汗ばむほどの陽気、そして雲一つない快晴に恵まれた4月9日(土)、地元Horsham(ホーシャム)の町で、東日本大震災のチャリティーイベントが行われました。

英国ではロンドンのほか各地で、在住する日本人達が立ち上がり、震災直後から義援金が集められています。

英国人の方々だけでなく、世界でも活動は行われており、企業へ物資の提供を依頼するメールを送る方や、赤ちゃんへ常温保存が可能なミルクを送る署名活動など、今も余震が続く日本へ援助活動が続けられています。

 

 今回のホーシャム市のチャリティーイベントは、立教教員を含む、近隣に在住する4人の日本人を中心に立ち上げられました。

英国赤十字社の支援のもと、大震災や津波の被害の大きさを訴えて募金を呼びかけるだけではなく、日本文化を体験できるワークショップを通じて義援金が集められる工夫もなされました。

ヨーヨー釣り、独楽や剣玉遊び、お箸ゲーム、日本語入りのしおり作り、折り紙、浴衣体験といったコーナーが設けられ、20名以上の日本の人々がスタッフとして協力し、本校教員数名も各コーナーで活動しました。

教員家族の子供たちもスタッフとして活躍し、箸の使い方や剣玉、独楽の遊び方などを教え、予想以上の人気企画に。

両親に甘えてコインを貰って何度も挑戦する子供や、なかなか浴衣を脱ぎたがらない子供もあったほど、イギリス人の子供たちも夢中になってくれました。

春の日差しがまぶしい広場には音楽も流れました。これも企画の一つ、お子様ミュージシャンによる演奏です。

子供たちがそれぞれ得意の楽器演奏を披露すると、自然と会場に人々の足が向けられました。

人々の注目を特に集めたのは、2度にわたって行われた剣道と茶道のデモンストレーション。

本イベントでは立教のJapanese Eveningの指導にあたる教員らが協力しました。

剣道は地元の日本人剣道家と共に、茶道は近くに住む生徒らと共に、それぞれ剣道型や掛り稽古、お点前を披露した後、地元の子供たちに面を打たせたり、試飲してもらうなどして、イベントを大いに盛り上げました。デモンストレーションや各コーナーの活動だけでなく、机や椅子などの備品提供や朝早くから運搬を行うなど、校長や他スタッフも蔭ながら協力しました。

 

 今回のイベントのメインの一つは、実際に救援活動に従事した消防隊員のお話をうかがえることです。

英国では震災が起こると各地の消防局で救援チームが組まれ、すぐに日本へ向かって下さいました。

立教のある地区でも5名の隊員が被災地で活動されました。

当日は震災被害の様子を伝えるディスプレイボードの前で、被災地で実際に見てきたこと・体験してきたことを語り、質問一つ一つに丁寧に答えて下さいました。

ディスプレイボードはクランレー村での募金活動に作製したものをさらに拡充し、隊の方々が提供して下さった貴重な写真や、日本での地震対策、日本からのお礼のメッセージも掲示されました。

これらを通じて隊員の方々自身がその体験を語ることにより、被災地の深刻な状況がより直接に伝わったことでしょう。

終わりには彼らへ花束が贈られ、日本人として、在外邦人の私達から感謝の気持ちも伝えられました。

日本からのメッセージに答えるように、日本への励ましのメッセージを書いて下さる方もいらっしゃいました。

このメッセージは日本語へ訳し、被災地へ送る方法を模索しています。

 

 このチャリティーイベントでは、英国の方々が惜しみない協力を申し出て下さいました。

ケーキやお寿司を寄付として提供して下さった地元のベーカリーや日本食レストラン、またスタッフに無料休憩所を提供し、店内にも募金箱を置いて下さったパン屋さん、その他数多くの方々の協力を得てこのチャリティーイベントは行われました。

イベントの最後を飾ったプロのジャズ演奏もそのうちの一つ。

多くの聴衆が演奏を楽しみながら募金に協力して下さいました。

ホーシャムのうららかな土曜の午後、町に響き渡る心地よいジャズの演奏が終わり、午後4時、企画者の代表が挨拶をすると、広場に集まっていた沢山の方々から温かい拍手が起こりました。

 

 このイベントでは3,000ポンド以上の義援金が集まりました。

集まった義援金は英国赤十字社を通して日本に届けられることになっています。

震災から1ヶ月が経った今、これほどの気持ちを提供して下さった英国の皆さんに心から感謝を申し上げたいと思います。

 

