「立教には、オープンデイっていう大きなイベントがあるんだよ〜。」と、先輩方や同級生からは聞いたことがありましたが、正直イメージが浮かびにくくて、オープンデイ期間に入るまで、ずっとイメージが曖昧なままでした。日本の文化祭のように、屋台を出したりお化け屋敷をしたりということはしませんが、この行事では日本の文化祭では味わうことのできない達成感と充実感が得られます。

 

 ダンスや劇などのフリープロジェクトもオープンデイの醍醐味ですが、やはり心に深く思い出が残るものは、クラス企画でした。私のクラスは、二学期になっても意見があまりまとまらず、具体的な部分はほぼ決まらないままあっという間にオープンデイ期間になってしまいました。わけの分からない中、私はクラスの中で、背景班に入って活動することが決まりました。「よっしゃ、やるか。」その一言で、背景班は動き出しました。描く予定だった絵は八枚、とても描ききれるとは思えない量だったので、これからどうなっていくのかどうかなんて想像もできなかったけれど、その時の私には、ただひたすら絵を描くということしかできませんでした。時には、本当に成功するのか不安になって、苦しんだ時もありました。しかし、やはりそんな時でも一緒の身になって考えてくれるのはクラスメイトです。二十四時間同じ場所で過ごしている仲間達には、友達以上の絆を感じます。自分のことを理解してくれる人がいることはとっても心強いことです。立教にはそんな仲間がたくさんいます。

 

 休んでいる暇もないようなハードな日々は本当に大変だったけれど、決してその時間は無意味ではなく、 クラスの絆を確かめられるとても貴重で、大切な時間だったのだと心から思いました。

 

 「有意義な時間を送って下さい。」と先生方や、両親などからよく言われますが、このオープンデイ期間はその有意義という言葉が本当にぴったり当てはまるなと思いました。このような大規模な行事を一緒に乗り越えた仲間達とは、友達以上で兄弟のような信頼関係でつながっている気がします。

 

 私はそんな仲間達と過ごしていくこれからの立教生活を本当に楽しみにしています。
(中学部3年 女子)

 

5年前のウィグモア・ホールで行われた、立教英国学院創立35周年コンサートを僕は覚えている。当時僕はまだ中学1年生だった。一般生徒として先輩たちが演奏している姿が輝いていたのを覚えている。ピアノ、バイオリン、フルート、トロンボーン、木琴などの楽器があったのを覚えている。そして、それとともに演奏している楽器、コンサートに出場していた先輩たちがとても遠くに感じたことを覚えている。そして、5年後のコンサートであの場所に立ちたいと思ったのも覚えている。

 

 そのコンサートを境に、僕の中での音楽に対する何かが変わった。少なくとも以前の僕に比べ、音楽に積極的になったのは確かである。ドラムのプライベートレッスンを取り、バンドに入ったり、授業でユーフォニウムを学び、ブラスバンドとコンサートバンドに入った。パーカッション部に入った。そしてクワイヤーにも入った。それまで音楽の授業でしぶしぶオーボエをやっていた自分とは比べ物にならない程の変化だと思う。

 

 そして、35周年コンサートから5年の歳月が過ぎて、僕は高校3年生としてこの学校に残っていた。そして今年、立教は創立40周年を迎え、40周年コンサートが開かれた。5年前と違うことといえば、今回は”一般生徒”ではなく、クワイヤーの一員として、つまり”コンサート出場生徒”という立場に立っていることだ。”一般生徒”ではない、ということに、そして5年前に見た先輩たちと同じ立場に立っていられるということに僕は愉悦を感じた。

 

 果たして僕は、5年前に見た先輩たちと同じように後輩たちに見てもらえただろうか?そう見えてくれたのならば、中学1年生以下の生徒たちには、ぜひとも5年後、つまり創立45周年コンサートで頑張ってほしいと願っている。
(高等部3年 男子)

 

学校の中にあるニューホールではなく、立教から約一時間と少しのロンドンのSt.John’s Smith Squareのホールで行なわれたコンサートの中で、私は一つ気づいたことがある。それは、コンサートマネージャーの大変さと、そのありがたみだ。

 

 私はずっと、コンサートの中で一番大変なのは、演奏者だと思っていた。もちろんたくさんの練習が必要だし、本番はものすごく緊張する。演奏者はコンサートの中心である。しかし、今回、毎回のコンサートが成り立っていく上で、コンサートマネージャーというのはすごく重要な役割を果たしているんだなと思った。

 

