似顔絵1 - コピー (2)すっかり春めいてきました。来週の火曜日は中学校の卒業式です。例年のような合唱の卒業式というわけにはいきませんが、きっと感動的な式になることでしょう。

さて、〖ほりしぇん副校長の教育談義〗第36話は、『中3「卒業研究」の実践』の4回目、『なぜ中学生に「卒業論文」か?」 それは、中学生を前に日々悩み、葛藤する中学教員が、それを克服するために考え、直接子どもたちに語り掛けた記録でもあります。

(中学校副校長 堀内雅人)

 

1 中学生の「卒業論文」との出会い(第33話)

2 中学生の「卒業論文」を提案(第34話)

3 早稲田中学校の実践(第35話)

 

4 なぜ中学生に『卒業論文』か?

 

卒業研究の取り組みが始まり10年を超えた2008年、学年の独自性とは別に、もっと大きな共通な目標を提示したく、次のような資料を生徒、教師全員に配布することにしました。

 

『卒業論文』の執筆に向けて(2008.5.7)

今年度の9年(中3)生には、「全員が原稿用紙20枚程度の卒業論文を書く」という年間課題を提示する。自分の興味・関心のあることをより深く掘り下げ、あるいはふだんから疑問に思っていたことを調べ上げ、自分の考えをまとめていくわけだ。たやすい作業ではない。

本来、卒業論文とは、ある分野を専門的に学んだ大学生が自ら研究テーマを考え、担当の教授の指導のもとに書きあげるものをさす。義務教育の最終段階で君たちに挑戦してもらう『卒業論文』とは、おのずと目的は異なる。

では、なぜ9年の時期に『卒業論文』を課すのか。まずはじめに、その目標とするところをここで確認しておきたい。

 

①「なぜ?」という疑問を大切にしてほしい

意味のある、大切な「疑問」というのは、自分の頭で必死に考えようとする人のもとに降りてくるものだと思う。テストの点数さえよければいいと考える人の頭ではない。深く考え、ある一つのことが分かったと思ったとき、また別の、もっと大きな疑問が浮かび上がってくる。人の意見を聞きたいと思う。参考になる本を読んでみたいとも思う。いろいろなものが、しだいにつながり広がっていく。とても楽しい営みである。

日常の授業の中に、あるいはその延長線上にそういう世界を求めたいと私は思うし、君たちにも求めてほしいと思っている。そのような意味で、「自分の感じた疑問を選び出し、テーマに決める」それ自体が一つの目標になりうると私は思う。ただ、あくまでもそれは疑問という名の小さな種でしかない。

もちろん、この半年でその種に花を咲かせよなどという大それたことを言いたいわけではない。それは研究者が多くの努力と時間をかけてなしていくことだろう。現実の社会や、自然科学、人間をとりまくあらゆるものに対して、「なぜそうなのか?」「本当にそれでいいのか?」という疑問を持ってほしいと思うのだ。そのことで、一面的に見えていた物事や現象が多層的で、多面的なものになってくる。

ならば、疑問の種を、中身のしっかり詰まった重みのある種にしてほしい。そのためには、実際に期限内に書きあげるということが絶対に必要なのだ。「もっと時間があれば……」誰もが言う言いわけである。確かにそうだろう。しかし、理想は常に現在の先にある。自分にとって不満足な出来栄えであったとしても、期限を決めて書くことで、当初の疑問は磨かれていく。思いつきであったかもしれない「疑問」を本ものの疑問に磨き上げていってほしいと思う。そして、ただ一つの答えの見つからないかもしれない大切な疑問の種を持って、中学校を卒業していってほしいと思う。

 

②“授業”の延長線上に

日常の授業の中では、どの教科においても学習材(教材)が用意され、課題が与えられる。自らの考え(仮説・予想・初発の読み…)を持ち、他の人の考えと交流しあい、また一方で先生から必要な知識が与えられる中で結果を導き出し、あることがらを理解していく。あるいは、自分の読みを深めていく。

これは一つの“学び”のスタイルである。授業以外の日常の中においても適用できるものである。もちろん「疑問」という名の課題は自分で見つけなければならないが、学び方を知ることはすべての教科共通の目的でもある。

自分の考えなしに正解のみを人から求めようとするなら、何の疑問も葛藤も生まれない。何のためらいも躊躇もなくそれを受け入れてしまえば確かに小テストの点数は上がるかもしれない。でも、それは本当の“学び”ではない。複雑な現代社会の中にあって、それでは時代や人の流れに身をまかせることしかできないし、何より、自分がどこに進んでいるのかも見えなくなってしまう。

逆に自分の狭い考えにとらわれすぎ、他人の意見に聞く耳を持たないなら、たとえそれが一面正当性のある意見だったとしても他の人にうまく伝えることはできないし、その考えを深めるには至らない。

自分の考えを深めるには、自分とは違う人(他者)の存在が是非とも必要なのだ。今回の『卒業論文』では、そのことを実践してほしい。疑問はいろいろな人に投げかけてみるといい。先生だけでなく、学校の仲間や家族や、そのほか誰にでも。そして、授業の中の先生の役割をしてくれるのが書物(参考文献)だ。知識を得なければ、自分の頭で考えることもできない。また、さまざまな参考文献は異なる意見を言い合うクラスの仲間でもある。星の数ほどある参考文献の中から、良き教師を、そして君の意見とは違うことを言ったり、君の意見を支えてくれもする複数のクラスの仲間を見つけてほしい。学校図書室だけでなく地元の図書館も大いに利用し、司書のかたがたにも協力を求めよう。

 

③「他者と出会う」ことから「他者に伝える」ことへ

8年(中2)の夏季行事では、奥阿賀で民家泊をした。東京とは環境の違う農村で、しかも初対面の人のお宅に二泊お世話になった。日常とは異なる場所で、だからこそある戸惑いを感じつつも、民家の人の素朴な人柄に触れ、自分自身の、あるいは自分の置かれている環境を見つめなおすきっかけになった人も多かったように思う。

11月には職場体験があった。民家泊とは違い、お客さんではいられない。中学生であったとしても、その5日間はたしかに「職場の人間」にならなければいけなかった。「ふだんの自分」では通用しない。そもそも「ふだんの自分」とは? はたしてそれは「本当の自分」なのか? 職場体験で自分の新しい面を見つけたという声を何人もから聞いた。

自分を知るためには、自分とは違う人(他者)の存在が是非とも必要なのだ。

そして『卒論』執筆である。今度は自分の考えを文章としてまとめ、他者に伝えるのである。これが3番目の目標だ。そのために、今回は全員の文章を印刷製本する。当然読者は不特定多数を想定しなければいけない。4階の中3の各教室には10年以上前の9年生が書いた『卒業論文集』が置いてある。彼らは自分の書いた文章が10年以上後輩の9年生に読まれ、参考にしてもらえることなどこれっぽっちも考えてはいなかっただろう。でも、文章にして残すということはそういうことである。君のことを全く知らない人に読んでもらうことを想定しなくてはいけない。

「自分とは関係ない人のことなんか知らねえ」と言わないでほしい。他者を意識することが、自分の考えを深めるためのアクセル代わりになってくれる。そして何よりも「自分とは関係ない」と思っていた人に伝わったときほど嬉しいことはないのだ。

相手は、君の選んだテーマに興味を持っていないかもしれない。いや、持っていないと考えた方が賢明だ。知識だって、論文を書く君に比べ、はるかに少ない読者は多いだろう。そのテーマの持つ面白さに気づいていないのだ。そんな相手にどうすれば興味を持って読んでもらえるか。最初の数行を読んだだけでパスされないためには、どんな書き出しをすればよいか。内容がいかに素晴らしくても、読者を馬鹿にしたような書き方をすれば、たぶん読んではもらえないだろう。世の中には上には上がいる。すごい研究者がいることも知らずに偉そうなことを言うのはある意味、恥ずかしいことだ。どうすれば年下の人にもわかりやすく伝えられるか。そこが腕の見せ所だ。