 

私は今から3年前にパリという異国の地に足を踏み入れた。

そこは、その地を芸術で満たしており、少し歩けば彫刻や絵に出会う事ができる。

今日はその中の一つについて書きたい。

 

私の家からバスに乗って数十分。

ルーブルの正門を通ってもっと進むと、正面に有名な建物が見えてくる。

オペラ座、実名ガルニエ宮はその美しい柱と彫刻のお陰で、見えた側が正面だと誤解している者が多いが、本当の正面はあまりぱっとしない所にある。

私もそれを知った時に大いに驚いた。

さて、その驚きを隠そうと平常を装いながら中に入った私を待っていたのは、大理石でできた階段と、美しい彫刻の数々だった。大階段だ。

そして、私はその美しさに唖然としてしまい、必死に塞いでいたはずの口が開いてしまった。

所々でほのかに灯る蝋燭達にその美しさをよりいっそう高められた彫刻達は、薄暗い中確かに存在する、形、色がまるで緩やかに流れるバラードのように私の中に残った。

そうして上を眺めてみると、美しい天井画がそこにあった。

その天井画は四つに分かれていて、その柔らかい色彩で、この場所をうっとりとした気分にしてくれた。

そして、オペラ座の中を進んでいくと、二階のボックス席がある扉まできた。

そこで私は心臓が高鳴るのを自分で感じた。

オペラ座のボックス席に入った事がないのも、テレビの中でしか見たことの無い大きなシャンデリアもその理由の中にあるのだろうが、一番の要因はそのオペラ座の中にあるシャガールの天井画だった。

実物も見たことがなく、ただ有名だという事しか知らなかった私にとって、その絵をいち早く見たいという感情ばかりが高鳴っていった。

私が入ったボックス席はすべてが赤紫色で染められていた。

フワフワとしたカーペットを進むと、そこには、壮大な美しさが広がっていた。

中央にある大きく、美しいシャンデリアがまず目に入り、天井を見上げると、そこには大階段に負けないくらい淡く、柔らかい色彩と美しさを持った絵があった。

私はその絵の軽やかさと柔らかさに感嘆した。

そして、オペラ座の中心にあるこの二つは、まるでモンティのチャルダッシュのように淡いのに激しさを含むような雰囲気を作り出していた。

ボックス席を後にして、他に見ものはないかとぶらぶらしているところ、私は金色に輝く何かを見つけた。

不思議に思い近づいてみると、それは思いもよらぬものだった。

アヴァン・フォワイエと呼ばれるその廊下は息を飲むほどの美しさであった。

もしかすると、シャガール天井画よりも脳裏に残っているかもしれない。

すべての装飾は金色で満ちていて、さまざまな美しい天井画があり、左右にはシャンデリアが一列に(して)並んでいる。そこだけを見ればまるでベルサイユ宮殿の鏡の間のようであったが、明らかに違う点は所々に存在するシンボルマークである。よく見てみると、ハープのような弦楽器のようなそれは、お供のガイドブックによると竪琴をモチーフにしたものだった。他にもそれによれば、一見バラバラに見える天井画も音楽史をテーマにしたものであったりした。

今までガイドブックをさほど読んでいなかったが、もっとさかのぼって読んでみると、なんと大階段にあった四つの絵も音楽の寓意をイメージしているものだという。

私はそれを読んだ後、もう一度その廊下をぐるっと見渡し、大いに感動した。

このガルニエ宮は音楽を他の芸術を使って、いがみ合うことなく美しく表現しているのだ。

それに気づいた私はただただ、ため息をつくことしかできなかった。

 

(高等部2年生 女子)

3月12日に行われた卒業終業礼拝で、冬期休暇中に全校生徒が書いた読書感想文の表彰がありました。

その中から金賞、銀賞の作品を3回に分けてご紹介致します。

3回は銀賞、高等部2年女子生徒の作品です。

 

   *   *   *   *   *   *

 

「太陽の子」を読んで

 

