rikkyo school in england

 

久しぶりの晴天。昨晩の雨がキャンパスの芝生をしっとりと落ち着かせていた。遠くから生徒達の楽しそうな声。芝生の上には何やら見慣れぬ生き物が… 子犬よりも大きな生き物がすくっと立って大きな目でこちらを見つめていた ーー イーグルオウル。
「あまり近くに寄り過ぎてはダメよ。」
ECのイギリス人の先生がフクロウの周りに集まった生徒達に穏やかに呼びかける。
「大き〜い!翼を広げたらどのくらいかなぁ?」
「Owl manに聞いて御覧なさい…」
先生に促されるとそれほどためらわずに元気に聞いた。
「そうだね、こうして見てるだけでも大きいけど、翼を広げると1.5メートルはあるんだ。」
一見寡黙な雰囲気のおじさんだったが生徒達の質問にはゆっくりと温かい目で答えてくれた。

このEC(English Communication)の授業に招かれたMr. Kenwardは地元に住むフクロウ使い。近隣の学校や施設に行ってフクロウたちを子供達に紹介している。今回はECのシャープ先生のアイデアでフクロウ達を立教に連れて来てもらった。事前の準備もたっぷりした。フクロウについて英語でいろいろな情報を集めて皆でディスカッションをしたり、フクロウ使いのおじさんにする質問もたくさん用意した。英語を習い始めて数ヶ月の小学校5年生もノートにしっかり質問を書き留めていた。
“How old are the owls?”

「このフクロウは52才。フクロウは随分長生きなんだよ。」
「向こうにいる白いフクロウが見えるかい? あれがハリーポッターに出てくるのと同じ種類だよ。それからほら、そのバスケットの中を覗いてごらん。」

芝生の上に出ているフクロウは大小合わせて5羽ほどいたが、もう一羽、芝の片隅にチョコンとおいてあるバスケットの中にもフクロウがいた。
「かわいい〜!!」
女子生徒達が大騒ぎ。バスケットの中にいたのは毛むくじゃらのフクロウの赤ちゃん。他のフクロウとはいささか違って見えたが、ギョロリとした大きな目だけは同じだった。

「ん〜、それはちょっと難しい質問だな。」
芝の向こうではMr. Kenward が今度は高校生のグループに囲まれて質問を受けていた。高校生になると質問の内容もずっと高度だ。Mr. Kenwardは1時間目の授業から昼食直前の4時間目まで、代わる代わるやって来る生徒達の質問に一生懸命答えてくれた。おまけにフクロウ達を生徒達の腕に乗せてくれるサービスも…  厚手のカバーを腕に巻いて準備が出来るとMr. Kenwardがゆっくりとフクロウを乗せてくれた。英語の質問をする時よりもずっと緊張した面持ちで腕を差し出す女子生徒。でもいったんその腕にフクロウが乗ると嬉しそうに友達に写真を撮ってもらっていた。
“Can I touch him?”
“Of course, but gently….”

大満足の生徒達。そして4時間も付き合ってくれたMr. Kenwardも立教の生徒達のことを大いに気に入ってくれたらしい。
「いろんな学校をまわっている人だけど、立教の生徒達はとっても礼儀正しくていい子達だって言ってたわ。今度あの赤ちゃんフクロウが大きくなったらまた見せに来てくれるって!」
雨上がりの快晴が良かったのか、生徒達の準備が良かったのか、はたまたMr. Kenwardの穏やかな人柄のお陰か、この企画の責任者、シャープ先生は満面の笑顔で嬉しそうに続けた。

「いいアイデアがあるの。今度は蛇使いってどう?ほら、こうやって首の周りに乗せてくれるの… 本気よ。目星はついているから…」

ECの授業がまた面白くなりそうだ。

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球技大会は、一年の中で一番最初の全校行事である。だから時差ボケでスポーツをするのはとても辛かった。種目はバスケ。僕は団体競技が苦手で、特にバスケは苦手な一つだった。でも中一、中二と頑張って続けてきたので挑戦してみた。

休みはあまりなく、常にボールを持っているか走っているか、それだけだった。平日は授業が終わると、着替えて練習、土日の午後は全部練習。苦手な僕にとっては、地獄だった。しかし、お互い声を掛け合ったり、教えてもらったりしていると、楽になれる。チームプレイで重要なのは助け合うこと。それがわかった。

