私が一押しするのはOxfordのHarris Manchester Collegeのステンドグラスです。このカレッジはオックスフォードで最小のカレッジで最も寄付が少ないカレッジだそうです。街の中心に位置しています。主な出身者は酸素の発見者ジョセフ・プリーストリー、物理学者のジョン・ドルトンがいます。
ここには10代の若者から70歳のおばあさんまでが学んでいるそうです。そしてこの教会のステンドグラスです。これは1893〜1898年にかけてモリス商会によって制作されたそうです(イギリステキスタイル界の父、ウィリアム・モリスが作った)。

イエス様のデザインは首に子羊を巻いたものです。この図柄はバーン・ジョーンズという人の大ヒット作のようで、たくさんの教会で見ることが出来ます。いわゆる「良き羊飼い」ということで、歩けなくなった迷える子羊を背負って歩くイエス様のことだ、とガイドの人が教えて下さいました。
このステンドグラスには基本的な聖人は全て登場していて、関係のあるものと一緒に描かれているので、礼拝でも彼らの関係を迷うことなく聖書の内容も聞けることでしょう。
左右もステンドグラスで埋め尽くされていて、右は地球創造の話、左は「Justice」といった言葉に関係のある絵と聖書の一文が記されています。

小さいけれど三方からのステンドグラスを通した温かな光。飾りすぎではないけれど印象的なイエス様たち… 心に響く聖書の言葉の中で何か祈りを捧げられることは幸せなんだろうな… そう感じました。

皆さんも是非この教会を訪れ、やさしい光のなかでゆっくり過ごしてみてください。

(高等部2年生 女子)

僕がオックスフォードへのアウティングを通して一番印象的だったのは、アインシュタイン博物館です。僕は理系なので特にこの博物館に置いてあるようなものに興味がありました。中でも一番見て感動したのはアインシュタインのブラックボードという、アインシュタインが昔、宇宙の膨張について考察した数式が書かれている黒板です。僕は高校1年の時に宇宙に興味を持ち、ネットや本からよ く物理学についてのことを調べていました。特に記憶に残っているのが、アインシュタインの相対性理論でした。そんなアインシュタインの自筆を見たときは、鳥肌ものでした。
そこからはアインシュタインがどんな気持ちでこの数式を書いていたのか伝わってくるようでした。この数式を見て、僕もこんな風に宇宙のあり方とか、そんな深いことをじっくり考えて、単純かつ明確な唯一つの数式を自分の手で導けるようになりたいなと感じました。
また、同じ部屋にあった世界最初の地球儀にも感動しました。日本の北海道がなかったりとある程度の誤差はあったものの、人工衛星がなかったり科学の発展が乏しい時にあそこまで正確な地球を作れたことには感動しました。
僕もあんな風に、世界で「最初 の」なんて言われるものを想像できるアバンギャルドな人になりたいなと思いました。

(高等部2年生 男子)

今日東京のある場所で催されている展覧会に行ってきた。私の大好きなガウディのものだ。私がガウディを知ったのは、中学の時だ。旅行先でガウディが設計した教会、サグラダ・ファミリアを見た時、体が雷に打たれたように一目惚れをした。建物に一目惚れなんておかしな話だが、確かに心を動かされたのだ。

彼の建築は生きている。ただそこに建っているだけではなく、人の心を揺さぶる”生”のエネルギーを感じさせられる。そう思ってから、サグラダ・ファミリアに限らず、彼の作品が好きになった。

話を戻すが、今回の展覧会は彼だけのものではなかった。スラムダンクの作者、井上雄彦さんとコラボレーションしたものだ。彼はスペインの親善大使に任命されており、今回のために実際に一ヵ月スペインに住んだらしい。井上さんが描いたガウディの漫画とガウディの描いた設計図や、模型が交互に置いてある形式だった。

