僕は7年間ドイツで暮らしてきた。小3から中3までずっと住んでいたので、日本よりも僕にとっては感慨深い場所だ。日本と比べてみると様々な場面で違って見えてくる。
1つは目上の人への礼儀正しさだと思う。普段はいろいろなところでルーズなドイツ人だが、年上の人が話し始めると腕を後ろで組み、静かに聞いている。切り替えの早さは日本よりも早い。僕はそこが格好いいと思った。
2つ目は、1つ1つの親切だと思う。信号のない横断歩道。ドイツでは、人が待っていると必ず止まってくれる。また、ドアの開閉や道をゆずるなど、当たり前と思っていることを平然とできることがすごいと思う。日本人も武士の時代のように初心に戻るべきだと思う。
ドイツという国の良さは別のところにもあると思う。
例えば、近所との付き合いや、外遊びをしているところなど、健康的な生活だ。ゲームやパソコンなど機械ばかりの不健康な生活とは違う。
また、休みは休みでしっかりととる。勤務時間を守るなど、とても律儀であると思う。
ドイツという国は規則が厳しいが、国民同士が信頼関係で結ばれているのだ。
僕は今、ドイツに7年住めたことを誇りに思い、嬉しく思う。今度はイギリスという地で新しい生活を楽しみたいと思う。

 

2002年卒業までの高3は覚えていることでしょう。校長先生のお宅の隣にあったイーストハウス&ウェストハウス。隣接するS教室(自由教室)はお屋敷時代の馬小屋(ステーブル)でしたが、イースト&ウエストハウスはその世話役である馬丁さんや召使たちの住まいだったところです。白い馬の彫像を覚えている方もあるでしょう。
生徒数の多かったバブルの時代には寮として使用されていましたが、2003年からは先生方の寮となり、今まで多くの教員が学内の生徒たちと共に起居を共にしてきました。
あれから10年。2012年の今春、イーストハウスが女子寮として再開されることになりました。生徒数が増加し、本館のみでは部屋もベッドも足りなくなったからです。先学期までイーストハウスに住んでいた先生方は春休み中にロッジ(校門の横にある昔のゲートハウス)へ引越し、生徒が帰寮する直前まで、内部の細々としたものに至るまで急ピッチで整えられました。同時に本館の中も部屋が増えました。ずっと靴置き場として使用されていたドミトリーDがきれいになって改めてドミトリーDとして生徒の部屋に変身。3階の階段脇の養護教員用のフラットも家庭的な雰囲気のかわいらしいドミトリーになりました。
今度の新イーストハウスに居住するのは高等部3年生、最上級生の女子生徒たちです。英国のボーディングスクールの形態にならって、最上級生として独立した寮に住み、宿直の先生はいますが起床から就寝に至るまで大体のことは彼女ら自身で行っています。教室棟までちょっとした散歩になるものの、高3だけあってなんのその。本館生徒と同じ時間に起床して、早め早めの行動できちんと時間に間に合って生活しています。
心なしか、今までにも増して表情がたくましくなった高3女生徒たちです。

 

4月16日(月)、我が立教英国学院では、健康診断とオリエンテーションが行われました。日頃から「健康」であることに感謝し、「自分の体を大切にする」ことが忙しい学校のカリキュラムをこなしていくのには必要です。オリエンテーションではこれからの学校生活において重要になることを生徒と教員が共に確認し合いました。全寮制の学校では、一日中、空間と時間を仲間と共有することになります。そのような学校生活では、他人に対する「思いやり」の気持ちが何よりも大事です。居心地の良い空間を作り上げるためにも、生徒たちが皆それぞれ相手を思いやり、行動することが求められます。常に相手のことを考えて動くことが、すなわち自分が生活しやすくなることでもあります。生徒たちはこれからの寮生活を続けていく中で、「思いやり」を身につけ、協調性に富んだ人間になっていくことでしょう。