ぼくは背が低く、力も弱いので、相手や味方と比べたら、ただの棒だ。遠くからシュートはできない、ディフェンスの時も相手にかわされる、役立たずの存在だ。でもこんな僕に合う良い作戦があった。ディフェンスの時に僕はボールをドリブルして襲ってくる敵をカバーし、仮にそれが僕をかわしてシュートしても、味方がカットしたり、リバウンドでとれば守れる。そこからが僕の重要な任務だ。味方がとった瞬間、敵がいないゴールに向かって走行し、そして味方が僕に投げたボールをキャッチしてレイアップで決めるという作戦だ。こういう作戦だからって簡単にかわさせてあげてはいけないのでベストをつくさなければならなかった。

練習していくうちにシュートとかもだんだんうまくなっていったが、オフェンスのコツがどうしてもつかめなかった。それで先輩に怒られたりして練習に行きたくない思いが強くなっていった。でも、自分は今回の球技大会でシュートして点を決めてチームに貢献することが大きな目標だった。だからメロスのように勇気をふりしぼって毎日練習をした。勉強も忙しくて、スポーツで疲れて、精神的にも肉体的にも疲れてしまった自分は何より寝る時間が一番幸せだった。何にもしないで休めるのが一番自分を助けてくれると思った。
練習する時間がもう少ない、球技大会前日、緊張と不安に包まれてすごく体が重かった。でも明日で終わると思うとやる気が起きた。
そして当日。自分にとっては運命の日であった。果たして今まで練習してきた成果を発揮できるか、勝てるか、心配だった。味方に迷惑をかけない、周りを見て判断して自分ができることを見つける、それを心に留めた。

敵は普段とは違う雰囲気で恐ろしかったので、相手をにらみつけながら、味方に声を掛けながら試合は進んでいった。すると、ちょうどゴール下にいた自分はゴールを見つめてボールが出るか入るか見ていた。出た瞬間、飛び上がりボールをキャッチし、ボードに書いてある四角の角をめがけて打つと、ボールは入った。そう、点を決めたのだ。そうすると、不安もふき飛び、チームに貢献できて、本当に嬉しかった。このようなことが三回あり、結果僕は六点決めることができた。ボールをカットしてレイアップで点を決めることはできなかったが、自分が目標にしていた事が達成できた。

バスケは男女両方とも全勝し、結果はエメラルドの優勝。二百点差の圧勝だった。その中に自分が決めたのも入っていると思うと、すごく嬉しかった。
球技大会をやり通した事で新入生との仲も深まり、今回は最高な球技大会だったと思う。一生残る思い出、立教にいて忘れられない思い出が作れて良かった。これからも様々な学校行事に積極的に参加しようと思う。

(中学部3年生 男子)

rikkyo school in englandよくよく考えてみると、もう中二である。この年齢になるといい加減自立しなければいけないと徐々に感じていた。そのため、春休みに自立できるように努力しようと思った。
春休み中に祖母の家に泊まる予定があったので、自立するために勉強の計画を自分で考えたり、また寮に戻る際に必要な物などを考えたり、自立できるようになるために頭を使い、いろいろ考えた。
また、自立できるようになるためには、自分自身の能力もあるが、心もいろいろ物事が降りかかってきても耐えられるようにしておかないといけないと感じ、いろいろなことを体験し、学ぶ、そして自分の心に余裕を持てるようにするということを意識して行った。
その結果、徐々に自分で成し遂げられることが増えてきて、目標へと一歩ずつ進んだが、それからが難しかった。それは自分で成し遂げられることが多くなったとしても、その成し遂げられることを自分から率先してやらないと自立へは結びつかないからである。
その自分から率先してやるということが完全にできるようになるには長い期間がかかると思い、自立すること以外にもう1つ目標を作った。それは毎日外に出ることだ。前の夏休みや冬休みでは家の中に1日中いることが多かったが、それはよくないと思いこの目標を立てた。
その目標を立ててから1日目、思い切って外に出てみた。でも、何も変わった様子はなく、ただ普通の道をうろついて散歩して終わった。その時私は何か面白みを持たないと外に出ることなどただの苦痛だと感じ2日目まで考えていた。でも全くいい考えが浮かばなかった。
そして2日目になりまた外に出た。面白みを見いだせなかったため同じことが再び起こると思ったが、とりあえず外に出て新しい発見をしようという決意で外に出た。すると、隣の家の車が新車になっていたり、りすが走っていたり、昨日には発見できなかった新しい出来事が沢山おこっていて、遂に面白みを掴めた。それは、昨日と違う点を見つけることにあると感じた。
面白みを掴むと苦痛を感じることなく継続できた。
こうして春休みは終盤を向かえ、この作文を書いているが、春休みで習得したものを十分に発揮し、新たなスタートを切りたい。 さらに、チャレンジして駄目だった点を改善してうまく繋げていくことでもっと良くなることも分かった。だから、成功を生み出すためには準備が必要である。

