922日木曜日。 この日、立教は「午後ブレイク」の日でした。学期がはじまって10日が経つと、立教では必ず、授業は午前中だけで午後はお休みの日があります。長期の休みが終わって始まった新学期、寮の学校生活に徐々に慣れるものの、はじめはややギャップが大きく感じられます。10日目ごろに「午後ブレイク」(休み)をもうけて、ひと息つくようにしています。

 

さてこの日は、茶道部員7名が大英博物館へ外出しました。7月に茶道裏千家のロンドン事務所から、大英博物館にて行われる催しのご案内を頂いていました。昨年も外出した茶道の催し、今年は裏千家の15代お家元による講演会です。15代お家元は斎号を鵬雲斎(ほううんさい)と仰り、2002年に16代坐忘斎お家元へ譲り、現在は「大宗匠」とおよびしています。戦後、世界各国を巡り、茶道の国際普及に尽力してこられ、その精神は「一碗からピースフルネスを」のお言葉に溢れています。今回の渡英では、大英博物館での講演とともに、夕方にはランベス・パレス(カンタベリー大司教のロンドンにおける住まい)での礼拝で、世界平和を祈念する献茶式が執り行われました。

 

大英博物館での催しは、呈茶(お菓子と抹茶の体験)と、大宗匠による講演会で構成されていました。

 

博物館に到着すると、展示エリアと離れた講堂前の広いスペースで、まずはお茶とお菓子をいただきました。日本の方だけでなく英国の方も数多く訪れ、少しばかり圧倒されましたが、お茶の心得がしっかりある部員たちは、堂々と味わえたようです。お茶碗の正面をよけていただき、飲み終わったあとに飲み口をぬぐう生徒たちの姿に、呈茶を行っていた裏千家の方からお褒めの言葉をいただいて、大変うれしく思いました。お菓子を頂いた瞬間に、生徒たちは「来てよかった!」と一言。感想を口にするのは、少し早いぞと引率教員は思うのでした。

 

その後、講演会場へ移動し、いざ大宗匠の講演の始まりです。会場は満席で、数名ずつ分かれて座るほど、立ち見のお客さんもいらっしゃいました。大宗匠のお話はきっと難しいのだろう、と身構えていた部員たちでしたが、決して難しいお話ではなく、どのようにして相手をおもてなしするか、お茶を美味しく飲むにはどうしたらいいか、など、茶道についてではありますが、日々の生活にも通じる、わかりやすく、スッと心に入ってくるお話でした。そればかりか、大宗匠はとてもユーモラスな方。緊張した雰囲気が漂っていた会場は、あっという間にリラックスした空気に包まれ、大宗匠の分かりやすいお話とも相まって、人としてとても大切なことを学んだなと感じました。立教生の生活にも反映できる、とても大切なメッセージを受け取ることができたと思います。 

 

お話が一区切りしたところで、一般的なお点前(お茶席の流れ)の実演が始まりました。会場の舞台には、臨時の茶室が設えられ、床の間には、大宗匠自らが書かれた雄大な「無」のお軸、英国で用意されたすすきや木槿・りんどうなどの茶花が飾られていました。実演のお点前は、部活の時間にお互いの割り稽古や点前を見るのとは、わけが違います。一つ一つの動作を、部員たちは真剣に観察していました。

「袱紗捌きがきれいだった」

「動きがきれいだった」

「無駄な動きがなかった」

など、講演会終了後、みな口々に発していました。この体験が、次の成果へ期待できそうです。

  

講演と実演が終了し、大英博物館内で記念写真をとると、部員たちは「本物が見られて良い経験だった」「来年もあるといいな」と満足そうな笑顔で帰途に就きました。講演会前に、大宗匠に直接お声を掛けて頂いた生徒もあり、忘れられない日となったのは間違いありません。何が本物で、何が違うのか、そういった差違が本当にあるのかどうかは分かりませんが、少なくとも大宗匠のお話から、人と人とが共に生きてゆくということは、こころ一つなのだということを感じ入りました。

                                   

■■■まだまだ英語を習い始めたばかりの中学生達が地元の町や村に繰り出して体当たりで英語を試すイギリス文化体験記。レポート、写真、集計、地図作り等分担して生徒達自らの手で作り上げた作品をお楽しみください。■■■

 

私たちM2は英語の授業で「イギリスの文化や町に触れよう」ということで12週間に1回のペースで周りの町や村に出て調査をしています。

 

1回目の今日は私たちの知らない村に行って、現地の人に店や公共施設などがどこにあるのかを聞き、その村の地図を作る取り組みを行いました。

 

先生が連れて行ってくださったのはBillingshurstという小さな村でした。住宅が多くとても暖かい感じの村です。私たちはメインストリートや、そのわき道にある店をメモし、ぱっと見ただけでは見つけられなかった店を現地の人に聞くことにました。