彼の絵は、和紙に描かれていて繊細だが、とても力強い。私は彼の絵を見て、2人がコラボレーションできたのも納得がいった。2人とも漫画と建築というジャンル、そして生きている時代、と何一つ共通点がないように見える。しかし2人の作品には、作品を最高のものにしたいという思いから、目には見えないパワーを感じた。どんなに小さなものでも最高のものにしたいという思いがあれば、彼らの作品のように、生きるのではないか。そう思った夏だった。

(高等部2年生 女子)

私は生まれた時から病気を持っている。小さい頃からその病気に悩まされていて入院が普通の生活を送っていた。

私は体を動かすことを好む人種だ。しかし私は体を動かすのには不向きな体だ。私が苦しんでいる呼吸困難とは、呼吸がしづらく息切れがしたり、呼吸ができず息苦しい状態のことであるのは皆承知であろう。私は運動をすると、私の体が悲鳴をあげているのを知っていた。だがどうしても運動することをやめなかった。私は今でもこの病気に悩まされることが多々ある。やはり十代となると、激しい運動をすることが増える。だが、激しい運動をしたときほど大量の酸素を必要とするため、酸素を多く取り入れようと呼吸がはやくなって、息切れを起こす。生まれつき、体の弱い私は何度も倒れたことがあった。

しかしこの夏、私は自分への挑戦として、富士山へ登ることを計画した。もちろん医者は反対をした。だが私はその反対を押し切って、山に登ることを決心した。医者と私が心配していたのは、高山病による呼吸困難で倒れることだ。標高が高くなるにつれて酸素が薄くなり、呼吸困難が起こりやすくなるのだ。だが山頂に到着することにより、少し前の自分より強くなれるのではないかという単純な思いで登り始めた。

案の定、私は八合目から十合目に何度か倒れそうになった。だが私は立ち続けることに意味があり、頂上まで辿り着くことしか考えていなかった。そんな私には、ただひたすら前に進むことしかできなかった。

そしてようやく山頂に辿り着いた時、私は一つの思いで心がいっぱいになった。それは感謝の気持ちだ。山頂までついてきてくれた友人、今まで自分のことを助けてくれた皆に対しての感謝の気持ちだ。

今回の富士山に登るということは、自分自身との戦いであった。しかしその戦いは、自分だけではなく、後ろの支えがあったからこそ戦えたものだ。今回のことを自分の中の大きな一つの自信として、素直に喜び、感謝の気持ちを忘れずに、自分の病気と闘いながらもっと多くのことに挑戦していきたいと思う。

(高等部2年生 男子)

7月末から地獄の合宿が始まりました。京都にある西本願寺というところに行きました。初回は持ち物検査があり、宿題やゲーム、電子機器など関係のないものはすべて取り上げられました。周りは大人ばかりで高校生は少なくて、全くなじめませんでした。初めは黒衣や白衣をどうやって着るのかも分からず、大人の人に手伝ってもらって着るのがやっとでした。

初日以降のスケジュールは大体同じで、5時に起床し、10分で着物に着がえ、それから班に分かれて清掃をし、朝のおつとめをします。2時間正座をし、それから朝ごはんです。その後は仏教の講義を夕方まで受け、そこから日没勤行をし、夕食の後、課題テストがあります。

課題テストは9項目あり、領解文(りょうげもん)、御文章(ごぶんしょう)、正信偈(しょうしんげ)の暗唱、黒衣を正しくたためるか、他にも仏具を正しく説明できるかなどありました。夜は就寝勤行というおつとめをして、その後各自で自習や、ペーパーテストで点の悪い人は再テストをし、その後23時30分に就寝です。

5日目には、宗教に別に興味がないのに何してんだろうと思いました。6日目に、高校生だけの講義の先生から「つまらないでしょ。でも2週間堪えたらそれでいいんだから、途中であきらめたら終わりだよ。」と言われ、わけがわからないけれど、とりあえず頑張ろうと思いました。2週間堪えて無事僧侶になることができ、釈紅色をつけてもらえました。