(中学部2年生 男子)

rikkyo school in england「20、20、23、24、24」
リズムに乗っていながらも、威勢の良い声が響いている。その声と速さとに圧倒されない人は誰一人いなかった。

家族三人で朝の三時に起き、築地市場のまぐろの競りを見に行った。そこに集まっている見学者は、おどろいたことに外国人ばかりであった。年間の九割は外国人らしい。私はテレビでは見たことがあるが、競りを間近で見るのは生まれて初めてだった。そして、実際に築地市場に行って分かった。テレビではわからない魚の匂い。間近で見られる魚の大きさ。

立教の鐘にそっくりな形と音の鐘を鳴らしながら競り師が台に立ち、寿司屋の人やスーパーの人を呼び寄せている。私はやっと始まるのだと思い、胸を躍らせた。台に立っている競り師が軽くおじぎをしてから始まった。突然、
「20、20」
と競り師が言った。そしたら一人手を挙げ、
「23」
と言う。競り師は
「23、23」
と言う。次は別の人が、
「24」
と言う。この繰り返しらしい。その数より高い値段で買う人がいなければそれで決まり。ルールは簡単だが、スピードが速い。私は途中で何を言っているのかわからなくなってしまった。もはや暗号に聞こえる。そしていつの間にか終わってしまう。始まってから終わるまでおよそ一分。ぼーっとしていたら、あっという間に終わってしまう。

25分のマグロの競り見学も終わり、今は6時15分。朝ご飯の時間だ。せっかくなので、築地市場の場内にある寿司屋で朝ご飯を食べることにした。場内で一番人気な店「寿司大」に行くことにした。しかし「寿司大」に行ってみると店の前ではない場所まで、たくさん人が並んでいる。それでも父が食べたいというので、並ぶことにした。ここに並んでいる人も韓国や台湾の人が多かった。キャリーバッグを持って並んでいる人も数名いる。インターネットから印刷した紙を手に持っている。

並び始めて1時間経ってから、店の人が来た。店の人は
「四時間かかりますけど、お時間大丈夫ですか?」
と言った。私の父と母は
「えっ、四時間ですか?」
と聞き返した。父はその言葉を聞き、他の店に行くか迷っていた。母も
「他の店に行こう」
と言った。それでもあきらめたくない父は、私と一緒に散歩に行った。父はスマートフォンで「寿司大」を調べた。インターネットには「寿司大」は「東京一」と書かれてあった。そして、口コミを見ると、みんな大絶賛していた。私の父は東京一の寿司を食べたいため、母のいる場所に行った。

朝早く起き、お腹が空いているためぼーっと外を見た。外には変わった乗り物に乗ってたくさんの人が働いている。その乗り物とは、「ターレ」だ。「ターレ」は日本の卸売場、倉庫、駅構内などで荷役用として広く利用されている。私は珍しい乗り物、「ターレ」に目を奪われた。ずっと見ていると色の種類が豊富なことが分かった。赤、青、黄やピンクなどたくさんあった。私は「ターレ」を見て、つまらなかった時間を少し楽しむことができた。
並んでから4時間が経った。列は少し進み、やっと店の前まで来た。あと少しだ。私も親もうれしくなった。

それから30分が経ち11時だ。とうとう店の前の1列目まで来た。のれんをよけて窓越しに店内を見ると、笑顔で食べている人が見えた。しかしここっからが長い。お昼近くの時間になってしまった。
「お腹空いた」
と言った。我慢していたが、もう我慢できなくなった。「寿司大」の近くにはおいしそうな卵焼きを売っている店がある。私はそれを食べたくなってしまった。ところが父に
「お腹が空いていた方がおいしく感じるよ」
と言われた。私はしぶしぶ我慢した。