 私の祖父は、戦争中に兵士として戦った人の1人です。

祖父は私が3歳の時に既に亡くなっているので私には一緒に過ごした記憶がありません。

これらは現在88歳になる祖母から聞いた話です。

 ある時、私はふと思い立って祖母に戦争について尋ねたことがあります。

少しの贅沢も許されなかった時代を生きてきた祖母は今でも感謝をする気持ちを忘れず、どんな些細なことにも「ありがとう」と言って手を合わせます。

今少し忘れっぽくなり私の顔も認識できるかもわからないという状態の中でも、戦争時代の頃のことは鮮明に記憶しているようです。

当時の食べ物、衣服、空襲警報、そして防空壕など、祖母の覚えている限りのことを詳しく教えてくれました。

大分前のことになります。この時、戦争中に祖父の足に鉄砲の弾が貫通したという話を聞きました。

その話を聞いて、私は初めて戦争の恐ろしさを知りました。

 この『太陽の子』という本は、私の母が子供だったころから家にあった本です。

先日この本の表紙を開いた時、1枚の紙が挟まっているのを見つけました。

それは私の母が中学生の時に書いたものでした。

内容は、『もし、私がたった1つ、あなたに語りかける言葉を持つとするなら、あなたの悩みや苦しみは、あなたの父や母、そして、あなたの「生」につながるたくさんの「死」が、同じように悩み苦しんできたということを忘れないように―。灰谷健次郎』という文章でした。

これはこの『太陽の子』のカバーに書いてあった文章です。

それが母の手によって清書されていたのです。

これを見て、私は複雑な気持ちになりました。

どの世代であっても戦争のことを心の片隅に置いておかなければいけない、それほど大切なことなのだと、これを見てまた実感させられました。

そして私も母に倣って、新しい紙に母に負けないような字で、同じ文章を清書し同じところに挟みました。

これが今の私と母の関係のように、私の子供、孫と受け継いでいき、戦争とはどんなものなのか、この本を通じて知ってもらえたらいいと思います。

 

ご存じのとおり、今の世の中では戦争をじかに体験した人が少なくなってきています。

朝日小学生新聞に戦争の被災者インタビューが掲載されていました。

やはりどれも息を呑み、目をそらしたくなるような内容ばかりでした。

戦争の様子や被災者の辛さはこの新聞を読んだ人か、周りに戦争体験者がいて話を聞いた人にしかわからないことではないかと思います。

だからこの話をしっかりと心の中に刻み付けると同時に、後の時代で同じことを再び繰り返さないように語り継いでいかなければならないのだということを強く感じました。

 

(高等部2年 女子生徒)

 

 

豊かな自然に囲まれた理想の教育環境。そしてそこで毎日を過ごす元気一杯の生徒たち。

生き生きした生活の様子、本場イギリスでの英語学習体験 …etc. ありとあらゆる情報をお伝えします。

本校の新しいホームページを是非一度ご訪問ください。

4月9日、地元ホーシャムの町で行われる東日本大震災の為のチャリティーイベントについて、地元紙 West Sussex County Times にその紹介記事が掲載されました。
この企画を運営しているのは地元に住む日本人有志の方々、これに立教英国学院の教員、家族も参加しています。
1週間後に迫ったイベントを前に、連日の打ち合わせが続いています。この新聞記事には間に合いませんでしたが、企画者の交渉の甲斐あって、日本の被災地で救助活動に参加した地元のレスキューチームの方々もこのイベントに参加してくれることになりました。この他にも折り紙ワークショップ、日本語を使った栞作り、箸を使ったゲームやヨーヨー釣りなど様々な企画が用意されています。立教関係者も茶道や剣道のデモンストレーションをしたり、着物(浴衣)の着付けコーナーを設けるなどして参加の予定です。
日本では震災後数週間が経ってもなお様々な苦労が続き、改めて今回の大惨事がもたらした影響の大きさを思い知らされます。ここイギリスでも沢山の人たちが支援活動をしています。それを通してイギリスの人々の暖かい心や援助が遠い日本までしっかり届くよう願っております。

 

 

 

 

東日本大震災で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

たくさんの方々が亡くなられ、予断を許さない状況が続いております。救援、明日の生活、復興、様々に不安な思いを持たれていることでしょう。外地におります私たちも、心がはり裂けるような思いで祖国のニュースを見てきました。

「いま私たちに何ができるだろう?」

英国政府や企業は救助活動や物資などの面から手を差し伸べてくれています。また海外在住の邦人たちによって、各国で募金活動が行われています。英国だけでも分かっているだけで20件以上の募金活動が実施され、同数以上がこれから予定されています。一人一人の英国人達は今、深い気持ちをもって援助して下さっています。私たちだからこそ出来ることを行い、少しでも力になりたいと考えています。

