似顔絵1 - コピー (2)日々感じる中学生の姿、中学校での学びについて考える連載〖ほりしぇん副校長の教育談義〗第12話は、「迷惑をかけることの大切さ」です。

「人に迷惑をかけないように!」確かに正論です。ただ、そのことを気にするあまり、せっかくの成長のチャンスを逸してしまうこともあるのです。

(中学校副校長 堀内)

 

12 迷惑をかけることの大切さ

 

先日、中学2年生が取り組んでいる1週間の「職場体験」の報告会が行われました。下級生や保護者を前に、パワーポイントを用いながら自分たちが体験し、感じたことを発表するのです。お忙しい中、職場の担当の方も見えてくださっています。

報告会が終わった後、一人の職場の方が私のところに来てこうおっしゃいました。「昔から毎年報告会を見せてもらってきたけど、ここ数年本当に発表が上手くなりましたね。今年もとても良かったです。それにそれを聞いている7年生の態度がとてもいいですね。」この言葉自体嬉しかったのですが、その次の言葉にハッとさせられました。「ただ、少し物足りないところがあるんです。先生方、生徒たちに職場に迷惑かけないようにって指導していませんか? 私たち職場の人間は迷惑かけられるのがいやなら、中学生を引き受けたりしませんよ。もっと迷惑をかけてくれていいんですよ」

ここでいう「迷惑をかける」というのは、頑張っても思うようにできないことに対してです。わからないことがたくさんある、あたりまえです。中学生が一人、大人の世界に、プロとして仕事をしている職場に入っていくわけです。足手まといになるのは当然です。そんなとき、どうするか。その職場の方は、どうせ迷惑をかけるなら、「教えてくださいって言っていいんだよ。助けを求めていいんだよ」ということこそ生徒たちに伝えてもらいたいことだとアドバイスをしてくださいました。教えてもらうというのは恥ずかしいことではありません。一人で何とかしようとするのではなく、素直に助けを求めると、そうすることでたくさんのやさしさに出会えます。(逆に誰かに助けを求められたとき、その時は自分が誰かの力になってあげてください。)人が困っているのを笑っているような人こそ寂しい人間、かわいそうな人間だと思います。完全な人間なんて一人もいません。その職場担当の方はこんなふうにも言っていました。「現場の人間は、中学生に質問されたり教えたりする中でいろんな発見をしたりして元気になっていくんです」。

 

この「迷惑をかけてもいいんです」という言葉、実は今から35年前にも聞いたことがあり、今でもその時の情景が浮かぶ言葉だったのです。今から35年前、私が明星学園の教員になる1年前のことです。私はある私立の高等学校で非常勤の国語科の講師をしていました。1学期も半ばを過ぎたころ、高校1年生の男子生徒が職員室にやってきました。明星の職員室とは全然違います。職員室にいる生徒というのはほとんど、先生に呼ばれたか、叱られる生徒でした。そんなピリピリとした雰囲気の職員室、そんな中へ高1の男子生徒が担任の先生のところにやって来てこう言ったのです。「先生、相談してもいいですか。友だちができないんです」。まだ20代前半だった私は、少しびっくりしました。高校生がそういう相談をするのかという意外性、と同時にまだ未熟ながらも教員になっていた自分としては、もしこういう相談をされたら、どう答えるだろうと考えながらその先生の言葉を待っていました。その先生はたぶん20代後半のまだ若い兄貴的存在の先生でした。その先生がこう言ったのです。「お前は、もっとまわりのやつらに迷惑をかけていいんだよ」。その時私は、ただ「えっ」と思い、真意を測りかねていました。人に迷惑をかけないようにすれば友だちができるというのならわかりやすい。でも、逆です。その時の私にはまだ正しくそれを理解できていなかった。でも何か深いものがあるなと感じた。今になればすごくよく分かるのですが。

もちろん、職場の人に迷惑をかけてもいいというのは、遅刻したり約束をすっぽかしたりということではありません。それは人間として大人だろうと子どもだろうと、守らないといけない大前提です。でも多くの生徒はそういう最低限のことはできるようになっています。その上で何が大切かということです。世の中、わからないこと、できないことはたくさんあります。あたりまえです。そういうとき、人に頼っていいんだよということです。わかったふりをする必要は全くない。そのかわり自分にも得意なことはある。そのときこそだれかの助けになってあげてください。

