進路指導の難しさと大切さ
進路選択は成人にとっても永遠の課題(10)

 

大人になってからも進路選択は重要である。

私の学校にも、国語の教師として優れた実績を
残しながら、在職時に「社会保険労務士」の資格を
獲得し、退職と同時に開業した先生がいる。

私自身も若い頃に税理士の資格を取得しておき、
退職後の活動に備えていた。

もっとも私の場合は、本校での仕事に専念している
ので、その資格を活用することは、も うあるまいと思う。

会社、役所を定年退職した人々は、その多くが年金
生活に入る。しかし心身共にすこぶ る健康な方が多い。

多摩湖の周遊道路を走っていたり、山に登っている人に
お会いするこ とがあるが、皆さん若々しく背筋もピンとして
いて声も美しい。

こんな方々が、どうして 第二の社会活動にお入りに
ならないのか、私には不思議でならない。

人それぞれであり、 余計な節介は遠慮しなくては
ならないのだが、世の中全体としては勿体ない話
だと思うの である。

国家の手で、定年退職者の再教育、その後の職業の
確保に、もっと力を入れて頂 けないものだろうか。

 

その11につづく…

進路指導の難しさと大切さ
進路選択は成人にとっても永遠の課題(9

 

難しい問題ではあるが、私は万一失敗した場合には、
そこで妥協せず、翌年挑戦して、 もともとの希望だった
大学に進む方が良いのではないかと思う。

しかし家庭の事情もあり簡単には言えない。

高校時代にしっかり学び、現役で希望大学に入学する
ことが一番望ま しいのである。 但し大学だけが素晴らしい
のではない。先日「カリスマ左官」という記事を週刊誌で
読んだが、これなどは、大学進学など吹っ飛ぶほど、
きらびやかな人生を進んでいる人の一 人であろう。

大工、調理師その他、学校に進まずに選ぶべきコースも
豊かにある。要は、 周囲の大人が、豊富な情報と豊かな
体験に基づいて、若者の進路選択に協力することだと
思うのである。

 

その10につづく…

進路指導の難しさと大切さ
進路選択は成人にとっても永遠の課題(8)

 

私自身は、都合で、高校卒業と同時に、
中学校の代用教員になった。

英語教師だったの だが、四年間を教師と
して過ごした。日大の通信教育を受け、
正教員の資格を取る道もあったのだが、
結局私は「四浪」の後、大学に進学した。

仲間達が大学院に入学する年に私は
大学一年生になったのである。

はて、それで良かったのかと自問してみると
私は矢張り大学に進んで良かったと思う 。

大学はそれほど素晴らしいところではないが、
それを経過せずに働き続けていることは、
私を今よりもさらに小さな人間として閉じこめて
しまったのではないかと思うのである。

今も後悔の思いを抱いていたのではないだろうか。

その9につづく…

中学校は50分授業で

難関国公立大学現役合格に必要な学力の基礎をつくることを意識して、

高い水準の授業を行っています。

また、発言や発表の機会を増やすことで、

生徒が主体的に取り組める授業を展開しています。

 

スクールライフ

 

中学生の一日はこちら→

進路指導の難しさと大切さ
進路選択は成人にとっても永遠の課題(7)

 

二度と繰り返す事はない人生だけに、
進路選択は重要である。

私ども高校教師は 「浪人してでも第一
目標に挑戦すべきであるかどうか」と
生徒に尋ねられることがある。

兄弟姉妹の数、父母の年齢、家計の
実情などが関わってくる分野なので、
軽々しいことは言えない。

しかし出身大学が、その後の人生に
及ぼす影響は小さくないし、一浪して
でも所期の希望大学を目指すべきで
あるかも知れない。

難しい問題である。

 

その8につづく…

進路指導の難しさと大切さ
進路選択は成人にとっても永遠の課題(6)

このように 「生意気」こそ若者の特権で
あるだけに、私は高校生達に、生意気
でよいから、せめてその片耳だけは開けて
おけと言いたいのである。

年寄りが彼らに何かを語りかける場合に
そのすべてに従順になれなどとは言わない
が 進路そのものの重要性に鑑みて

「片耳だけは開けておけ。年寄りには
年寄りなりの使い道もあるからな 」と

常々語り続けているのである。

 

その7につづく…

進路指導の難しさと大切さ
進路選択は成人にとっても永遠の課題(5)