ついに順番が回ってきた。店の中に入った。板前さんは
「へい、いらっしゃい。長い時間待たせてごめんなさい。」
と言った。私はその言葉に心があたたまった。もちろんマグロや他の珍しい魚などをたくさん食べた。家族三人のほおがほころんだ。さっきまでのつらさを忘れさせてくれるようなおいしい寿司だった。私も母も父も
「んー。おいしい。並んで正解」
という思いでいっぱいだった。最後に好きなものを一つ頼んで良いため、両親は値段の高いアワビを頼んでいた。私は食べたことがなかったのだが、好奇心からアワビを頼んでみた。味はあまりない。コリコリした食感があった。私は思っていた味とは違っていたため、がっかりした。

ふとマグロの競りの映像が頭の中を横切った。ほんの25分の出来事が私には一時間の出来事に感じた。あまり経験できないことをしたので、頭にしっかり刻みこまれた。わざわざキャリーバッグを持って遠くから来ている人もいると知り、ここ築地は「世界の台所」だと思った。

(中学部3年生 女子)

rikkyo school in england今回の春休みで一番深く感じた事は、「国民性の違い」です。休みに時時通う英語学校では普段プライベートレッスンしかしませんが、今回は少し苦手なグループレッスンに一週間チャレンジしてみました。

この英語学校の生徒は、イギリス人は勿論いなくほとんどはヨーロッパの人々です。僕が何故グループレッスンが苦手かというとみんなの会話に入れないからです。彼らはとても話すのが速く、沢山話し、自己主張が強いからです。その中に入るのはとても難しいです。彼らは半年ぐらいのイギリス滞在の期間に全ての英語経験を吸い取ってやるという強い気持ちがあり、たとえ全く違う文法でも必ず会話に入っていくという所があります。しかし自己主張が苦手な日本人はなかなか話に入っていくことは得意ではありません。このような国民性を僕はとてもよくないと思います。だからこの一週間で少しでも多く会話に入っていけるように努力をしました。例えば、声を大きくしたり、一つの話題からどんどん他の話題に膨らませたり、人が話している時に自分の意見を言うということです。最後に挙げた例は日本人にとっては失礼なマナーですがヨーロッパの人にとっては逆に沢山意見を言うという点では悪くないマナーだとも感じられます。これらの事を実行するのは難しかったですが少しの成長も感じ取れた気がしました。

このようなさまざまな「国民性の違い」を肌で体験することにより、自分の足りない部分などを改めて確かめることが出来ました。そして、これらの事をこれからの生活につなげていきたいと思います。

(高等部2年生 男子)

rikkyo school in england唐突だが、僕はイタリア語を勉強している。日本語、英語は勿論だが、親から何かしら一つラテン系の言葉を知っておくといいと薦められたからだ。

そして、この春休み、家族でポルトガルへ旅行した。ポルトガル語はスペイン語やイタリア語と同じ、ラテン系の言葉だ。実際、旅行先でもイタリア語と似た単語や同じ単語を目にする機会があった。その度に、仲間の言語が沢山あるラテン系言語は面白いなぁと思った。

グローバルだ、何だと騒いでる今の世界だと、英語が出来るとやはり重宝されるだろう。立教も英語教育に力を入れているのが分かる。

しかし、母国語(僕の場合は日本語)と英語だけではなんとなく言語の幅が狭すぎると思う。ラテン系言語を知っていれば、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、そしてその国の植民地であったアフリカや中南米でも自分の知っている言語で話せるようになる訳である。

当然、日本語と全く形態の違う言語を二つも習得することはとてつもなくハードなことだと思う。でも、そういった言葉でも英語や日本語の外来語と似ている単語は多い(駅はstazioneだしカードはcartaだ。)
これからもめげずにイタリア語の勉強に励みたい。目指せ、三ヶ国語マスター!!

(高等部2年生 男子)

rikkyo school in englandこの春休み僕はスペインのバルセロナという所に二泊三日で行ってきました。バルセロナでは、母の要望もありガウディの作品を見ました。サクラダファミリアやグエル公園、グエル邸、カサ・ミラを見ました。僕が食べたかったスペインのシーフードパエリアを食べることも出来てとても充実した旅行であったと思います。

僕はバルセロナに行き思ったことがあります。バルセロナは主な収入源が観光なので、とても町が歩きやすいということです。大きな道路の真ん中を歩行者専用の並木道が通っており、その脇の道路は混雑しないように一方通行になっているのです。町には至る所にゴミ箱が設置されており、ポイ捨てを防ぐようになっています。さらに観光客の足とも言えるタクシーは車体の色が黄色と黒で目立つ色となっているので、とても分かりやすいです。