似顔絵1 - コピー (2)一昨日お届けした数学の授業紹介。その中で明星学園中学校では、中1の1学期に「ピタゴラスの定理」を学ぶとお伝えしました。けして先取り学習ではありません。ではなぜ教科書の中3で扱う教材を中学校に入学して間もない1年生を相手に行うのか? ちょうどその単元を参観したときのレポートをお届けします。

 

 

◇数学の授業―『中1で学ぶピタゴラスの定理』―「?」から「!」へ <中1‐1学期の実践>

数週間前のことです。受験希望者で学校見学に訪れた方を案内していました。中学校校舎をまわりながら廊下から教室の中の中学生の様子を見てもらっています。2階の廊下に出てみると扉の開いている教室があります。せっかくなので教室の中に入ってみました。数学の授業です。

「『cm』は、何を表す単位ですか?」 ― 「長さ!」

「『c㎡』は、何を表す単位ですか?」 ― 「面積!」

「では、4c㎡の面積の正方形を作図できるね? 9c㎡の正方形はどうかな?」

先生が作図するための用紙を配ると、早速生徒は作業に取り掛かります。その様子を見ながら私たちは教室を後にしました。

次の休み時間のことです。授業者のN先生から声をかけられました。「もう少し見ていてくれたらよかったのに!」 どうも私たちが見たものは授業の導入で、小学生でもできる問題だというのです。実は、この授業での本当の課題は、「13c㎡の正方形を作図しなさい」というものだったようです。格段に難しくなります。2乗して13になるのは…と、計算を始めてみました。3と4の間。3.6と3.7の間。実は生徒もそういう計算を始めたそうです。中にはもっと先まで計算する生徒もいるというのです。そんな生徒に授業者は、「でも、そんな細かい数字を作図できる定規はないよね!」と言います。私も頭を抱えました。

先生は生徒たちに次のようなヒントを与えたそうです。「4・9・13という数字で、何か気づくことはないかな?」私には見当がつきません。ただ、中学1年の教室では必ず誰かが気づくと言います。「これを使えばいいのか!」教室の中でだれが最初に気づくのか。たぶんその発言で多くの生徒が「?」から「!」に変わっていくのでしょう。

そこで私は、N先生にそれまでの授業のノート記録を見せてくれるように頼みました。そして「なるほど!」と思うわけです。実はこの授業の数時間前に、以下のような授業があったのです。ここではその一部を紹介したいと思います。

課題1

同じ大きさの2枚の正方形を切って、すき間が空かないように並べ替えて、一つの正方形を作りたい。さて、どう切ってどう並べかえればよいでしょうか。

生徒は配られた紙に補助線を入れていきます。特に難しい問題ではありません。でも、ノートを見ると生徒から出てきた考えは5種類もありました。「簡単な問題だ!」と私も補助線を入れ、それで済まそうとしていたのですが、5種類の考えを眺めながら「?」、頭が動き始めるのを感じます。生徒から出てきた考えは次の通り。発表者はなぜそれが正方形になるのかを説明できなければなりません。

<生徒の考え>

 

続きはこちらをどうぞ。

(中学校副校長 堀内)

数学

明星学園では7年生(中1)の授業が「ピタゴラスの定理」から始まります。検定教科書では中3で扱うことになっています。けしていわゆる先取り学習ではありません。生徒は紙とハサミ、鉛筆、三角定規などを使い、必死に考えます。公式は与えられるのではなく、自ら発見する道筋をたどります。生徒の認識に合うように三年間のカリキュラムが作られています。詳しくはココロコミュEASTのコンテンツ「数学は哲学だ!自由な発想で物事をとらえる明星学園の数学の授業」をご覧ください。

(副校長 堀内)

バド女子

三鷹市種目別少年少女スポーツ大会バドミントン競技において、本校から28名の生徒(中1・中2)が出場しました。
200名を超える参加者の中から本校の生徒14名が見事上位入賞を果たしました。

今年度もコロナウィルス感染症の予防対策をしながらの活動で、選手にとっては十分な練習はできていません。
その中でも、大会には出場しない9年生(中3)の有志5名が引っ張ってくれたこともあり、この結果に繋がりました。

