本日、平成23年度成城中学校入学式が挙行されました。式の冒頭で、東日本大震災で被災された方々へ黙祷をささげ、厳粛にとり行われました。
今年度は255名の新入生を迎えました。ご入学おめでとうございます。学校長が式辞で話した、校章の由来である「知・仁・勇」という言葉を忘れずに、学校生活を送ってほしいものです。

 

本校の中学校では5月考査・10月考査(中間試験)終了翌日に「中学行事」という学校行事を実施しています。

高校の中間試験は4日間なのですが、中学生は試験科目数が少ないため、3日間で終了します。
そこで、高校生の考査最終日に、中学生は概ね半日程度で博物館見学等の行事を行っています。

中学行事は、各学年で独自に計画を立て、係の生徒は下見に行って壁新聞(地図等)を作製し、しおりの作製にも関わります。

今年度は以下の内容で中学行事を行いました。

<中学行事・5月>
・中1:歩学実習…成城→早稲田大学→神楽坂→法政大学→江戸城天守閣跡(皇居)
・中2:科学技術館(A・B・D組)/船の科学館(C・E・F組)
・中3:柴又・帝釈天・矢切の渡しコース/金町浄水場見学コース 

<中学行事・10月>
・中1:歩学実習…東京ドーム→東京大学→根津神社→谷中霊園→東京芸術大学→上野公園
・中2:船の科学館(A・B・D組)/科学技術館(C・E・F組)
・中3:ふれあい下水道館・都立薬用植物園見学

 

中1:歩学実習(東京大学ほか)

 

中2:科学技術館・船の科学館

 

中3:ふれあい下水道館・都立薬用植物園



 

東日本各地に甚大な被害を及ぼした、東北地方太平洋沖地震。
いまだに余震が続き、原発被害を筆頭に、影響が現在進行形で色濃く残ります。
その全容は明らかになっていませんが、謹んで犠牲者のご冥福をお祈りするとともに、被災者の皆様に心よりお見舞いを
申し上げます。
また、懸命に続けられる救援作業が奏効し、被災地が一刻も早く復旧されることを切に願います。

 

 

さて、3月11日(金)の成城中・高等学校は、三月考査(三学期末試験)の答案返却のための全校登校日でした。
午前10時過ぎにはどのクラスもHRを終え、部活などで残る生徒以外は下校していきました。

 

午後、校内にいた生徒はクラブ活動をしていた各部員、「中3を送る会」の劇の練習をしていた中2、補習授業を受けていた者
など約300名。
その他、後輩の指導に来ていたOBと、専任の教職員がほぼ全員残留していました。

 

午後2時46分、東北地方太平洋沖地震が発生しました。

 

大きく長い揺れは5分も続いたでしょうか?
その間、各々は退避経路確保のため扉を開け、机の下に隠れたり、中庭やグラウンドに退避したりしていました。
また、安全を確保して冷静を保つように呼びかける放送が、揺れている最中になされました。

 

成城では主に火災を想定した避難訓練が定期的にあり、教職員の役割分担がはっきりしています。
この日も揺れが収まると、避難誘導班の教員が生徒を最も安全なグラウンドに避難させました。
その間、警戒班の教員は無線機を持って校舎内各所に散り、被害状況を調査すると同時に残留者がいないことを確認しました。

幸い、怪我人は一人もいませんでした。
全員無事     この情報を、最も知りたい人に迅速に伝えなければなりません。
そこで、次の情報を『FairCast®-子ども安全連絡網』(メール・電話・FAXの登録済みメディアに一斉伝達できる仕組み)にて
全保護者・全教職員に一斉送信しました。

 

   「3時11分現在、成城中・高等学校では生徒に被害はありません。なお、安全を確認するまで学校に待機させます。」

 

同時に、ほぼ同じ内容を本校ウェブサイト上に作成した◆地震関連・緊急連絡ページ◆にも掲載しました。
このページの更新は翌朝までの約18時間で、実に28回に及びました。
ご覧になれば、当時の雰囲気がご理解いただけるのではないでしょうか。

