スクリーンショット (24)卒業生インタビュー動画第3弾をお届けします。中学校時代は社会のこと、将来のことさまざまなことを考えつづけていたという中島くん。じっくり思考をめぐらすにはうってつけだったという木工室を中心にインタビューを受けてもらいました。

 

 

明星学園中学校卒業生動画 第3弾

中島佑太郎

明星学園中学校(2009年卒)、明星学園高等学校卒業後、横浜国立大学に入学。在学中に20歳で起業。起業と同時に京都へ移住。大学に在籍しながら会社経営を続ける。横浜国大は8年かけ、昨年卒業。現在は会社経営の傍ら、MBA取得を目指し、社会人大学院で学ぶ。更なる夢に向かって歩き続けている。

本橋a本橋b本橋d

8月27日(金)、東京オリンピックで銀メダルを獲得した女子バスケットボールの本橋菜子選手が母校である明星学園を訪れ、さらに三鷹市役所を表敬訪問しました。
市長公室において本橋選手の挨拶、河村三鷹市長の挨拶等の後、記念撮影がありました。すると全館に放送が入り、3階の市長公室を出ると、中央階段を通って1階に降りていく廊下・階段にその日訪れていたたくさんの三鷹市民の方々や三鷹市役所の職員の方々が3階から1階までを埋め尽くし、本橋さんは盛大な拍手の中、1階中央階段まで下りました。そこで立ち止まると、「高校3年間を過ごした三鷹のみなさまにこのようなご報告ができたこと、大変うれしく思います」と挨拶をしました。
外に出ると、ミニバスをやっている小学生や中学生に銀メダルをまじかで見せてあげたり、一人一人にサインをしてあげていたのがとても微笑ましく感じました。

三鷹市のホームページでも取り上げていただきました。こちらをご覧ください。

弓道優勝

8月27日(金)に行われた第72回東京都中学校弓道大会(都大会)において、男女とも団体戦で決勝に進出、女子(佐々木・鎌田・杉山)が見事、優勝に輝きました。

また、個人戦でも佐々木さんが2位の活躍を見せてくれました。

今後の活躍がますます楽しみになっています。

 

 

似顔絵1 - コピー (2)

日々感じる中学生の姿、中学校での学びについて考える連載〖ほりしぇん副校長の教育談義〗第9話目をお届けします。本校では『この人に会いたい!』という特別授業があります。社会で生き生きと活躍されている方を招き、中学生にお話をしてもらいます。私自身も大きな刺激を受けます。今日のテーマは、二人のフォトジャーナリストさんとの出会いから生まれたものです。

(中学校副校長 堀内)

 

9 表現するということ

 

人間は、表現する生き物です。表現することで人とつながっていきます。しかし、それは話がうまいとか行動力があるということのみを言うわけではありません。さりげない表情やちょっとしたしぐさの中に、その人らしさが表れるということは誰もが認めることでしょう。むしろ、表面的なパフォーマンスは、本来の自分とは違った情報を人に与えてしまいます。自分をよく思われたいという気持ちが、逆にマイナスに働いてしまうわけです。「ウソのない自分」をどのような形で人に伝えることができるか、ここでも自分と向き合う力が問われます。と同時に多様な表現の仕方があることを学ぶことも学校教育の大切な役割の一つでしょう。

文章で表現するという方法もあります。自分の声で、あるいは楽器を演奏することで表現することもできるでしょう。身体表現も重要な方法です。絵を描くこと、折り紙を折ること……。このように挙げていけば、まだまだ出てくるはずです。

でも、自分には得意なものが何もないという人もいるでしょう。いや、ほとんどの人がそうなのだと思います。だから悩みます。しかし相手に伝えたい、でもうまく伝えられないと悩むことこそが相手を思いやる想像力へとつながるのだと思います。表現するとき、そこには伝えたい相手がいるはずなのです。伝えたい自分の気持ちにウソはないか? 伝えた時、相手は何を感じるだろうか? この困難さに向き合うことこそが大切なのではないでしょうか。けしてテクニックではありません。そしていくつもある表現方法の中から、自分を最も素直に表現できる方法を見つけることができたら、こんな素敵なことはないだろうと思うのです。

