ぼくの冬休みは、夏休みと同様留守番に始まり留守番に終わった。でも冬休みといえば、クリスマスやお正月というイベントもあり、皆がそろう事ができるので楽しみがあり、待ち遠しかった。

心待ちにしていた最初のイベントは、卒業した小学校のクリスマスオペレッタとページェントを見に行けた事だ。妹も裏方の演奏者としてフルートを吹いた。現6年生にも知った顔がたくさんあり、自分の頃を思い出したり比べたりし、校長先生や担任の先生にも会う事が出来、クリスマスをお祝いする事ができて良かった。

そして我が家のクリスマスにはツリーを飾ったりしながら、不思議とウキウキする気持ちに気付かされながら過ごした。

そしてスケート。これは毎年静岡の街の中に臨時でスケートリンクが設置されるもので、いつも

「行こうね」

と言いながら行かずに終わるパターンのところ、ようやく実現した。でも氷ではなく、プラスチックの板で少々がっかり。滑るスペースも本当のリンクに比べればとても狭く、何回か小さい子にぶつかったり、転んだりしながら楽しむ事ができた。

こんなふうに楽しみながらも、年末年始は祖父母の家へ行く為、早く、出来る限りの宿題を終わらせて行こうと、妹と競うかのように取り組むのが恒例だ。ここまで終わっていなければ連れて行かないという、これまた恒例の母からのおどしが、チクリチクリとくる。そんな中、無事に祖父母宅で過ごす事ができた。

祖父はあまりおしゃべりな方ではないが、ボソッボソッと面白いことを言い楽しませてくれる。祖母は、皆で買い物に行く計画を立ててくれたり、皆で美味しい物が食べられるようにと、色々準備して作ってくれる。年末年始は特に、日本ならではの美味しい物が食べられ、有りがたいと思う。皆で楽しい年を迎える事ができ、お墓参りや初もうでに出かけ、新たな一年のちかいを立てたり、元気に頑張れるよう見守ってもらえる事をお願いしてきた。

一月一日には少しの間だけど雪が降った。出掛けた先だったので、静岡では味わえない降り方に、思わず妹ははしゃいでしまい、帽子もかぶらず、髪がびっしょりになり、

「かぜをひくでしょ。新年から。」

と言われる始末だった。

冬休みは夏のように長くはないが、このようにイベントが多く、何よりも新しい年を迎えるという事で、心新たに出発しなければいけないと思わされる充実した休みとなった。

(中学部1年生 男子)

冬休み。僕がブラジルに帰る最後の休みだ。春には日本への本帰国が決まっている。外国に居住している間、休暇の時には毎回旅行をしてきた。もしかすると、これが家族との最後の旅行になるのかもしれない。今回は6泊7日でブラジルの隣国、アルゼンチンへ渡った。

南米のパリと呼ばれる、アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスから飛行機で南へ約2000キロメートル。ペリトモレノ氷河への拠点となるカラファテを訪れた。氷河の融解・再氷結のサイクルが早いことで世界的にも有名な氷河のひとつで、「生きている氷河」と呼ばれている。12月〜3月にはビルの大きさほどの氷の塊が大きな音とともに一気に崩れ落ちる大迫力の瞬間を見ることができる。美しい巨大な氷河が崩れ落ちる様子は氷の塊が生きているということを体感することができ、自然のスケールの大きさを感じた。

クリスマスは南米大陸の南端、南極に最も近い「世界最南端の町」ウシュアイアで迎えた。この町にある世界一南に位置する鉄道「世界の果て号」に乗った。今では観光鉄道として人気のこの汽車は、かつては流刑地とされていたウシュアイアにあった監獄の囚人たちの手で建設され、一年中必要な薪を切り出す作業のために日常的に使われていたという歴史があることを知った。
さらに船でビーグル水道のアザラシ、海鳥、ペンギンが生息している島々を訪れ、アルゼンチンの大自然を思う存分味わうことができた旅となった。

南米旅行を通して気付いたことは、日本では決して見ることのできない大自然の彫刻が数多く存在するということ。僕はそれらの絶景に魅了されていた。ほんとうに貴重な体験ができたと思う。

(高等部2年生 男子)

「家族の事も信用出来ないなんて、家族じゃない、同居者だよ!」

自分の手が震えているのが分かった。それは冬の夜だったからかもしれないが、多分、自分が怖かったからだと思う。たくさん傷つけているけど、いつもゆるしてもらって、そして優しくしてくれる。自分はもしかしたらこういう親の接し方に調子に乗っていたんだと思う。暗くてよく見えなかったが、多分もう少しで泣きそうな顔をしていたと思う。

