3日目(8月3日) 大阪(大阪城→玉造(真田丸跡・三光神社)→大阪歴史博物館→安居神社)

この日は大坂の陣・豊臣家終焉の地となる大阪城へ。

最初に大手門から一気に天守閣まで行きました。天守閣に登って中の資料館を見学した後、

ガイドさんたちと合流しました。

<池に映る大阪城の美しい姿>

現在の大阪城の石垣などは、豊臣滅亡後に徳川氏が再建したもの(ちなみに天守閣は、近代になって市民の寄付による再建)。石垣の石も驚くほど大きいものが!

<桜門にある蛸石(たこいし)。これが大阪城No.1の大きさで、H5.5m×W11.7m!>

大阪城の見学後に、昼食。今日はカレーライス。満腹、といいたいところですが、あえて腹八分目。その理由は…。それはさておき、一休みしてから午後の行程へ。

午後は、大阪の陣で活躍した真田氏のゆかりの地、玉造へ。まずは、三光神社。ここは真田丸の一部と考えられ「真田の抜け穴」と呼ばれる大阪城までの地下道が設けられていたと伝えられています(でも、残念ながら地下道はつながっていません)。

三光神社からほど近い場所にある新眼寺。このすぐ横が、実際の真田丸があった場所であることが近年明らかにされました。

次は、大阪歴史博物館です。ここは大阪の歴史が古代から近代まで、時代をおって展示されています。ここで大阪の歴史に関する展示を見学したあと、いつもは夜に行う反省会を先にしました。

<反省会では、1日の感想文を書き、各自が一日の中で最も印象に残ったことと明日に向けての改善点を述べていきます>

この日の最後の見学地は安居神社。…のはずでした。が、現地に行ったところ「拝観時間は16時まで」という看板が!!!!これは想定外の出来事でした!(さすがに夏に16時までとは‥)

さすがにショックは隠せなかったのですが、気を取り直して、夕食に向かいます。

この日の夕食は、今回の合宿中の一大イベント、大阪名物「串カツ」の「食べ放題」!!!昼食の腹八分目もこのためでした(!?) 先ほどの安居神社のショックも何処へやら???(→最高本数は中1某部員の60本とのこと!)

この日は反省会も終わっているので、夕食後に宿に戻り、お銭湯に行って終了です。(疲労と満腹感で、着いた途端に寝落ちしてしまった者もいました!お疲れ様&お休み…zzz)

(歴史部顧問)

2日目(8月2日) 京都(醍醐寺→伏見城・御香宮神社→高台寺)

この日は、天下統一後の秀吉が居城とした伏見城跡などへ。京都でも東~南の方面です。

朝一番にもう一人のOBも合流。全員で19名となりました!(歴史部としては、歴代2番目の大所帯!)

JRと市営地下鉄で醍醐駅へ出て、そこでボランティアさんと合流し、醍醐寺(だいごじ)に向かいます。醍醐寺は死ぬ間際の秀吉が、醍醐の花見をしたことで有名です。まずは、秀吉が造園したといわれる三宝院のお庭を見学(秀吉好みなのか、枯山水のはずが池もある、という不思議な庭園)。残念ながら、秀吉が花見を行った場所は寺(山側)の奥の方に入ったところで、今回の計画では時間オーバーになるため行くことができませんでした。

その後、市営地下鉄・JRを乗り継いで桃山駅へ。

桃山駅から伏見城あとへ向かいます。残念ながら、ここは石田三成ゆかりの治部池や堀の一角以外、秀吉時代のものはほぼ残っていません。一角に、以前レジャー施設だった時期に建てられた天守閣がありますが、これは再現されたものではなく、また耐震性もないため、現在は立ち入り禁止とのこと。

伏見城は坂がきつくて大変でしたが、昼食タイムで元気回復!(高校生は先に御香宮見学)

<パスタ大盛りも、ペロリ!すっかり元気です!>

午後は、御香宮(ごこうのみや)神社を見学。現在の御香宮は徳川家が建てたものですが、表門は伏見城を移築したものといわれており、伏見城の在りし日の姿を想像させてくれます。

<伏見城から移築したという表門前にて>

<拝殿の装飾は、日光の東照宮を思わせるような豪華さ>

その後、京阪電車とバスを乗り継ぎ、高台寺へ。高台寺は秀吉の正室北政所(ねね)ゆかりの寺院。そのため、北政所たっての願いで伏見城の建物が移築され、現在にその姿を残しています。一角に牛の像が。これは北野天満宮にもありました。自分のよくなりたい箇所をなでるといわれています。

<某中2部員。頭とお腹をなでていました!>

この日の見学は以上で終了。京都駅でお土産の買い物時間をとって、宿へ戻りました。

その後は1日目と同じく、銭湯・夕食・反省会。明日の大阪城の暑さに備えて、早めに就寝‥のはず?