 

数年前、中2の特別授業に、あるカメラマンさんが講演にやってきてくれました。2011年東北大震災後の「復興の狼煙ポスタープロジェクト」で注目を浴び、その後もテレビ・雑誌・新聞広告など幅広く活躍されている方でした。

「なぜひとはひとの写真を撮るんだろう?」朴訥とした語りの中で、そんな質問が生徒に向けられました。何十枚というひとの写真がスクリーンに映し出されます。生徒たちはポカンとしています。今度は写真でないひとを表現した作品が再びシャワーのように次から次へとスクリーンに映し出されました。「その人の一番大事にしている部分を撮りたい。自分の撮った写真がその人にとって大切なものになるように撮りたい。」彼は震災後の東北を歩き、一人一人了解を取った上で撮影を続けました。そして撮ったものを直接その人に手渡すことを実践してきたそうです。写真を撮り、手渡すことで力になりたい。「でも、それは自己満足だろうか?」

彼は今回の講演のために、再び東北を訪ね、撮影に協力してくれた方々を訪問し「あの時写真を撮られて、どのように感じましたか? 写真が届けられたときどんな気持ちでしたか?」そんな質問を繰り返したそうです。その時の写真を大切に仮設住宅の壁にはっているおばあさんがいました。「昔の写真はみんななくなっちゃったから。」「あのとき、自分が身につけているものが私のすべてでした。家においてあったものは何一つなくなった。リップクリームがなかったのがつらかったな。ゼロからすべてが始まったの。」

「喜んでくれている人は確かにいた。でも全員ではなかった。一人だけ、あの頃のことを思い出す写真はもう見たくないのと、つぶやいたおばあちゃんがいました。これが今日みんなに一番伝えたかったことです。写真は人を元気にさせることができる。でも、時にそれは凶器にもなる。人の心を踏みにじる残酷な道具にもなる。」自分のしていることはただの自己満足なのではないか? 相手を傷つけてはいないだろうか? そう謙虚に自問する彼の姿から表現者とは何かというようなことを感じさせてもらいました。

 

現在、中学生でもふつうにスマホを持ち、かんたんにSNSで人とつながれる時代になりました。簡単に写真を撮り、アップすることができます。ラインやツイッターで自分のつぶやきを発信することで、簡単に自分を表現することができるわけです。ただその時発信者は、誰を思って発信しているのでしょうか。それが拡散されたとき、どのような事態になるのかどこまで想像できているのでしょうか。

表現することのすばらしさを言うとき、その危険性を伝えることの大切さを今だからこそ思います。彼は講演会の後、「実は、今本気で学校の先生になろうと思って勉強しているんです!」と話し始めました。たしかに学校の先生は、常に目で見ることができ直接話しかけることのできる生徒を相手にしています。でも、我が身を振り返るとき、教員生活の中でよかれと思って生徒にかけた言葉や無自覚さがどれだけの生徒を傷つけてしまっていたであろうかと考えることがあります。怖ろしいことです。私に直接には返ってこない生徒の姿です。

表現というのは特別なものではなく、生きることそのものなのだとも思います。人を傷つけることなしに生きていくことはできません。しかし、そのことに無自覚になった時に大きな過ちを犯してしまうのではないか、自分のことはさておいてそんなことを時々思います。自分にウソをつかない。相手を思う想像力、これが基本なのだと思います。

別の機会に、ある著名なフォトジャーナリストの方とお話しする機会がありました。震災の後少しでも喜んでもらいたいと、その人の一番素敵な笑顔の写真を撮り、でも一人だけ喜んでもらえなかったおばあちゃんの話をしてくれたカメラマンさんの話をしました。彼女はこう答えました。「今はそうかもしれない。でも、5年後、10年後、それは変わっているかもしれない」。彼女はにっこりと微笑みました。

