テレビもスマホも楽しいものだが、

残念ながら、そこには思想的な

深まりがない。

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英語も大切だが、文学への教養が

深められなければ、自らの思想的

深まりを養うことができない。

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今、夏目漱石の「草枕」を読んでいる。

必ずしも平易とは言えないが、何と面白い

随想、物語であろうか。

 

電子辞書などを片手に、

じっくり読んでくれると嬉しい。

名文でbあると共に、思想的に深く、

それに面白い。

漱石は、明治以降の文学としては、

最高の人物なのではないだろうか。

中学生専用自習室

人間的弱さを、少しも隠すことなく、

正直に率直な内面を語った作家としては、

森鷗外がいる。

「舞姫」は、ごく短編だが、彼の青春の

愛と悩み、悲しみ、苦しみを、率直に

素直に語った物語である。

 

私は最近、これを涙に濡れながら

読み通した。彼は医者でもあるのだが、

鷗外が本当に好きになった。

彼の作品としては、「高瀬舟」も

お勧めする。

 

漱石ならば、「こころ」かなあ。

 

新聞も読んで欲しい。読売、朝日、

産経、そのどれでも良いから

活字の思想、情報に触れて欲しい。

 

大学入試の準備に追われる頃になっても、

活字文化からは離れないで欲しい。

それが青年知識人としての

君たちを育てるし、結果的には

それが、大学入試を 有利に導く

はずである。

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力がついてきたら、英字新聞、

英語の原書にも挑戦して欲しい。

狭山ヶ丘学園には、 莫大な量の

英語の原書がある。優しい英文の

原書もある。

 

兎に角、映像文化を少し離れて、

英語であれ日本語であれ、古文であれ

漢文であれ、 活字文化に親しむことが

大切なのである。

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 学業のみならず、豊かな人間性を!

自分の心を見つめる自己観察教育

狭山ヶ丘生の豊かな人間性と実績は自己観察教育にあります

開校以来、本校は心の教育「内観」を重視してきました。
内観とは自己を見つめ、今までお世話になった父母・先生・
友人など、身近な人との交流を思い起こし、本来あるべき自己
の姿に気づくことを主眼としています。

時代とともに生徒数も増え、学力の大きく向上したことから、
この内観の精神を、本校の現状に適応するように発展させた
ものが、本校で実践している自己観察教育です。

この自己観察教育こそが、躍進を続ける本校の進学実績の
基となっています。

自己観察教育の3つの柱

<黙想>

授業の始めに目を閉じて心を落ち着かせ、テーマに従って
黙想をします。これを6年間続けているうちに、集中力もつき、
将来の自分の進むべき道を見定められるようになります。
黙想という単純な動作ですが、時間に節目をつけて集中力を
高めることで、めまぐるしく変わる現代社会の中で、自分を律
していく強さを身につけることができます。

<茶道>
3号館内にある「悠久庵」にて、高校3年生が週1回茶道の授業を
受けています。様式にしたがってお茶を点て、静けさのうちに味わう。
こうした日本の伝統文化に触れ「和敬清寂」の精神を体得することで、
社会人として必要な豊かな人間性と国際性を培うことができます。
「正教授」という栄誉ある称号を授与された指導者の下で、茶道部
部員は高校3年間で裏千家茶道中級許状を、その他の生徒は
初級許状を手にすることができます。

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<対話>
教師と生徒、または生徒同士が学校生活全般で温かい対話の場を
持つように心がけています。特にクラスや部活動という同一の場で
同じ目標に向かう者同士が切磋琢磨し合い、言葉がけを大切に
することで、より身近で高い会話能力を身につけることができます。
日常生活の中で、最も身近な対話は挨拶です。一声がお互いの
人間関係を作る礎になります。

昨日は首都圏最大の私学進学相談会

日能研私学フェア2017に参加いたし

ました。

お足元が悪い中、

多くの方々にお会いすることができて

大変有意義な1日となりました。

ありがとうございました。

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同日実施の模擬試験を受験して、

日々の努力を重ねている小学生の

姿に良い刺激を受け、

日本の未来を担う若者を

しっかりと育成していくことの

重要性を再認識することができました。

 

昨日お会いできた多くの出会いに

感謝して

今日からまた私たちも頑張ります!

 

ありがとうございました。

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ご連絡いただけましたら、

いつでも校内をご案内

いたします。

 

皆様からのご連絡を

お持ちいたしております。

本校では、生徒を将来のリーダーとして育てる姿勢
と覚悟を持ち、あらゆる活動を通して生徒のプライド
を刺激するよう心がけています。このように狭山ヶ丘
では東大をはじめとする最難関大学へ現役合格できる
だけの高い学力を全員が身につけられるよう指導する
とともに、高い志を持って高い目標に挑戦していく姿
勢を醸成していきます。

一昨日、デジタルネイティブな子ども達が本物に

触れることによって大きく成長できる、理科巡検

という実地調査に城ヶ島まで出かけました。

さまざまな経験を積み重ねながら、

ますます立派になっていく付属中学校の

生徒は耀きに満ちています。

 

理科巡検

現在の低迷する日本を建て直し、世界に通用する
真のリーダーを本校から世に送り出したい!-そ
の熱き思いを実現するために、埼玉県内でも屈指
の進学校である狭山ヶ丘高校が中学校を新設して
5年目を迎えました。

真のリーダーには、きわめて高い気力・知力・体力
・実践力・資質・コミュニケーション能力はもちろ
んのこと、他者を愛し慈しむ心や自らを省みること
のできる自己観察力、そして額に汗して働くことの
尊さを豊かな経験を通して理解することが求められ
ます。

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女子バレーボール部(高等部) インターハイ県予選ベスト4!