(歴史部顧問)

歴史部の今年のテーマは「豊臣家」。

8月は京都を拠点に、このテーマに関連する京都・大阪の各地をめぐる合宿を行いました。

1日目(8月1日) 東京→京都(大徳寺→北野天満宮・御土居→聚楽第跡)

この日の朝、東京駅に集合。新幹線で京都へ向かい、到着後市営地下鉄・バスを乗り継いで大徳寺へ。大徳寺のバス停でボランティアガイドさん・OBと合流し、秀吉や側近千利休ゆかりの大徳寺へ。

大徳寺には、利休が切腹する原因となったともいわれる門(金毛閣)や、秀吉と家康が対局した碁盤などが残っています。その他、広大な境内には枯山水のお庭や諸大名の菩提寺(ぼだいじ)などもあり、大きな勢力を有した寺院だったことがわかります。

<大徳寺伽藍(がらん)の説明を聞いています>

<苔のあるものや、枯山水など様々な種類の庭園が一つの塔頭(たっちゅう)内にあります>

大徳寺の後は、昼食で一休み。班ごとに分かれてお店に入りました。(残念ながら京都発祥で有名なラーメン「天一」はお休み!)

昼食後は、北野天満宮。ここで秀吉が北野の大茶会を開きました。その石碑や井戸が残っています。学問の神様、菅原道真をまつった神社ですから、しっかりお願いしないと!

この後、秀吉がつくった京都を囲む御土居(おどい)の跡、秀吉が築いた聚楽第跡を見学しました。聚楽第跡には建物は残っていないのですが、付近の町の名に諸大名とのつながりを見いだすことができます(黒田如水の「如水町」、宇喜多秀家の「浮田町」など)。また、そのすぐ側に千利休切腹の地が残っています。現在の晴明神社です。

<歴史部恒例の顔出し看板の写真、今回は安倍晴明と鬼の顔に!@晴明神社>

初日の見学は以上で終了。このあとは宿へ向かいます。今回は3泊とも、京都トマトゲストハウスさんにお世話になりました。

到着後はOBと部員みんなで銭湯へ。汗を流した後に夕食をとり、夜のミーティングを行い、一日が終了します。早朝の集合から始まり、長い一日でした!お疲れ様!

(歴史部顧問)

文化祭実行委員会の公式Twitterを制作しました。

城北学園文化祭実行委員会で調べれば出てきます。

文化祭実行委員会の活動だけでなく、文化祭のイベントスケジュールや提出物の締め切りなどの結構役に立つ情報をツイートする予定なので、ぜひフォローしてください。宣伝もしてください。

Twitterアカウントへのリンク→https://mobile.twitter.com/JohokuBunjitu

(文化祭実行委員会)

 

ラジオ部では年に複数の全国大会に出場していますが、この度7月に行われた全国高等学校アマチュア無線コンテストにて、高等学校ラジオ部が高校マルチオペレーターマルチバンド部門で第2位になりました。

また、城北中学ラジオ部が144MHz部門で優勝しました。写真は先日その表彰式に行った際の写真です。

高校部長と中学部長がそれぞれ賞状を受け取りました。

その後は生徒交流会ということで、各校の活動報告会とじゃんけん大会が行われました。

たくさんの賞品もゲットでき夏の終わりのよい思い出になったようです。高校ラジオ部は第2位ということで優勝を逃しましたので来年こそはリベンジしてもらいたいと思います。

(ラジオ部顧問)

