水曜日の朝はいつも学年集会から始まります。
冬のコモンスペース(教室前の広い廊下のような場所)の床は
体育座りをしているとお尻が冷たくなってしまいますが、
子ども達は真剣な眼差しで先生のお話を聞いています。
担任や専科の枠を超えて色々な先生方が
子ども達のためにお話をするのですが、
今日は私が2年生の子ども達の前で話したことを、
僭越ながらご紹介させていただこうと思います。
以下、しゃべり言葉ですので読みづらい箇所があります。
ご了承ください。
今日は先生が最近気付いたことをお話しようかと思います!
先生はそれまでずっと、そのことが不思議でなりませんでした。
何が不思議だったかというと、
例えば、クラスにおしゃべりが過ぎる子がいたとします。
先生はその子に「うるさいよ!静かにしなさい!」と注意しました。
すると、その子はおしゃべりを止め、ひとまずは静かになりました。
けれど、先生はおしゃべりをしていないはずのその子が
まだうるさくしているように感じました。
「なんでだろう?」と思って、その子をよく観察してみると、
おしゃべりはしていなかったのですが、
口元がゆるくて歯が見えていたり、
横や後ろをきょろきょろと見ていて落ち着きがなかったのです。
その時、先生は気付きました。
『うるさい』というのは耳だけで感じるものではないのだな。
目で見て、うるさいと感じるのは何故だろう?
先生は『うるさい』という言葉を調べてみました。
すると、意外なことが分かったのです。
『うるさい』のもとの言葉は『うるさし』といって、
『うる』は『心』のこと、『さし』は『狭し』のことなのだそうです。
心が狭い・・・
そうか。
おしゃべりをしていなかったとしても、授業に心が向いていなくて、
自分だけの世界になっている。落ち着きがない。
つまり、『心が狭く』なっているからうるさいと感じたんだな。
と先生は気付きました。
皆さんはどうでしょうか?
「静かにしなさい」と注意された時に、口を紡ぐだけでなく、
心の中からしっかり正そうとできているでしょうか。
心が正せていないと、その場だけおしゃべりを止められても、
またすぐに同じ注意をされてしまいますね。
何か注意をされた時には、心から正すようにしましょう。
これで先生のお話を終わります。