似顔絵1 - コピー (2)日々感じる中学生の姿、中学校での学びについて考える連載〖ほりしぇん副校長の教育談義〗(毎週土曜日配信)第21話は、前回に引き続き「『学校をもっと開かれた場所に』①-民家泊」(その2)です。

昨年度、中止を余儀なくされた沖縄民家泊ですが、先週お送りしたブログで報告させていただいたように、無事実施することができました。生徒からは楽しかった思い出を聞かせてもらっています。彼らの表情を見るにつけ、どこか成長した印象を感じたのは私だけではなかったようです。

今日のブログでは、そんな民家泊への思いをお伝えできればと思います。

(中学校副校長 堀内雅人)

 

修学旅行での民家泊の取り組みは、学校と村とで率直に意見交換をしあい、行事を作り上げていく作業でもありました。特に、その後長くお付き合いさせていただいた伊江島の方々とは、我々教員も親戚のようなお付き合いをさせていただいています。PTAバザーでは、島の方に学校まで来ていただいて、沖縄の物産を販売していただくこともありました。

民家泊が軌道に乗り出した2008年、修学旅行の責任者となった私は、しおりの巻頭文として生徒に次のようにメッセージを送りました。

 

≪沖縄の修学旅行というと、「平和学習」ということがよく言われる。誤解を恐れずに言えば、昔からそのことになにかしら違和感があった。もちろん平和に対してではない。平和であることを本当の意味で希求するとき、たった数時間の事前学習や修学旅行用に設定された体験や見学で「平和」「戦争」といったものを一つの物語としてまとめてしまうことに、ある躊躇があったのだ。とはいえ、何も知らないことは、それ以上にこわいことだ。

初めて私が沖縄の民家を訪れ、村のおじいやおばあ、私と同年代の人たち数人とテーブルを囲み、話に興じたときの熱気は今でも忘れられない。その後も、東村や伊江島の民家に何度かお世話になった。「戦争中のこと」、村の中でも気を遣って話さなければならない「基地問題」、「団塊の世代とその上の世代との価値観のずれ」、「アメリカ人への思い」、「戦後、自分たちのできなかったこと」、「若い世代への期待と連帯」、「村が自立し、活性化するために」。どれもが深い話だった。現実と理想。けして簡単には答えの出ないようなものばかりだった。それでいて、前向きな明るさがあった。

子どもたちには、たとえ平和を求めるためであっても、安易な物語は与えたくない。安易なわかりやすい物語は、何かの拍子に簡単に反転してしまう。それよりも、すぐに答えは見つからなくとも、たとえ違和感しかそのとき感じなかったとしても、深く考えるためのきっかけをつかめるような出会いの場をつくってあげたい。

はかり知れない戦災を経験した伊江島の民家泊で、彼らはどんな時間を過ごすことになるのだろう。わからないことがあったら、素直に聞いてみることだ。知ったかぶりや、分かった気にならず、そこから考え始めればいいのだと思う。

数年前、『深呼吸の必要』という映画を見た。沖縄の広大なサトウキビ畑を舞台に、それぞれの“言いたくない事情”を抱えて集まってきた7人の若者たちの35日間を描いた物語である。彼らは、季節限定の“きびかり隊”としてやって来るわけだが、想像を絶する陽射しと過酷な単純作業に次第に挫折していく。しかし、島のおばあの素朴さや大自然の中での共同作業を通じて、人としてのかけがえのない何かをつかんでいく。

誰もが楽しめるような種類の映画ではない。大がかりな演出も、ドラマチックな音楽も皆無といって等しい。しかし、私にとってそれは不思議な魅力のある映画だった。最近、沖縄の代名詞のように使われる「癒し」や「ロハス」といった流行の言葉とは対極のものを感じた。彼らは沖縄という「他者」と出会うことで、今まで目をそむけてきた自分自身と、今まで逃げてきた現実の問題としだいに向き合おうとし始める。

