座学では出会えぬ感動の毎日を!

 

これからの社会の変化に流されることなく、

自分の道を切り拓いていける、強く、深みの

ある人間を育てたい。その思いを実現する

ために、中等部、高等部ともに本物に触れる

教育で豊かな人間性と確かな学力を育み、

厳しい現代社会を生き抜く力を身につけさせます。

 

理科巡検

 

 

 

 

 

 

 

海外語学研修、体育祭(メットライフドーム)のみならず、

中等部(農作業・軽登山・理科実習等)、高等部(海外修学旅行・茶道等)

ともに、本物に触れることでやる気を芽生えさえ、

自立心を育てる取り組みは、現代のデジタルネイティブの

生徒たちを魅了し、実に刺激的な学校生活を約束します。

 

DSC_0004

 

第1回学校見学説明会

【高校入試対象】

 

いよいよ明日は第1回学校見学説明会を

開催いたします!

037

 

 

 

 

 

 

 

説明会への参加は中学校3年生に限りません。

高校の概要についてお知りになりたい方は

どなたでもご参加いただけます。

 

説明会終了後、個別相談と同時に教科別学習法

ガイダンス(英、数、国)を行います。

過去に出題された入試問題の解説や今年度の

出題方針などを説明します。

 

耳寄り情報が飛び出すかも知れません!!

IMG_2340

 

 

 

 

臨時スクールバス(無料)も運行いたしますので

皆様のご来校を心よりお待ち申し上げております。

 

詳細はこちら

 

 

第17回  彩の国進学フェア

@さいたまスーパーアリーナ

9:30-16:30

ブース  Cー42

 

昨日と今日、彩の国進学フェアに

参加しています。今年は北辰テスト

の日程とも重ならず、多くの受験生が

ブースに来てくださっています。

 

できるだけ待ち時間がなくなるように

工夫いたしておりますので、是非お出で

くださいますようご案内申し上げます。

 

DSC_1971-300x198

フェアの特性でしょうか、高等部の

ご相談が多いですが、中等部について

もご相談をお受けしています。

 

体育祭はメットライフドーム

修学旅行は英仏、ニュージーランド、

そして今年はハワイ。

語学研修は英国、カナダ。

 

それはそれでお伝えすべきこと

ではありますが、それ以外の

文字では伝わらない狭山ヶ丘

の感動の日々を、個別相談の

お話のなかで知っていただける

よいチャンスです。

 

DSC_4623

 

 

 

 

 

さらに受験生本人のやる気を

引き出すことをお約束します。

アリーナに来る前と帰るとき

とでは、受験生の顔つきが大きく

変わっていることでしょう。

 

狭山ヶ丘は受験生を本気で

応援いたします!

 

皆さまのご来場を心より

お待ち申し上げております。

 

暑さ対策もお忘れなく

気をつけてお越しください。

 

フェアの詳細はこちらです

西武文理 佐藤英樹先生の偉大さ!(2)

 

争いの原因は、学校説明会に登場する「狭山ヶ丘」の位置づけ、順番であった。英樹先生 は、「狭山ヶ丘は、今では立派な進学校である。この順番で話をさせるのは、明らかに適当ではない」と仰っていたのである。

その時、「狭山ヶ丘」は、工業学校、専門学校、職業訓 練所等のグループの中に位置づけられていたのである。先生は、これは適当ではないと主張されているのであった。

 

「ご主張は、自分の学校ではなく、私の学校を庇ってのご発言だったのだ。」

 

そう思うと、私の胸は熱くなった。「なるほど、これが横綱相撲というものか。」私は、そう思っ た。いくら名門校の校長とは言え、他校を庇って、これほどの犠牲を払えるものではない。

佐藤英樹先生は、そのようにスケールの大きな方だったのである。

西武文理学園が、大学も含めて、更に一層、発展を遂げられることを期待したい。

惜しいことに、その翌年から、入間市のPTA主催の学校説明会はなくなった。今から振り返っても、残念なことである。

狭山ヶ丘高校、付属中学校も含めて「狭山ヶ丘学園」は、その後も順調に発展を遂げてき た。それにしても、狭山ヶ丘高等学校も、「あの頃は本当に苦しかったなあ」と想起させら れる。在校生諸君、保護者の皆様には、かつて、そのように厳しい歴史があったということを理解して頂きたい。