バルセロナはとても整備が行き届いていて良い町でした。どんなにすばらしい建物があってもその町が不便なら人は集まりません。町の整備は理にかなっています。この旅行で町の整備の大切さについて知ることが出来ました。楽しめればいいかと思って軽い気持ちで行ったバルセロナで一つ学ぶことが出来て良かったです。

(高等部2年生 男子)

rikkyo school in england満開の桜を見る度に、ああ去年はもう散り尽くしたあとだった、と感慨が胸に押し寄せる。花が咲いているせいか、春、新学年の始まりを身にしみて感じるのはわたしだけだろうか。そしてそう考えるとき、わたしは常に一年という時間の長さと短さを思い知るのだ。

一年前のわたしは文字通り右も左もわからなくて、新しい生活におろおろするばかりであった。それから、思いきり笑ったり泣いたりして日々を過ごし、自分でも気付かぬうちに大きく成長したことだろう。しかし、たくさんの新入生を前にして、一年前憧れた先輩になれているのかと自問すれば、その答は否かもしれない。見えるところも見えないところも、この特殊な環境での一年分、大人になれているのだろうか。少なくとも、春休みが始まった頃は、一月後の自分が負うであろう義務や責任を、自覚していなかった。

春休みに、横須賀に保存されている古い戦艦を観に行った。世界三大記念艦の一つに数えられる「三笠」は、日本海海戦における大勝利をもたらした帝国海軍の、自慢の軍艦であった。約百年前、露国のバルチック艦隊を前にして、連合艦隊の旗艦である「三笠」は信号旗を掲げる。Z旗とよばれるそれは、「皇國ノ興廃此の一戦ニアリ 各員一層奮励努力セヨ」という意味を持っていた。近代化の波に乗り、今まさにそこから振りおとされそうな極東の兵士たちの士気を、これほどまでに鼓舞した言葉があっただろうか。
この有名な信号文を改めて見たとき、わたしはこの言葉が、海軍の兵士たちにのみならず、わたし自身にも向けられていることを悟った。

「皇國」はわたし自身、「各員」はわたしの心身すべての部分。そして「此の一戦」は高校二年生として過ごす一年を指す。グローバルでシビアな現代社会に足を踏み入れ、列強の仲間入りを果たした日本=わたしの将来は、この一年にかかっている。Z旗に、そういわれた気がした。この信号文は、大学受験を視野に入れ、学校を引っ張って行く学年を迎えるわたしに、「一層奮励努力」しろ、と渇を入れているのだ。やがて大人になったときに厳しい世の中で生き残るためには、今「此ノ一戦」を制せなければならない。組織の中心となって学校を動かし、社会的責任も大きくなる高校二年生は、大人という名の列強の列の後方に、並んでいる。わたしはこの信号を見て、その義務や果たすべき役割を、はっきり自覚した。

先学期、高野チャプレンも繰り返し仰った。人生を決めるのは学生時代の生き方だと。学生時代の努力や培った人間性が、その人を作るのだと。

満開の桜を背景に、今わたしの目の前には、Z旗が掲げられている。

(高等部2年生 女子)

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球技大会が終わって3日目。そろそろ疲れが見え始めた火曜日は午後ブレイク。午後以降の授業をカットして皆それぞれが思い思いにくつろぐお休みになりました。

小学生はこの午後を利用して学校から車で20分ほどのところにあるNewlands Cornerに外出しました。小高い丘を尾根伝いに車で登り、その道がぐっと曲がったところに駐車場があり、ここから丘を散策するコースがあちこちに続いています。日差しもすっかり春らしくなって正に散策日和の午後でした。あたりを一望できるこの丘からの眺めはなかなかのもの。パッチワークのようにはるか彼方にまで広がる田園風景に皆すっかり心を奪われたようでした。元気に丘を歩き回りたっぷりリフレッシュできた散策の様子はこちらのギャラリーでご覧下さい。

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5月19日(日) 10:00 – 16:00 に東京国際フォーラム(東京都千代田区丸の内3-5-1) B2F 展示ホール 1・2で開催されるベネッセ進学フェアに本校もブース参加を致します。当日はイギリスから担当教員が参ります。会場内の本校ブースにて個別相談に対応します。フェア詳細につきましてはベネッセのホームページでご確認ください。

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