この学年では、「他者との出会い」ということを言い続けてきた。「授業の中での学び合い」、「奥阿賀民家泊」、学園初の試みとなった「職場体験」。「卒論の取り組み」もその延長線上にある。国語の授業でも、「他者」や「人間関係」を扱った文章を多く取り上げてきた。「他者」と出会い、「自己」を発見する。かんたんなことではない。しかし、その困難さを実感し、素直に認められることこそがもしかしたら大切なのかもしれない。とは言え、避けて通れない悩みを抱えつつも、一人一人、ここまで着実に成長してきた。そしてこの沖縄修学旅行である。今までの学校行事で一番楽しかったといえる行事にしてほしいと思う。与えられるのを待つのではなく、自ら行動し、楽しさを見つけてほしい。きっと今までの経験が生きてくるだろう。

2学期に入ると、9年生として大きな責任のかかる運動会が待っている。中学校の卒業へ向け、各教科で与えられるハードルを越えていかなければならない。卒業制作や発表会もある。全員の論文の載った卒業論文集も完成させる。それらに全力で取り組むことで素晴らしい卒業式になるのだと思う。そのためにもこの修学旅行で学年としての、さらなるまとまりを。また、きれいごとではない互いの絆を深めてほしいと願っている。

ともあれ、沖縄の海は美しい。食文化も独特なものがある。大いに楽しみたい。そのためにも、エチケットやルールを守り、大人としてのふるまいをしよう。自らをコントロールできる者こそが大きな自由を自分のものにすることができる。楽しさと危険とは紙一重である。集団生活である。十分な注意と人に対する配慮を忘れないでほしい。きっとそれは、何倍もの心地よさとなって自分に返ってくるに違いない。≫

巻頭言(『修学旅行のしおり』より)

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高校生 演奏写真中学生演奏2021年11月14日(日)にティアラこうとうにおいて、高校生和太鼓部が第44回東京都高等学校文化祭「第30回郷土芸能部門 中央大会発表会」に出場しました。
東京都の23校が出演する中、明星学園和太鼓部が見事、『優良賞』を受賞しました。

この結果を受け、来年2022年8月2日~4日に東京都で開催される「第46回全国高等学校総合文化祭 東京大会(とうきょう総文2022)」(全国大会)、さらに2022年8月24日に予定されている「関東和太鼓選手権」への出場が決まりました。

本大会はこのように来年度の大会への出場権をかけた大会ですので、この結果を受けて現9年生(中3)和太鼓部員も上記の上位大会(全国大会・関東大会)へ出場することとなりました。
応援していただいた皆様、ありがとうございました。

また、今回はゲスト演奏として、中学生和太鼓部も会場で演奏を行なってまいりました。貴重なホールでの演奏に緊張しながらも、精一杯やり切りました。
今後、徐々に皆様にお届けできる演奏機会が戻ってくることを願いながら、練習に励んでいきますので、応援のほどよろしくお願い致します。

キリン1キリン211月6日(土)に、現8年(中2)生の特別授業「この人に会いたい」企画の第一弾として、キリン博士で東洋大学生命科学部で解剖学を研究されている郡司芽久さんをお招きしました。
春休みに『キリン解剖記』を読み、「世界で一番キリンを解剖しているかもしれない」という群司さんに直接お会いしてお話を聞いてみたいと温め続けていた思いがようやく叶いました!

 

苦手な人は無理に見る必要はないと声をかけてもらって最初に見せてもらったのがチーターを解剖する動画。あまりの手際の良さに目が釘付けになりました。

郡司さんの専門は、解剖学、機能形態学。キリンだけではなく、様々な動物の身体の形にはどんな意味があるのだろうかなどの「身体の機能」を研究しているそうです。

 

郡司さんのお話、中学生へのメッセージ、生徒の感想等、詳細はこちら「中学校ニュース」をご覧ください。

 

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遠足3遠足1遠足2コロナ禍で、中止になってしまった8年生の宿泊行事。
何かそれに代えて、みんなで楽しめるものはないかと考えていた時に知った、厚木の丹沢国定公園内にある「ツリークロスアドベンチャー」に11/2(火)に行ってきました。

6人のチームに1人のインストラクターの方がついてくださり、ハーネスを付け、しっかり安全講習を受けて、いざ挑戦です!

