千葉明徳中学校では「読書指導」にも力を入れます。
そこで、あらためて「自分の読書歴・読書事情」をふり返ってみることにしました。
<小学校時代>
伝記物が好きで、ニュートン、豊臣秀吉、リンカーン、野口英世、シュウ゛ァイツァー等の
伝記を夢中で読んでいた記憶がある。
<中学校時代>
漱石の「坊ちゃん」「吾輩は猫である」等の比較的読みやすい有名どころの本も読んだが、
芥川賞の「赤頭巾ちゃん気をつけて」(庄司薫)をきっかけに読書傾向が少しずつ変わってきたように思う。
庄司薫の「赤・白・黒・青」シリーズも高校時代にかけて全部読んだっけ・・・
「ムツゴロウの~」(畑正憲)、「どくとるマンボウ~」(北杜夫)等も読みまくった。
<高校時代>
ちょっと背伸びをして、大江健三郎や安部公房等に挑戦したがよく意味が分からず挫折・・・
外国文学をかじり始めたのもこの頃。
カミユ、カフカ、ドストエフスキー等にも挑戦したがやはり読み切れなかった感があり、
大学生になってから読み直した。
そんな中、E.ブロンテの「嵐が丘」は何故か引き込まれるように読み切り、一人悦に入っていた。
<大学時代>
専門書(数学関係)ばかり読んでいた・・・そんなわけは無くて、最も熱中し、何度も読み返したのが、
阿佐田哲也(本名:色川武大)の「麻雀放浪記」だった。
そこに登場するドサ健に憧れた。
<現在>
年を重ねたせいか、「人生の教訓を示唆」、「登場人物の深い心理描写」、「深遠な問題提起」、
「重厚でかつ教唆に満ちた社会風刺」等の本はいつの間にか敬遠するようになり
脳ミソが疲れない、軽~い軽~いエッセイに好みが変化してきた。
肉から魚に食の好みが変化してきたのと似ている。
最近は清水義範や土屋賢二等の肩の凝らない本を夜寝る前に読んでいる。
ところが!この1~2年横になると(酔っているわけでもないのに)すぐに眠くなってしまうという情けなさで、
3ページが限界、まあ1ページが普通、ひどい時には3行で瞼が開かなくなってしまう。
毎回手の指が栞の役目を果たしているありさまである。
それでも最近、息子に薦められて東野圭吾の本も頑張って
(頑張らなければならないところが誠に情けない)読んでいる。
ふり返ってみると「全く一貫性のない読書歴・事情だなあ」と思いますが、それが良いのかもしれません。
逆に変な一貫性があったら怖い気もします。今でも時々、無性に活字に飢える時があります。
電話でもない、メールでもない・・・本を読みたくなる時があります(それも紙の本です)。
子供達にも「気張らずに、自由に、色んな本を読んで欲しいなあ」と心から思う今日この頃です。
(田村)