新入生の皆さん、入学おめでとうございます。そして在校生諸君、進学おめでとう。
この学校は1972年、初代校長をつとめた縣康(あがたやすし)先生によって創設されました。世界で最初に海外にできた私立の全寮制日本人学校です。
このあと新入生の皆さんにお渡しする胸のバッジには、この1972の数字が記されています。今年は2012年、ちょうどこの4月で創立40周年を迎えました。今学期の最後、7月7日には創立記念礼拝を行なうことになっています。
40年前、本校がスタートしたときには、生徒は小学生19名のみ、寮も教室も食堂もすべて、現在女子寮になっている本館だけで成り立っていました。今、本館の前には、創設者縣先生のレリーフが立っています。今から40年前の時代というと、日本がまだバブルの時代を迎えるはるか前、日本人がやっと海外に出て活躍を始めたばかり、そういう時代に、イギリスに日本人のための学校を創るという、おそらく当時誰も考えなかったであろうことを実現させてしまった、そのことに驚嘆の念を覚えます。同時に、70年代、80年代へと続いていく、日本人の海外進出という時代の要請に対する先見性に驚きます。それから40年、わずか19名でのスタートから、今ではもう2000名以上の校友が世界中で活躍するまでになりました。
さて今年、2012年、今の時代はどうでしょうか。先日、バークレイ銀行で投資部門のマネージャーをしているある卒業生が、ロンドン出張の合間を縫って学校を訪問してくれました。そのときの彼の話です。日本は今、不況、不況だと言われているが、10年後にはもっと大変なことになっているかもしれない。日本は長い間ずっと根本的な問題の解決をすべて先送りにして、その場限りで済ませてきた。その為に国の借金もどんどん膨らみ続けている。分かっている人は、あぶないことにとっくに気付いている。いつか近い将来、皆が気付くときがくる。その時は大変なことになるかもしれない。今は円高だが、10年後には円の価値はずっと下がってしまうかもしれない。そのときどうしたらいいか。そのとき必要になるのは、国際社会の中で生き残っていくことのできる力。日本という枠にとらわれず、外国の人たちと仕事をしていくことのできる力。外国人が部下かもしれないし、ボスかもしれない。そのとき、他の人たちと協力して、協調して、助け合っていくことができる力。自分は今既に、そういう職場で働いている。今回のロンドン出張は、世界中からバークレイのマネージャーが集まる会議に出席するため。そこには色んな国の人がいる。そこで今自分が活躍できるのも、立教があったからだと思っている。単に英語ができるというだけではなく、寮生活を経験することで、他の人たちと一緒にうまくやっていく力を得ることができたと思う。そういう話をしてくれました。
もう1つ。昨年の東日本大震災のあと、大勢の地元のイギリス人から励ましの言葉をいただいたり、募金に進んで協力していただいたこと。大震災後にいち早く中国・韓国から、そしてイギリスから、アメリカから、ニュージーランドから救援に来てくれたこと。この学校でも去年のJapanese evening のときに、イギリスから救援に駆けつけてくれた消防士さんに来ていただいてお話を聞きました。日本では原発の問題のためにかすれてしまいがちのような気がしますが、海外にいる私達はこのことをしっかりと覚えておく必要があると思います。
国際人になるということ、色々な人と仲良くやっていくということ。最初から僕は国際人になるぞ、と思って国際人になれるわけではありません。それは毎日の生活を積み重ねていく中で、知らず知らずのうちに自然に身についていく、朝起きた後のベッドメイク、すれ違う人との挨拶、食事の席でのテーブルマナー、隣の人への思いやり、同じ部屋の人との距離のとり方、そういうものすべてが、いつか君達の、未来を生きる力につながっていくのだと思います。
ここには146人の個性にあふれた生徒がいます。君達はよく、「うちのクラスって濃いよねー」という話をします。皆自分のクラスが一番個性的だと感じると思います。それだけお互いのことをよく知っている証拠です。インドからミャンマーに来て、今回ベトナムに引っ越した人もいます。実はこの学校で一番国際的なところは、イギリスにあるということではなくて、君達自身です。
そんな個性的な仲間たちと、今日から新しい生活がスタートします。
上級生は今まで先輩から色々教えてもらった、そのことを忘れずに、今度は自分が下級生の面倒をみてあげてください。下級生は先輩が優しいからといって甘えすぎないように。礼儀を守る、けじめをつける、言葉遣いに気をつける、そういうところをきちんとできなければいけない。そういう下級生の上に、初めて優しい上級生という存在が成り立っていくのです。それを忘れないでください。
「受けるよりは与える方が幸いである」
という聖句を先学期の礼拝で聞きました。使徒言行録でパウロが伝えるイエスの言葉です。
「受けるよりは与える方が幸いである」
人からあれをしてほしい、これをしてもらいたい、そんなことばかり考えて生活するのではなくて、君たち自身が、学校をよくしていくためには何ができるのか、後輩のため、友達のために何をしてあげられるのか、いつもそういうことを考えながら、これからの立教生活を送っていってほしいと思います。
君たち1人1人の成長を祈って、本日の入学・始業礼拝式の式辞とさせていただきます。