やっと家でゆっくりできると思ったら、お盆参りに行かされました。8月末には、お葬式の依頼が来て、初めて亡くなられた方の前でお勤めをしました。とても緊張してちゃんとできるか不安だったけれど、無事終えることができ、良かったです。お勤めが終わった後、遺族の方に「若いのにちゃんとお勤めできてえらいね。ありがとう。」と言われ、とても嬉しかったです。仏教を通して一人でも多くの人を幸せにしてあげられるなら、それ以上の幸せはないと思いました。

(高等部2年生 女子)

閑散とした商品棚に並ぶ、残り少ない食材などを競い合って買い求める…ソ連時代のロシアの日常的な光景である。その後ソ連は崩壊し、資本主義のロシアになったことで、物は商品棚を埋め尽くすようになった。しかし最近になって少しずつ棚が再び閑散とした状態になってきている。ロシアが決議した「EU及び米国等からの一部食料品輸入停止措置」における結果である。

事の発端はウクライナのヤヌコーヴィッチ政権の崩壊。ここでロシアの軍事的に重要な拠点であるウクライナが親EU政権となる場合、ロシアの影響力が限定的となってしまう。そのため、戦略上重要な地理的条件下にあるクリミア半島を占領。これに対し、欧米が非難し制裁を行い、ロシアもこれに応じる形で欧米に制裁を科し、制裁合戦となった。そこで、この措置が出てきたのである。

制裁開始からおよそ一ヵ月。物不足は一時期にくらべて減ってきたが、未だにレタスやブロッコリー等の農作物、サーモン等の海産物はなく、輸入製品の多くは姿を消した。イタリアン・レストランのサラダは十種類ほどある中、二種類しか注文できなかった。スーパーにある生産国を示す国旗からは、米国やスペイン、オランダのそれが姿を消し、ロシアやトルコ、チリの国旗のみになってしまった。制裁に苦しんでいるのは欧米の国民のみならず、ロシアの国民もまた同様である。

グローバライゼーションの進む世界。今では自国で世界中の物を見つけることができる。ロシアはこの流れに逆行するような行動をとった結果、市民生活に予想以上の影響を及ぼすことになった。これは現在の日本への教訓となるだろう。食物自給率が先進国の中でも最低レベルである日本で、もし同様の事が起こるとその影響はロシアの比ではないだろう。現代社会の抱える新たな課題の一つである。

(高等部2年生 男子)

今回の夏休み、私は最初の土・日曜日で、ベルギーのブリュッセルとブルージュを訪れました。オランダという国にいながら、隣国のベルギーには初めての旅行でした。

はじめに「世界三大がっかり」といわれている小便小僧を見に行きました。どんなものかと思って見てみると、想像より小さくこれはがっかりしてしまうかも、と思いました。それより私が驚いたことは、チョコレート屋の多さです。有名な観光スポットには必ずといっていいほど何軒ものチョコレート屋があり、まわりには甘い香りがしていました。

チョコレートの原料であるカカオは南米が産地であり、ベルギーでは採れないのに、なぜベルギーはチョコレートが有名なのだろうと思いました。そこで少し調べてみたところ、鍵を握っていたのはスペインでした。

アステカ帝国が滅び、スペインの植民地になったことで、アステカの王族や上層階級が薬や特別な飲み物として飲んでいたカカオ飲料が、スペイン本国にも伝わりました。今のオランダ南部やベルギー西部、つまりフランドル地方はその頃スペインが統治していたので、スペイン人によってベルギーにカカオが持ち込まれたようです。

では、どうしてオランダではなく、ベルギーのチョコレートが有名になったのか。

それはベルギー人とオランダ人のおいしいものに対するこだわりの違いだと思います。今回旅行してベルギーの料理は、オランダと比べて圧倒的においしかったためです。ベルギー人のおいしいものへの探究心が、今のベルギーチョコレートを作ったのだと思いました。