長さ173m、深さ30mの谷の上をターザンロープ(ジップライン)で滑空したり、16m先のネットへのダイビング、ビルの5階の高さでボルダリングなど、非日常的なスリルと爽快感が満載でした。

アスレチックが終わったあとの生徒たちの様子は、疲れよりも達成感に満ちあふれた表情だったことが印象的でした。

 

 

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A修学旅行も今日が最終日、ホテルを後にし、沖縄県立平和祈念公園(平和の礎)を訪れました。

 

 

 

 

 

 

B資料館には、沖縄戦の体験記を閲覧できるコーナーがあります。そこでは、沖縄戦の当時の状況が体験者の言葉を通じて語られます。中には9年生と同じ年の子どもたちが目にした「友だちや家族の死」が綴られており、生徒たちは真剣にそれらの手記に向き合っていました。

 

DE空港へ向かう前に、国際通りでの買い物、自由時間です。そして最後の昼食、各クラスに分かれて、ソーキそばをいただきました。

生徒達は5日という長い時間、寝食を共にし、学校生活とは違うお互いの一面を知って、より仲が深まったようです。

どの生徒も教員が思わず何枚も写真に撮りたくなるような、良い表情ばかりでした!
行くまでは、コロナ禍や大勢での旅行、初めての民家泊に不安があった生徒もいたはずですが、沖縄という土地の持つ「自然・文化・歴史」の魅力や、伊平屋島をはじめとする行く先々でお世話になった皆さんの明るくおおらかで、温かく迎え入れてくれる人柄に、不安も和らいで、心から楽しめたことが、表情に表れていたのだと思います。
本当に素晴らしい出会いができたことに感謝しております。

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ABCD修学旅行も4日目、今日は伊平屋島を離れ、本島に戻ります。しかし、ここでアクシデントが…。ニュースでも報道されていた「軽石」が運天港に押し寄せた影響で、伊平屋からの9時発の1便が欠航になってしまいました。

しかし、観光協会の方々、日本旅行の方々のご尽力により、10時半発の本部行きが臨時で出航することが決まりました。そのため、子どもたちは10時に前泊港に向かい、そこで伊平屋の方と最後の挨拶をしました。
笑顔でお別れしている班もあれば、お互い涙を流して別れている班もありました。
フェリーが伊平屋から出港した後、一人の生徒がずっと海を眺めていました。
何かあったのかなと思い尋ねてみると、
「伊平屋に戻りたい。東京に帰りたくない。もっといろんなことをしてみたかった。必ずお金を貯めて、また伊平屋に行きます。」
と言っていました。
昨日の報告にもありましたが、子どもたちは本当に良い表情で過ごしていました。この子もその一人です。

午後からは美ら海水族館に向かい、そして沖縄での最後の夜を南部地域で過ごしました。夕食も広々とした会場で、対面にならないよう配慮していただき、楽しく食事をすることができました。明日は平和祈念公園の見学、国際通りを散策して東京に戻ります。

似顔絵1 - コピー (2)日々感じる中学生の姿、中学校での学びについて考える連載〖ほりしぇん副校長の教育談義〗(毎週土曜日配信)第20話は、「『学校をもっと開かれた場所に』①-民家泊」です。

学校はややもすると閉鎖的な場所であるといわれます。そこでは安全のため、秩序を守るため、ひいてはそれが子どものためであるという正論の前に、思考は停止してしまいます。理不尽な校則の問題などはその典型と言えるでしょう。本学園の創立者である赤井米吉は、本校を称して公立でも私立でもない「社会立」の学校であると語っていました。それは、学校の中だけで閉じるのではなく、広く社会に開かれていく、そんなイメージだったのではないかと思います。これからの新しい時代、その必要性はますます大きくなっているように思います。

(中学副校長 堀内雅人)

 

最近、修学旅行に民家泊を組み込む学校が増えてきました。教育旅行でいう民家泊とは、生徒を3~4名ずつ、その地域の民家に預け、その期間その民家の方と共に生活させるという取り組みです。本校では15年以上前からこの取り組みをはじめ、中2では新潟奥阿賀地方の山村に、中3では主に沖縄の伊江島・伊平屋島等での体験を行ってきました。

当初は不安がありました。生徒たちを自分たちが管理できない場所に置くということは教員にとって想像以上に不安なことのようです。また、保護者にとっては、そこがどのような家でどのような人にお世話になるのか、あるいは自分の子どもが知らない方の家で迷惑をかけないか、さまざまな不安の声があがっていました。