 一週間前、昼食が終わってから、ドレスリハーサルがあった。私はchoirの時だけいればよいから、着替えて一時間ほどニューホールにいて、リハーサルをして帰ってきた。でも、コンサートマネージャーは全てのリハーサルを管理するから、五時半まで帰って来ず、ずっと仕事をしていた。本番の今日も、私達が控え室で待機していた時もずっといろいろなことに気を配り、全員に飲み物を配ったり、私達が次にすることを説明してくれた。十一時、カフェで昼食を食べ終え、控え室に戻ると、コンサートマネージャーの一人がいた。
「なんで昼食食べないの?」
と聞くと、
「もうすぐ礼の練習だから準備していないといけないんだ。」
と言っていた。

 

 こういうのを、”縁の下の力持ち”というのではないだろうか。次のコンサートでは、コンサートマネージャーに、「いつもありがとう」と言いたい。
(高等部一年 女子)

 

楽屋に響く様々な楽器の音、ピアノ、フルート、トランペット、バイオリン、ギター。その空間が心地よくて、私は他のいろんなことを忘れそうになった。音楽が人に与える影響は大きい。一瞬で悲しい気持ちにさせたり、楽しい気持ちにさせたり、全てを忘れさせてくれたりする。

 

 私は、クワイヤーの一員としてコンサートに参加した。半年ほど前から練習し続けた自信がメンバーにあったように感じた。一学期に歌った時とは全く違う感覚であった。技術的に細かく練習したことも大きいが、きちんと歌詞の意味を考えて歌ったことも大きく影響したように感じた。音楽や芸術と言うものに正解や不正解はないが、人に伝わるものか、伝わらないものかは有るのではないかと思う。立教の生徒には、人に伝えられる演奏ができる人が何人もいるように私は感じる。そんな素晴らしい才能を持った生徒の居る立教だからこそ、記念コンサートをしてお客様に感謝を伝えることができるのだなと改めて感じた。

 

 一学期のスクールコンサート、オープンデイのコンサート、ドレスリハーサル、当日の午前のリハーサル。何度も演奏を耳にして、同じ曲でも毎回少しずつ違っていることに気づいた。その時のその一瞬しか生み出せないからこそ、生のコンサートはおもしろい。そして本番により完成度の高い演奏ができるように合わせられる立教の演奏者達に、プロ意識のようなものを感じた。舞台のうしろに大きく広がる窓ガラスとその後ろにある枯葉の落ちる木。暗くなるにつれ見えてくる木につけられたイルミネーション。高い天井に響く音色を感じ、ロンドンの美しい風景を楽しめる素晴らしい一時を過ごせる、そんなコンサートに参加できたことを心から嬉しく思った。
(高等部3年 女子)

 

11月17日、本校の創立40周年記念コンサートがロンドンにて行われました。
5年毎のこの記念コンサート、今までQueen Elizabeth Hall, Parcel Room, Wigmore Hallなど,ロンドンの名だたるコンサートホールで開催してきました。今回の会場は国会議事堂近くのSt. John’s Smith Square。古い教会を改築した伝統あるホールで、普段はプロの演奏家のコンサートが開かれています。高い天井から下がる華やかなシャンデリア、壁にそびえるパイプオルガン、教会の壮大な装飾が残る内部に、演奏する生徒たちは会場入りしたとき一瞬息を呑むと同時に、本番への思いをいっそう強めた様子でした。

 

演奏者と係の44名の生徒は、午後3時の開演の準備のため朝6時に起床し、学校を出発しました。会場へ入り、リハーサルのためにステージ衣装に着替えると、控室のあちこちから様々な楽器の音や歌声が流れ出し、段々に張り詰めた空気に包まれていきました。

 

午前中から全演目のリハーサルを通して行い本番に備えます。今年度の始めから、生徒によっては春休み前からこの日のために練習を重ねてきた一曲。時間にすれば数分の演奏ではあっても、その数分に一人一人の懸ける思いが詰まっています。
コンサートは定時に開演、演奏者たちは次々にステージへあがっていき今までの思い全てを出して演奏を披露しました。大舞台のなせる業か、積み上げてきた練習から生まれた自信の成果か、どの生徒も本番では練習をはるかに越えた名演を繰り広げました。演奏を終えて控室へ帰ってくる生徒たちは、誰もが無事終えた安堵と満足感にあふれた表情を見せていました。

 

コンサートは演奏者だけでは成り立ちません。終始影で支えつづけたコンサートマネージャーの生徒たちがいます。
ホール全体に響き渡る音楽を演出し、演奏者、観客双方に音楽を楽しんでもらうために、マネージャーたちは数週間前から準備を進めていました。ステージ上の楽器や椅子などの移動、演奏者への指示など、綿密な計画を立て、リハーサルを重ねるたびに細かく修正していきます。控室でも常に演奏者たちが集中できるように配慮し、本番では観客に自分たちの存在を感じさせることなく、音楽に集中できるスムーズなコンサートを実現していました。