(高等部2年生 男子)

その日は朝から雨が降ったり晴れたりと不安定な天気だったが、ロンドン・アイに乗った時はまぶしいくらいに晴れた。あの高さだからこそ見える、360度に照り渡るロンドンの景色には胸を打たれた。それと同時に、次にこの景色を見られるのはいつだろうか、と切なくなった。

私はこの夏休みまでロンドン在住だった。そのため、いつもロンドンへアウティングに行っても、「また家に帰れば来ることができる」と思っていて希少価値はあまりなかった。
この夏、日本に本帰国をした私の家族はすぐにロンドンシックになった。日本は便利で生活しやすい。だが、緑の多さ、伝統ある建物が立ち並ぶロンドンの街並み、空気、におい……今まで何とも思っていなかったものが、突如思い出と化し、故郷は日本であるはずなのに、イギリスへのノスタルジーを感じた。

そのため、久々にロンドンを訪れることのできた今回のアウティングは今までと何か違うものがあった。休みになればいつも来ていたあの場所、あのお店には、今日行ったら次はいつ来ることができるのだろうか。そんな気持ちが一日中頭の中に過ぎった。友達も同じようなことを思っていたのか、思い出を形にするためにいつもより多く写真を撮っていた気がした。

そんなアウティングの締めくくりは、「オペラ座の怪人」のミュージカルだった。観たのは初めてだったが、物語はだいたい知っていたので楽しめた。そして何より演出がすごかった。あの狭い劇場でシャンデリアが落下するシーンや怪人が舞台の上から降りてくるシーンなどは、ほかのミュージカルより迫力があった。こうして気軽に芸術に触れられるのもイギリスの良い所である。

一日は信じられないほどあっという間に過ぎた。純粋に楽しかった。そして、私はまたロンドンに戻ってくる、そう強く感じた一日だった。

(高等部3年生 女子)

今年は「夏」らしくない夏だった。こう毎日、雨ばかりが続くと気分も落ち込み、何をするのも面倒臭くなってしまう。楽しみにしていた夏のイベントも中止になったり、延期になってしまったりで外に出ることはほとんどなかった。

私の住む街も突然の豪雨と停電に幾度も見舞われていた。「この雨量、大丈夫かな。大変なことにならなければ良いけどなぁ。」そう思っていた矢先、広島での大規模土砂災害が発生した。

連日の報道番組や新聞。東日本大震災を思い出させた。70人以上の死者、そして何千人にも及ぶ避難者。亡くなられた方の中には、私達と同い年の高校生や出産を三ヵ月後に控えた新婚夫婦など輝かしい未来があった方々も含まれていた。その一方で、間一髪のところで救われた人もいた。愛犬が危険を感じたことで救われたお年寄り、隣の家の大工さんに助けられた一家。瞬時の判断で命を救われた人が大勢いたのも事実だ。

数日後、私は家族と一緒にその場所へ向かった。何か少しでも手助けすることができたら、と考えたからだ。

広島に向かう高速道路から見えたその場所を見て、私は息をのんだ。今まで見ていた光景とはまるで違っていたから。山は崩れ落ち、麓にあった家は流されて何もなくなっていた。豊かな自然に恵まれ、過ごしやすいこの広島が、このようなことになるとは思ってもみなかった。ただただ、現場を見て驚いてしまい、その場に立ち尽くして涙することしかできなかった。

今後どのように復興していくのかも、被災された方々の生活がどのようになるのかも分からない。ただ復興には長い年月と人手がかかることだろう。

同じ広島県民として亡くなられた方々の御冥福を祈りながら、一日でも早い復興を、そして一人でも多くの笑顔が戻ることを願っている。

(高等部2年生 女子)

私はこの夏ケンブリッジ大学で行われた一週間のサイエンスワークショップに参加しました。このワークショップは、英国人と日本人の高校生が一つのプロジェクトに配属され、いろいろな交流をしつつ、科学の楽しさや知恵を共有しあうプログラムでした。