その夜から、僕は”家族”について考えた。まず辞書を引いてみると、血縁関係によって結ばれた親族関係を基礎にして成立する小集団と出てきた。これは困った。僕的には、もっと気持ちの面でも答えて欲しかった。ただ血がつながっていればいい、ではなくてそれ以上に絆だとかそういう物があると思ったからだ。そもそも絆とは何か?と考えてみた。どうやったら絆が出来るか考えた。でも絆はできているかどうかすら分からない。だとすると、絆という物はもしかしたらないのかもしれない。いつか裏切られるものかもしれない。それが怖い。なら次に人間はどのような行動をとるのか?僕はそれは傷つける、という行動だと思う。この傷つける、という行動をとることによって、その人との絆がどこまであるのか、ということを計ろうとするのだと思う。しかし、この行動によって大切な人を失ってしまう、という可能性もあるだろう。「家族」とは、確かに血のつながった小集団だ。しかし、血のつながり、というものだけでは決して絆は生まれないだろう。血のつながりがあるから、家族であるからこそ、友人では出来ないような、裏切られないようにするための傷つけ合いがあってもいいのではないだろうか?

僕は部屋から出た。その時、僕の目には熱い水がたまっていた。風邪だから、という事にしておかないと家族のぬくもりに包まれて大きな声で泣いてしまうだろう。今回の冬休みで僕は「家族」という大切な存在に気付かされた。

「お母さん、ごめんなさい」

(中学部1年生 男子)

1月10日(土)、続々と生徒が到着し、立教英国学院はまたにぎやかさを取り戻しました。「久しぶり」と声をかけあう生徒たち。冬期休暇はそれぞれ思い思いに過ごし、リフレッシュできたようです。

そして11日(日)、すっきりとした晴天の中、第三学期始業礼拝が執り行われました。
高等部3年生が学校を去った先学期。今学期からは高等部2年生が実質的な最高学年として、テーブルマスターや聖歌指導などの役職を引き継ぎます。礼拝で十字架を捧げ持つクロスベアラーやトーチベアラーといったアコライトもそういった役職の一つで、今学期の始業礼拝で初めての仕事を務めました。まだ持ちなれないクロスやトーチを持ち、緊張の面持ちでチャペルに入堂する姿からは、これから最高学年を担っていく責任が感じられました。憧れていた先輩のように役職を全うしたいと、決意を新たにしたようです。

122名と少ない人数ではありますが、新入生4名を迎え、また新たなスタートを切りました。全校新春かるた大会や合唱コンクール、現地校との短期交換留学等、今学期もまた行事でいっぱいの学期が始まります。短いながらも充実した学期になるよう、心から願っています。

1月14日(水)、UCL ロンドン大学(University College London−ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン) のCLIE (Centre for Languages & International Education−国際教育センター) にて、立教英国学院とUCL-CLIE間の進学協定の調印式を執り行いました。

UCLは、オックスフォード、ケンブリッジに次ぐイギリスで3番目に古い大学で、世界大学ランキングでも常に上位に位置するトップクラスの大学です。29名ものノーベル賞受賞者を輩出しています。150年前に伊藤博文をはじめとする長州ファイブが日本から初めて留学し、その後の日本の近代化に大きく貢献したことでも知られており、今年のNHKの大河ドラマの舞台となることでも現在注目を集めています。

この協定により立教英国学院の生徒で在学中に一定以上の成績を修め、規定の英語資格を取得した者はUCLのUPC (Undergraduate Preparatory Certificates−学士入学準備コース) へ推薦されることができます。UPCは1年コースで、修了後はUCLの各学部へ進学が可能です。イギリスの学士コースは3年間ですので、合計4年間で学位を取得することが出来ます。

合わせて、今後立教英国学院はUCL国際教育センターと生徒の語学研修などでも教育連携を図っていくことが確認されました。また、協定締結に伴い、2015年度より教育課程に英国大学進学コースを設置し、イギリスをはじめとする海外の大学への進学を積極的にサポートしていく予定です。提携先の大学も今後順次拡大していきます。