今年は8月16日から18日に、2泊3日の合宿を茨城県にて行いました。

初日はつくば市内のサイエンススクエアと筑波宇宙センターを見学しました。

生徒たちは熱心に見学をしていました。

2日目は、宿泊先の茨城県石岡市にあるキャンプ場にて実際にアマチュア無線のアンテナを組み立てる練習をしました。

また、室内で実際にアマチュア無線運用を行い、普段は交信することのできないエリアの人たちとも交信をしました。

今回の合宿を通してアマチュア無線交信の技術が向上し、部員間の親睦が深まったように思います。この経験を2学期以降の活動にも生かしてほしいと思います。

(ラジオ部顧問)

山岳ワンゲル部では、毎年8月に2回合宿を行っております。

今年は、8月1~5日にA隊合宿として槍ヶ岳へ、8月26~29日にB隊合宿として甲斐駒ヶ岳・仙丈ヶ岳へいってきました。

A隊―槍ヶ岳縦走(北アルプス)

A隊合宿では、高一・高二13名の選抜メンバーで、北アルプスの槍ヶ岳縦走に挑戦してきました。

5日分の食糧とテント、寝袋などを詰め込んだ重いザックを背負い、初日から1000m以上を登っていきます。

皆、ヘトヘトになりながら合戦小屋という休憩ポイントたどり着きました。

名物のスイカを食べながら、ホッと一息つきます。

もう一踏ん張りの力を出して、初日のテント場である燕山荘(2704m)に到着しました。

2日目は日の出も待たずに燕岳にアタックしました。

登頂後、燕山荘に帰ってきたころにようやく日の出を拝むことができました。

テントをまとめて次の山を目指します。私たちが歩いたコースは表銀座縦走ルートと呼ばれており、北アルプス随一の人気コースとなっています。

稜線の上を歩いていくので、右も左も見渡す限りの絶景が広がっていました。

しかし、体力的にはかなり厳しいコース。何度も何度も休憩を挟みながら歩くこと8時間、ようやくこの日のテント場に着くことができました。

テントを設営して記念撮影。背後には明日歩く稜線と、その先にそびえ立つ槍ヶ岳がはっきり見えます。

3日目はいよいよ槍ヶ岳へアタックする日です。

槍ヶ岳の肩にある山荘で休憩した後、いざ山頂アタック‼︎ 不安定な岩場を、はしごなどを頼りによじ登っていきます。

無事、全員で登頂達成です‼︎ 3180mの山頂は雲も少なく、この日歩いてきた道程を振り返ることができました。

4日目に下山、上高地でゆっくり一泊した後、5日目に帰路につきました。

バスに乗ると、全員すぐに熟睡してしまいました。皆、おつかれさま!

 

B隊―甲斐駒ヶ岳・仙丈ヶ岳(南アルプス)

B隊合宿では、中一~高二総勢35名が南アルプスの甲斐駒ヶ岳・仙丈ケ岳に挑戦しました。

二つの山の間にあるテント場をベースとして、山頂まで軽装でアタックすることができるため、中学一年生にも取り組みやすい山となります。

 

1日目は移動日です。ベースキャンプを構えた後は、食事の準備をしました。

食事も合宿の大きな楽しみの一つです。先輩たちは様々な食材を持ってきて、後輩たちに振る舞っています。

2日目・3日目に甲斐駒ヶ岳・仙丈ケ岳へ挑戦しました。参加者が35名と大所帯であるため、グループを二つに分けました。

 

〈グループ1〉

グループ1は仙丈ヶ岳にアタックしました。

仙丈ヶ岳は3033mの標高を誇りながら、なだらかな山容で南アルプスの女王と称されています。

樹林帯を1時間ほど歩いていくと、眺望がすばらしい稜線へ出ることができます。

山頂へむけて歩いていくと、翌日登る予定の甲斐駒ヶ岳を望むことができました。

山頂で記念撮影です。往復6時間の順調なタイムで下山することができました。

 