『論文』を書いていく途中では、担当の先生が最良の他者になってくれるはずだ。「何を伝えたいの?」「言葉が難しくて、よくわからない。」「これ、本当に自分の考え? 他人事のような書き方だ。誰かの文章を持ってきただけなんじゃないの?」「ありきたりな考えで、つまらない。」 先生は助言はしてくれても、代わりに文章を作ってくれるわけではない。さまざまな注文がくるだろう。それに、いかに応えていくかが求められる。そのためにも自分から働きかけなければいけない。授業の中での〔先生―生徒〕の関係とは違うのだ。もしかしたら、ある意味反対の関係になるのかもしれない。

 

④一対一で向き合える関係を(「みんな」から「一人の自分」へ )

重松清の短編集『きみの友だち』の中に、次のような一節がある。≪そういう子(嫌な子)はいつだって「みんな」の中に隠れて、にやにや笑っているのだ。/きみ(恵美)は「みんな」を信じないし、頼らない。一人ひとりの子は悪くない。でも、その子が「みんな」の中にいるかぎり、きみは笑顔を向けない。≫

君たちには、場の空気に合わせ、「みんな」から外れないようにふるまう輪郭のない個人ではなく、欠点がたくさんあろうと(人間なんだから当たり前だ)、かけがえのない一人の個人になってほしいと思う。その時はじめて、ただの群れ(一見、仲の良いグループに見えるかもしれないが)ではない、本当の意味での人と人との関係を築いていくことができるのだと思う。頭ではわかっても、実際はとても勇気のいる難しいことだということは分かっている。自分のことを振り返ってみても、偉そうなことは言えない。だからこそ、全員の目標としてこのことを挙げたい。

先日のL.H.R.で、論文のテーマになりそうな興味、関心ごとをクラスごとに発表してもらった。学校での多くの時間を一緒に過ごしている人でも、改めてそんなことを考えていたのかと新鮮な驚きをもった人もいたのではないだろうか。でも、そこから対話が始まる。そんな小さなことが大切なのだ。本当に大切な友だちであるなら、その人が頑張って書こうとしているものにも興味があるはずだ。話を合わせてあげるのではない。全く逆だ。良き他者であってほしいのだ。感じ方は絶対に違う。だからこそ意味がある。論文執筆は、個人の作業であって個人の作業ではない。そのプロセスには、さまざまな他者との出会いがある。ただ、「みんな」の中の自分でいる限り他者とは出会えない。だからこそ完成した文章だけではなく、その途中経過についてもできるかぎりみんなの目につく所に掲示していきたいと思っている。理解してほしい。

また、担当する先生にとってもそんな生徒と語り合うことは楽しいことなのだ。良い時間を作ってほしい。良い空間を作ってほしい。くれぐれも「みんな」で相談に行くことのないように。休み時間や放課後の教室や職員室でそんなやり取りがあちこちから聞こえてくるなら、どんなに素敵なことかと思う。

 

『卒論』資料1 2008.5.7

〔2008年度 9年生 卒業研究〕

生徒全員が、自分のテーマにそって、原稿用紙20枚程度の文章を書き上げる。書き上げたものは全て印刷し、冊子としてまとめる。

その中から数編を選び、学年末に下級生、父母、同級生を対象に、プレゼンテーション(発表会)を持つ。

 

『卒論』資料2 2008.5.7

〔担当の先生について〕

9年生127人一人一人に、担当の先生がついてくれます。担当してくれるのは、一覧表にある中学校のすべての先生です。3人の先生(必ず他学年の先生を含む)から『卒論』のテーマとして見通しがもてるかどうかを判断してもらい、良ければ「卒論相談カード」にO.K.のサインをもらってください。原則として、サインをくれた先生の中から担当を選びます。サインをもらう前にいろんな先生と話してみることができれば本当は一番いいと思います。チャンスを作ってみてください。ただ、どんな先生であっても8人を超えて持つことは困難です。できるかぎり、他学年の先生にもお願いしましょう。提出期限を過ぎてしまった場合は、当然希望通りにならない可能性が高くなってしまいます。

サインをもらうためには、事前に書いてもらった「なぜそのテーマを選んだのか?」の文章と、何よりもやる気を見せなければいけません。もし不十分であれば、あっさりと「サインできない」と言われるでしょう。そこで引っ込んでしまっては意味がありません。なぜ無理なのか、それを知ることが一番の勉強です。そもそも、誰にでもサインする人よりも、なぜダメなのかきちんと説明してくれる人の方が熱心に面倒を見てくれたりもします。言われたことに納得がいくなら再考し、もう一度お願いに行くくらいの気概が必要です。

ただ先生たちは、みんなも知っているように、なかなか時間がとれません。相手の都合も考えず自分の要望を言うだけでは、うまい関係は作れません。これは授業とは違います。お願いして担当してもらうわけです。特に、初めて話をする先生に対しては、「卒論のことで相談したいのですが、少し時間をいただけますか?」「何時にうかがえばいいですか?」といった言葉からすべては始まるのだと思います。

 

〔卒論ノートについて〕
卒論用のノートを全員に配布します。まず、今日配布した資料は全てノートにはってください。これからも適宜プリントを出していきますが、こまめに整理していってください。また、担当の先生との打ち合わせ内容もメモしていきましょう。当然、初めに書いた「なぜそのテーマを選んだのか?」の文章も重要なものです。

また、論文を書いていく過程で役に立ちそうだと思った参考文献は必ず書名・著者名・出版社名を記録しておいてください。後でもう一度調べなおそうと思ったとき大変助かります。それにできあがった論文の最後には参考にしたすべての文献のリストを載せてもらいます。今からそのつもりでいてください。

本当に重要だと感じる資料はコピーしてはっておいてもいいでしょう。もちろん下書きはこまめに書き、担当の先生に読んでもらいましょう。その他、自由にこのノートを活用してみてください。もしかすると印刷された文章よりもずっと思い入れの強いものになるかもしれません。

 

この年、9年(中3)全員の論文の載った論文集が完成し、他薦自薦により選ばれた12人の9年生が「7年(中1)向け」「8年(中2)向け」「父母・9年向け」と3回、パワーポイントを用いてのプレゼンテーションをいちょうのホールで行いました。

(次回に続く)

似顔絵1 - コピー (2)まん延防止等重点措置がさらに延長されました。中学校では期末試験期間が始まりました。卒業式もまもなくです。例年ならば卒業制作の作品に囲まれ、中学生全員で合唱し、さらに卒業生による熱い思いのこもった学年合唱でお開きとなるのですが、今年は合唱することが叶いません。それでも、一生の思い出に残るような卒業式になるよう準備を進めています。

さて、〖ほりしぇん副校長の教育談義〗第35話は、『中3「卒業研究」の実践』の3回目です。

(中学校副校長 堀内雅人)

 

1 中学生の「卒業論文」との出会い(第33話)

2 中学生の「卒業論文」を提案(第34話)

 

3 早稲田中学校の実践

この実践を実現するに当たり、参考にさせていただいたのは早稲田中学校(新宿区)の取り組みでした。私が初めて「中学生の卒業論文」という言葉に出会った、あの学校です。研究テーマを複数の教員に相談しながら絞らせていくことや中間報告の持ち方など細部にわたる実施要項が早稲田中・高等学校の紀要『早稲田―研究と実践―』創刊号(1971年)に報告されていました。何度か私も早稲田中学校に足を運び、貴重な資料をいただくとともに、学校全体として取り組むことについての困難さを含めた当時のお話をうかがうことができました。中学生に論文を書かせる学校というのは、まだまだ少ない時代でした。