あらためて、「西武文理」と佐藤英樹先生の、ますますのご発展を祈念申し上げる。

 

 

西武文理 佐藤英樹先生の偉大さ! (1)

               狭山ヶ丘高等学校

               狭山ヶ丘高等学校付属中学校

               校長 小川義男

話は二十年前に遡る。諸君どころか、諸君のご両親だって、

その頃はまだ、ドッジボール を楽しんでいた頃かも知れない。

 

入間市では、PTAの連合組織が、高等学校受験希望者を対象に、

学校説明会を実施して いた。場所は、市民会館だったと思う。

 

入間市の中学生諸君、保護者の皆さんが、沢山集まっていた。

西武文理の佐藤英樹先生と、PTAの役員さん達との間に、

争いらしきことが起こった。佐藤先生は、地声が大きい。

東大に多数の合格者を輩出している名門「文理」の主宰者であった。

 

037

 

 

 

 

 

 

 

「駆け出し校長」の私は、「大物同士の争い」くらいに思って、さしたる

関心を抱かなかった。 しかし、声の中に、「狭山ヶ丘」という言葉が

しばしば混じっている。「狭山ヶ丘」は私の学校だ。私は、その「争い」に

近づいて行った。

 

続く・・・

 

パンフレットもガイドブックも

良いですが、やはり学校紹介

ビデオはさらに説得力があり

ます!

 

施設の紹介だけでなく在校生や

卒業生の様子からも

学校の雰囲気が分かってくる

ものです。

 

是非ご覧ください。

 

視聴される方はこちらです!

 

 

 

 

 

 

皆様にご声援いただきました

高等部野球部ですが、

残念ながら山村学園に

敗れました。

狭山ケ丘
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
1 0 0 0 0 0 0 0 X 1
山村学園

投手
狭山ケ丘:
臼井→安田
山村学園:
和田→矢口

ご声援ありがとうござい

ました。

3年生ピッチャー、安田くん

お疲れさまでした。今日の日の

悔しさを胸に、明日からの人生を

力強く生きていってください。

君なら、何でもできますから。

今後の活躍に期待しています。

 

校長先生の不登校体験(完結編)

雨の日には滑り台の下に雨宿りしたが、

少し激しくなるとそうもいかない。

そんなときは、池のそばに伏せてある

ボートの下に潜りこんだ。

時にはそのまま眠りこけてしまうこと

もあった。

DSC_2193

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日姉が私のノートを調べた。

学校に行っていなかったのだから、

まっさらである。しかし善良な姉は、

弟を疑うことを知らない。先生の

おっしゃることや黒板にかかれたことは

しっかりノートに書かなければいけないと

叱るのである。危機感を感じた私は、

毎日滑り台の上で2時間ほど算術の問題を

解き、国語の教科書を書き写すことにした。

 

しかし、危機は再び訪れた。こんなに

勉強が進む学校はおかしいと姉は言う

のである。「そうだよ。僕の学校は

勉強が早いんだよ。後で何回もやり直す

んだもの。」嘘にはさらに嘘を重ねなければ

ならない。胸は少し痛んだが、何しろ先の

見通しなどない年頃だから、急場を切り抜け

さえすればよいという有様であった。

 

IMG_2340

 

 

 

 

 

 

困ったことが起きた。だんだん寒くなって

きたのである。北海道の10月は、耐え難い

ほど寒い日もある。だがよくしたもので、

その季節になると、停車場のストーブに

火が入った。私は、日がな一日を駅の

待合室で過ごすことにした。近くの家の

ゴミ箱を探すと、沢山の本が捨てられて

ある。表紙も裏もとれてしまっているもの

が多いのだが、それでも、アラビアンナイ

とかイギリス童話とか、内容の素晴らしい

ものが少なくなかった。私の知識や話題に、

いささかゴミ箱の臭いらしいものが混じる

のは、その時の後遺症である。

 

線路に入り込み、列車の間をすり抜け、

もぐり抜けて遊んだ。台車の下について

いるハンドルを引くと、シューとエアー

の抜ける音がした。50台以上もある列車

のエアーを全部抜いたこともある。しかし

この「優雅な毎日」は、思わぬところで

破綻した。列車のいたずらから帰ってみる

と、何と待合室のベンチの上に置いてあった

ランドセルがないのである。ランドセルには

「タキイチイチノイチ オガワヨシオ」と

書いてある。「滝川第1小学校1年1組

小川義男」というわけである。

 