詳細はこちら(部活動ニュース)から。

似顔絵1 - コピー (2)

日々感じる中学生の姿、中学校での学びについて考える連載〖ほりしぇん副校長の教育談義〗第11話は、「プロセスの大切さ」です。結果だけを追い求めるとき、人生にとって本当に大切なものを失ってしまうように思います。人間にとっての幸せとは何かを思います。

(副校長 堀内)

 

 

11 プロセスの大切さ

かつて、評論家の森本哲郎が「思索について」の対談で、「結果ばかりを見ていては、人生の意味はなくなってしまう。大切なのは、そこまで到達する過程なのだ」といった趣旨の話をしておられました。そこで彼は、イソップ物語の中にあるこんな話を紹介したのです。<ある農夫が死ぬときに、三人の息子を枕元に呼び寄せて、「わしは一生貧しかったが、実はお前たちの将来を思って金をためていた。葡萄畑のどこかに、金貨を埋めてある。わしが死んだら、その金貨を掘り出して、三人で分けて何かの足しにするが良い」と言って、息を引きとった。三人の息子は、いいことを聞いたというわけで、夢中になって畑を掘り返した。しかし、いくら掘り返しても、ついに金貨は見付からなかった。ところが、よく掘り返したおかげで、葡萄がなんと例年の三倍も実ったのだ。>

金貨を埋めたというのは嘘だったのでしょう。しかし、宝物を探すために懸命に行動したことで、思ってもいなかった別の宝物を手に入れることができたわけです。宝というものが問題なのではない。宝を探すために行動するその過程こそが人生なのであって、宝は結果的に与えられるものなのだと森本は言うわけです。

 

この寓話を学校教育に引き寄せて考えるとき、そこから多くのメッセージを読み取ることができるように思います。これまで社会は学校に、形として見える教育の成果を求めてきました。それは数字で表れる学力であったり、進学実績であったりするわけです。そのこと自体をことさらに問題だというつもりはありません。しかし、そこに到達するまでの過程(プロセス)の意味をどれだけ大切なものとして捉えてきたのだろうと思います。高度経済成長期はもちろん、現代においてもなお日本社会は、いかにプロセスを短縮できるかを考え、苦労をせず、合理的に、最短距離で結果を得るかに価値を置いているように思います。コインを自動販売機に入れ、自分の思った通りの商品が出てくることを絶対とする空気、少しでも想定しているものと違う結果になった時は、苛立ちを隠せない風潮は、近年ますます強くなってきているようにも感じます。「余裕」「しなやかさ」「柔軟性」といったものの美徳はどこに消えてしまっているのでしょうか。

 

学校における各教科の授業には、当然のことながらその発達段階に応じて理解していかなければならない内容があります。しかし、その結果の部分のみを数字で評価するとき、大切な人生の宝物を見つけるチャンスを逸してしまうのではないでしょうか。授業の本質は、誤解を恐れずに言えば、そこにいたるプロセスのあり方にあると思うのです。それは一見、回り道に見えるかもしれません。しかし、疑問を持ち、悩み、迷い、発見するといった、結果至上主義の立場から見れば無駄にしか見えない、そのプロセスの中にこそ大切なものがあるように思います。

これからのコンピューター社会、自律的な人間として生きていくためには何が大事なのかということを考えます。細切れの知識をたくさん持っていること、テストのためにパターンで覚える学習にどれだけの意味を見つけることができるでしょう。もちろん、全ての学びには意味があります。しかし、それらが人工知能(AI)に取って代わった時、何が残るのでしょうか。

そのような意味で、次期学習指導要領改訂の方針の中に盛り込まれた、「主体的・対話的で深い学び」の実現を目指す授業改善の視点は、大変意味のあることだと思います。しかし、今の教育界を眺めるとき、性急にそれを実現しようとするあまり「アクティブラーニング」という形式が先にあり、それが目的化してしまっているように感じるのは思い過ごしでしょうか。タブレットを使えば、それだけで主体的な授業ができるわけではありません。

 

知識を獲得する過程での「疑問・仮説・対話・気づき」を大切にするということは、けして見た目の美しさにつながるわけではありません。それは時代の流れの中にあって華やかに取り上げられることもなく、ましてブームになるようなことではありません。それは、一人一人の子どもたちの成長としっかり向き合おうとする営みであり、一朝一夕でできるようなことではないのです。