前掲の紀要の中で私は、早稲田中の3年学年主任(担任)会が奇しくも私達と同じ大月、嵯峨塩鉱泉で学年初めの合宿研究会を持ち、卒業論文を書かせるという取り組みが提案されたのを知ります。もう一つ、驚きがありました。この早中の実践について当時明星学園小中学校の教頭であった無着成恭氏の否定的な意見が紹介されていたのです。この試みの実質的な牽引者であり、報告者でもある国語科の小山荘司氏は、「『卒業論文』というやや誇張のひびきをもつ名称や、われわれの意図に反して新聞、テレビ等ジャーナリズムのメディアに媒介された独特の印象のために、若干真意を誤解された面があることは否定できない」としながらも、無着氏の意見を紹介しています。明星学園内での否定的な意見もおおむね氏の意見に通じているところがあるように感じました。そこで多少長くなりますが引用することにします。

 

<テレビに出演した折、アドバイザーとして出席していた無着成恭氏が、最後に「中学生の書いたこのような“卒業論文”―これは(言葉の真の意味での)論文ではありません」というような意味のことを述べ、時間切れのため反論や突っ込んだ討論の場が持てず、大変残念であったことを思い出す。

最近の無着氏の発言から推し測ると、このとき氏が言いたかったのは、次のようなことではないかと想像される。「戦後は生活単元学習などが提唱され、生徒の即自的な興味や生活経験から出発して問題を追究していく方式が盛んだった。その中で、教師の情熱や努力によって、確かに生徒等の自由な想像力・創造性は開花されたが、真の科学的精神は定着しなかったのではないか。今日必要な教育はいたずらに大きなテーマに向かって想像力を振り回させるより、生徒の発達段階にふさわしい、より基礎的な科学の原理・法則性を一つ一つ体系的に教えていくことではないか―」。

むろん、われわれもまた、生徒等の「卒業論文」を、その結果としての作品(論文)自体の価値において評価しているわけではなく、既に、何度も述べたような目的意識をもって、生徒等が一つのテーマに自己をぶつけ、知識の体系の森の大きさに迷いつつも自己発見と自己変革をくりかえす、人間形成の具体的過程(プロセス)そのものにこそ評価の重点を置いていたのだが、この点については討論の機会を失ってしまった。>(前掲紀要「中三卒業論文の試み―その評価をめぐって」小山荘司)

 

ここに紹介されている小山氏と無着氏(小山氏の想像する)の一見対立する二つの意見は、実は教育を語る上で最も重要な2本の柱であると私は考えています。教科教育の基本は<より基礎的な科学の原理・法則性を一つ一つ体系的に教えていく>ところにあると私は思います。生徒の発達段階に応じて、どのような課題系列を作るか、どのような学習材を準備し、共同の学びができるシェーマを用意できるか。仮説・議論・実験・検証・・・。一つの課題を学ぶことが更なる次の課題へと繋がっていく授業の流れ。子どもは、いや人間というものは時代の空気に流されやすいものです。何が正しいことなのか、誰を信じればいいのか、自分の頭で考えているようで、知らず知らずのうちにその時代の、その場の空気に同調していきます。<科学的に>ものを観る眼を育てることは、ますますこれからの時代にも必要性を増していくことでしょう。

しかし、それだけで十分であると考えるのはあまりに理想主義的であるようにも思います。目の前にいる生徒を見る時、彼らが必要としているものが<目的意識をもって、生徒等が一つのテーマに自己をぶつけ、知識の体系の森の大きさに迷いつつも自己発見と自己変革をくりかえす、人間形成の具体的過程(プロセス)そのもの>にあることを一方で強く感じます。おそらく無着氏もそのようなことは人一倍感じていたはずです。にもかかわらず、マスコミの切り取りはわかりやすい二項対立を求め、人はその関係性の中で語ってしまいます。

前者と後者、どちらが正しいかといった問題では無論ありません。教員にとって大切なことは、この二つの視点を持っていることだと思うのです。二つの視点を持ったうえで、今不足しているのはどの部分なのかを感じる感性、そのことを意識したうえで、目の前にある取り組みの目標をどこに置くのかを決めることです。

 

両者の考えを浅くとらえるとき、わかりやすい対立の構図が浮かび上がってきます。「それでは、教師中心の授業じゃないですか。生徒が積極的に意見を言っていても、所詮教師に動かされているだけですよね?」「目の前の課題を考えているだけで、それが何の役に立つのか、何のために勉強しているのか生徒には見えてこないですよね。それで主体性というものは育つのですか?」

別の立場の人は逆にこんな質問を投げかけるでしょう。「それで力はつくのですか? 勉強した気になっているだけなのではないですか? 義務教育の時代には全員が学ばなければならないことがあるはずです。そもそも、学校で学ぶ意味は何ですか?」

これらが表面だけの批判であることはご理解いただけるでしょう。不十分な実践を互いに批判すればこのようなことになります。本当はどちらが正しいかではなく、生徒にとってはどちらも必要だと思うのです。

小山氏が<時間切れのため反論や突っ込んだ討論の場が持てず、大変残念であった>と感想を述べておられるのは、まったくその通りだと思います。表面的な部分ではなく、生徒の成長や認識という観点から、深く議論を掘り下げていくとき、必ず共通理解する地点へと降りていくことができると思うのです。

しかし、教育論というものは、いかに提唱者が深い思考を重ねていても、それが広がっていくうちに二項対立的な議論へと矮小化されていきます。分かりやすい議論はマスコミにも取り上げられ、一般の人たちの話題にもなっていきます。経験主義か系統主義かという問題もそうです。浅い意味の「経験主義」と同じく浅い意味の「系統主義」は互いに、いくらでも批判の言葉を述べ立てられるでしょう。

あれだけ持ち上げられた「ゆとり教育」が学力低下を招いたということで、短期間のうちに否定されていったのも同じことです。マスコミに取り上げられ、評論家が分かりやすい切り口で発言します。賛成か、反対かを分かりやすい資料を用いて説明します。その資料が確かなものか、分析の仕方におかしなところがないかは問われません。世論が形作られ、教育政策にも影響を及ぼします。あるいは、先行する教育政策に表面的で分かりやすい部分において追随する解説が生まれます。国の教育政策が変更され、検定教科書が改訂されるたびに、教育現場は右往左往させられます。

そもそも、「わかりやすい」という言葉は曲者です。本当に大事なことはそれほど単純ではありません。学力とは何を指すのでしょうか? 教えたことをどう評価することができるのでしょうか? 中学生にどのような力をつけ、どんな大人になってほしいと願っているのでしょうか? もちろん、これが正解といった答えのある問題ではありませんし、それを押し付けられるようなことはとんでもないことです。しかし、その一つの正解のない問いに対して、一人一人が誠実に考え続けることこそが大切だと思うのです。そして、考える前提となるのが学校での日々の実践であり、目の前にいる生徒の姿なのです。さきほど本当に大事なことはそれほど単純ではないと言いましたが、このような意味で使うならとても単純なことだと言い直すこともできます。どんな立派な教育学者や教育評論家の先生方も現場の先生以上に現場を見ることはできません。現場の教員は彼らの主張に真摯に耳を傾けつつも、自らの感性、生徒を観る眼を鍛え、自ら考えるべきだと思うのです。(次回に続く)

似顔絵1 - コピー (2)今日の午前中、今年度の9年(中3)『卒業研究発表会』が行われました。例年なら1月に学内向け、保護者一般向けと2日間にわたって実施されるのですが、1月は感染者数の急増により延期、本日学内向けの発表会として実施しました。保護者の方には録画したものをYouTubeとして限定配信することになっています。

〖ほりしぇん副校長の教育談義〗では、ちょうど前回から中3「卒業研究」の実践について語り始めました。第33話の『中学生の「卒業論文」との出会い』につづき、今回は『卒業論文』を提案する前後のお話をしたいと思います。26年前のことになります。

 

2 中学生の『卒業論文』を提案

 