 

 

DSC_2184

 

 

 

 

 

 

 

 

かくして私の登校拒否体験は悲劇的結末を

迎えた。ランドセルが学校に届けられて

しまったのである。

私は裸にされて松の木に縛り付けられた。

息子が何よりの自慢であった父にとり、

それはどれはど悲しいことであったろうか。

父は人通りが途絶えた頃、裸の私に腰縄を

つけて「石狩川に漬ける」ため歩かせ

始めた。「漬ける」とはどんなことか

分からなかったが、恐怖に怯えた私は、

rー「助けて」と叫んだ。近所のおばさんたちが

出てきて、泣くようにして謝ってくれた。

「よしおちゃん、もうしないよね。」と。

 

DSC_2175

 

 

 

 

 

 

 

 

「昔の先生はよかった」などという人が

よくいるが、私はそうでもないと思う。

転校してきた1年生が、2か月も学校を

隠れ休みしているのに、情報が入らない

はずがない。しかし担任は、家庭訪問は

おろか、手紙一本家に出さなかったので

ある。

「今の先生は良くない」という人が多い。

そうかも知れない。しかし私は確信を

持って言うが、1週間子供が学校に

来なくて、何らかの動きを起こさぬ教師は、

今の学校には絶対にいない。

私はその後さぼらず学校に通い、まあまあ

真面目な大人に育った。ずいぶん悲しい

体験ではあるが、それも教師となった今で

は、貴重な体験だったと思う。非行に走った

生徒に対していて、彼あるいは彼女と、実は

仲間であるという実感が、私の心のどこかに

は隠れているからである。

「ばれた」後、学校に呼び出された父は、

担任に、「先生、こんな子は石川五右衛門

のようになるのではないでしょうか。」と

尋ねた。先生は、「そうでもないですよ。」

と答えたという。父は、私をひっぱたき

ながら、先生のその言葉を繰り返した。

「石川五右衛門のようになるのではない

でしょうか、と言ったら先生は、そうでも

ないですよと言った。」と何度も何度も

繰り返すのである。20歳を過ぎたか過ぎない

娘っこ教師の言うことである。当てになどな

るものか。しかし父は、せめてもの救いをそ

の言葉に求めたのか、「そうでもないですよ

と言った」と、呪文のように繰り返しながら

私を殴るのである。

新任教師を対象とする講演などの際に私は、

しばしばこのことを語るのであるが、語る

たびに、つい涙にむせびそうになって

しまうのである。

本日は

第1回狭山ヶ丘高等学校付属中学校

学校見学説明会でした。

 

お暑い中、多数の方にご来校いただき

誠にありがとうございました。

 

本校の入試の厳しさに逆に励まされて、

多くの方が過去問題集をご購入ください

ました!

 

~力を尽くして狭き門から入れ~

 

受験生の頑張りを心から応援いたします。

 

明日は本校高等部の野球部の

第4回戦(対山村学園)です。

 

県営大宮球場

14:00

テレ玉でも放送されますので

皆様の応援をよろしくお願いいたします。

 

校長先生の不登校体験(2)

驚いたことに、裏の草むらには、

学校を隠れ休みしている仲間が

沢山いた。しかも彼らは、

「俺は昨日学校に行って来た」とか、

「おととい行った」とか言うので

ある。尋ねると、机も腰掛けも

あったという。私は、「俺は机も

腰掛けもないから学校に行けない

んだ。お前、昨日行ったんなら、

今日も行けばいいじゃないか。

どうしていかないんだ。」と、

しきりに上級生たちを「善導」

した。後年教師になるだけあって、

私は「善導する登校拒否児」だった

のである。

在校生から受験生へ 狭丘的生活

 

 

 

 

 

 

中には女の子もいた。そのころの

「登校拒否グループ」には、後で

名の知れたやくざになった者も

少なくなかった、私も危ないところ

だったのかもしれない。

学校の裏の草むらに誰もいない日

もあった。みんな学校に行って

しまったのである。

 

「机も腰掛けもない」私は、行け

ないのだから寂しかった。ひとりで

草むらに隠れていても仕方がない。

私は他の場所を探索することにした。

町中をうろついている間に公園に

行きついた。それまで私は公園なる

ものを全く知らなかったから、

これはもう夢の国に違いないと思った。

滑り台、遊動円木、回旋塔、とにかく

沢山の遊び道具がある。田舎育ちの

私には、大人がこんないたずらみたいな

物を造るはずはないから、これは絶対に

夢の国だと思った。おまけに池には

ボートまで浮かんでいる。何と

すばらしい所であろうか。

 