 

一刻も早く保護者のもとに生徒をお戻ししたいところですが、交通機関の乱れは想像に難くないところです。
実際、電車の運行停止情報が続々と入ります。

 

長期戦の様相を呈してきたので、グラウンドに避難していた生徒を南校舎2階の教室に移しました。
並行して、校内待機者の名簿作成作業が進められました。
下校途中で帰宅を諦めた生徒が続々と成城に戻ってきますので、必ず名前を記入させて名簿に反映させなければなりません。

各生徒の帰宅方法・経路も確認し、午後5時過ぎには徒歩・自転車通学の生徒を帰宅させました。
また、保護者の方が直接お迎えになった場合も、その都度帰宅させました。

 

夜が近づき、教室の生徒たちには非常食と飲料水、緊急時保温アルミシートのセットが配布されました。
これらは、非常時に備えて全校生徒分を備蓄していたものです。

教室内では、相次ぐ余震にもかかわらず、先輩後輩が入り交じって楽しく(?)過ごしていたようです。
というのも、基本的にはクラブ単位でまとまって教室に入ってもらったからです。

 

夜9時過ぎには、校内待機生徒リストをウェブサイト上に掲示しました。
この頃から、都営線を中心に運転復旧の情報が入ってきましたので、帰宅可能な高校生を路線ごとに順次下校させました。
しかし、それ以外の生徒と中学生は安全面を考慮して、そのまま教室に宿泊させることにしました。

 

日付が変わる頃、校内には256名の生徒と69名の教職員、そして避難してきた近隣住民の方数名が校内待機していました。

 

その他に、OBも数名いました。

写真左は学業の傍ら本校で理科助手を務めるH先生。
出入りが激しく把握困難な生徒の名簿作成に大車輪の活躍を見せてくれました。
地震に関する知識も豊富で、状況判断にも一役買いました。

写真右で、かいがいしく立ち働くのは本校近くの某有名大学在学中のI君です。
六本木ヒルズの某有名企業に内定している彼は、「成城に恩返ししたい」とわざわざ立ち寄ってくれました。

二人とも徹夜で頑張ってくれましたから、さぞかし疲れたことでしょう。
実に有り難いことです。

 

 

これは12日午前3時20分、地震から12時間半後の写真です。

ホワイトボードの待機生徒数は246名となっていますね。
10名減っているのは、深夜になってからお迎えの保護者の方と下校した生徒がいたからです。
結局、この数字は朝には231名まで減りました。

保護者の皆さまの中には、夕方自宅を出たにもかかわらず大変な渋滞に見舞われた方や、300km以上遠方の単身赴任先
から駆けつけた方、帰りの交通機関が確保できずお泊まりになった方もいらっしゃいました。
本当にご苦労さまでした。

ちなみに教員も朝まで交代で正門前に立ち、警備と保護者の方のご案内にあたりました。

 

 

そして、長かった夜が明けました。
(実際にその場にいた者の印象としては、あっという間に感じましたが…)

 

前日に校長先生が注文したお弁当400食とお茶が届きました。
それを教員が3階の教室に整然と並べ、7時前には「いただきます」

久しぶりの温かい白いご飯は美味しかったのではないでしょうか?

 

食後、生徒はお行儀よく自分たちが使った教室を清掃しました。
その間、我々は交通機関の運行状況を確認。
また、オートバイに乗った教員が新宿駅周辺に行き、実際に混乱が無いことを確認して万全を期します。

 

午前8時、各自家庭と連絡をとって帰宅するよう指示をして、ほぼ全員解散しました。
その時点で帰宅手段が確保できなかった数人の生徒も、しばし職員室で待機後、無事に帰宅の途につきました。

それまでは気が張っていたのでしょう、我々にはどっと疲れと眠気が襲ってきました。
それでも、全員を無事にご家庭にお戻しできた安堵感、充実感は何ものにも替え難いものでした。