1996年3月、大月の嵯峨塩鉱泉に新9年(中3)スタッフが集まりました。中学校の最終学年をどう過ごさせるか、泊まりがけで学年の構想を練るためです。前年度の学年主任が退職したために、急遽初めての学年主任となった私は、学年スタッフに呼びかけ、7人全員が集まりました。そこで話し合われたテーマの一本の柱が『卒業論文』への取り組みでした。

明星の授業は一時間の授業を大切にする。しかし、目指すものは一時間の中で完結するわけではない。それぞれの教科の授業実践の先にある子どもたちの姿について語り合いました。自分の興味あること、疑問に思うことを他者に語りかけ、さらに自分の考えを文章にまとめる。そうすることで他者と深くつながってほしい。本当の意味の「自由」というものはこのようなプロセスをとおして獲得できるのではないか。学年全員の賛同を得て、この取り組みは始まりました。

生徒に要求したのは次の4点のみです。

・自分の興味、関心のあるものの中から研究テーマを見つけ、3人以上の先生にその思いを語り、研究テーマとしてふさわしいかどうか、アドバイスをもらう。

・全員が原稿用紙30枚以上の論文を期日までに書き、冊子としてまとめる。

・「なぜそのテーマを選んだのか」(まえがき)と「卒論を書き終えての感想」(あとがき)を自分の言葉で読者に伝わるようにしっかり書く。

・自分の文章と他の研究論文の引用をはっきり区別し、参考文献を正確に記す。

 

生徒からは次のようなテーマが提出されました。

アメリカの黒人差別/宗教の差別について/グレン・グールドについて/ウイルスとは何か/水の神秘/ピーテル・ブリューゲルについて/兵馬俑について/江戸から学ぶこと/演劇の発生と本質/オーパーツと謎の遺跡/連立政権について/「自由」が持つ意味/グリム童話の残酷性について/自分の考えは幼いか?/孫子の兵法について/シカン文明について/いじめと心理/悪魔崇拝と犠牲/光源氏をめぐる女性たち/第二次世界大戦時のプロペラ飛行機・・・・・・

 

そこには我々の予想をはるかに超える興味、関心の広がりがありました。休み時間の生徒同士の会話に

も変化が見られました。職員室に一人で相談に来る生徒の姿も日常の風景になりました。文章を書く力をつけさせることがこの取り組みの趣旨ではない。いかに教師が良き聞き手であるかが問われました。

問題は160人の生徒にどのように書かせ、冊子として完成させるかでした。中学校部会では反対意見も多く出されました。「まずは、授業を大切にしないといけない」「自分の好きなことをやればいいというのはどうか?」「そんなものは、卒業論文とは言えない」しかし、全員がこの学年の取り組みを尊重してくれました。中学校のすべての教師が卒論の担当教師として数名ずつ生徒を見てくれることになったのです。印刷は国分寺の鳥塚印刷にお願いしました。ページ数がどれくらいになるのかもわからない。見積もりの取りようもない状態でした。そんな中、この取り組みに賛同してくれた鳥塚氏は親身に相談にのってくれ、一つ一つ形になっていったのです。できあがった原稿を送るたびに、鳥塚氏からは具体的な感想が返ってきました。彼は最初の良き読者であってくれたのです。

1997年2月3日、ついに9年生全員の論文が載った『卒業論文集』ができあがりました。クラスごとに4分冊、総計2630ページ、厚さにすると13センチメートルを超える大作です。責任者であった私は『卒業論文集』の最初のページに「卒業論文集に寄せて」と題し、次のように書きました。

 

〈一つの論文を書くということは、けっして容易なことではない。もし締め切り日というものがなかったら永遠に書き終わらないものなのかもしれない。文章を書くことで新たな疑問が生まれてくる。自分の考えの浅さが露呈する。自分自身と否が応でも向き合わざるを得ない。しかし、どこかで折り合いをつけ、決着をつける。そこに現在の自分が表明され、そこにこそ新たな可能性が潜んでいる。

中学校を卒業しようとする今、君たちは僕たちが差し出したこの困難な課題に対し、それぞれの解答を全員が提出した。正直、期待以上のものである。

なかには、あまりに難しいテーマを選んでしまい、途中で投げ出してしまいそうになった人もいただろう。また、自分の思っていることの半分も表現できず、悔しい思いをしている人もいるかもしれない。しかし、この論文執筆にかけた時間、悪戦苦闘の経験は何ものにもかえられない、君たちの財産である。そのことをこそ誇りにしてほしい。

君たちは、これからも自分の道を切り拓いていくことだろう。人生にはいくつかの節目がある。人はそこで過去の自分と決別し、別個の世界へ入っていく。そんなとき、もう一度この論文集を手にしてほしい。きっとこの4冊の分厚い冊子が、ただの記念文集ではなかったことに気づくにちがいない……。〉

(『1996年度卒業論文集9年1組』「卒業論文集に寄せて」堀内雅人)

 

論文集の完成した後、鳥塚氏から次のような提言がありました。「ここまでやったのだから、父母から感想をもらったらどうだろうか。幸い、表紙に使った紙が余っている。費用をかけずに、それをまとめた小冊子を作ることができる。」お言葉に甘えました。卒業式当日の呼びかけだったにもかかわらず、32名の父母の方から直接、あるいは封書で感想をいただきました。ここでは、その一部を紹介させていただきます。

 

・脱帽。子供がいつの間にか自立していたようです。卒業論文を書くということを聞き、我が息子に限って言えば、どうせろくに調べもせず、文の大半を引用で埋める程度のものを提出するくらいに思っておりました。論文集を手にし、その量には先ず驚きましたが、さしたる期待もせず、パラパラとめくっておりましたが、あれあれ、おやおや、何だこれはという次第です。彼等彼女等が自分自身で考え、自分の言葉で表現しているではありませんか。子供に対する認識の甘さを痛感し、親の子離れを促されている様に感じました。(吉田明生)

 

・論文をみて、まず驚かされるのは、その選ばれたテーマの多様さである。身近な事柄からスポーツ、旅行、異国、科学、音楽、未来etc。生徒の数だけさまざまなテーマが選ばれている。一人一人が15歳という大人への橋を渡りはじめた今の、最も興味のあるものや体験や夢が、背伸びをしたり、稚拙だったり、素直だったり、と生徒一人一人の性格と個性が行間から感じ取られる。おそらく15歳の彼等は、やっと親の庇護から抜け出し、自分なりの生き方や考え方、そして社会や他者への接し方を形作ろうとしている門口にいるにちがいない。その世代の節目の時に、自らの心に刻まれた事柄や、興味を持った事柄について彼等なりに書籍や資料にあたって掘り下げ、一万語に近い言葉を論としてまとめあげたことは、これからの彼らにとって大変意義深いことのように思う。体験が経験に昇華し、夢に若干の現実が加わり、興味にそれなりの知識の援護がもたらされるに違いないと思われるからだ。卒業論文は壮挙であると思うが、それ以上に課題が生徒一人一人に委ねられた自由課題であったことと、その自由課題という困難さと一人の脱落者も出さずに生徒に応えさせた先生方のご努力と、それを支える学園の気風に心よりお礼を申し上げたい。そして生徒一人一人の努力に拍手を贈りたいと思う。(岩崎芙代子)

 

また、この年明星に講演に来られた当時都立大学総長であった山住正巳氏から、次のような言葉をいただきました。「子どもたちの選ぶテーマがおもしろいね。本当に発想が豊かだ。1セット、総長室におかせてくれないかな。学生と面談をするときに使わせてほしい。」ありがたい言葉でした。

 

翌年の新中3年スタッフの中でも、その実施に当たっては賛否が半ばしたようです。「卒業論文の前にやらなければならないことがある」「指導の方法がない」「論文という名称がおかしい」「趣旨は分かるが、論文にこだわることはないのではないか。」しかし、学年担当者の熱意もあり前年度と同様の取り組みを行うことが職員会議の中で決定しました。