即座にそうきっぱりと言い切ることのできる裏には、彼女もまたこの問題について深く考え続けている表現者なのだと僭越にも感じました。誠実さと強さ、どのような職業においても自分と向き合い、そして自らの仕事と向き合っているか、それが生きることへの前向きさに繋がっていくのだと思います。

理科の授業

先週配信しました卒業生動画の中で、山崎さんが哲学研究を志すきっかけとなったと語っていた中学校の理科教育。「科学は対象に対して仮説を立てて実験、検証する知の体系です。」

明星学園中学校の理科教育を紹介するコンテンツ『小さな科学者を育てる理科教育』はこちらから。

似顔絵1 - コピー (2)日々感じる中学生の姿、中学校での学びについて考える連載〖ほりしぇん副校長の教育談義〗第8話目をお届けします。2回にわたり「自由」について考えてきました。今回は「中学生にとっての自立」の問題を考えます。この時期は親としてのギアの切り替えの時期でもあり、親子関係を再構築するチャンスともなります。

 

 

8 自立とは何か

 

中学生という時期はわけもなく大人や社会に対してイライラする時期でもあります。自立したい。でも、自分一人で行動する自信はない。もう30年近く前のことになるでしょうか。職員室にいると、ある先生が教室から戻ってきて「授業にA君が出ていないんだ。探してくれないか?」と言われました。その生徒はいつも不機嫌そうな表情をしていて、気になる生徒として職員室でもしばしば話題になっていました。私は、一人でいられそうな場所に見当をつけ、探し始めました。

思ったとおり、彼は校舎裏の非常階段に一人座っていました。彼は一瞬身構えたような表情をしました。私は、ただ叱って教室に戻しても意味はないだろう。それよりも仲間とつるんで授業をさぼるのではない彼に興味を持ちました。思わず彼の背中を見る形で階段の4、5段上に腰を下ろしていました。沈黙がありました。少し落ち着いたのか彼は振り返り、私を見上げながら思いもよらないことをつぶやきはじめました。「ほり先さあ…、地図があれば行ったことのない場所にだって行けるじゃん…。でも…、人生の地図ってないのかなあ…。自分が生きたいように生きられる、人に指図されてではなく、自分でそれを見つけるための地図……」。たどたどしくはあっても、何かを一生懸命考え、心の奥底から絞り出すような言葉でした。私の心に深く突き刺さりました。自分自身で自分の人生を考えるとき必要となる「人生の地図」、中学校の教員にとって、国語の教員にとってそれはいったい何なのか、教員を続ける限り常に考えなければならない私の大切な課題となりました。

彼は問題行動を繰り返しながらも、ずるいことをするような生徒ではありませんでした。国語の授業もしっかり聞いているようには思えませんでした。いつも眠そうにしていました。にもかかわらず、魅力的な生徒でした。その時、私がどんな言葉を彼に返したのか全く覚えてはいません。ただ、たまたまその時読んでいた村上龍の単行本を渡したことだけは覚えています。彼はしばらくの間その本をいつも離さず手にしていたのです。

中学校を卒業した後、彼とは音信不通となりました。ところがそれから数年後、突然仲間と一緒に中学校の職員室を訪ねてくれました。彼は仲間の後ろの方に隠れるように立っていました。すると別の卒業生が話を振ってくれました。「ほり先!村上春樹の新作読みました? Aのやつ、村上春樹の作品のことなら何を聞いても分かるよ!」するとA君は「おれ、村上龍より春樹の方が自分にすごくあっているって気づいた」、中学校時代とは全く違う、はにかんだような穏やかな表情でつぶやきました。近況を聞きながら、弱弱しいながらも、素の自分と向き合い、確実に自分の足で一歩を歩み始めた彼を見ることができました。

 

心理学者の河合隼雄さんは、思春期を「さなぎ」の時期と呼びました。堅い殻に閉じこもってしまって、周りからは何を考えているのかよく分かりません。本人でさえ自分のことが分からない。でも、内的には実に大きな意味のある変化が起こっているのです。