「はぁ。オープンデイかぁ。ついにこの時期が来ちゃったよ。」
私の周りの人が言っていた。正直私もその中の一人だ。私は別にオープンデイが嫌いなわけではない。しかし、私の場合友だちとの関係が悪くなってしまうことも多い。毎年毎年、「おまえはオープンデイになると怒る。笑わなくなる。」と言われる。自分自身は、オープンデイに熱を入れるつもりはない。けれど、期間に入ると、みんながだらだらしているとビシッと言いたくなってしまう。きっとそれは昔、ある子にしごかれたからだろう。
中一の頃のオープンデイ、正直あれは黒歴史だ。模型は一つくらいしかない。その一つは私とその子で三日で作り上げた。ブレイク時間もなし。ココアもクッキーも食べられない。ひたすら作り上げる作業だった。あの過酷な状況を経験したため、その名残がまだあるのだろう。過酷なオープンデイが私にとって初めてのオープンデイだったためにそれに慣れたのだろう。
今年もやはり言われてしまった。だがその言葉を気にしていたら、前には進めない。もし友だち関係が壊れてしまったら、私がその子に合わなかったんだと思うようにしている。しかし実際、オープンデイという短い期間だけ少し壊れるだけで、終わったらすぐ仲良くなる。オープンデイという高い壁を越えて、友情はもっと厚くなるのかな。良いものを作るためには、自分の意見を中にしまっておかずにぶつかり合った方がいいと私は考えている。
今回のオープンデイは私にとって四度目だ。たくさん失敗もしてきた。たくさん辛いこともした。けれどその分、貴重な体験をした。今回、クラス内でもめごとはなかった。それでそれなりに良い物を作れたから、自分の中での点数は高い。クオリティ自体はどれも低かったかもしれない。それでも楽しめたから良いと思う。
同じクラスでもあまり話したことがない人もいたが、活動がきっかけで話すようになった子もいる。今まで話したことがなかった人は、今まで見られなかった部分を見ることができる。それがオープンデイの醍醐味でもあるのかなと思う。高一のオープンデイは私にとって味があり、お互いの絆が深まった。次のオープンデイでクラス企画は最後になる。四回分の失敗と成功をうまく使い、今まで見たことがないくらい良いものを作りたいと思う。

(高等部1年生 女子)

終業礼拝で夏休みの読書感想文の優秀者、金賞2名と銀賞1名が表彰されました。その中から銀賞を受賞した高等部2年生の作品をご紹介します。

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「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番良く知っている。」神父ロドリゴが踏絵を踏む前に聞いたイエスの言葉。私はこの踏絵のシーンを読んでいる時、もし自分がこの時代にキリスト教の信者だったらどうしただろうと考えた。踏んだら裏切り者となり、踏まないと死刑。残酷な選択だが、きっと私は踏むことを選択すると思う。このイエスの言葉を読むまで裏切り者として心に傷を抱えて生きていかなくてはならないんだろうと思っていた。しかし読んだ後、心がすっきりする気持ちがあった。認められたような、そんな気持ちがあった。きっと神父のロドリゴも認められたような気持ちになったのではないだろうか。

次になぜ神は最後まで答えを出す事もなく沈黙し続けたのか。人は悩み苦しみ迷った時に、何かにすがりたくなったり、楽な方へ逃げたくなったりする。そんな時に神にもすがる気持ちで祈りを捧げることもある。神様を信じ、教えにそって生きてきたロドリゴも神にすがりたくなっただろう。しかし彼は、立ち向かい、逃げることはなかった。神様からの導きはないまま、苦しみ抜いた末、彼は答えを出した。たとえその答えが彼にとっていばらの道であったとしても、悩みから解放され、少し心の平穏を得られたのではないかと思う。神は答えを教えてくれなかったけれど、苦しみ悩み考えた末に見つけた答えに対しては、心広く見守ってくれるのではないだろうか。神はいつも私達を見守っていてくれる。このことこそが沈黙と結びつくと私は思った。

自分で努力し、自分で答えを見つけ出すことは大変だけれども、成功した時、発見した時の嬉しさや達成感は計り知れないものである。どんな時も手を差し伸べることなく最後まで見守ってくださる神が、いつも自分のそばにいてくださることを改めて感じた作品だった。

(高等部2年 女子)