しかし、私にとっては子どもたちを日常の家庭や学校からいかに解放させてあげるかがテーマでした。それは家庭や学校を否定するものではありません。逆に家庭や学校の存在を輝かせるためにこそ必要なことだと感じていました。かつての、生徒にとって受け身的な見学が中心であった宿泊行事から脱却しなければなりません。

2005年本校では初めて全員が修学旅行の中で、2泊の民家泊を経験することになりました。お世話になるのは沖縄本島にある東村と本部港からフェリーで30分のところにある伊江島の方々です。この年の修学旅行の報告を私は次のように記しました。

 

≪今年の修学旅行は民家泊をメインにすえた。伊江島と東村に分かれ、全員が3~5人の小グループで地元の家庭で2泊お世話になるのだ。一見何でもお金で手に入るような錯覚をおこしてしまうような世の中。情報があふれ、どのようにそれを受けとめてよいかとまどってしまう現代。それでいて何かが欠けているように感じている人々。

14~15歳の生徒たちに親でもなく教師でもない、日常を一生懸命生きている大人との出会いをさせたいという思いがあった。沖縄には彼らに触れさせたい文化、自然、歴史がある。現代人が考えなければならない今日的な問題が凝縮されているともいえる。それを単なる情報として与えるのではなく、同時代を生きている一人の大人と接することをとおして、彼らが何かを発見し、何かを学ぶことができたなら、素敵なことだと思った。

実際、彼らが書いた紀行文を読むとお世話になった「おじい」や「おばあ」の忘れられない一言、東京での生活では気にもとめていなかったようなことの発見があふれている。もちろん人と人との出会いに、一様の結果を求めても意味はない。ただ、一人一人の心の中で火花がとび、忘れられない1ページが生まれていたとしたら何よりも嬉しい。(中略)

修学旅行が終わり、生徒たちは民家の方々に一人一人お礼状を書いた。事前にあいさつ状を送ったときとはちがい、カラフルで気持ちのこもったメッセージの書いてあるものが多かったようだ。社会科からはレポートの提出という宿題がある。彼らがどのようなテーマを選ぶのか楽しみである。国語科ではフォトエッセーと民家泊についての作文が課題となっていて、今後文集としてまとめる予定でいる。ここでは夏休み中に送られてきた彼らの文章から一節を引用して、その報告としたい。≫

 

・「何か映画みたいだね」トラックにゆられながら友達が言った。私たちは、沖縄でこれから泊めてもらう民家へ向かっている。トラックの荷台に乗るのは久しぶり。本当に畑と家がポツポツあるだけで遠くまでよく見えた。ああ、沖縄来たんだなあ……!!何だかやっと実感がわいてきた。(ゆき)

・「今日から大家族だね」私たちの班が泊まった民家のおばあに言われて一番うれしかった言葉でした。(ありす)

・夕食の時間。みんなでおしゃべりしながら食べるご飯は格別だった。学校の話、家族の話、友達の話……私たちは日が暮れてもしゃべり続けた。ゆみちゃん(民家の奥さん)が「おしゃべりするって、沖縄の方言で『ユンタク』って言うんだよー」と教えてくれた。私たちは何だか嬉しくなって、「じゃあ今ウチらはユンタクしているね」なんて言いながら笑った。とってもおだやかな時が流れていた。(ゆかこ)

・おじさんはいつもと違い、真剣な顔で話していた。「伊江島に民泊している生徒は、その家の子どもだ。だからもちろん名字でなんか呼ばずに名前で呼ぶ。生徒としてではなく、自分の家の子ども、一人の人間として接している。だから君たちの意見を尊重する。昨日も言ったけどおじさんが何かを話していても聞きたくなければ聞かなくてもよい。眠たければ寝てもよい。ただ、わがままはいけない。あたりまえだけど一人にその権利があるんだから他の人たちにもその権利がある。それを大切にしなくちゃいけない」そう言った。……忘れられないのがおじさんの目。口でも言っていたし、目でも言っていた。この人は本当に人のことを思っている。そう感じた。(りょう)

・私はパイナップルに帽子をかぶせる作業をした。帽子といっても新聞紙をかぶせるということであるが……休憩のときに私はおばあのとなりにいた。おばあがこっちの方が涼しいよと呼んでくれたから。なるほど確かにそうだった。そこは風の通り道だったのだ。そして少しおばあの話を聞いた。畑仕事は炎天下ではさすがにきつい。だから太陽の向きに合わせて自分が移動し、効率よく仕事をするのがコツだと言っていた。おじいとおばあは常に自然の動きとともに生きていた。クーラーを使わなくても風の通り道にいれば涼しい。わざわざ太陽の下で作業しなくても、日の当たらないところからすればよいのだ。(さみ)