以後、9年生(中3)では実施形態は当該学年に任されているものの、「卒業研究」をとおして中学校の教員全員がそこにかかわることが確認されました。ただし、年により目標、ねらい、形態はまちまちでした。模索の時期です。ただ、どの教員も生徒の可能性を開こうとしていたことは確かです。目の前にいる生徒の姿をどうとらえるか。教科の授業との連携をいかに考えるか。教員個々の教育観、生徒を観る眼が問われます。なかなか一致はしません。にもかかわらず、『卒業研究』に取り組むという一点においては一致しました。教員にとっても、自由が与えられていました。試行錯誤できる主体性を持つことができました。だからこそだと思うのです。生徒の成長する姿、たくさんのドラマを見ることができました。(次回に続く)

似顔絵1 - コピー (2)〖ほりしぇん副校長の教育談義〗は、今回(第33話)から『中3「卒業研究」の実践』を特集します。本校では中3の1年間、自ら立てたテーマ(問い)について調べ、自分の考えをまとめるという実践を続けています。今でこそこのような取り組みは、様々な学校で行われているようです。しかし、1985年度の中3で初めて実践したときは、ある驚きをもって受け止められました。「なぜ中3に卒業研究なのか?」「どのような発想からこのような実践が生まれたのか?」「時間割にはない大掛かりな取り組みをどのように実現するのか?」「教科教育との関係は?」「生徒に対するサポートはどのようにするのか?」試行錯誤の連続でもありました。

でも、そのような課題にしっかりと向き合うことは、目の前にいる15歳の子どもたちのリアルと向き合うことでもありました。〖ほりしぇん副校長の教育談義〗第3部は、中3「卒業研究」を通し、中学生の姿、それに向き合う教員の姿をお伝えできればと思います。

 

Ⅲ 中3「卒業研究」の実践

 

1 中学生の『卒業論文』との出会い

 

私の勤務する明星学園中学校では、1996年度より現在に至るまで25年以上にわたって、中学3年生を対象に『卒業研究』に取り組んできました。この間は、試行錯誤の連続でもありました。しかし、校長を含め、学年所属を問わず中学校の教員全員が協力して指導に当たること、一部の生徒ではなく、全ての生徒一人一人に光が当たり、達成感の得られる取り組みを目指すという一点においては、まったくぶれずに歩んでこられたのではないかと思います。

自分でテーマを決めて、原稿用紙30枚以上の『卒業論文』を書くということでスタートした本校の『卒業研究』は、現在、卒業論文を書き一冊の本として製本すること、研究したことをお客さんの前で全員が一人ずつプレゼンテーションを行うこと、この二本の柱で定着しています。

まとまったレポートを書いた経験の少ない生徒にいかに文章を書かせたらよいのか、それぞれの教員は頭を悩ませてきたことでしょう。教科の授業と『卒業研究』をどう結びつけるか、教科サイドとしては常に頭から離れない課題だったのではないかと思います。「論文の書き方」の類の本は、世の中にあふれています。あるフォーマットを与えると、ある一定の水準の論文(レポート)ができあがることは理解できます。しかし、多くの生徒が同じような形式で、「全体的には悪くはないし、むしろ良く指導されている感じもするけれど、なんか、面白さがない! 個性がない!」と言われるような取り組みにはしたくないという思いを多くの教員が持っていました。かといって、すべて生徒に任せるなら、一部の個性あふれる作品ができあがる反面、自分で論文の完成にいたることができず、締め切り間際に何とかやっつけ仕事で提出だけ済ます生徒が出てきてしまうことになるのです。

そのような意味で、どこまで生徒に枠を作ってあげるかということは、目の前にいる個々の生徒をどう認識しているかによって変わってきます。それをマニュアル化したときに、大切な何かが抜け落ちてしまう気がするのです。と同時に、目の前の生徒に対しては明確な指示も必要です。ただそれは、一般化できるかどうかは分かりません。常に未完成です。未熟な実践を未熟な教員集団がどうすればより良くできるかを考え続けた20数年でもありましたし、この試行錯誤は終わることなく、教育という場の中では継続されていくことなのでしょう。

このブログでは、「論文の書き方」「プレゼンテーションの仕方」といったことについて多くは述べません。その分野については、多くの文献が用意されています。ここでは、「卒業論文」「プレゼンテーション」の取り組みを、どのような思いで生徒たちに実践しようとしてきたのか、それに対して生徒たちはどのように応え、一人一人のドラマが生まれているのか、評論家でも学者でもない現場の教員の立場から紹介することができればと思います。

 

私が明星学園中学校の教員になってから10年ほどが過ぎたころです。卒業生を3回ほど送り出し、国語の教員としても担任の役割も一通り経験し、本来なら自分の力を学校現場で大いに発揮しなければならない世代になっていました。にもかかわらず、どこか私の中にはもやもやしたものが大きくなりつつあるのを感じていたのです。本当にこれでいいのだろうか。

それは端的に言うと、教員である私と生徒との関係であり、また生徒同士の関係性の問題でした。教員の役割とは何だろうか。学校の役割とは何だろうか。本校の教育理念は『自由平等・個性尊重・自主自立』です。自由とは何だろう。自由と平等は果たして両立するものなのだろうか。個性とは教育で育てるものなのか。単なるわがままとはどう違うのか。自立している人間とはどのような人間をさすのか。自主自立と共同性はどのような関係でとらえればいいのか。

私にとって幸福だったのは、このような問題について語る同僚がいたということです。先輩の先生たちも自分の考えを一方的に押し付けることなく、禅問答のような言い回しで、考えるためのヒントになるようなことをつぶやいてくれていたことを記憶しています。実は、性急に答えを求めようとしないそんな雰囲気が、今の私を作ってくれているような気がします。

生徒の保護者の方からもさまざまな質問をもらいました。「国語というのは何を教える教科なのですか」「なぜ国語という教科名なのですか」。けして授業者である私を責める言い方ではありません。一緒に考えようという姿勢だったのです。まだ経験の乏しい私には、その質問の深い意味については恥ずかしながら理解してはいなかったはずです。ただ、それらいくつもの問いかけが40年近くたった今でも、その時の映像とともに、よみがえってきます。

ある日のこと、私のクラスの女子生徒の生活面の指導のためにお母さんに来てもらい面談をした後のことです。「先生!うちの娘の良いところはどこですか?」と、にこっと笑った彼女の表情。不意の質問にどぎまぎしてしまい、とっさに何も答えることができなかった自分。ゆっくり考えればいろんな話ができたろうに、そう思っても後の祭りです。今でもその場面を思っては、胸の痛みを感じます。それからです。生徒を厳しく指導しなければならないときこそ、まずその生徒の良い面を意識したうえで事に当たるようになりました。

こんなこともありました。保護者会の後、なぜか「先生!これ読んでみて!」と心理学者アドラーの本を数冊渡してくれたお母さん。どの人も私に性急に答えを求めたり、感想を求めたりはしませんでした。そのためかもしれません。私はそれらの問いを自分の中に持ち続け、常にそれを意識し、考えるようになったのだと思います。

ある時のことです。二人のお母さんが私のところへやって来て、こんなことを言いました。「明星学園の先生たちは、授業の研究を熱心にして、面白い実践をたくさんしているのは分かります。それなのに生徒が活躍するアカデミックな行事ってないですよね。生徒の主体的な行事といえば運動会があるけれど、それだけでいいのでしょうか?」私にはその時、すぐにその場で返答する言葉はありませんでした。でも、それは私自身が一番感じていたことでもあったのです。