 

4月15日(日)、チャペルにて入学・始業礼拝が執り行われました。
前日より続々と生徒が帰寮し、「お帰りなさ~い」「久しぶり!元気だった?」とあちこちで久しぶりに会う仲間との再会を楽しむ立教生たち。
入学・始業礼拝当日は、最高学年の証である「赤ネクタイ」を締めた高校3年生が、今年から新入生の案内を担当しました。入寮した生徒の受付、寮内や教室の案内など、何もわからない新入生に優しく丁寧に教える高校3年生の活躍は大変素晴らしいものでした。
今学期は男女合わせて48名、全校生徒の約3分の1を占めるほどの新入生を迎え、新たな年度がスタート。
これからどんな「国際人」になるのか、一人一人目的意識を持って立教生活を送っていってほしいものです。

 

谷川俊太郎さんの「生きる」という詩を鑑賞した後、自分たちが「生きている」と実感することを考えてみて、各連の書き出しは変えぬまま、オリジナルの詩を作ってみました。
生きる
生きているということ
いま生きているということ
それは 心が動くということ
体が動くということ
歌を歌うということ
テレビを見るということ
あなたとケンカをするということ
生きているということ
いま生きているということ
それは ふでばこをかえるということ
洋服を選ぶということ
オシャレをしてみるということ
いたずらをするということ
生きているということ
いま生きているということ
それは 笑うこと
怒ること
泣くこと
さみしくなるということ
好きになるということ
生きているということ
いま生きているということ
いま笑い声が聞こえているということ
いま夕日が沈んでいるということ
いまどこかで演奏をしているということ
いまどこかで子どもが転ぶということ
生きているということ
いま生きているということ
雲が動いていること
木が左右に揺れていること
鳥が飛んでいること
鐘が鳴ったこと
秒針が動いていること
そして いのちということ
(2011年度小学部6年生 女子)

 

お医者さん。それは、私のあこがれの仕事。小さいころから、かっこいいなあ、すごいなあ、とあこがれていた。私は、小さいころに一度入院したことがあるが、その時のお医者さんはとても優しかった。それでさらに、お医者さんにあこがれるようになった。
もちろん、病院に行くこと自体は、何をされるかわからないし、いろいろと不気味な機械が置いてあるし、あまり好きではない。でも、そこで多くの命が助けられていると考えると、すごいと思う。
一人一人診察していって、一つ一つ薬を選んで、手術が必要なら手術をする。手術といっても、時には二日間にわたることだってある。手術が成功すると、患者さんも、そして患者さんの身内の人からも、どれだけ不安が消えることか。時には失敗することだってあるかもしれない。でも、その人を、全力で手当てできたなら、放っておくよりずっと罪悪感は少ないと思う。
私は特に子どもが大好きなので、小児科医になりたい。また今、私はイギリスにいるので、英語をマスターして、アフリカ等の国や、国際的な医療活動をしたい。
去年の夏、自分の興味のある仕事を調べてくるという宿題が出た。もちろんその時も、お医者さんになりたいと思っていたので、インターネットで調べてみた。それによると、大学を出て、医師免許を取り、常に新しい知識を得ていなければならないようだ。さらに、年をとれば視力が悪くなるから、いつまでもできる仕事ではあるまい。ずっと楽しいわけでもない。ショックなことも沢山あるだろう。
しかし、そんなことを考えても、なぜか私は医者になりたい。叶うか叶わないかなんてわからないけど、私の小さいころからのずっとあこがれていた夢、「お医者さん」に向かって、全力で走り続けたい。
(2011年度小学部6年生 女子)

