛と規律の家庭教育 」 という本で有名になったロシヤの
教育者である。

彼は次のように言っている。

「君たちならできる。その可能性を僕は尊敬する。尊敬する
から厳しく要求する 」。

教室で静粛を保つくらいのことは、どの生徒にだってできる。
問題は、生徒の有す る、そのような可能性を教師が認め、
尊敬するかどうかということだと私は思うのである。それを
信頼せず、教室内で生徒を獣のように野放しにすることは、
結局生徒を 小馬鹿にすることに通じるのではないだろうか。

 

その4に続く…

尊敬するから厳しく要求する(4)

 

私が小学校の校長を務めていた頃、生徒を(子供を児童、
生徒、学生などに「分類」 する手法を私は用いない)野放し
にする教師がいた。

一年生の担任であったが、子供を完全に野放しにするので
ある。幼稚園などに「自由保育」という「教育方法」があると
聞いたが、彼のやり方はさだめし「自由教育」ということに
なるのであろうか。

このクラスでは、参観日にも、子供達は上履きのまま机の上に
立ったりして授業に「参加」した。驚いたことにこの教師は、
親たちにも人気があった。

一年生の親は学校のことなどあまり知らないから 「本当の教育
とはこういうものなのだろうか」くらいに考えたのかも知れない。

この教員はある事情で、 間もなく退職せざるを得なかったが
やはり現代は「教育哲学」混乱の時代だと思うのである。

しかし、教師の話を集中して聞くこともできないような現状を
放置して、子供を健全な人間に育てることはできない。

もともと我々は、生まれた途端から人間らしい人間だったのではなく
周囲のすべての人々のお力で人間に育てて頂いた のである。

だから、育てる側では、この「人間になるのではなく人間にするのだ」
ということを深く自覚しておかなければならない。

 

その5に続く…

尊敬するから厳しく要求する(2)

 

参観日等で学校に行った折に、後ろで見ていると、
私語はし放題、いたずら、立ち歩きも珍しくない。

それでも先生は、注意するため、そばに行って、
ひとりひとりに 語りかけたりはするが、全体を静粛に
保つことはできない。

「参観日で、親たちがいるから、先生も遠慮なさって
いるのではないでしょうか 」とある母親は語った。
信じられないような話だが本当のようである。

小学生の子供のいる本校教職員に尋ねても、
そのようなケースは珍しくないという。どうやら
我が国の教育荒廃は、回復に向かいつつ
あるのではなく、一層深刻になりつつあるかも
知れないのである。

「狭山ヶ丘」で、そのようなことは全くない。
始業式、終業式等に際して、校長の話が20分を
過ぎることはしばしばである。 生徒は、水を打った
ような静けさの中で話に耳を傾ける。静粛である。

針を落としたら、一番後ろの生徒にまで聞こえるかも
知れない。

授業や、朝ゼミの折などに私語するケースは絶無では
ないが、それとても極めて稀である。私語する場合も、
勉強に関する話がほとんどのようである。

原則としてこれも禁止している。

生徒も実に良く協力してくれる。だから「時代が悪いからだ」と
は言えないと私は思う。おそらく生徒が悪いのでもあるまい。

生徒にき ちんとした態度を求める毅然とした姿勢が教師に
欠けているからではないかと思うの である。

 

その2に続く…

尊敬するから厳しく要求する(1)

校長 小川義男

 

PTA の会合の折に、生徒達(今年の一年生)が、
この学校は良い学校だと口々に語る という話を
聞いた。

教師として嬉しからぬ筈がない。

理由は色々あるのだが、その一 つに「授業中
騒がしくないから」というのがあった。実はこれが
最も多かったのであ る。

すべての中学校ではないのだろうが 「自分は 、
勉強したいと思っても、仲間がおし ゃべりを
し続けるので先生の話が聞き取れない」のだそうで
ある。

授業は、もともとそれほど魅力的なものではない。
私など、この歳で大学院に通い、水曜日の六時から
九時までの演習に参加している。しかし、一番嬉しい
のは演習が終わったときだし、 その途中でも、時々
時計をのぞき込んだりする。

勉強、学問とは、もともと面白くてたまらないという
ようなものではないのである。

ある生徒は 「あんなに騒がしくても、一応理解できるのは、
自分が塾に通って、学 校で教わるところを前もって勉強
しているからで、塾に行っていない人だったら、ほとんど
分からないのではないだろうか」と語っていたそうである。

驚いた私は、居合わせた保護者にいろいろとお尋ねして
みたが、多くの学校で、そのような騒がしさが放置されて
いるという声がほとんどであった。

さらに驚いたこと に、小学校でも騒がしいのだそうである。

そこに居合わせた保護者のほとんどが、そう語った。

 

その2に続く…

 

日本語の深さについて(6)

 

これらの事情から、音楽に関して、国民の間で、
世代間の断絶が形成されるに至った。

音楽の自然な変遷という域を越えて、民俗の音楽は
連続性、一体性 を失ってしまったのである。

十年、世代が違えば異邦人、というような奇妙な
社会現象が出現した。

そのうちに 「蛍の光」や「仰げ ば尊し」の歌詞を、
正しく解釈することのできる人さえ少なくなって
しまった。

四月は入学式の季節である。この年度が卒業式を
迎える頃、全国どこの学校でも「蛍の光」や「仰げば
尊し」が、感動と共に斉唱されるようにできないもの
だろうか。

世代の断絶は「文化の継承」の中でこそ初めて克服
できると思うのである。

<完>

日本語の深さについて(5)

 

それなのに最近の学校では、卒業式に蛍の光を
歌わせるところが少なくなってきた。

その理由は、敗戦にある。昭和二十年に我が国は
アメリカとの戦争に敗れた。占領軍は、それまでの
我が国の伝統や文化を根こそぎ否定しようと強制力
を働かせた。

日本人の中にも「バスに乗り遅れまい」と、アメリカ
占領軍の要求以上にアメリカ的であろうとする
卑しい傾向が目に付いた。言わば「敗戦利得」に
ありつこうとする 「醜い日本人」の群れ群れだったと
言えよう。

このような影響から 「蛍の光」「仰げば尊し」など、
民族的慣習とも言える 美しい曲が、学校の卒業式
から放逐されてしまったのである。

「君が代」に至っては、歌うこと自体が禁止された。

「文部省唱歌」にも、ずいぶん美しい歌が多かったが、
それらの多くも放逐 され、現在の音楽教科書で、
その影はまことに薄い。

 

その6に続く…

日本語の深さについて(4)

「心の端を 一言に」というのは勿論 「思いのたけを
一言にまとめて伝 えたい」という意味なのだが、
私はこれに「人ごとに 、つまり、ひとりひと 」 りに
という意味が込められていると思うのである

「幸くとばかり 歌うなり」

何と素晴らしい言葉だろうか。 別れといえば
「蛍の光」と「世の相場」は決まっている。書店や
デパートなどでも、閉店間際になればこの曲を流す。

「蛍の光」が流れ始めると、人々は買い物を少し
急いで、閉店の最終時間に遅れたり、店に迷惑を
かけたりしないように心がけるのである。

美しい心遣いと言う べきだろう。

 

その5に続く…

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