その時突然浮かんだのが「中学生の卒業論文」という言葉でした。実は、この言葉を初めて聞いたのは私の高校時代の友人からでした。彼の数年上の学年が中学3年の時、学年全体で取り組んだというのです。今から50年近く前のことです。テーマ名を聞くと、大学生のそれと見まがうばかりでした。もちろんその時はただそれだけのことでした。ただ、偏差値の高い中高一貫校の中学3年生だからこそそのようなことができるのだろうと一種の羨望を交えながら思っていただけです。それが十数年たったその時よみがえってきたというのは不思議なことでした。

本校の場合は、小中高一貫校でありながら進学実績で生徒を集めるような学校ではありません。受験のための勉強ではなく、一人一人の生徒の成長にとって何が必要かを本質的に考えていこうとする学校です。偏差値の輪切りではない多様な生徒が存在しています。それでいて私自身、学校の理想とするところと現実のはざまで悩んでいるときでもありました。二人のお母さんからの質問を受けたとき、この生徒たちにこそ卒業論文の取り組みが必要なのではないのかと感じたのです。もちろん、何をどうすればこの取り組みができるのかそのノウハウも自信もありませんでした。このアイディアを同僚に話すまで1年半ほどかかってしまいました。

なぜ彼らにこの取り組みをさせたいと思ったのか、それは彼らの日常を見ていてのことでした。ほとんどの生徒が内部進学する明星学園において、中学校3年生での特別な受験勉強というものは必要ありません。公立中学校の生徒にくらべて、自分の時間はたっぷりあるはずです。クラブ活動に熱心な生徒もいました。夢をもって、習い事に打ち込んでいる生徒もいました。しかしその一方で、せっかくの時間を持て余しているように見えた生徒も少なからずいました。下校時間ぎりぎりまで何の目的もなく過ごしている。私はおしゃべりが無駄だという気持ちはまったくありません。むしろ中学校時代、一見無駄に思えるような時間の必要性を感じます。ただ、彼らの様子を見るにつけ、本当にそれが楽しいのかな? 本音で語り合っているのかな?と思うことがしばしばあったのです。それでいて、その一人一人の中には興味関心やこだわりがしっかりあり、テストの成績の良し悪しとは関係なく、豊かな可能性のようなものを感じていたのも事実です。ただ、総じて自信がない。心に秘めているだけで学校では話していない特技のようなものもある。なんてもったいないのだろうと思いました。日常の会話を超えて、「自分はこういうことが好きなんだ。」「私は昔からこういうことにずっと疑問を持ってきたんだけど、どう思う?」「みんな当たり前にしていることだけど、よく考えるとおかしくない?」「なぜ・・・なんだろう?」そんな言葉が生徒同士の間で、生徒と教員の関係の中で飛び交うようになったなら、なんて素敵だろうと思いました。そして、生徒への働きかけさえうまくできれば明星なら絶対にできるだろうとも確信したのです。(次回につづく)

この度、「ニッセイ緑の財団」様より、「明星学園の木のしおり」「樹木名プレート等」のセットをご寄贈いただきました。しおりには明星学園小中キャンパスの樹木の代表ともいえるプラタナス・ケヤキ・クスノキ・クヌギ・トチノキ・ホオノキ・モッコク・サルスベリがその説明とともにカラーで掲載されています。生徒全員に配布、各クラスのLHRを使って、折り畳み式のしおりが完成しました。

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小中キャンパスには約40種、60本以上の樹木があります。造園でお世話になっている担当の方にキャンパスを歩きながら1本1本樹木の話を伺ったのですが、とても楽しい時間でした。樹木名プレートは中央委員の有志の生徒達が樹木名を記入し、しゅろ縄で設置するところまで担当してくれました。樹木の名前を知ると、急に愛着がわきだすのも不思議です。

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新しい発見もたくさんありました。「クヌギ」「コナラ」「トチノキ」のドングリの違い。異なる形のドングリがたくさん落ちていることにふだん気づいていながら、それ以上観察しようなどと思っていなかった自分が急にスマホ片手に調べ始めるようになりました。名前を覚えるということは、その木をしっかりと観ることなんですね。新学期、少しでも早く生徒の名前を覚えることが大切だということともつながるのだなと思います。

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赤い実が房になって、とても美しい姿を見せてくれたのは「イイギリ」。美術室の裏の目立たないところで毎年秋にこんな鮮やかな姿を見せてくれているのです。中学校職員室前、グラウンドとの境には何本もの樹木が並んでいますが、美しい黄葉を見せてくれているのが「コナラ」の木。ごつごつとした樹皮も特徴です。

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グラウンドの管理棟側で堂々とした姿を見せてくれている「いちょう」の木。「プラタナス」と並んで、明星の顔ともいえる樹木です。樹木名プレートは中学校校舎側の樹木への設置が終わり、しだいに小学校側へと広げているところです。プレートを見つけたら、是非立ち止まって見上げてほしいなと思います。

 

☆「木を知る・自然を知る~①『木工』の授業開き」は、こちらから!

(中学校副校長 堀内)

 

似顔絵1 - コピー (2)〖ほりしぇん副校長の教育談義〗第32話は、前回の「数学の授業」—『「中1で学ぶピタゴラスの定理」―「?」から「!」へ』の続き(その2)です。是非一緒に課題に挑戦してみませんか? 発見の面白さを体験していただけるのではないでしょうか。突然今回の課題2に挑戦し、頭を抱えてしまった人は前回の授業(課題1)から始めてみてください。前回の課題で考えたことを使いながら次の課題に取り組むという課題系列の流れの一端を感じていただくことができるかもしれません。

 

 

4 数学の授業―『中1で学ぶピタゴラスの定理』―「?」から「!」へ <中1‐1学期の実践>(その2)

 

課題2

サイズの異なる2つの正方形を裁ち合わせて、一つの正方形を作りたい。さて、どう切ってどう並べ替えればよいでしょうか。

 

 

 

 

 

 

生徒たちは必死に鉛筆を動かし、悪戦苦闘します。でも、なかなか正解を見つけられません。生徒のノートを見ると、その跡がはっきりと残っています。

 

 

生徒たちが必死に格闘している姿が感じられます。ある時間経過した段階で先生は次のようなヒントを与えます。「裁ち合わせパズルです。A・B・C・Dのどれかのタイプならできるかもしれません。」

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生徒は配られた厚紙をハサミで切り、今度は手を動かしながら裁ち合わせがうまくいくかどうか格闘を始めました。「Aはできないけど、B・C・Dなら正方形になる!

 

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「では、B・C・Dのうち、どれが一番シンプル(かんたん)だろうか?」先生の質問は続きます。実際に手を使ってピースを動かしてみると分かることがたくさんあります。Bは、B1・B3・B5の3枚のピースを動かすだけで正方形になります。しかも、B3とB5は切らずに移動させることができので移動回数は2回です。Cも、C1・C2・C3の3枚のピースを動かせば正方形ですが、ピースを3回切って3回動かすことになります。生徒たちは意見交換の末、Bが最もシンプルであると結論づけます。

 

課題3

下の図の2つの正方形を裁ち合わせて、1つの正方形を作りたい。裁ち合わせパズルのBタイプの裁ち合わせ線の仕組みを見つけて、下の図に裁ち合わせ線を書き込みなさい。

Bタイプの裁ち合わせ線の仕組みについて、生徒はある法則を見つけようとします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ポイントは点Pの位置です。彼らはこんな発見をしていきます。「辺EF=辺BPになるように点Pをおく」「辺AB=辺EPになるように点Pをおく」「辺APと辺FPは同じ長さだ」「∠APFは直角になっている」

その上で、最もシンプルに、そして正確に裁ち合わせ線を引く方法を選びます。分度器よりもコンパスの方が点Pを特定しやすいようです。ただ、生徒のノートによれば、裁ち合わせた正方形が本当に正方形なのか、「実験」ではなく「理屈」で説明することが求められていきます。それが課題4になっています。ここでは「三角形の合同条件」を使うことになります。そしてついに私が授業の最初だけ参観したあの日の課題になるのです。

 