DSC_3838

 

 

 

 

 

 

 

 

農村人口が八割を占めていた時代である。

公園で遊んでいる大人などいなかった。

小学生が来るはずもない。公園は文字通り

私一人が占有できる場所だったのである。

遊園地に連れて行ってもらうことなど

ほとんどない時代だったが、この隠れ

休みしている期間、私は公園の遊具を

存分に楽しんだ。おそらく人の一生分

くらい楽しんだのではないだろうか。

そのためか私は、今でもディズニー

ランドに行きたいなどとは思わない。

偽パスポートを使って我が国の

「ディズニーランドを見たかった」

どこやらの「ご令息」とは、そもそも

幼児体験の総量が違うのである。

 

DSC_4211

 

 

 

 

 

 

次へ続く

少年時代に登校拒否をしたこと

のある校長は、私くらいのもの

ではないだろうか。自慢になる

ことではないが、恥を忍んで

その想い出を語ることにしよう。

もしかすると最近の親御さんの

参考になるかもしれない。

 

私は五歳の時に母に死に別れた。

それまで我々の家族は、北海道の

昭和炭山という山奥に住んでいた。

雪深く厳寒の地域であるが。冬に

なると電信柱が雪に埋まり、我々は

電線をまたいで歩いた。電線に腰掛け

たりぶら下がったりしてはいけないと

注意されるほどの豪雪地帯であった。

秋には熊も時々出たらしい。

e_ce_2904_02

 

 

 

 

 

 

妻に死なれた父にとり、この山奥の

炭坑は耐えきれない場所であったらしい。

思えば父も若かった。彼は当てもない

まま炭坑を辞め、「放浪の旅」に出た。

おかげで私は、小学校一年の一学期に

二回転校を経験することになったので

ある。

 
私は積極的な少年であった。何しろ

小学校の入学式に、姉が同行するのを

待ちきれず、一人で学校へ行ってしまった

のだから、積極性もいささか度を超して

いたのであろう。もっとも「義男が

行ってしまったから」というので、

そのままほったらかしにした姉も

相当なものである。

 
しかし、一学期の間に二回学校を

変わるというのは、それなりに大変な

ことであった。

 
最後に落ち着いた小学校一年の七月、

私はふとしたことから腎臓炎を患った。

夏休みを挟んで相当の期間学校に行く

ことができなくなったのである。

 
二学期が始まってしばらくした頃、

病も癒え学校に通えるようになった

私は、久々のランドセルを背負って、

初秋の日をまぶしく感じながら学校

へ向かった。

 
ところが、近所の「八郎ちゃん」が、

「小川、お前なんか学校に来るな。

おまえが学校に来たって、もう机も

腰掛けもないぞ。先生が『小川さん

なんて学校に来ない方がいいよね。』

って言ったら、みんなが『うん』て

言ったぞ」と言うのである。私は

驚いた。永いこと学校に行っていない

のだから、それは確かに、もう机も

腰掛けもないだろうなと思った。

みんなが来ない方がよいと言ったと

いうのである。私は、学校には行か

ないことにした。

 

実は、発病の前、私は掃除当番の

班長であった。北海道では「当番長」

と言う。それを八郎ちゃんは、私が

休んでいる間代わってやってくれていた

らしいのである。病み上がりの子供に

班長をやらせる先生などいるはずも

ないのだが、八郎ちゃんも幼いから、

その辺の呼吸はわからない。彼は

当番長を私に取りかえされると

思ったのである。

 

学校に行けない私は、校舎の裏の

草むらに隠れて教室を覗き見る

毎日には、正常な学校生活とは

別な味わいがあった。

 

その2に続く

 

〜お知らせ〜

狭山ヶ丘高等学校付属中学校

第1回学校見学説明会

7月17日(月)

 

開始前(希望者)

9:00-9:30 学校行事DVD放映

9:30-9:55 学校紹介DVD放映

 

説明会

10:00-10:40 学校長挨拶

10:40-11:00 入試概要説明

11:00-11:20 質疑応答

 

その後、

体験授業(茶道/国語/理科/

先着予約制)に併行して

個別相談を行います。

 

ページ
TOP