私は英語が得意なので、私の英語力が生かされるサイエンスコミュニケーションというプロジェクトに入りました。サイエンスコミュニケーションとは、日常生活で科学に関わっていなかったり、科学を専門分野としていない一般の人達に、科学を理解してもらえるように、分かりやすく説明して、最先端科学を社会に伝えるものです。今回の私のプロジェクトの目的は、ワークショップで行なわれている他の三つのプロジェクトについてポッドキャストを作ることでした。ポッドキャストとはインターネットにアップロードされていつでも再生できるものです。

私のプロジェクトの指導者は、ハナさんという名の、naked scientistというケンブリッジ大学でサイエンスコミニケーションを主に活動しているグループの方でした。ワークショップの初日には生物学者が集まる脳とうつ病に関しての研究発表会に連れて行ってもらいました。最初はなぜここに連れて来られたか理解出来ませんでしたが、すぐにこの発表会がサイエンスコミュニケーションの第一歩であることに気付きました。なぜなら、この発表会には研究者本人がその場にいて、実際に質問や疑問に応じてくれるのです。私もファシリエーターの助けをかりて、気になる展示の説明を研究者から直接聞きました。私みたいな素人でも、とても丁寧に優しく説明してくれました。そして、その内容を理解したとき凄い喜びを感じ、授業では習わない科学の楽しさに触れることができました。これこそが科学を通してのコミュニケーションだと、私はその瞬間思いました。

その後は、プロジェクトのメンバー全員で集まってポッドキャストをどのような形式にすれば分かりやすいかを話し合いました。その結果、何について話しているのかが分かりやすいインタビュー形式にすることを決めました。次の日、早速他のプロジェクトの研究室に行き、インタビューをレコーディングしました。プロジェクトの研究室が一つ一つ雰囲気が違って、新しい研究室に入るたび新鮮でした。各々の研究室から、科学という一つの言葉にどれだけ様々な分野があって、世界を良くしようと研究が進められているのかがよく感じられました。

プロジェクトの最後は、レコーディングを編集する日でした。パソコンが余り使えない私には辛かったです。それでも、機械音痴の私でも編集の技術には驚かされました。誰でも話しているときは、「えっと、」や「えー」などと言ってしまい、話が途切れて余り良いスピーチに聞こえないときでも、編集の際、そのような語をカットし、よりスムーズに話しているように聞こえ、編集後にはどれだけ話すのがへたくそな人でも、上手に聞こえてしまうのです。ですが、この作業はとても時間と手間がかかり、パソコンが得意なパートナーの子にとてもお世話になりました。そして、最後の最後に自分が作ったオリジナルのポッドキャストに音楽を加え、ケンブリッジ大学のnaked scientistのホームページに載せました。

このプロジェクトを通して、他のグループの研究内容やその学問を深める目的を知り、そして科学の重要性と科学を通してもっと便利で安心できる未来がある事を知り、この自分が知り始めたばかりの科学の世界を皆と共有してより良い世界へと繋げたいと思いました。また、自分が作ったポッドキャストを、今世界中の人が聞けると思えば、不思議と自分が少し誇らしく思えて来ました。

サイエンスワークショップと名づけられているものだから、学問的なことばかりかと思っていたのですが、どちらかと言うと身近で実践的な内容で、想像以上に楽しかったです。このワークショップを通して最も自分が得たものは、科学の重要性に気づかされた事です。文系である私は、理系の人と比べて普段科学には無縁ですが、科学が苦手でよく分からない、学ぶ必要がないと言う人たちに、科学の楽しさと大切さを伝えたいと思いました。内容は全て理解し切れなくても、科学がどうやって私たちの生活を作り上げて来たか、私たちの日常生活や病院での設備をもっと良い物にするために研究者が毎日頑張っているということ、他人事のように思わず、皆に知ってもらいたいと思いました。

(高等部2年生 女子)

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