課題5

面積が13cm2の正方形を作図しなさい。

 

みなさんはもう作図できるでしょうか。もし分からなくても、あのときN先生の言った「4・9・13」という数字のヒントでピンとくるはずです。そして面積13cm2の面積を作図するだけなら余分な線分を消しても良い、むしろその方がシンプルであることを発見します。

 

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ここまでくればピタゴラスの定理「直角三角形の直角をはさむ2辺の2乗の和は斜辺の二乗と等しい」につながっていくであろうことは予想できます。ルート数の導入の位置づけともなるでしょう。直角をはさむ辺の長さがそれぞれa・b、斜辺の長さがcである直角三角形があるとき、a2 + b2= c2。それ自体はとても単純なことです。しかし、なぜそうなるのかはよく分かりません。それでも問題集の問題を解くことには大きな障害とはならないでしょう。定理とは発見した人が素晴らしく、後の人はそれを使わせてもらえればいいのかもしれません。しかし、中学生にもその発見の喜びを少しでも感じてもらいたい、探究することのすばらしさを味わってほしい。そんな思いを感じる実践でした。

我々にとって最も身近な図形の一つである正方形を裁ち合わせすることを通して、それまで見えなかった世界が見えてくる。数学でも国語や美術と同じキーワードが出てきました。ものの見かた(視点)と世界の切り取り方です。もちろんテストのために勉強するということも現実問題として避けられない面もあるかもしれません。しかし先人が発見した多様な「ものの見かた」を獲得することこそ、教科教育における最上位の目標であることに間違いはないでしょう。そしてこれからの新しい時代、単なる知識ではないこのような力こそ、ますます必要になってくるに違いありません。

 

*国語科教員による数学の授業ルポのため、一部正確さに欠けている点があるかもしれません。その場合はご容赦ください。

 

(中学校副校長 堀内)

 

 

似顔絵1 - コピー (2)昨日、D日程の中学入試が無事終わり、今年度の入試が終了いたしました。コロナ関連の欠席は一人もおらず、万が一のために予定していた追試も行わずにすみました。

毎年この時期に思うのは、入試がゴールではないということです。たまたまご縁のなかった受験生もいます。それはけして自分を否定するようなものではありません。もちろん不合格通知は残念であり、悔しいことでしょう。でも、大切なのは切り替えて新しい道を歩みだすことです。4月から通う自分の居場所(学校)が一番大切な場所なのであり、大好きな場所になるように保護者の方にはお子さんを支えてあげてほしいなと思います。

さて、〖ほりしぇん副校長の教育談義〗第31話は、前回の「美術の授業」に続き「数学の授業」についてです。参観者と一緒に教室を回ることが多いのですが、そこでは様々な発見があります。

 

4 数学の授業―『中1で学ぶピタゴラスの定理』―「?」から「!」へ <中1‐1学期の実践>

 

確か数年前の6月のことだったと思います。コロナなどという言葉がまだ聞こえていない時でした。受験希望者で学校見学に訪れた方を案内していました。中学校校舎をまわりながら廊下から教室の中の中学生の様子を見てもらっています。2階の廊下に出てみると扉の開いている教室があります。せっかくなので教室の中に入ってみました。中1の数学の授業です。

「『cm』は、何を表す単位ですか?」 ― 「長さ!」

「『c㎡』は、何を表す単位ですか?」 ― 「面積!」

「では、4c㎡の面積の正方形を作図できるね? 9c㎡の正方形はどうかな?」

先生が作図するための用紙を配ると、早速生徒は作業に取り掛かります。その様子を見ながら私たちは教室を後にしました。

次の休み時間のことです。授業者のN先生から声をかけられました。「もう少し見ていてくれたらよかったのに!」 どうも私たちが見たものは授業の導入で、小学生でもできる問題だというのです。実は、この授業での本当の課題は、「13c㎡の正方形を作図しなさい」というものだったようです。格段に難しくなります。2乗して13になるのは…と、計算を始めてみました。3と4の間。3.6と3.7の間。実は生徒もそういう計算を始めたそうです。中にはもっと先まで計算する生徒もいるというのです。そんな生徒に授業者は、「でも、そんな細かい数字を作図できる定規はないよね!」と言います。私も頭を抱えました。

先生は生徒たちに次のようなヒントを与えたそうです。「4・9・13という数字で、何か気づくことはないかな?」私には見当がつきません。ただ、中学1年の教室では必ず誰かが気づくと言います。「これを使えばいいのか!」教室の中でだれが最初に気づくのか。たぶんその発言で多くの生徒が「?」から「!」に変わっていくのでしょう。

そこで私は、N先生にそれまでの授業のノート記録を見せてくれるように頼みました。そして「なるほど!」と思うわけです。実はこの授業の数時間前に、以下のような授業があったのです。ここではその一部を紹介したいと思います。

 

課題1

同じ大きさの2枚の正方形を切って、すき間が空かないように並べ替えて、一つの正方形を作りたい。さて、どう切ってどう並べかえればよいでしょうか。

 

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生徒は配られた紙に補助線を入れていきます。特に難しい問題ではありません。でも、ノートを見ると生徒から出てきた考えは5種類もありました。「簡単な問題だ!」と私も補助線を入れ、それで済まそうとしていたのですが、5種類の考えを眺めながら「?」、頭が動き始めるのを感じます。生徒から出てきた考えは次の通り。発表者はなぜそれが正方形になるのかを説明できなければなりません。

 

<生徒の考え>

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ここから議論が始まります。まずは、ウに対して反論があがりました。説得力のある説明をしなければいけません。答えが合えばいいということではありません。次のように小さな正方形に1~32の数字を書き入れた上で説明が始まりました。

 

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「小さな正方形を何枚か使って大きな正方形を作るためには、縦の枚数と横の枚数が同じである必要がある。たとえば2×2=4(枚)、3×3=9(枚)、4×4=16(枚)というように。でも、同じ数×同じ数で32になる数はない。だからこの方法では大きな正方形にはならない。」

 

次は、オについての反論です。裁ち合わせをすると正方形の四隅が欠けてしまいます。ウやオに賛成した生徒はごくわずかですが、なぜ間違いなのか言葉で説明することも大切な学習なのです。

続いて、エへの反論です。こちらは、正方形の四隅に紙片を置くことはできます。でも、ぴったりとははまりません。なぜでしょうか? 「四隅に置かれた四角形は正方形ではありません。1辺は大きい正方形の五分の一、もう一辺は四分の一、だからはみだしてしまう。」

 

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アとイには、反論はおこりませんでした。ただ、イよりもアの方が断然シンプルであることに当然のことながら気づきます。実際にハサミで紙を切って確かめてみます。

 

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これは実は次の課題のための導入の課題でした。

 

課題2

サイズの異なる2つの正方形を裁ち合わせて、一つの正方形を作りたい。さて、どう切ってどう並べ替えればよいでしょうか。

 

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生徒たちは必死に鉛筆を動かし、悪戦苦闘します。でも、なかなか正解を見つけられません。生徒のノートを見ると、その跡がはっきりと残っています。そのプロセスこそが生徒を知的に育てます。

 

皆さんなら、どのように考えますか? 続きは次回のブログでご紹介します。

 

(中学校副校長 堀内)

12月21日、読売新聞が主催する中高生向けの英語セミナーに明星学園の8年生(中2)4名、9年生(中3)2名の計6名が参加してきました。講演してくださったのは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日代表を2020年まで務めていたドイツ出身のダーク・へベカーさん。質疑応答を含めすべて英語で行われた約1時間半の講演の様子は、1月14日付の読売中高生新聞でも紹介されました。