 

このように「選択できるときには判断できず、
判断できるときには選択できない 」。

こ こに進路指導の難しさと大切さがある。
若者は自負心が極めて強い。内容は
未成熟だが信念は極めて強い。

それを若者の「生意気」とでも言おうか
「生意気」なのが若者なのである。

そこには、若者の持つ特殊な事情が
介在している。

高校生は、これから7、8年の間に
配偶者を獲得しなくてはならない 。

だから目立たなくてはならないし、
自らの強さを試してみなくてはなら
ない。

若者は、こ れから数年の間に、
親や教師を踏み越え乗り越えて、
揺らぐことのない自我を確立しなく
てはならないのである。

若者特有の「生意気さ」は、この
あたりに胚胎しているのかもしれない。

 

その6につづく…

 

進路指導の難しさと大切さ
進路選択は成人にとっても永遠の課題(4)

 

私は「成績は良くない方」だったかも知れぬが、
弁論部長だったし、筆力においても論戦力に
おいても、はるかにこの担任教師を凌駕して
いたと思う。

私は礼を失せぬ範囲で手厳しく彼に反論して
その場を去った。 その後、熊が出るような寒村
の中学校に英語教師として赴任した。

そのまま4年をその村で過ごし、そこから一転
して大学に進学した。 その後、様々な路を経て
今日に至ったが、私の少ない経験に照らし合わせ
ても、適切な進路指導に接することは極めて重要
であるという結論を得た。

私は担任教師の常識論に反して、自ら学び続けた
が、このような“バネ 力”は誰にでも期待できるもの
ではない。

高校生は無限の可能性を秘めているが、人生に
おいて職業、社会的地位、そして所得などが、
どのような位置を占めるものであるかを理解する
ことはできない。

我々成熟した世代は、永く世の辛酸に耐えてきた
だけに、職業や進路というものが、人生において、
どの ような比重を持つものであるかを理解している。

理解してはいるが、我々に選択の可能性 はほとんど
残されていない。

 

その5につづく…

進路指導の難しさと大切さ
進路選択は成人にとっても永遠の課題(3)

 

世の中には「物凄い進路指導」もある。
私が高校3年生の時である。担任は駄目な
先生ではなかったのだが、生真面目で
すこぶる面白みに欠ける男であった。

進路に関して相談 しに来いということなので、
私は彼のもとに行った。

何と彼は 「君の家は経済的にも相当苦しい
ようだし、それに成績もあまり良くないようだから、
大学進学などと言わずに、 就職してまじめに
働いたらどうですか 」と言ったのである。

炭坑住宅建設を中心に小さ な土建業を
営んでいた父は、政府による政策の転換から、
顧客を失った。

会社解散後、残った資金をもとでに八百屋に
転じたのだが、それもうまくいかなかった。

高校2年生から3年生にかけ、私は朝の三時に
起きて野菜の仕入れに専念した。

卵はよく売れる貴重品であったが、それを仕入れる
ために、リュックに一斗缶を仕込み、一日に50 ㎞を
歩き続けたこともある。確かに経済的に苦しかったし、
成績も良い方ではなかった。

しかし、永く教師を続けてきた今、当時の私が将来に
期待を掛けることもできぬほどに不出来な青年だっ た
とは思わない。また、そのまま就職してまじめに働いた
として、私の人生に果たしてど れほどの可能性が期待
できただろうか。

その4につづく…

進路指導の難しさと大切さ
進路選択は成人にとっても永遠の課題(2)

 

父は小学校 年生までしか通っていない
明治の4男だったのだが、勉強は相当に
できたら しい。

農業をしながらも尾崎行雄がやっていた
「大日本国民中学会」の通信教育を受けて
いたのである。

だが覚えても覚えても忘れてしまう。
それで「俺の頭は馬鹿にできている 。」
くらいに考え、受講を止めてしまった
そうなのである。

「お前でさえそんなに忘れるのであれば、
俺もあの講義を続けて、もっと勉強する
のであった。 」

父はそう言った。

確かに優れた資質の男であったから、
その通信教育をやり続けていたら、もし
かすると彼は大成 できたのではないかと
思うのである。

その時、進路に関する優れた助言者を
持たなかったことは、父にとって致命的な
不幸だ ったのではないだろうか。

その3につづく…

 

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