創立40周年を迎えるにあたって、この春休みに本館(女子寮)と新館(男子寮)の窓枠修理/外壁塗替えや、教室棟の屋根の改修、女子寮の非常階段の付け替え、それに男子寮1階シャワールーム/トイレの全面改装が行なわれました。
校内は毎日クリーニングレディースや掃除のおじさん達がこまめに手入れをしていますが、20世紀初頭に建てられたマナーハウスである本館は定期的に入念な改修を行っています。今回は3階までとどく大きな足場を組み、全ての窓枠を直してペンキを塗り直す大改修でした。あわせて本館の非常階段も新しいものに取り替えたので、巨大なクレーン車が数日間校内で作業をするという程のスケール。その光景は、普段美しく広がるキャンパスを見慣れた目にはちょっと異様にも映りましたが、今回の工事の規模の大きさを物語っていました。
新館のシャワールーム/トイレは春休みに入って数日すると、中身がすべて取り払われガランとした不思議な空間になりました。この工事の学校側責任者であるジョーンズさんに、「今のうちに写真をとっておいてね。これがどんな風に変わるか、見物よ。」と言われて撮影した写真 — 数日前まで生徒たちが生活していた場所とはとても思えないものでした。
水仙が咲き、桜が芽吹き、暖かい日が1週間以上も続いた後、イギリスはイースター休暇を迎えました。この休暇はヨーロッパではクリスマス並のものなので、当然工事も一時中断かと思われましたが、なんとイースター期間中も校内の作業は続いていました。イギリスではちょっと珍しいことかも知れません。
そして桜の花も散り始めた、生徒帰寮の2日前に遂に男子寮のシャワールーム/トイレが完成。新館に入った先生方もその変容ぶりにはビックリ!
「ホテルに来たのかと思いましたよ。」
この言葉には、近くにいたジョーンズさんもにっこりでした。
生徒たちがそれぞれの国で思い思いに過ごしていた春休みの間、学校では新しい学年を迎える生徒たちの為に着々と準備が進んでいたようです。

 

去年の11月9日にやって来た茶室。覚えていますか?
ヴィクトリア&アルバート博物館(ロンドン)から譲られた30年前の茶室。ひとまず1階の教室に収められていました。
3学期を通じて、少しずつ組み上がってきています。
実は11月に搬入してすぐ、大きな箱を開けて、木材、ジャッキ、障子、礎石…ひとつひとつを確認したとき、問題発生。
水屋と床の間部分があまりに大きくて、予定していた教室に入らないのです!いえいえ教室のサイズには合うものの、入り口のドアの大きさが十分ではなく、入れることができない。
はっ…と気づいて全教室を考えてみたものの、どの教室も入り口が小さい。11月の搬入のときも、外に面したガラス戸ごと、一時的に全て取り外して入れたのです。
さらなる解体を考えたものの、釘の打ち込みが複雑で、木材も乾燥しきっていますから、できれば抜きたくない。
あれあれ大変です。-どこに置こうか?
今回博物館からのお話を下さった裏千家ロンドン出張所の先生にも見ていただいて、結局そのまま搬入した教室で組み立て、使うことになりました。
3学期を通じて、生徒たちが気づかないうちに組み立てられていったお茶室。
実は技術科も教え、電子系統の管理やあれこれ壊れたものの修理などひそかに立教の縁の下の力持ちをして下さっているT先生の活躍のおかげです。
礎石を置き、柱を立て、横木を渡して鴨居部分もあげられました。
すでにほぼ完成しているものの、やや床が弱いことが分かったので、もうちょっと補強が必要です。
さあ1学期にはいよいよ利用できるでしょうか。楽しみです!

 

春の花といえば、日本なら「桜」。季節と共に様々なモチーフで私達の生活文化の中に根付いています。
英国では春の花といえば、水仙やブルーベルでしょうか。いえいえ、立教にはしっかり「春の花 桜」があるのですよ。
なぜ立教に桜があるのかって? -それは日本から持ってきたからです。
ずいぶん昔のことですが、日本で用意された桜の木々を遠く英国まで空輸してもらいました。
植物を運ぶことはカンタンではありませんでした。しかも1~2本ではありません。10本単位で送るのです。検疫だってあります。
「だから、植物の検疫に定評のあるオランダに一度送って、経由して英国に空輸したんだよ。」だそうです。
けれども、日本とおなじ温帯の気候とはいえ、やや涼しい英国。桜の木はきちんと根付いたのでしょうか?最初の年から満開の桜が見られたのでしょうか?
「何本かはやはり死んでしまった」と長年立教の庭師を務めているピーターが言っていました。
こうして、今30本近くの桜が元気に毎春花をさかせています。
立教の桜は駐車場に沿って植えられています。
これは校内を貫通しているパブリック・フットパス(PUBLIC FOOTPATH英国全土に整備されている公共の散歩道)にも沿っています。天気のよい春、家の近くからのんびり散歩を楽しむ人々が、校内のフットパスを通り抜けるとき、美しい桜並木を楽しんでゆかれます。
花がつくのは3月末から4月。4月中旬に始業する生徒たちは、残念ながら立教の桜並木を見ることはありません。
今年も桜が見事に咲きました。
あたたかい季節を迎えて元気になった蜂たちが、ぶんぶん花の間を飛び回ってうるさいほどです。

 

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