 

振り返ってみますと、反省すべき点もあり、本校の防災体制が完璧だったとは思いません。
普段想定する災害とは違った形の事態が発生し、新たな決断が必要な場面が生じたのは確かです。
しかし、教職員のみならずOB、保護者の皆さん、そして生徒諸君の協力、献身、知恵によって乗り切ることができました。
今回の事態を教訓にして、よりよい防災体制を築いていきたい所存です。

 

 

長崎修学旅行は4日目最終日です。長崎から北上しながら柳川・太宰府天満宮を経由して福岡空港へと向かいます。

午前中は水郷の町柳川に移動してお堀めぐりです。ゆったりと船にゆられながら柳川名物「鰻のせいろ蒸し」をいただくという風情あふれる企画...だったのですが、あいにくの雨。おまけに寒いです。
急遽予定を変更して、先に昼食をとり、そのあと柳川下りを短縮コースで行う事になりました。雨にぬれ寒さに縮こまりながらの川下りは、ちょっとした試練かも...。

午後は最後の見学地、太宰府天満宮を参拝します。悪天候にもかかわらず大勢の参拝客で賑わう参道を歩き、太鼓橋を渡ると本殿が見えてきます。生徒達は1年後の大学受験のために合格祈願の御札や御守りを買って、参拝していました。

大宰府をあとにしていよいよ福岡空港へ向かいます。バスの中ではバスガイドさんとの別れを惜しんでじゃんけん大会!勝ち残った3人にはバスガイドさんからプレゼントが渡されました。

3泊4日の宿泊行事ともなると、引率教員にとっては心配事が付きません。
飛行機の中では行儀よくできるだろうか?
ホテルの風呂場を汚さないだろうか?
他の宿泊客に迷惑をかけないだろうか?
部屋ではしゃぎすぎて障子を破いてしまったりしないだろうか?
集合時間に全員そろうだろうか?
夜更かしし過ぎて体調を崩さないだろうか?
・・・・・・
しかし流石は成城生。いざという時にはしっかり行動できるんですね。改めて成城生の行儀の良さに感心させられる4日間でした。
皆さんは良い思い出を作れましたか?

なお、長崎1~3日目の様子はこちらをご覧下さい。
長崎① 長崎② 長崎③
また「沖縄コース」の様子はこちらをご覧ください。
沖縄① 沖縄② 沖縄③ 沖縄④ 沖縄⑤

長崎修学旅行3日目は、午前中は長崎市内班別自由研修です。各班で計画した見学地を予定通りにめぐり、昼食を済ませて時間までに集合場所に集まれるでしょうか。・・・引率教員としてはとても不安な日です。そして午後は「軍艦島」見学です。前日の夜の研修会で学んだことを実際に上陸して見学します。

上の写真はグラバー園です。ここから先は班行動となります。われわれ引率教員もこの日は一人一人別行動をとり、生徒がたちよる見学地を巡回します。運が良い班は、最後まで教員と出くわさずに集合場所に着くこともあります!?
次の写真は、主な見学地です。どこか分かりますか?正解は↓

(正解)
1段目:孔子廟
2段目:出島・眼鏡橋
3段目:諏訪神社・大浦天主堂・オランダ坂

集合場所は長崎港フェリーターミナルの近くの小さな桟橋(上の写真右)。ほとんど桟橋がある事に気付かない分かりづらい場所ですが、一班を除いてきっちりと集合しました。まあ、上出来でしょう。
高速船に乗船して出港です!途中、湾周辺に見られる様々な施設などの説明を受けながら20分ほどすると、いよいよ軍艦島が見えてきました。