・伊江島にあるガマに連れて行ってもらった。そこでは150人近くが亡くなったという。そこでおじちゃんがぼそっと「戦争はやっちゃダメだよ」と言った。すっごい説得力があるというか、ぐさっときた。あらたまった様子で「戦争はやってはいけません」と言われるのよりも断然力がこもって、力を感じた。(ぎんぺい)

・最後の夜、食事をしながらおじさんがいろんな話をしてくれた。自分の話、息子の話、今までに民泊に来た子どもたちの話。そして、話の終わりをこう締めくくった。「俺はいつまでもお前たちの帰りを待ってるからな。高校生になっても、大人になっても、結婚しても、いつでもいいからこの家に帰ってこいよ」僕はみんなに気づかれないようにうつむき、目頭を強くおさえた。(ゆうや)

・最終日、おばさんが港まで見送りに来てくれた。閉村式が終わっておばさんのところに行くと、おばさんが一人一人を抱きしめてくれた。何かがこみあげてきて涙が出てきた。感謝の気持ちがあったのかもしれない。フェリーから手を振っているときも何度かそんな気持ちに襲われて泣きそうになった。伊江島には絶対また来てみたい。(ちあき)

 

毎年、別れの場面では涙を流す生徒が大勢います。たった二泊で何が起きたのかと思われるかもしれません。しかし、彼らの言葉がただの言葉で終わっていなかったことは、中学卒業後の彼らを見ていてわかります。翌年に家族でお世話になった民家を訪れる生徒がいます。高校卒業、大学合格、就職、人生の節目ごとにお世話になったおじいに報告のメールを入れる卒業生もいます。

先日、友人には本音を言えないという声を生徒から聞きました。こういうことを言う生徒はけして少数派ではありません。親に気を遣っている生徒もたくさんいます。友人や親と関係が悪いわけではありません。友人や親が嫌いというわけでもありません。全くその逆です。今の関係を維持したい、壊したくないから本音で言えないというのです。何かがおかしいなと感じます。親戚でもなく、すぐに顔を合わす関係でもない大人、たぶん一生会うことがないであろう大人と生活する二日間、胸に秘めていたことを吐き出すことのできる場なのかもしれません。そして、とても重いことでもしっかり受け止めてくれ、それでいて「なんくるないさあ!」とスイッチを切り替えてくれる沖縄のおじい、おばあとの出会いは彼らにとってかけがえのないものだったように思います。

 

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フェリー港開村式沖縄修学旅行3日目の様子をお送りします。

昨日、全員元気に伊平屋島に到着。開村式でお互いにご挨拶。緊張の一瞬、でも温かい民家さんに迎えられすぐに笑顔に変わります。生徒たちはグループごとに民家さんの車に乗り込むと、手を振りながら港を後にしました。

そして今日3日目、午前中は青空が広がり、気持ちのいい天候に恵まれました。
午後から夜にかけて少しずつ雲が出てきましたが、大きく天気が崩れることもなく子どもたちはそれぞれのご家庭でたくさんの経験をさせていただいたようです。
教員たちは1日車で島をまわりながら様子を覗かせてもらいましたが、本当に良い表情で過ごしている子どもたちばかりでこちらも嬉しくなりました。

 

「朝日を見に海に連れて行ってもらった」
「サトウキビを刈って味見をした」
「サーターアンダギーを作った」
「シークワーサーの木から実をもいでジュースを作った」
「ゴム長を履いてもずくの植え付けを手伝った」
「釣りをしに連れて行ってもらう」
「牛に餌をやった」
「これから紅芋の収穫に行ってそれでチップスを作る」

…などなど、本当に貴重な経験をさせていただいているようです。

A

B

 

C

D

首里城2首里城7月に予定されていた中3の沖縄修学旅行、緊急事態宣言が解除され、感染者数が減少した11月3日、ついに実施することができました。感染対策には十分神経を使い、全員がPCR検査で陰性を確認してからの出発でした。今日は1・2日目の様子をレポートします。