私たち教員は、性急な表面上の変化を求めがちです。しかし、殻を自分で破る前に、おとながその殻を代わりに破ってあげようなどというおせっかいをしてしまうと、子どもの成長は阻害されてしまいます。かといって、放任してしまえば愛情は伝わりません。さなぎから蝶が生まれるのを信じながら、いかに辛抱強く見守れるか、教員にとっても親御さんにとっても精神力が試されます。

 

先日のことです。中3卒業研究の中間報告会に保護者ボランティアの皆さんがやって来てくれました。ある生徒が「学校の役割とは何か」というテーマでかんたんなプレゼンをしました。「現代はネット上で様々な授業が受けられる。学校では気の合わない人とも一緒にいなければいけない。時にいじめや同調圧力の問題も起こる。個別指導で学び、自分の個性を伸ばそうという人たちも出てきている。にもかかわらず、私は今の学校の形にこだわりたい。学校には教科の勉強だけではない、大切な学びがあるのではないか。それを自分の言葉でまとめていきたい。」具体例を挙げながら、そんな趣旨の発表でした。

少しの間があった後、あるボランティアの方がとつとつと話し始めました。「『脱皮しない蛇は亡びる』という言葉があります。哲学者ニーチェの言葉だったかと思います。みなさん、蛇の抜け殻は見たことあると思うのですが、実際の蛇の脱皮は命がけで、ごつごつした木の幹や岩石などに自分の体を巻き付け、身をくねらせながらやっとの思いで殻から体を引き抜くのだそうです。何もない水槽に入れられた蛇は脱皮できず、脱皮できない蛇は亡んでしまうというのです」。

その瞬間、教室はシーンとなりました。生徒一人一人の表情からは何かを深く考えている様子が見て取れます。学校の中において「ごつごつした木の幹や岩石」とは、何を指しているのでしょうか。人間において「脱皮」とは、いったい何を意味するのでしょう。「やわらかなもの、つるつるなもの」を求め、「ごつごつしたもの」を危険なものとして遠ざける現代日本社会の問題もあるかもしれません。

自立には勇気が必要です。時に痛みを伴います。失敗を恐れていては、自分の足で歩き始めることができません。「失敗させないように、傷つかないように」が優先される社会とは、ごつごつしたものを取り除いた水槽の中のようなものともいえます。小さな傷や痛みを経験することこそが、致命的な傷を負わない最良の方法だと思うのです。だからこそ学校は意味のある失敗を尊重する場でなくてはなりません。

 

人は一人では生きていけません。一人ですべてできることが「自立」ではありません。もしそれを「自立」というなら、そんな人間は存在しないでしょう。人間にはだれにも得意不得意があります。分からないことは、「教えてください!」と言えること。教えてもらったら感謝の気持ちを伝えられること。その代わり、自分のできることは誰かのために教えてあげられる。このような関係の中で生きていくことが「自立」なのだと思います。そのような意味で「自立」は、多様な集団の中でこそ確立されます。「教えて!」「ありがとう!」、こんなかんたんな言葉が実は、自立するためのキーワードになっていきます。

しかし、思春期の時期というのはなかなかこの言葉が出てきません。恥ずかしい。馬鹿にされるのではないか。人の眼が気になります。自信のなさは、時に人を傷つける言葉になって現れたりします。コンプレックスは、時にぞんざいな物言いになって現れます。自分の思いは相手に届きません。それどころか全く違った形で相手に届いてしまいます。「どうせ自分なんて」が口癖になったりします。孤立を感じます。「自意識」のなせる業です。

そんな時こそ、視点を変えて周りを見てみましょう。いかに狭い世界しか見ていないかに気づきます。自分と同じことで悩んでいる人がどれだけ多いことか。「ありがとう」という場面がどれだけたくさんあることか。そういうことに気づいた時、世界が全く違ったものとして見えてくるようになります。こういう時期には考えてから行動するよりも、まずは行動してみること、行動してから考えることも必要です。そのことで他者に出会うことができるからです。