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講演はある一人の少女がわずか1年のうちに難民となってしまう様子を描いたショートムービーを紹介するところから始まりました。予想もしなかったようなことが世界のあちこちで子どもたちの身に現実として起きていることを紹介した上で、UNHCRとはどのような組織でどのような活動をしているのか、へべカーさんご自身の体験や実例を紹介しながらお話ししてくださいました。
世界規模の問題を目の当たりにさせられた中高生に向け、へべカーさんはいくつかできることを紹介してくださいました。言語を学ぶこと。できれば英語に加え、あまりメジャーでない言語を身につけることが望ましい。理論だけでなく現場で使える実務的な能力(農業の知識、栄養学の知識、など)を身につけること。広い視野で世界で起きていることに興味を持ち続けること。そして自分の心の声を聞き、学校でなくてもいいので自分が学びを得られると思うところに常に身を置くこと。

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難しい用語も多く登場した講演会でしたが、中学生たちは熱心にメモを取りながらお話を聞いていました。質疑の時間では9年生(中3)のカーターさんが難民の受け入れに関する質問をしました。それに対しへべカーさんはバングラデシュにロヒンギャの人々が大量に流出した際にまず最初に彼らを受け入れたのは国連などの国際組織や政府でもなく地元の人々であったこと、世論が反難民になるのは政治家が人気を得るために仕向けている面もあると話しました。
参加した中学生にとって直接現場を知る人から話を聞き、世界で起きている問題を身近に感じることのできる貴重な機会となりました。

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☆ヘベカーさんと記念撮影をしていただきました。
☆以下、英語セミナーの記事が掲載された『読売中高生新聞』。中断右側の写真で質問をしているのは本校の中3生です。

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似顔絵1 - コピー (2)明後日の2月1日より中学校の入学試験が始まります。オミクロン株による感染拡大が続き、不安な日々ではありますが、受験生の皆さんは入試に向け、一生懸命努力されていることと思います。

本校でも教室や共有部分の消毒、換気、次亜塩素酸空気清浄機の設置等、感染防止対策を強化し、安心して受験してもらえるよう、準備しております。受験生の皆さんにはいろいろご不便をおかけしますが、体調に十分留意し、試験当日、元気にお会いするのを教職員一同、楽しみにお待ちしています。

 

さて、〖ほりしぇん副校長の教育談義〗第30話は、「美術の授業―『一本のビンを描く』―ものの見方を教える」<中1‐1学期の実践>です。

 

本校では、定期的に一つの授業を教員全員で参観し、検討会を持つ「授業研究会」を実施しています。他の教科の授業を知る機会でもあり、自分の教科との共通点を感じる絶好の場にもなっています。

その日は7年(中1)の美術、授業者はY先生です。明星の美術の授業では、「見て描く」「イメージを絵にする」「模様・デザイン」の3つの領域が用意されていますが、そのうちの「見て描く」=『一本のビンを描く』が今回の課題です。中学校に入学して最初の教材です。一般的な美術の授業では「見たとおり描けばいいんです」という指示がよく出されます。その実、立体を平面にうつすことは生徒にとってなかなか困難なことです。うまく形をとれない生徒の絵を称して、「そう見えるんだから」「その子の個性を尊重して」という言い方をする人たちがいます。また、それとは全く反対の立場に立ち、「技術指導」の重要性を述べる人たちがいます。しかし、明星の美術の授業を見ていていつも思うことは、「見る眼」を育てているということです。

その時の授業を参観していて驚いたのは、例年になく正確に形の取れている生徒が多かったことでした。自分の描いている絵を友達に持ってもらって、少し離れたところから実際のビンと比較している生徒がいます。≪ビンを描かせると、子どもたちはしばしばラベルは四角、ビンの底は平ら・・・と、目の前にあるものを観察した結果ではなく、それぞれが知っていること、思い込んでいることを描いていく(Y)≫ そのような思い込みから自由にさせることが「見る眼」を育てるということなのでしょう。そのためにはどんな働きかけをし、何を意識させ、自ら気づくようにさせるか?

私はその授業の工夫をこんな風に感じました。 ①ビンをいろんな方向から、たとえば真上から、真横から、斜め上からといったようにことあるごとに意識的に観察させている。 ②等間隔に数本の輪ゴムをはめた透明の円柱パイプを用意し、目の位置(視点)によって輪ゴムがどのような形になるかを観察させている。 ③影を描かせることで、光の方向を意識させる。 そして何よりも「やるな」と思わされたのは、生徒の描いている絵の裏に細かなコメントの書いてある付箋が貼ってあったことです。美術の授業では当然生徒は個人的なアドバイスを求めます。授業者は必死にそれに対応しますが、1人の教師に30人以上の生徒、どんなに頑張っても生徒の不満は残ります。Y先生は、次の授業までに全員の生徒にコメントを書いていると言います。

 

ここでも「視点」という言葉が出てきました。十数年前になるでしょうか。私には忘れられない二つの作品があります。その前に少し説明させていただくと、毎年9年(中3)美術の卒業制作のテーマは『都市を描く』です。生徒は自分なりの都市を描きます。街に出てさまざまな写真を撮る生徒がいます。これはと思う雑誌の記事を切り抜き、スケッチブックに貼っている生徒もいます。そうして出来上がった作品は、卒業式の日、会場となる体育館に木工・工芸の作品とともに展示されます。そこに貼り出されていた2枚の絵、どちらもホームレスの段ボールの小屋を描いたものでした。ちょうど10代の少年によるホームレス襲撃の事件が問題になっていたころだったでしょうか。1枚の絵は、高台から見たホームレスの段ボール小屋の立ち並ぶ風景。もう一枚は、段ボールの小屋の中から見える、街中を足早に通り過ぎていくサラリーマンや学生の足。彼は、実際に段ボール小屋を作り、その中に入って街を観察したそうです。同じ段ボール小屋を描きながら、異なる二つの視点の絵です。前者は、現代日本の格差社会を描いています。後者は、何が普通なのか、何が正常なのかの批評を含んでいるように私は感じました。

絵がうまいというのは、どういうことでしょうか。だれもが画家を目指すわけではありません。しかし、正確にものを観る力、現実世界を複数の視点から切り取る力はだれにとっても必要なのです。自由に自分の人生を生きる上で、なくてはならないものだと思うのです。そのための技術指導が必要なのです。目的と手段を混同してしまってはいけません。

 

昨年の卒業式、卒業生全員の卒業制作『都市を描く』がいつものように貼り出されました。その中の一枚の絵に目がとまりました。電車の車内の光景です。座席シートに腰を掛けた学生やサラリーマンはみな一様にスマホを見続けています。そんな中、一人の小さな男の子だけが後ろ向きに膝をつき、窓の外を眺めています。周りの大人たちは全くの無関心です。男の子の眺めていた窓の外には、何とも美しい夕焼けが見えていたのです。

(中学校副校長 堀内)

新型コロナウィルスの感染拡大は想像を超えるものがあり、いつ、だれが感染してもおかしくない状況です。家庭内感染も多く報告されており、とりわけ入試を控えているご家庭での不安は想像に難くありません。また、本人が陽性でなくても家庭内で陽性者が出た時、家族は濃厚接触者として判断され、ほぼ自宅待機が伝えられます。もし条件に該当し、当日の受験ができない受験生につきましては、別日(2月19日)での受験に対応いたします。
こちら新型コロナウィルスによる特別対応をご覧ください。

 

また、「無症状の濃厚接触者に対する特別措置」を今回ホームページ上にアップいたしました。
「無症状の濃厚接触者」で陰性が証明でき、条件に該当する受験生(A~D日程)は、2月4日(金)、別時間(午前中)の振り替え試験を受けることができるようにいたしました。
詳細は、こちらをご覧ください。

 

安心安全の入試を実施することを第一に考えること、一方でコロナウィルスによる感染・濃厚接触者となってしまったことにより受験機会を失う受験生にいかに寄り添えるかを考えました。しかし本校は教室数も少なく、入試に関われる教員の人数も限られています。そのような中、可能であると考えた対応となります。ご理解いただければと思います。

(中学校副校長 堀内)

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