昨日6月21日水曜日、インターハイ県予選において

ベスト4に入りました!!!

埼玉 狭山ヶ丘

ふじみ野 2-0

寄居城北 2-0

本庄第一 2-0

聖望   2-0

次は24日土曜日(所沢市民体育館)に

4チームのリーグ戦で戦います。

 

上位2チームがインターハイに出場できます。

 

*ベスト4

狭山ヶ丘・細田学園・春日部共栄・大宮東

 

インターハイへの出場権をとって来ますので、

中学生だけではなく、小学生の皆さんのご声援を

よろしくお願いいたします。

皆様の応援が力になります!

 

本校の中途退学者はほぼゼロです!

さまざまな理由で保健室に来室があります。


生徒たちと話すなかで、素直で頑張り屋が

多いと日頃感じています。体調不良時は早退

させることも多いですが、発熱等があっても

「授業を受けたいから学校にいたい」

「部活動に出たいので授業も頑張る」

と言って、早退を渋る生徒が多いです。

学校が好き、やりたいことがあるという生徒たちの

様子を見るたびに嬉しくなる反面、無理はしないで

ほしいと思いながら、日々保健室から見守る毎日

です。

 

皆さんも、年間皆勤賞、3年間皆勤賞、

できることなら、中高6年間の皆勤賞を

目指して頑張ってください!

本校では、奥武蔵や秩父、奥多摩の山々を年3回登って心身を鍛えます。

みんなで協力して1つの山を登り切る達成感や

自然の醍醐味を味わうことで人間力が培われます。

日常とはかけ離れた山にしかない空気。

自然の偉大さを感じるとともに、厳しさも感じるでしょう。

3年間の間に一度はアルプスの山を登ることが目標です。

登山は一生楽しめる活動です。よき仲間との出会い、

忘れられない自然の美しさに心が洗われます。

 

軽登山・宿泊研修~心を体を鍛える~

 
生徒の声はこちらへ→

夜空に星が多かった頃(2/2) 

校長 小川義男

狭山ヶ丘高等学校付属中学校校長メッセージ

 

(前編のつづき)

「こくわ」 は、北海道の山に生えるもっともおいしい食べ物である。大きなもので

大人の親指くらいの大きさであろうか。実が青くてふにゃふにゃしている。甘いと

いうか、酸 っぱいというか、それが適度に混じり合って、とてもおいしいのである。

私は世の中に、あれほどおいしい食べ物は他にないと、今でも思っている。たやすく

手に入 る山葡萄とは異なり、深山に入らなければ手に入らないので、そんなに沢山の

「こくわ」を食べたのは、そのときが初めてであった。

 

馬車に揺られながら、時折馬車追いのおじさんの問いかけに答えたりしながら、

私は「こくわ」の実を食べ続けた。 ふと空を見上げると、信じられないほどの数の

星が煌めいていた。天の川などは、 それこそ、かご一杯の銀の粉をぶちまけて、

竹箒で掃いたように輝いている。「こく わ」を食べる以外にすることのない私は、

じっと夜空を眺め続けた。流れ星が、 次々に流れて行く。それまで私は、流れ星は、

滅多に見られるものではないと思っ ていたのだが、三時間も馬車に揺られ続けて

いる間に、ほとんど絶え間なく星が流れているのに驚いた。今とは比べものにならない

ほどに夜空が澄み切っていたのか、 当時の田舎には、明かりらしい明かりがなかった

からなのか、あの夜の星の美しさ は、その後の人生に影響を与えたのではないかと

思うほどに美しいものであった。

 

それからすでに六十年、無骨ながら深く私を愛した父はこの世にいない。ずっと 長ずるに

及んでから私は思うのだが、あの夜、父は深夜の原始林を歩いて帰って怖 くはなかったの

であろうか。当時私にとり父は絶対的な存在であったから、恐怖な どとは無縁のはずの人で

あった。

 

しかし、自分も十分に年を取った今、人間は、幾 つになっても、決してそれほど大胆になれる

ものではないことを知っている。また、 はるばる遠くまで父を慕ってきた息子を、深夜の路上に

追い返す父の心がどんなも のであったか、今の私にはそれも分かる。 親の心が分かるのは、

自分が親になってからだと、よく言われる。結局親心とい うものは、子どもを育てている間には

分かってもらえないものなのかも知れない。 せめて父の存命中に、あの夜の「こくわ」が

おいしかったことくらいは語ってお きたかった。今私はそのことを後悔している。

 

(平成17年12月10日 狭山ヶ丘通信 第5号)

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