 

最後の演奏が終わると会場は割れるような拍手に包まれ、終了後大勢の皆様から「素晴らしいコンサートだった」とのありがたいお言葉を頂きました。連日たくさんの感謝のカードが学校に届いています。
創立40周年を記念するにふさわしい、演奏者、マネージャー、司会、案内係など生徒全員で作り上げた最高のコンサートでした。

 

「そろそろ行動しよう。」
そう声をかけたのが夏休みも終盤に入った頃でした。

 

 今年も入ったフリープロジェクトはダンス企画。去年の反省を活かして二学期を迎える前に、できる限りの準備をしようと思い、ダンス企画の高2女子に連絡しました。めんどくさがり屋な私を含め、それぞれマイペースな五人、一向に話も進まない、振りも決まらない、連絡すら取れないという状況で、企画を引っ張って行かなければならない高2としての自覚がまだまだ芽生えていませんでした。帰寮する一週間くらい前になって、
「このままだと大変なことになる。」
と、夜、突然ものすごい焦りを覚え、振りを考え始めました。

 

 曲全体の半分ほどの振りしか完成せずにむかえてしまった二学期、時間を見つけては集まって練習し、
「意外と順調に進んでいるのかな?」
と思っていました。

 

 二学期も始まって一ヶ月経つと、思いのほか忙しく勉強との両立が難しくなりました。日曜日の午後、七限の時間など練習時間があるにもかかわらず、有効に活用することができずにいました。今年の女子のダンス企画は15人で、高2の女子の3人以外は今年から入ってくれたメンバーです。
 女子全体で練習していても、基本的にまとまりもなくざわざわとしていて、しかも高2がその原因を作ったりしていました。後輩と仲良くしたり、企画を楽しめるように盛り上がったりすることもとても大切なことですが、上下関係がそこまで厳しくなく、仲の良い立教生であっても、こういった活動等では普段の生活との区切りをつけ、多少の上下関係があるほうが良いと私は思っています。最高のダンスを踊って最後の企画を思い切り楽しみたいという気持から、自分自身こんな先輩いたら怖いし、嫌だなあと思うくらい、後輩にも同級生にむける熱意と同じ気持で接していました。

 

 何度もぶつかって、私たちが「作り上げたいダンス」について話し合い、その結果がオープンデー当日には本当によくあらわれていました。本番と後夜祭、あんなに練習して二回しか踊れなかったと残念に思うくらい、本当に楽しくてたまりませんでした。去年、舞台の上で緊張してひざや手を震わせながら踊っていたことを今でも鮮明に覚えています。今年は、ただ観てほしかった。一所懸命、気持ちをこめて踊る、私たちが作り上げたダンスに、観る人にとって何か感じるものがあるといいなあ。そして、それが私たち「ダンス企画の努力」だといいなあ、と思いながら踊りました。

 

 後輩たちを引っ張っていかなければならない立場になって初めて去年の先輩たちの大変さが身にしみてわかりました。二年間ダンス企画で、時につらいこともあったけど、こんな幸せな気持でオープンデーを終えることができたのは、今年もダンス企画だったからだと思います。

 

今年のオープンデイでは模造紙、模型、展示本部部門でそれぞれ受賞することができました。

 

 私の昨年のオープンデイの思い出はたしかに楽しいこともあったけれど、賞が会計部門だけでくやしい思いをしました。昨年は「トトロ イン ワンダーランド」という企画でした。内容は、ジブリとディズニーの比較でした。昨年も模造紙班だったのですが、初めてのオープンデイだけあって何から書こうか迷ってしまい、かなりの時間がかかりました。ジブリとディズニーの中からそれぞれ2作品を選び、ストーリーを書いたため、長い文でお客さんもあきてしまっていた気がしました。模型はかなり上手にできたけれど、個数が少なかったり、もう少し時間があったら、というなんともいえない無念さもありました。だからこそ、今年は昨年より成長できるように学期始めから小さなアリをグルーガンで計画的に作ること、オープンデイ準備期間に入る前までになるべく模造紙を完成させること、背景をどのように描くか具体的に話し合って決めることなどを精一杯頑張りました。

 