私たちの班が聞いたのは中華レストラン、インド料理のレストラン、本屋はどこかということです。みんなで現地の人とのやり取りを想定し、尋ねる例文を作ったものの、なかなか通り行く人々に一声をかけられません。思い切って声をかけたのに、断られてしまったり、言った英語が通じなかったりもしましたが、答えてくれて、道を教えてくれた人たちもいました。

 

5人という少ない人数での調査でしたが、一番多い人で4人の英国人に聞くことができ、合計で11人の人と話すことができました。

 

Billingshurstにある店は10、公共施設は4、学校が2、レストランが7、合計23個になりました。

 

20分という短い間しか村にはいられませんでしたが、大まかな地図がかけた時点で今日の授業は終わりました。次回はもっと詳しい地図が書けるようにたくさん現地の人に質問したいです。

                       

卒業以来初めて訪問させていただきました。

諸々ご迷惑をおかけしてしまい申し訳なかったのですが、先生方のあたたかいお心遣い、優しさに触れ、元気を取り戻すことができました。本当に感謝してもしきれない位です。立教生で良かったなぁ、と今日ほど強く感じたことはありません。どうもありがとうございました。

今度は恩返しに来たいなぁと思っております。

                

先日ロンドンで行われた茶道裏千家の15代お家元(前代のお家元で、現在は大宗匠とおよびします)による講演会を、茶道部として聞きに行かせて頂きました。

講演の内容は、文化という「最高の教養」を通して、自分や世界を見つめ直すべきだというものでした。

これだけだと難しいことを話されていたように思いますが、そんなことはありません。

茶道を知らない人にも、英国人の人にも、分かりやすい人間本来のあるべき姿を教えて頂きました。

 

 私が覚えている範囲で聞いたことをお伝えしたいと思います。

まず「無」の教え。人間は生まれた時には「無」であったということ。

それが生きていくうちに欲ばりになってしまっているということ。

今回の地震でも分かったように、いつ「無」になるか分からないからこそ自分の生き方を常に意識するように、とおっしゃっていました。

そして、同じお茶でもペットボトルのものをグラスに入れて両手を添えて相手にだすことでよりおいしく頂くということが「心の優しさ」なのだとおっしゃっていました。

また、英国の紅茶、日本の緑茶の例を出して、「お茶を見つめながら相手を大事にする」ということを教えて頂きました。

この他にもお茶のお点前が弓道やカトリックのミサに似ていることなど、たくさんの興味深いお話を聞くことができました。

一見堅苦しいように見える茶道ですが、「相手を思いやること」、「全てに感謝すること」など、様々なことに気づかされると思います。

今は茶室で、正座ではなくあぐらをかいていいようになったそうで、よりたくさんの人が気軽に茶道に触れられたらな、と思います。

 

講演会の前、ホールの前にいると、大宗匠が話しかけて下さって、少しですが話すことができました。

立教生だと言うと、自分は同志社で姉妹校ですね、とおっしゃって、昔立教大学を卒業したお友達に教わったという歌を歌っていらっしゃいました。

こんな貴重な経験ができたことを、私は絶対に忘れません。

 

最後に、講演会で一番印象に残った千利休の言葉を。

「はじをすて人に物とい習うべし これぞ上手の基なりける」

 

(高等部2年生 女子)

                           

学校が始まってから1週間が経ち本格的に2学期が動き始めた第2週目、920日に全校写真撮影が行われました。

 

天気は曇り、風の無い穏やかな朝だったので、写真撮影には最適。午前中の授業が始まる頃から撮影業者が来て体育館の隣の校庭に大きな足場を組んでいきます。全校生徒、日本人・イギリス人の全教員、キッチンスタッフやドメスティックスタッフ、事務のイギリス人など学校にいるあらゆる人たちが毎年同じ写真の中にその年その年の姿を収めます。先週入学したばかりなのにもうすっかり友達と打ち解けている新入生達、そして去年の写真撮影後に入学した生徒達にとっても今回が初めての全校写真撮影です。

 

2時間目が終わると全員中庭に集合。背の順に並んでから高校3年生を先頭に撮影場所に向かいました。撮影スタッフの指示に従って足場を登り、赤ネクタイの高3が全員並び終わったところで、撮影スタッフが何気なく言いました。

「さぁ、真ん中にいる君たちがお手本だからね。しっかり並んでいてくれよ。君たちを見て他の生徒達も台に上がって並んで行くんだからね。」

 