被災された方々、亡くなられた方々、非常に厳しい状況で毎日力を尽くして下さる原子力発電所の方々。私たちはこの出来事を決して忘れないでゆこうと思います。

祖国日本の一日も早い復興を心よりお祈りしております。

 


イギリス/本校における東北関東大震災に伴う様々な動きをお伝えするページはこちらです。

学期中は英国の緑豊かな環境の中で皆一緒に暮らしている生徒達。

休暇中はそれぞれの国に戻り、いろいろな体験をしています。

そんな立教生の世界各地での体験談やレポートをお届けします。

 

 

「南米の秋」

 

アルゼンチンに秋が来た。この間まで30℃を越える夏日だったのに。

我が家は衣替えでわたわたしてる。

南米というと「1年中夏なんじゃないの?」と思われることもあるが意外にもアルゼンチンは南緯が高すぎて逆に寒いのだ。南極に近いと考えてもらいたい。

 

そしてこの国は日本から1番遠い。

だから日本人にはなじみがない(人が多いと思う。)

アルゼンチンのイメージはせいぜい「サッカー」とか「タンゴ」とかそんなところだと思う。

私もここに住む前はそんなイメージだった。

それに飛行機から見たアルゼンチンは大草原(パンパ)が広がる「未開の地」

ほんとうに人が住んでるの?という感じだった。

しかし空港を出て市内に向かえば、超高層ビルの数々。

何も言わなければヨーロッパと思えるほどだ。

 

そんなアルゼンチンでみなさんに知ってもらいたいのは

「世界で3番目に大きい本屋さん」

写真でもわかると思いますが、もとは劇場だったところ。

3階席だったところにも本棚がずらりと並べられ本好きの私としては夢のような場所。

(ただ残念ながらスペイン語がほとんどできないのでたくさん並んでいても手にとってふむふむとはいかないが。)

 

と、アルゼンチンには日本人がなかなか知らないたくさんの顔があります。これからもそれをお伝えできればなと思います。

 

(高等部1年生 女子)

 

1983年12月に英国を離れて以来初めて戻ってきました。

懐かしい本館やHut、テニスコート、ガーデンハウス、South Downの眺めが、ほぼ30年ぶりに目に入ってきましたが、変わらない昔を思い起こさせてくれました。

棟近先生ご夫妻、急な連絡にもかかわらず、おいしい昼食とご案内をして頂きありがとうございました。

生徒数が少し減ったようですが、我が立教英国学院は永遠と信じます。

3月12日に行われた卒業終業礼拝で、冬期休暇中に全校生徒が書いた読書感想文の表彰がありました。

その中から金賞、銀賞の作品を3回に分けてご紹介致します。

第2回は銀賞、中学部2年男子生徒の作品です。

 

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告白

 

僕は、告白という本を読みました。理由は学校で少し読んだ時に、この本は、すごいなと思ったからです。

 なぜすごいと思ったのか? それは、小説の書き方です。

普通の小説は、主人公は1人だと思います。しかし、この小説は1つの事件に対しての語り手が先生、級友、犯人の家族、犯人とどんどん変わっていくので、主人公は4人もいます。

僕は、こういうアイディアを思いつき、主人公が4人いるのにうまくまとめているところがすごいと思いました。

 次に、この小説を読んで自分の考えが変わったところもあります。

 1つ目は、「数年前からひきこもり、ニートという言葉をよく耳にします。

私はこれに該当する者に、このような名称を与えてしまったことが問題ではないかと思っているのです。」これは、確かに!と思いました。

僕達は、どこかに所属していたり、肩書きがあることによって、安心感を得ています。どこにも所属していないということは、自分が社会の一員として存在していないのと同じことです。

大抵の人は、そのような立場になれば、不安と焦りを抱き、1日も早く自分の存在場所を確保しようと努力するのではないでしょうか。という事も、小説には書いてありました。

ここは、この小説で一番印象に残ったところです。

 つまり、今僕は中学生というものに所属しています。

しかし、中学生に所属せず(ありえませんが)家に引きこもって好きなことばかりしていると、社会の一員として存在しなくなり、不安や焦りが出てきます。

でも、ニートなどという言葉があると、

「僕はニートだぜ」

などと言ってニートという物に所属し、安心感を得て学校に行かなくなります。

 この本を読んだ後、周囲の景色が少し変わって見えました。

 

(中学部2年 男子生徒)

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