軍艦土佐に似ている事から名づけられた軍艦島の島影が見えてくると、生徒達は身を乗り出してきました。島を半周してからいよいよ上陸です。

島の見学コースには途中3ヶ所の「見学所」があり、ガイドの方から説明を受けました。ガイドの方は昨夜の研修会で講義をしてくださった方です。

最初は少し冗談を交えながら、高校生が退屈しないように配慮して話して下さっていましたが、ここはご本人の故郷です。話が進むにつれ、様々な思いがあふれ出し、重たく静かな口調になって行きました。目の前の廃墟群とリアリティーあふれるお話に、生徒達もいつの間にか無口になり、真剣な表情で聞き入っていました。現代に生きる子供達にとって、それはあまりにも重たいお話だったのでしょう。

<日本で最初の高層鉄筋住宅が建設されるなど、かつては「近未来都市」とまでいわれたこの海底炭鉱の孤島が、いまは日本の近代化遺産として朽ちてゆくままにされている姿は、まさに人類が資源を食い尽くした後の地球の未来を物語っている>という言葉が、個人的には一番印象に残りました。帰りの船のデッキで遠ざかってゆく軍艦島を見つめ続ける生徒達は、何を思っていたのでしょうか...。

上の写真は、21時の室長会議の様子です。毎日夕食・入浴後にあつまり、諸注意を伝達します。室長は部屋に戻りメンバーに説明して、翌日の行動を確認しあいます。この室長会議こそ、団体行動の要かもしれません。
長崎修学旅行は3日目までは晴天に恵まれ、この夜も素敵な夜景を堪能できました。

なお、長崎1・2日目の様子はこちらをご覧下さい。
長崎① 長崎②
また「沖縄コース」の様子はこちらをご覧ください。
沖縄① 沖縄② 沖縄③ 沖縄④ 沖縄⑤

長崎修学旅行2日目です。朝は6時30分起床。カーテンを開けるとちょうど正面の山の向こうから朝日が昇るところでした。生徒たちも見れたかな?
2日目は「雲仙・島原」と「海上自衛隊佐世保基地」の2コースに分かれて見学しました。
雲仙・島原コースでは、まず島原半島口之津港から沖合いに出てイルカウォッチングです。20分ほどして船頭さんが群れを発見。しばらくの間、我々と遊んでくれました。

イルカに別れを告げて雲仙の普賢岳へ向かいました。昼食会場の近くには小さな資料館もあり、一帯は火砕流や土石流によって埋没した民家がそのまま残されており、遠く雲仙岳の山頂付近からはいまだに水蒸気が立ち込めていました。生徒達は、まさに想像を絶する大自然の威力に圧倒されたていた様子でした。またこの後は、少し移動して雲仙岳災害記念館を見学しました。

海上自衛隊佐世保基地コースでは資料館でガイダンスを受けて、本物の護衛艦に乗り込みました。魚雷や実際の砲弾を間近で見学し、制服も試着させてくださいました。
成城高校からは例年数名の生徒が防衛大学校へ進学しています。今回、佐世保コースに参加した生徒の中からも、防大生が出るといいですね。

ホテルに戻り、夕食後は明日3日目に見学する「軍艦島」について研修会となりました。実際に軍艦島で生活し、現在、世界遺産登録を目指して活動していらっしゃる方から、説明していただきました。

なお、長崎1日目の様子はこちらをご覧下さい。
長崎①

また「沖縄コース」の様子はこちらをご覧ください。
沖縄① 沖縄② 沖縄③ 沖縄④ 沖縄⑤

本日から成城高等学校修学旅行紹介の第2弾として、長崎方面コースの様子をご報告します。
長崎コースは99名が参加しました。第1日は長崎空港へ到着後、昼食を済ませてから平和公園へ向かいました。十数名のグループにわかれ、被爆体験者の方に案内をお願いして平和公園周辺の遺構を巡り、被爆当時の体験などのお話をしていただきました。