〈グループ2〉

グループ2は甲斐駒ヶ岳にアタックしました。

甲斐駒ヶ岳は変化に富んだ山容を持ち、日本アルプス屈指の名峰と称されます。

1時間ほど樹林帯を歩いたのち、山頂へ向けて続く岩場を歩いていきます。

普段の山行では中々歩くことのできない岩場に、新入生は悪戦苦闘していました。

先輩たちが頼もしくフォローをしてくれます。

歩き始めてから5時間。ようやく山頂へたどり着きました。

生徒たちの顔にも疲れが見えますが、山頂は綺麗に晴れており、絶景が広がっていました。

翌日は、グループ1は甲斐駒ヶ岳へ、グループ2は仙丈ヶ岳へ登る予定でしたが、あいにくの雨のために断念せざるを得なくなりました。

1日テントの中で雨をしのぐ予定でしたが、テント場近くのこもれび山荘さんのご厚意で、中で休ませて頂くことができました。

生徒たちは温かい飲み物を飲みながら、談話やカードゲームを楽しんでいます。

部員たちの交流も深めることができ、思わぬ収穫を得ることができました。

最終日はなんとか天気も回復して、テント撤収・帰校を果たすことができました。

二つの山のうち、片方の山にしか登頂できなかったのは残念でしたが、登頂の達成感だけでなく登山の危険性までも経験することができ、新入生にとっては貴重な合宿となりました。

来月には秋山合宿があります。今回の合宿を糧にして、更にトレーニングに取り組んでほしいものです。

(山岳ワンゲル部顧問)

こんにちは。城北学園鉄道研究部です。

引き続き、8月20日(火)~23日(金)の夏合宿の模様を、お伝えします。

2日目と3日目は、中3以上は自由行動、中1・中2は〈基礎期プラン〉と称するツアーです。このブログでは、基礎期プランのみのご紹介となります。

2日目(8/21)

午前中は、岡山県津山市にある、津山まなびの鉄道館へ。1960~70年代にSLに代わって鉄路の主役となったディーゼル車を、集中的に保存展示している、全国的にも珍しい施設です。10代前半の部員たちにとっては十分すぎるほどレトロな車両について、現役で使われている機関庫の前で、係員の方に丁寧に案内していただきました。

午後は山間部のローカル線でのんびり移動し、夕刻、同県玉野市の宇野港へ到着。1990年にその姿を消した、JR宇高連絡船の跡地を探訪しました。潮風を感じるフェリー乗船口近くの広場を歩きながら、「30年前、ここは辺り一面、線路でした」と紹介すると、部員からは驚きの声が。駅舎正面のビルにある、かつての宇野駅を再現した鉄道模型のジオラマで想像を膨らませた後、唯一の遺構である第二バース跡を見学しました。

3日目(8/22)

この日は、岡山から姫路への移動の間、廃線ウォークを2本、敢行しました。

午前中は、兵庫県播磨町で、1984年に廃止された別府鉄道土山線の廃線跡〈であいの道〉を歩きました。ゴールの播磨町郷土資料館には、当時の車両が美しい状態で保存されています。館内の展示では、郷土の産業を支えた亡き鉄道の記憶を後世に伝えていくことの重要性を考えさせられました。

午後は、姫路駅からバスで手柄山交流ステーションへ。1974年に営業休止(のち廃止)となった、姫路市営モノレール手柄山駅の建物を活用した施設で、ホームも車両も広告も、営業当時の姿を再現して展示されています。航空機メーカー〈ロッキード〉が開発したモノレールが現存するのは、世界広しといえどもここだけ! 職員の方のご厚意で急遽おこなわれたバックヤード・ツアーでは、普段は覆われている車輪や制御器、廃駅から持ち出された駅名標などを、見せていただきました。

その後、いまなお街中にそびえ立つレールをたどって、姫路駅まで歩いて戻りました。

中1・中2の部員は、1日目の水島臨海鉄道をふくめれば、3日間にわたって、昭和の鉄道遺産をめぐったことになります。この経験を、今後の研究に活かしていってくれるよう、願っています。

4日目(8/23)

合宿最終日は、基礎期の生徒を含めて自由行動でしたが、予定していた集合時刻に、全員が新大阪駅に集まることができました。楽しい思い出を胸に、新幹線に乗り込みます。車内では、旅の思い出を振り返る部員や、溜まった疲れで寝てしまう部員も……。

東京駅に着くと、OBの先輩がお出迎え。連絡事項が言い渡され、解散。帰るまでが合宿です。無事全員が帰宅しました。

長くなってしまいましたが、以上で合宿報告を終わりとさせていただきます。各日の自由行動など詳しい報告は、来月行われる文化祭の展示、『どんこう』文化祭号に掲載しますので、ぜひ足を運んでいただければと思います。

次回は、文化祭に向けて作業している様子をお伝えできればと思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

(文責:2~3日目……鉄道研究部顧問 4日目……鉄道研究部広報担当部員)