他者に出会うことは、自分に出会うこと、つまり自立することへとつながります。私は「さなぎの時期」の生徒にはできるだけたくさんの刺激をシャワーのように浴びせてあげたいと思っています。それはすぐに結果の出る類のものではありません。全員が同じように感じる必要もありません。そのうちの一つでも蝶として出てくるための力になってくれればと思います。そのようなことを思いながら、中学校における教科外の活動を構想しました。具体的には、後の章でご紹介します。

(*これで明星学園の教育理念である「個性尊重」「自主自立」「自由平等」について具体的な生徒の姿を通しながらお話したことになります。次回は「表現するということ」、8/28配信予定です。)

本橋

応援ありがとうございました。

バスケ史上初の銀メダルを獲得することができとても嬉しく思います。すてきなチームメイトや応援してくださったたくさんの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。

この貴重な経験を今後に生かしていけるようこれからも頑張ります!

(本橋菜子:2011年度卒)

 

 

オコエ

 

オリンピックで銀メダルを獲得することができました。

沢山の方々の応援やサポートのおかげです。本当にありがとうございました!

時間がある時に、銀メダルをもって学校に行きたいと思います! これからも応援よろしくお願いします。

(オコエ桃仁花:2016年度卒)

先週の12日、朝日小学生新聞紙上で明星学園中学校の教育を取り上げていただきました。安田教育研究所の安田理氏による『安田先生注目の中学校教育ルポ』。

≪…つい最近ある保護者から「明星学園が行っていることっていちばん先を行っていませんか?」と言われた。どういうことだろうか。…≫
こんな文章で始まります。

大正自由教育の流れの中で誕生した明星学園は、あと3年で100周年を迎えますが、時代がどのように変わろうとも一貫した姿勢を保ってきました。外からの眼で明星学園を見たとき、明星の魅力は何なのか。内にいるとなかなか気が付かない視点もあります。安田先生の言葉に恥じないよう、教職員一同、これからも教育実践を進めていきたいと思います。どうかご一読いただければと思います。

『安田先生注目の中学校教育ルポ』はこちらから。

(中学校副校長 堀内)

スクリーンショット (14)卒業生インタビュー動画第2弾をお届けします。山崎さんは中高6年間、アンサンブル部に所属。哲学を研究しようと思ったきっかけは中学校時代に出会った理科の授業にあったとか。

本校の卒業生を見たとき、教員や研究者を目指すものが多いのも一つの特徴かもしれません。

 

 

明星学園中学校 卒業生インタビュー2-YouTube

◇山﨑かれん
明星学園中学校、明星学園高等学校を卒業。中高6年間、アンサンブルクラブに所属。その後、慶應義塾大学に進学、哲学を学ぶ。さらに東京大学大学院に進み、心の哲学や形而上学を研究。現在、博士課程3年。この4月からは日本学術振興会特別研究員として研究活動に励む傍ら、本校7年(中1)『哲学対話』の授業を担当して2年目となる。

 

 

高校和太鼓部が東京都代表として『第45回全国高等学校総合文化祭(紀の国わかやま総文2021)に参加しました。

和太鼓1

大会初日の8月3日の3番目、部員たちは今までの成果があらわれた渾身の演奏を披露することができました。8月5日の夜、総合文化祭のホームページ上で結果発表があり、残念ながら入賞することはできませんでしたが、全国大会の舞台に立つまでの経験から、子どもたちはまちがいなく大きく成長しました。その姿を見ていただくことが、これまで関わって、支えて、応援してくださった皆様への恩返しになるのではないかと思っています。そして子どもたちにはあの舞台に立てたことに誇りをもってほしいと思います。

 

和太鼓2

遠征先でもたくさんの方々にお世話になりました。特に練習場を提供してくださった和歌山市立加太小、中学校には感謝しきれないほどの多大なご協力をいただきました。

12年生(高3)はここで引退となりますが、10、11年生(高1・2)はすでに8月25日に関東大会を控えています。これからも変わらず、応援よろしくお願いいたします。

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