昨年までは、金子先生に頼ってばかりで、あまり私たちで仕上げた!という感じではなかった。文章も書かなかったし、模型も作らなかった。だから、正直今回も不安でいっぱいだった。中学最後のオープンデイとして、中三全員の力を出し切って、賞はもらえなくても、後悔がないものにしたかった。
一学期にテーマを決め、休み中には資料を集め、二学期始まってそれをまとめた。しめ切りなどは守れなかったものもあったけど、あきらめずにみんなが自分の時間を割いて頑張った。今回のテーマは「東日本大震災」。テーマが重く、難しいため、資料を読むだけで苦労した。私たちが知らないこともあり、もう一度、考え直し、そして理解し直した。とくに私が今回頑張ったのは日本語でまとめられた文章を英語に訳す「英訳係」だった。前にも言ったが、日本語でもわからない言葉を英語にするのはとても大変だった。また、日本語原稿が十枚あり、その十枚全てを私が訳すと思うとやる気は全く出なかった。しかし、こんなところで無理なんて言ってたら話にならない!と自分を説得し、頑張った。もちろん、すらすらとうまくいったわけではなく、途中、涙が出てきた時もあったが、何とか乗り越えOKが出た。あきらめないでよかった。そう強く思った瞬間だった。
結果、模造紙部門第一位は中学部3年。また涙が出た。しかし、この涙は嬉しい涙だった。みんなで喜んで泣いた。本当にうれしかった。発表されるまでのドラムロールの間高二以下の生徒の両手はかたく結ばれ、みな下を向き目をつむっている。何かを願うように。
また、その後のインパクト賞でも第二位を取ることができた。
オープンデイ前日の土曜日の夜、私たち全員が力を出し切って作り上げた教室を見渡し、「おやすみなさい!」と教室を出ていくときの顔はみんな笑顔にあふれていた。
きっと私だけではなく他にも辛いことがあり悲しくなった人もいたと思う。でもそんな時支えてくれるのが同じクラスの仲間。お互いがお互いを支え合い最後は笑顔になれた中学生最後の最高のオープンデイだった。もう同じメンバーでオープンデイの作業をするのは最初で最後だったと思う。
本当にうれしかった。みんな、ありがとう。
来年ももっと成長できてるといいな。

(中学部3年生 女子)

終業礼拝で夏休みの読書感想文の優秀者、金賞2名と銀賞1名が表彰されました。その中から金賞を受賞した高等部2年生の作品をご紹介します。

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「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ。」
これは、この作品の主題となる文章のひとつです。
戦争が終わった昭和二十年、没落貴族となった主人公のかず子とその母は東京の家を売り、伊豆で暮らしていました。弟の直治も南国の戦地から帰ってきて、その弟を介して上原という男と知り合ったり、体調のすぐれない母親の看病などをしながら、かず子は穏やかな日々を過ごしていました。敗戦まで貴族として恵まれた生活をしてきたかず子でしたが、戦争を経験したこと、そして結核になってしまった母の死を前にして「私はこれから世間と争って行かなければならないのだ。」と確信します。

それから少しして、かず子の母親は亡くなってしまいます。私は最初、その後のかず子の行動にとても驚きました。母の死後、かず子は「いつまでも、悲しみに沈んではおれなかった。私には、是非とも、戦いとらねばならぬものがあった。」と、自身の恋を叶えるために、出会ってからずっと忘れられなかった上原のもとを訪ねて行くのです。愛する母親の死の悲しみにも浸っていられないほどのかず子の熱い思いが感じられる場面でしたが、もし私がこのときのかず子のような状況におかれたとしても、私なら母を失ったさみしさと悲しさで自分の恋愛のために行動する余裕はきっとないだろうと思いました。しかし読み返してみると、このときのかず子の心境は「私はいま、恋一つにすがらなければ、生きていけないのだ」とも記されており、かず子の上原への愛の大きさと、その思いにすがらなければ生きていけないほどに母親の死がショックだったこと、それだけかず子の母親への愛情が強かったことが現れている行動なのだと気づかされました。

恋と革命。それは、この作品の主人公であるかず子にとっての物語の主題なのだと思います。この作品の最後で、かず子はもう一つの革命を起こす決意をしています。お腹に宿った、不倫相手の上原との子供をたった一人で育てていくことです。かず子と上原はしだいに疎遠になってしまいました。それでもかず子は、恋しい人との子供を産み、シングルマザーとして育てていくことを決心するのです。自分の家族も生まれてくる赤ちゃんの父親もいない中、一人で子供を育てることは私には想像もつかないほど大変なことだと思います。しかし彼女は、離れていった上原を責めることはありませんでした。この優しさが、かず子の心の強さを物語っていると思いました。そしてこの恋と革命のために生きようとするかず子の強さが、社会に進出し奮闘する現代の女性たちにも通ずる、『斜陽』という作品に込められたメッセージなのだと思います。

(高等部2年 女子)

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