1日目、抜けるような秋空の下、首里城を見学。朱塗りの壁が美しい正殿は焼け落ちてしまいましたが、修復中の首里城跡をガイドさんとともに歩いて回りました。

2日目は沖縄の文化・自然体験。①カヌーとマングローブ ②紅型 ③漆喰シーサー ④琉球グラス絵付け

15時に運天港から楽しみにしていた伊平屋島へとフェリーで向かいました。

カヌーとマングローブ

シーサー

フェリー

次回は、伊平屋島での民家泊の様子をお伝えします。

似顔絵1 - コピー (2)コロナの感染者数が落ち着きを見せ、授業だけではなく教科外の活動やクラブ活動についても、感染対策をしっかりした上で活動ができるようになりつつあります。今日は中学3年生がPCR検査検査を全員した上で、4泊5日の沖縄修学旅行に出発することができました。

さて、日々感じる中学生の姿、中学校での学びについて考える連載〖ほりしぇん副校長の教育談義〗(毎週土曜日配信)第19話は、「『てつがく対話』の授業③-てつがくの箱」です。

子どもたちが投げかける「問い」に、我々教員が真剣にこたえます。「もしこのような質問をされたら……、一緒に考えていただけませんか?

(中学校副校長 堀内雅人)

 

本校の教室には「てつがくの箱」なるものが置かれています。この箱には、生徒が疑問に感じた問いを自由に紙に書いて入れていいのです。それらの問いは定期的に「てつがく対話」の授業を担当している3人の教員が確認し、「てつがく通信」の中で答えていきます。「人を傷つけるようなものでなければ、どのような問いでもいいよ」と言います。

たぶん、このように言われることは学校空間の中ではあまりないように思います。たとえ言われたとしても、生徒たちはにわかには信じないでしょう。どうせ口だけだと思っている生徒もいるに違いありません。そのせいか、あえて普通には先生に質問しないような問いを一部の生徒が箱に入れたりします。先生を試しているのかもしれません。担当のレイナとひろはてぃー(「てつがく対話」の授業ではお互いに愛称で呼びあいます)は、あえて最初はそのような問いに真剣に答えます。生徒にとってこれは一つの驚きなのでしょう。真剣に答えてくれる人には、つまらない質問はできません。しだいに答えがいのある質問がたくさん入るようになっていきます。

「てつがく通信」第3号(中1の2学期)は、私が担当することになりました。生徒の問いにどう答えるか、真剣勝負です。正解があるわけではありません。一年後同じ質問をされたら、別の答え方をするかもしれません。ただ、今思うことを誠実に答えようとは思いました。自分の考えを押し付けようとは全く思いません。生徒の側から「ぼくはそうは思わない」といった意見が出てくれば、それは嬉しいことです。そこからまた対話が広がっていくはずです。

今回は、その一部を紹介します。

 

Q:自分の自由の邪魔になるものをなくせば自由になれるの? そもそもそんなことできるの?

 

A: 邪魔なものがあれば、それをなくしたいと思うよね。でも、それをなくそうと思うともっとめんどくさいことになったりする。ますます自分の思い通りにいかなくなったりする。泥沼化。これは今までのいくつもの失敗からボク自身が感じていることです。後になってから振り返ると、「自分にとって邪魔なものをなくしたい」と思う自分の心こそ不自由だったと思うんだ。邪魔なものをなくすのではなく、自分の心をどう変えるか。これが自由への道だと今は思います。そして、自分にとって邪魔だと思っていたものこそが、本当は自分が本当の意味で自由になるための大切なものだと、頭ではいすうす気づいています。だけど、なかなかそれができない。まだまだボクは不自由です。でも、若い頃と比べるとずっと自由になれたと思うよ。年を取るということは、そんなに悪いことじゃないと思うな。

 

Q:守るものがある人と、捨てるものがない人、どちらが強いの?

