進路指導の難しさと大切さ
進路選択は成人にとっても永遠の課題(1)

 

私が中学1年生の頃である。旧制中学校に
入学する人は、村から 1人か2人という時代
だから、世間から中学生は多少の期待と
信頼の目差しを受けていた。

私が英語の勉強をしていると、最前からその
様子をじっと見ていた父が 「お前はそうやって
勉強しているが、勉強していることが全部頭に
入るのか 」と尋ねてきた。

「いい や、全部なんか、とても覚えられるもの
ではないよ 」と私は答えた。

父は重ねて「どのくらい覚えられるものなのか」と
尋ねた。

「そうだね。覚えられるのは勉強したことの 3 割
くらいかな 」と答えると、この言葉に父は相当の
衝撃を受けたようであった。

 

その2につづく..

愚直に生きよ(4)

マテオファルコーネの物語を
皆さんは知っていますか。

マテオ家の跡取り息子である
少年が、 ある事情で嘘をついて、
信頼してくれていた人間を裏切り
ます。

そのとき、マテオの父は、「マテオ
ファルコーネの家代々で、裏切り者
と言われたのはお前が初めてだ。
俺は残念だぞ。」と叫びながら、
息子を射殺する場面があります。

当時のイタリヤでは、それほどに
人間の誇りという ものが大切に
されていたのでしょう。

皆さん、鏡に向かって自分の顔を
見てください。十数年にわたって
大切にしてきた、誇り高い顔が
そこにはあります。

それは、父母から、そしてそれを
遥かに遡る先祖たちから引き継いで
き た大切な顔です。

嘘などと言う悲しく貧しい「世間智」
の故に、それを傷つけたりせずに
人生を駆け抜けましょう。

<完>

愚直に生きよ(3)

 

人は失敗なしに人生を生きることは
できません。時には意識しながら
悪事を為してしまうこと もあります。

しかし、どのようなときにも、責任を
回避するための嘘だけは絶対に
つかない、その愚直さを身につける
ことが大切です。

「目から入って鼻から抜ける」ような、
「小猿の知恵」 で人生を生きることは
できません。

大きな成功に到達できるのは、必ず
この愚直さを身につけた 人間なのです。

それからもうひとつ、嘘は自らの人間
としての尊厳を傷つけるものです。

嘘をつき、ばれはせぬかと怯えている
時の自分を想像しただけでも、「ご先祖
様に対して恥ずかしい」ではありませんか。

 

その4につづく…

愚直に生きよ(2)

 

福沢諭吉は、「世の中で一番悲しいこと、
それは嘘を言うことです。」と語っています。

人は時に、絶対に嘘を言わなくてはならない
場合もあります。医者が患者の気持ちを考え、
癌であることを秘匿しなくてはならない場合など
はその一つでしょう。

しかし、自らの責任を免れるために嘘を言うなど
ということは、断じて慎まなくてはなりません。

小原國芳先生はあるとき、その弟子たち(その内
の一人は、私の友人だったのですが)に、「君 ら、
人生最大の謀略を教えてやろうか。」とおっしゃった
そうです。「是非教えてください。」と答える弟子たちに、
彼が言った言葉はこうでした。

「それはなあ、真っ正直に生きることだよ。」

正直をモラルとしてではなく、謀略ととらえた所に、
小原先生の哲学の面白さがあります。

 

その3につづく…

愚直に生きよ(1)

校長 小川義男

小学校教師をしていた頃、クラスに
毎日のように遅刻してくる生徒が
おりました。

理由を尋ねると、「寝坊をした」と
言うのです。いくら注意しても改まらない
ので、ある日私は、それはもう徹底的に
厳しく叱りました。

翌日、さすがに今日は定刻に来てくれる
だろうと思って待ってい ると、何とその日も
彼は遅刻してきました。

怒り心頭に発した私が、「今日はどうして
遅れた。」 と怒鳴りますと、何とまたしても
彼は、「寝坊しました。」と言うのです。

成績の良い子ですか ら、嘘を言う知恵が
ないはずはありません。しかし彼は、愚直
にも「寝坊しました。」を繰り返すのです。

彼が再び厳しく叱られたことは言うまでも
ありません。しかし私の心には、怒りとは
別に、彼に対する全幅の信頼が芽生えて
きました。

「お母さんが風邪を引いて熱を出したので、
看病していました。」などと、巧みに嘘を操る
小学生がいないわけではないのですが、彼
のこの愚直さ、不器用さが、我々の間の
信頼関係を確立させたのです。