そのセリフが妙に意味深く思えたのは、彼ら高3にとってはこれが最後の全校写真撮影であり、そして始まったばかりのこの学期が実質上最後の学校生活である事をふと思い出させてくれたからかも知れません。自分達が最高学年の赤いネクタイをして写る最後の写真、いつかこの日がくる事は知っていても、いざその時がくるとその思いはちょっと複雑なようでした。精一杯の笑顔を浮かべながら今年の高校3年生も貫禄十分な姿でその大きな写真の真ん中にしっかりと収まりました。

                   

八月の上旬に家族全員で富士山に登りました。

山岳ガイドツアーを利用する人も多いのですが、私たちはフリーで挑みました。

まず五合目に着き、一時間くらいのんびりして、それから登り始めました。(いきなり登ると、高山病になりやすくなるためです。)

 五合目から六合目まではなだらかな坂道のため、頂上までもすぐ行けるだろうと思ったのが間違いでした。

登り始めてすぐに私は、空気が少ないせいか疲れてしまい、『休みたい』と思いました。

けれども、いくらなんでも早すぎるので我慢をしました。

しかし、写真を撮る余裕もなくなり、だんだんつらくなり休みました。

母と父は全然疲れていないため、自分一人で帰るということも考えました。

辺りを見渡すと木がたくさんあり、緑のにおいがして、うぐいすの鳴き声が聞こえました。

風で根っこがぬけているにもかかわらず、決して倒れない木々があることにも驚きました。

新たに生きようとしている生命力に勇気づけられ、六合目に到達できました。もう私はへとへとでした。

 それから休みをたくさん入れながら、七合目に着きました。

そこからは六合目に置いてある黄色いブルドーザーはとても小さく見え、大きな達成感が感じられました。

そしてあと一合登れば宿が待っていると思い、頑張って登り始めました。

しかし、私を待ち受けていたのは岩だらけの坂でした。私は本当に下山したいと思いつつ、体は登っていました。

祖母が三度挑戦し、最後ははって登っていった岩だらけの登山道を、私はよじ登り続けました。少し進んでは休みの連続で、途中から霧雨が降ってきました。

 そして、私たちが泊まる宿が見えた時は、体が暖かくなりました。

宿に足を入れた時、宿のおじさん、おばさんが「お疲れ様です!」と言ってくれたのが、とても嬉しかったです。

けれどもあまりにも疲れていたせいか、夕食のカレーライスは、ほとんど食べられませんでした。

それに加えて山小屋はぎゅうぎゅう詰めの中、寝なくてはいけません。朝食もほとんど食べられませんでした。

 二日目になり、今は夜中の〇時半です。

雨がどんどん強くなる中、ヘッドライトをして歩きました。

その景色はテレビでよく見た光が連なる景色と同じでした。

しかし途中の宿で休みを入れたせいか、人がさっきより少なくなっていたため、心配になりました。

嵐の中一生懸命進みます。大雨と台風並みの強風に体はどんどん冷えていきます。

水などの入った重たいリュックが肩にズシリとくいこみます。

少し下を向いて、首からレインコートの中に雨が入り込まないようにしました。

 それから少し時間がたち、ツアーの人たちを見つけたため後を追おうと思ったら、追い出されてしまいました。

どこが山道か分らないくらい真っ暗です。

しかたなくヘッドライトで道案内用の反射板を照らしながらロープがはってある道をどんどん進みました。

無言のまましばらく経つと、嵐の中に宿が見え、そこまで頑張ろうと思いました。

だんだんと宿が近くなるにつれて人が見えてきました。宿も人も見える前は、「つらい」「死ぬ」などマイナスの言葉しか頭に思い浮かびませんでした。

 宿で一休みしました。おしるこを30分位かけてゆっくり飲みます。

なぜなら飲み終わると出ていかなければならないからです。

宿の人には「頂上に行くのはおすすめできません。」と言われました。

団体客は山岳ガイドの判断で下山が決定されたそうです。

しかしここで引き返したら、あの苦しくても進んだ道をまた登らなくてはいけません。私たち親子は頂上に向かいます。

 途中から雨が止み風だけになりました。

頂上目指して登っていると、きれいな星空が見え始め、希望が見えてきました。

その時私は、心の中にあった雲が消えたように気持ちが晴れました。

 鳥居をくぐり、頂上に着きました。その時は、足が痛かったです。

始めは信じられませんでした。六合目で疲れていた私が、頂上に着いたのです。

 空がうっすらと明るくなってきました。頂上でご来光を見て、影富士も見ました。

お鉢巡りもできました。

私は登頂をあきらめなくて良かったとしみじみ感じました。

今回の富士山は私にとって大きな自信となりました。そして楽しい思い出として深く心に刻まれました。

剣が峰にある3776mの石に足をかけて写真を撮り、下山しました。

心の中では一生に一度だけの大切な思い出になったと思いました。

なぜならもう二度と登りたくないと思ったからです。

 

(中学部1年生 女子)

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