 

A: う~ん。良い問いだなあ。そして難しいなあ。「守るものがある」ということは、守るもののために頑張れるということだよね。自分のためであれば、途中であきらめてしまうかもしれないけど、、守るもの守る人のためであれば、もっと強くなれると思う。

「捨てるものがない」ということは、失敗したときの恐怖がないということだよね。恐怖がなければ何でもできる。なんでも躊躇せずにやってしまえる。

どっちが強いんだろう? ここで問題になるのは「強さ」って何かということだ。怖れるものなくやってしまえることが強さというなら、「守るものがある」人より、「捨てるものがない」人の方が圧倒的に強いんだと思う。でも、ボクはそれを勇気と呼ばないし、強さとも呼べない。「捨てるものがない」人がもし本当にいるとするなら、人間として寂しいことだし、そのこと自体が怖いなと思ってしまう。もちろん、煩悩をなくし、捨てるものがない境地を目指すというのは尊いことだろう。でも今のボクは、守る人のために、人間としての感情を封じ込めずに、世間体など考えられないほどの中で「守るもの」のために行動できる人を強いと思う。

 

Q:自由とひきかえに安全な暮らしをするのと、危険をおかしてまで自由を手に入れるのとどっちがい

い?

 

A: この問いを前にして、今自分はぬるま湯の中にいるのだなと思ってしまった。だって、世界の中で最も安全と言われている国で暮らし、それほどの大きな不自由を感じずに暮らしているから。でも、今地球上では自由を手に入れるために、命を懸けている人がどれだけいることかと思う。そんな立場に立ってこの質問には、軽はずみには答えられない。

そこには、自由と安全両方を求めている都合のいい自分がいる。それでいいのかと問い返してみる。自分さえよければ、考えなくてもいいのか。

社会の授業やテレビのニュースで沖縄の基地の問題を聞いたことがあるだろうか? 日米安全保障条約というのは知っているだろうか。日本の安全を考えると基地が必要なんだという考え方。基地が近くにあるのは危険だし、人々の自由が奪われているという現実。安全と自由、どちらを選ぶ?

日本国内にも切実な現実がある。想像力と曇りのないアンテナさえあれば、いろいろなことに気づくだろう。見て見ぬふりはできない。

安全と自由、両方を得るためには、何かを我慢しなければいけない。ただ、それを誰かに押し付けて自分さえ良ければと考えたり、そのことに無自覚であってはならないだろう。正解なんてないと思うけれど、みんなと一緒に考えたい問いだと思う。

 

Q:人前で発表するとき、緊張しない方法ってありますか?

 

A: この質問は哲学的な問いではないよね。「なぜ人は緊張するのか?」「人間にとって緊張することの意味は何か?」なら哲学的になっていく。でも、ボク自身すごく緊張するタイプなので、この問いに目が留まってしまった。

ボク自身30年以上教員をやっていて、大勢の人を前に話す機会はたくさんあったけれど、いまだに緊張する。頭が真っ白になってしまって、話そうとしていたことが丸ごと吹っ飛んでしまったりすることもある。話し初めでかんでしまうこともしばしば。あまりに緊張したときは、呼吸が苦しくなったりもする。でも、30年前に比べると、それを少しごまかせるようになってきた。心の内側はものすごく緊張しているんだけれど、あまりそれを悟られないようになってきた。

最初にやったのは、話すことをすべて紙に書くこと。挨拶から始まってすべてだ。そしてその紙を発表の時、いつも手にしていた。それを読んでしまうと発表にはならない。一生懸命覚えようとした。頭が真っ白になってもこの紙があれば大丈夫だという安心感があった。安心感があると余裕が生まれる。聞いてくれる人の表情が見られるようになる。その中にニコニコしてくれている人が一人でも見つけられたら最高だ。

もう一つ、発表の直前につばを飲み込み、深呼吸する。発表の途中でもいい。緊張するとどうしても早口になって、息苦しくなる。つばを飲み込んで一呼吸置く。これが良い間になる。ゆっくりしゃべるということも大事だね。

でも、一番ここで言いたいのは緊張していいじゃないかということだ。緊張している人を見ると「がんばれ!」という気持ちにはなっても、不快になったりすることは全くない。どちらかというとプラスのイメージだ。もちろん発表の中身がないのはだめだけれど。そしてこの緊張感こそが自分を高めていくことにつながっているんだと思う。そういう意味で、発表できる(緊張できる)場を与えてもらえるということはとても貴重なことだと思う。そして、その経験は絶対に自分の身になっていく。中高生時代は良い経験を積む時代だ。緊張を前にしてひるまず、行動してほしい。緊張しながら何かをし終えた後って、とても気持ちがいいから。

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