 

 

その2につづく…

進路を定めて前進を(3)

 

大人の世代は、それぞれこのように
深刻な体験を持っているが故に、
皆さんの進路に対して干渉がましい
アドバイスをすることもあるのです。

大学に進まないことは少しも恥ずかしい
ことではありません。高卒だけで大成した
人も世の中には沢山おります。

しかし高卒だけでは、ずいぶんと苦労する
こともあるでしょう。下積みになっても、そこで
しっかりと世の中を支えることは、指導層に
入ることよりも遙かに尊いことです。

実際世の中は、そのような人々の堅実な努力に
よってこそ支えられているのです。

ですから、皆さんは自らの進路を、経験豊かな
年長者の意見、情報を大切にしながら深く考えて
ください。その果てに到達した皆さんの進路を、
学校は心から支持します。

一旦希望進路を決定したら、それぞれの目標に
向けて全力を尽くしてください。いかなる進路を
選ぶことも自由ですが、努力なしに大成は約束
されません。皆さんの健闘に期待します。

<完>

進路を定めて前進を(2)

 

しかし皆さん、仮に高校だけで就職し、
まじめに働いたとして、私にどのような
人生が考えら れたでしょうか。

私は、その先生の一般的、概念的指導を
厳しく批判しその場を去ったのですが、
いかんせん、成績が悪いのは事実であり、
家が貧しいのも事実であったために、
大学に進むこと はできませんでした。

結局私は、友人たちが大学入学のため
札幌に向かうのとは逆に北に向かい、
北海道でも最も寒冷だと言われる地域で、
中学校の代用教員を務めることになった
のです。

しかし、代用教員である私に吹き付ける
職場の風は冷たいものでした。学芸大学を
卒業した「有資格者」が不当と思われるくらい
過度に優遇されるのです。

それは耐え難いほどの「差別」でした。

しかし若い私は、それなりに楽しい中学校
教員の四年を過ごした後、大学に進学し、
その後大学院も卒業しました。

今ふりかえっても、当時の担任の進路指導が
正しかったとは思えません。

その3につづく…

進路を定めて前進を(1)

 

私は、高校三年の時、広島文理大学を
卒業した担任に進路相談に行ったことが
あります。

大学に進学したいと言う私に、彼が言い
放った言葉はこうでした。

「君の家は経済的に苦しいようだ し、それ
に成績も良くないのだから、大学、大学など
と考えないで、就職したらどうですか。就職
してまじめに働くことも大切だと思うのですよ。」

広島文理大と言えば、当時は東京文理大に
次ぐ名門です。彼には教育界での栄達が
保障されていました。

それだけに、このような形式的、一般的指導が
彼の口をついて出たのでしょう。

その2につづく…

遠くを見て微笑む

 

二年、三年の諸君。君たちは、
この一年乃至二年をどのように
生きますか。

勉強が順調に行っ ている人も、
そうでない人も、色々でしょう。

様々な人がいるのが学校なのです。

しかし、今、 勉強で苦労している
人々であっても、諸君が「若い」と
いうことを忘れないでください。

若さと は何か、それは可能性です。

今の己を嘆くのではなく、己の努力
の足らざるを補い、自らの無限の
可能性に賭けて出直してください。

「遠くを見て微笑む」

これは私が作った言葉ですが、
私は、諸事うまくいかな いときには、
思いを未来に馳せ、遠くを見て
微笑むことにしています。

明日への希望に燃え、一年生に、
真摯に生きる諸君の後ろ姿を見せ
てやって下さい。

ページ
TOP