そして、最近耳にするようになった『共同性』という言葉。学校現場において用いられる「共同性」という言葉は、とてもやっかいなものです。それが目的化された時、同調圧力が生まれます。空気を読みあうことが求められます。その結果形の上での美しさが実現されます。そんなひねくれた捉え方をしてみることも、一方で意味のあることだと思うのです。

私たちは、一人ひとりの個性を大切にしたい。ただ、一つ一つの個性は、集団の中で生かされた時、初めて意味を持ち、それが自己肯定感へとつながります。だからこそ、互いの個性を認め合い、生かしあえる共同性を目指したいと思うのです。そのためには、何が必要なのでしょうか。少なくとも形としての美しい結果を求めることではありません。とても困難なことです。それを分かった上で、大きな理想に向かって悪戦苦闘すること、汗水たらして、葡萄畑を耕すことこそが教育だと思うのです。

書道授賞式at日本武道館

『高円宮杯日本武道館書写書道大展覧会』硬筆の部で9年生の住田沙夏さんが日本武道館奨励賞を受賞しました。
また、国語の授業の一環で取り組んだ明星学園中学校には「優良団体賞」が贈られました。
住田さんは、ホテルメトロポリタンで行われた授賞式に出席しました。

日本武道館は、昭和39年(1964)の開館以来、「武道を通して青少年の健全育成」という設立目的に沿って、文武両道の立場から、日本の伝統文化のひとつである書写・書道の普及奨励を図るため、昭和60年(1985)から「高円宮杯日本武道館書写書道大展覧会」を開催しています。「高円宮杯」を最高賞にいただく本展覧会は、名実ともに権威ある全国的な書写書道大展覧会として、今年で第37回を迎えます。

陸上8/27~29日の3日間、駒沢オリンピック公園で私学大会が行われました。この大会は学校対抗戦であり、各種目の1位が8点、2位が7点、・・・7位 2点、8位 1点と点数化されます。全種目の合計点で、東京都の私立学校が争います。一昨年の前回大会の明星学園中学校は男子0点、女子は1点。そして昨年の開催中止を経て、今大会を迎えました。

今年度男子は29点で第4位、女子は34点で準優勝に輝きました。大躍進です。

詳しくはこちらをご覧ください。

似顔絵1 - コピー (2)新学期が始まりました。コロナの収束はまだまだ見えません。本校では対面での授業を継続できるよう、できうるかぎりの感染対策で対応しています。コロナに感染することを防ぐことはもちろん大切です。しかし、人と接することを避けるあまりメンタル面を壊してしまってはいけません。

日々感じる中学生の姿、中学校での学びについて考える連載〖ほりしぇん副校長の教育談義〗第10話は、「孤独の大切さ」です。孤独とどう向き合うか、中学生の誰もが感じることですが、コロナ禍の今、特にお伝えしたいことです。

(中学校副校長 堀内)

10 孤独の大切さ

 

「孤独」と聞いて皆さんはどのようなイメージを持つでしょうか? 寂しい、つらい、理解してもらえない……。マイナスに捉えてしまう人がほとんどのような気がします。しかし私は、あえてここで「孤独」の大切さを述べたいと思うのです。

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ロッチと子羊

明星学園中学校が協力したNHKEテレの哲学番組『ロッチと子羊』が、9月5日(日)14時半~15時に放映されます。生徒の悩みをロッチの二人が聞いてくれ、最後に山口大の小川仁志教授とリモートで結び、悩みを哲学的に解決していきます。「ニーチェ」「エピクテトス」「ディルタイ」といった哲学者の考えがわかりやすく説明されます。

この番組は5月31日に放映されたものですが、後続の番組が放送されるにあたり再放送されることになりました。本校では中1の必修科目として「哲学対話」の授業があります。中2・3、高2(収録時は中1・2、高1)の3人が登場します。収録場所は中学校校舎の教室と廊下です。

コロナ禍の中、来校していただいての学校見学がなかなか難しい状況にあります。この番組で少しでも明星生の雰囲気、校舎の様子を見ていただけたら嬉しく思います。

NHKの番組紹介のホームページはこちらから。

(副校長 堀内)

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