いまだに当時の姿をとどめる被爆遺構を前に、生徒達も真剣です。
その後は長崎原爆資料館と長崎歴史文化博物館を見学して、ホテルへと向かいました。

宿泊したホテルは長崎市内を一望できる稲佐山の山腹に建っており、全室から“1000万ドルの夜景”を見ることができます。

2日目は、「海上自衛隊佐世保基地」と「雲仙・島原」の2コースに分かれて見学します。

なお、「沖縄コース」の様子はこちらをご覧ください。
沖縄① 沖縄② 沖縄③ 沖縄④ 沖縄⑤

成城高等学校2年生の修学旅行沖縄コース第4日、最終日です。

昨日のサイクリング・マリン体験と、連日の夜更かし(?)で生徒は少々疲れ気味のようですが、
本日はバス運転手さんの軽快なトークとともに、愉しく宮古島島内観光です。
気温も上がり、半袖でもいける感じです。

まず立ち寄ったのが日本百景にも選ばれた名勝、東平安名崎です。

集合写真撮影の後、平安名崎灯台。
宮古島トライアスロンの折り返し地点ですね。

灯台内の100段の階段を駆け上がると…

太平洋と東シナ海を一望する、360°の大パノラマです。

続いて、来間島と同じく、橋が渡されている池間島に行きました。

 

小休止ののち、雪塩製塩所を見学。
雪塩の作り方や使い方等の説明を受けました。

こちらは砂山ビーチです。

岩のアーチなど、自然の造形が神秘的です。

ここは宮古で一番美しい砂浜だそうです。
教員も含めてみんな感動していました。
ただし、辿り着くまでがタイヘンですが…。

最後の見学地は、蝶の舞う優雅な蝶々園がある「みやこパラダイス」です。

昼食の宮古そばに舌鼓。
本島の沖縄そばと、微妙に違います。

楽しかった修学旅行もいよいよ大詰め。
搭乗の注意をうけ、羽田に向かいます。

飛行機は無事に到着しました。
たくさんの思い出が詰まった旅行バッグはパンパンです。
家に帰るまで、気を付けて!

またひと回り成長した彼らは、四月からいよいよ最上級生になります。
先輩として、受験生として、後輩の模範となって成城を引っ張っていってくれることでしょう。


成城高等学校2年生の修学旅行沖縄コース第3日です。
やる気まんまんの現地教員から早速写真が送られてきましたのでご紹介します。

 

本日午前中は島内サイクリングです。

インストラクターの方から注意事項の説明をうけ、島内マップをいただいて班ごとに出発。
交通量が少なく快適な道のようです。
どの班も来間島へ掛かる来間大橋を目指したとのことです。

 

 

 青春まっただなか!

綺麗な海、大自然、好天に恵まれて最高のロケーションですね。

 

 

午後は…

 

シュノーケリングとカヌーのマリン体験です。

コンディションがよさそうで、みんないい表情をしていますよ。

ところでこの写真はどうやって撮影したのでしょうか?
やる気まんまんの現地教員の携帯電話が水没していないことを祈ります。

 

 

もう明日は最終日。
宮古島をバスで巡り、夕刻の便で帰京します。

成城高等学校2年生の修学旅行沖縄コース第2日(昨日)の続編です。
上の写真は、沖縄県立博物館の「ふれあい体験室」にて学年主任のW先生です。
絵画や陶芸など幅広い趣味を持っていますが、実は三線の名手(?)でした。

 

さて、那覇市内班別自由行動のスナップです。

国際通りではたくさんのお土産を買っていたようです。
右の写真では、かなり真剣な表情で選んでいます。
ご家族へのお土産でしょうか? それとも???
班別自由行動は昼の時間帯にかかっているので、どこで何を食べるかも、彼らにとって計画の重要ポイントです。

この写真のように牧志公設市場で昼食をとる生徒たちもいます。
1階の市場で購入した地元の食材を、2階の食堂で調理してもらうこともできます。
沖縄文化を肌で感じていることでしょう。
夕方、無事に宮古島に着きました。

現地教員によれば、この日は寒かったそうですが、宮古に移動してようやく気温が上がり、沖縄らしくなってきたとのことです。

本日の彼らは、サイクリングとマリン体験で、今頃は沖縄の自然海と戯れているはずです。
次回はその様子をお届けします。

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