 今年のオープンデイで一番印象に残ったのは、やはりアリ塚の模型でした。最初のアリ塚は、水のりや新聞紙の重みにより崩れてしまい、もう一度始めからやり直さなければならなくなりました。私はアリ塚作りに参加していたのですが、見どころのひとつであるアリ塚が壊れ、倒れている姿を見た時はショックを受けました。本番2日前だったのでもう間に合わない、終わった、と思いました。でも、その時その場にいた女子達は一斉に片付け始め、前向きに頑張ってやり直そう、前に進もうとする姿が見えました。だから、まだやり直すことは不可能じゃない、今こそ中2の力で復活させるべきだと思うことができました。それから男子が二度目のアリ塚を最後まで完成させてくれたりしました。今まであまりまとまることのできなかったクラスで、こんな光景を見たことはなかったので、深い絆でクラスがひとつになることは難しいことではないんだと改めて感動しました。様々な意見がありすぎて、分かり合うことが大変で、たくさん迷ったりけんかしてもやっぱりそんなクラスでも絆は大切だと思いました。

 

 私はこの仲間達と、そしてこれから出会う仲間と一緒に楽しくわいわい騒いでいい思い出をつくり、絆を深めていきたいです。
(中学部2年 女子)

 

「総合優勝の発表です。」
 ドラムロールの音がホール中に鳴り響く。手をギュッと握りしめて、結果発表の時を待つ。ワクワクする一方で、心臓がギューッと押しつぶされるような複雑な気持ち。結果を知りたいけれど、知りたくなかった。そして、告げられた私達の順位は、三位だった。正直言って私はそれを聞いたとき、とても悔しかった。ずっと二位か一位を取るだろうと思っていたからだ。

 

 この一週間、私たちは全力でオープンデイ作業に取り組んできた。オープンデイ週間に入る前は、中三は学校の中で一番進みが遅くて、中三このままで大丈夫か?と言われ続けてきた。話し合いもなかなかまとまらなくて、私達自身もかなり心配していたと思う。だが、一度オープンデイ期間に入ると、今までつっかえていた歯車が、動き出したかのように物事が進んでいった。それに、作品のクオリティーは自分たちでもびっくりする程のものだった。オープンデイ期間中は、一日一日が、充実していて楽しいものだった。中三のみんなと一緒に作業できて本当に幸せだった。一面が黒ビニールで覆われた体育館、色とりどりのペンキ、立教中がオープンデイカラーに染まっていた。最初はなかなかまとまらなかった中三だったが、一つの作品を完成させようとみんなの心が一つになった。あれ程までに大丈夫か?と心配されていた中三がちゃんと作品を完成させることができたことに大きな達成感を感じ、感動した。

 

 今年は、三位という少し悔しい結果に終わってしまったが、私は中三のみんなでオープンデイをすることができて良かったし、三位という順位が悔しいのは、それだけ頑張ってきたということだと思う。初めてのオープンデイが、最高の仲間と一緒に作った最高の思い出になって本当に良かった。

 

(中学部3年 女子)

 

立教英国学院に入学して初めてのOPEN DAYは、恐ろしい速さで駆け抜けていった。あれだけの知恵と労力とこころを注いで準備したはずなのに、今になってみると、まるで徒競走をはたから見ていたような気分だ。

 

 クラス企画の準備は大変だった。学級委員もOPEN DAY経験者もほとんどが係・本部員で、新入生が多いこのクラスでは、1人ひとりが自覚を持って作業するのは難しい。のんびりとした教室内の雰囲気に、危機感を覚えたこともあった。胸の中に溜まっていたものを吐き出したら止まらなくなって、いつまでもあふれ続けた夜もあった。そんな中で得られたお客さまや先生からの誉め言葉や数々の賞。嬉しくないわけがない。閉会式後に友人が言った、「OPEN DAYは楽しんだもの勝ちなんだよ」という言葉が、印象に残った。

 

 しかしどうしてだろう、徒競走を横から見るような、妙な余裕。全力疾走ではない、この感覚。

 

 今回の準備で目立ったのは、計画性の無さと甘い管理体制。日々の計画、実行。反省点を次に活かし、効率化をはかる。物の管理、時間の管理、そして人の管理。なにもOPEN DAYに限ったことではない。当然のこと。そして、当然でいて重要なことだ。たくさんの制約がある中でOPEN DAYだからこそ、それを実感した。

 

 きっとこれらは、大人になってもぶちあたる壁だと思う。単純で、難しい問題だ。わたしたちは、自分たちの能力で辿り着ける到達点に、達しなかった。全力でやりきった感がないのはそのせいだろう。自分たちの持てるパワーで、何かをやり遂げたか、と聞かれれば、「まだまだ!」と答えたくなる。こんなものじゃない、と言いたくなる。

 

 来年は、二回目にして最後のOPEN DAY。後戻りはできない。達成感の裏に苦く広がる、やり残したという思い。これをどう繋げて、どこまでスマートに動けるかが、来年の勝負どころだと思う。
 わたしたちはまだ、何かを起こせていない。蕾は、三分咲きくらいだ。
(高等部1年 女子)

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