こんにちは。城北学園鉄道研究部です。

8月20日(火)~23日(金)に、岡山・姫路にて夏合宿を行いましたので、その様子をご報告いたします。

1日目(8/20)

合宿初日。集合時間に誰一人遅れることもなく、東京の地から旅立ちます。目的地の岡山まで新幹線に乗ることおよそ3時間半。会話を楽しんだり、車窓から見える景色を楽しんだりしていました。

この日のメインイベントは、水島臨海鉄道の貸切運転です。今回、倉敷市駅から倉敷貨物ターミナルまで、貸切運転・車庫見学をやらせていただくこととなりました。

約40名の部員が心待ちにしていたこの時。ディーゼルエンジンの音とともに入線してきたのは、同線で今も活躍中の旧国鉄キハ37形・キハ38形。ちょっとした撮影会を済ませ、車内へと乗り込みます。

車内では、水島臨海鉄道様のご厚意で、車内放送の体験や、運転している様子を間近で見学させていただくなど、鉄道好きにとって有意義な時間を過ごすことができました。ユーモアあふれる放送で車内に笑い声があふれる場面も。

終点の三菱自工前を通過すると、その先の倉敷貨物ターミナルには水島臨海鉄道の車庫が。係員の方から説明を受け、いよいよ車庫見学です。移動したキハ20形・30形の車内でも、普段は絶対に見ることのできないエンジンの部分を特別に開けてくださったほか、警笛の操作体験など、貴重な体験ばかり……。その後は自由時間となり、撮影をしたり、運転席に座ったり、現役運転士の方から話をうかがったりと、各々の部員が思い思いの時間を過ごしました。最後は記念撮影。カメラを前に頬を緩ませます。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、係員の皆さんに見送られながら車庫を後にしました。帰りの車内では、疲れたのかウトウトしている部員も。倉敷市駅では、水島臨海鉄道様から部員一人一人にお土産が!

こんなにも歓待してくださった水島臨海鉄道様、本当にありがとうございました!!

長くなりましたので、2日目以降の様子は、別項とします。

(鉄道研究部広報担当部員)

地学部は8月21日(水)~23日(金)の三泊三日で宇都宮へ合宿に行きました。

1日目は化石採取をメインとし、ホタテの化石などを見つけることができました。

(化石発掘の様子)

(見つけたホタテの化石)

2日目の朝は、栃木県子ども総合科学館へ行き、体験的に科学を学びました。

(惑星探査ミッションのシミュレーションゲーム)

(博物館の前で集合写真)

午後からは、地学と人間生活というテーマで大谷資料館、大谷寺を巡りました。

大谷石は軽石凝灰岩の一種で、加工がしやすく丈夫なため、古くから石材として用いられてきました。

まずは大谷資料館についてです。

大谷資料館は大谷石が石材として採取されてきた跡地に作られた施設で、当時の採掘の様子から、その後の跡地の空間利用を知ることができました。

(広大な空間から、大谷石の需要の高さがうかがえる。中は広く低温なため、天然の冷蔵庫としても活用されてきた。)

(ドラマや映画などのロケ地としても活用されている場所。地学と美術の融合。)

その後、大谷寺へ行きました。

大谷寺では、縄文時代に削られた大谷石の空間に人が生活していたことや、奈良時代に大谷石を用いで観音様が彫られていたことなどを知ることができました。

これは加工がしやすい大谷石があったからこそできた人の営みだといえそうです。

(大谷寺の様子。大谷石を利用してお寺が作られている。)

(第二次世界大戦による戦没者の霊を弔うために作られた観音。大きさは約27mあります。)

3日目は葛生化石館にて、学芸員の方に指導していただきました。

まず最初に化石館の中を案内していただき、葛生で見つかった化石や葛生で採取できる石灰岩の資源としての意味合いについて説明していただきました。

その後、転石を拾いながら化石を探しました。

そして最後に葛生化石館へ戻り、化石館がもつ小石の中から化石を見つける体験をしました。

フズリナやウミユリ、腕足類などの化石が見つかりました。

今回の合宿は天候があまりすぐれず、残念ながら天体観測をすることはできませんでしたが、それ以外については予定通りに進めることができました。

合宿の様子は、文化祭にて改めて報告したいと思います。

(地学部顧問)

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