澄み渡った青空の下、わたしは荘厳なゴジック建築に出会った。
伝統的な建物の多い英国の例に漏れず、なかなかに魅力的なCambridgeの街。その中でも一際目を引いたのは、King’s collegeの壮大な構えであった。たとえ周りの建物が風雨にさらされ歴史に埋もれたとしても、ここだけは世の終わりまでどっしりと建っているのではないか、そう思った。

 

そんな堂々としたカレッジには、わたしの興味をそそる素晴らしい催しがあった。夕方の礼拝–即ち、晩祷だ。King’s collegeのチャペルは男声のみの聖歌隊が特色で、これはクリスマスになるとキャロルが英国全土に放送されるほど有名なのである。(実はわたしは、アウティングのしおりを見るまでこのことを知らなかったが。)当日までいろいろな先生方が、生で聞く価値があると勧めてくださったものだ。通常は有料のKing’s college内部に入り、礼拝にも参加する、またとない好機を、逃すわけにはいかなかった。

 

 笑顔で「Join us.」と迎えられてチャペルの中に入ると、わたしはその空気に圧倒された。まだ日は暮れていなかったが、燭台の蝋燭には既に火が灯っていた。高い天井と壁にはさまざまな彫刻が施されており、正直外から見たときの想像をはるかに超えていた。こんな素敵なところで礼拝ができるなんて幸せだと思った。

 

 晩祷は、とても特徴的だった。詩編の応答は司祭と聖歌隊とのア・カペラによる歌の形式で、中世に逆戻りしたような、不思議な感覚を味わった。薄闇と肌寒さと蝋燭のもとで、一瞬、アウティングで来ていることを忘れそうになったほどだ。噂に名高い聖歌隊の声はあまりにも耳に心地良く、思わず溜め息が出た。

 

チャペルに入ったのは、晩祷開始時刻ぎりぎりだった。そのため、わたしが座った席は、中央にある巨大なパイプオルガンよりも後ろにあった。礼拝が終わったあと、オルガンの下の通路を抜けたわたしが目にしたものは、ルーベンスの名画「東方三賢士の礼拝」だった。そこでわたしが新たな感動を覚えたのは言うまでもない。加えて、落書きをされたり、絵を保存するため床暖房を入れたりしながらも、伝統的な建物を保ち続ける英国人の心にも深い感銘を受けた。

 

結局、晩祷に参加したのは、先生方と、生徒はわたし一人だった。友だちとあの素晴らしい時間を共有できなかったのは少し残念な気もするが、同時に嬉しくもあった。一人占めの愉しみとでも言おうか。小学生時代、学校の裏に秘密の場所を見つけたときに似ていた。
(高等部1年生 女子)

 

先日、川畠成道さんというバイオリニストのコンサートがあった。彼は幼少時より視力障害を患い、目がほとんど視えなくなってしまった。その時、私達の想像を絶する苦しみが彼にあっただろう。しかしコンサートでの演奏からも、彼自身からも苦しみや悲しみといったものは伝わってこなかった。それどころか彼からは、自信とバイオリンへの真剣さが伝わってきた。いったい何が彼を立ち直らせ、何が彼をこれまで導いてきたのだろうか。それは夢見ることだと私は思う。

 

 『Let Freedom Ring. 自由は鳴り響け』という演説を知っているだろうか。これはMartin Luther Kingという牧師が、彼の携わっていた黒人公民権運動で行った演説だ。着目してもらいたいのは自由ではない。演説の始めの一説を紹介したい。『I say to you today, my friends, so even though we face the difficulties of today and tomorrow, I still have a dream. 今日は同志に言おう。私たちは今日、そして明日の困難に直面しているが、私にはまだ夢がある。』そして彼は「I have a dream. 私は夢見るのです。」と言い、その後に彼の夢を言い、これを何回も繰り返した。この演説が黒人公民権運動に同調した人々を立ち上がらせたのは「I have a dream.」という言葉だと思う。彼らも異なるものでも、夢見たからではないだろうか。川畠成道さんも夢見たからこそ視力障害に屈することなく、今日のようなすばらしいバイオリニストになれたのではないだろうか。

 

 私たちはどんな状況だろうと常に今日、明日に夢見なくてはいけない。どんな小さい夢でもあるからこそ、先に進めるのではないだろうか。私も最後にMartin Luther King牧師みたいに夢を書きたいと思う。「I have a dream that I have a dream at all the time.」
(高等部3年生 男子)

 

10月10日水曜日、僕たちはオックスフォードにアウティングに出かけた。しかし、僕はもともとオックスフォードに住んでいるから、ほとんど案内役であった。けれども、父の帰国が決まり、この冬からは家族で日本に帰ることになった。だから、このアウティングが僕にとって、ラスト・オックスフォードだった。いざラストと言われても、やり残したことは何なのか、何を最後にやれば良いのか、全く分からなかった。だから、僕はとりあえず、町をまわって知らない道、知らない店を探した。探しても探しても、知らない道、知らない店はあまりない。僕は、オックスフォードに住んでいた五年間、人一倍オックスフォードを楽しんでいたんだと改めて実感した。

 

 オックスフォードに行くことが決まった五年前、僕はオックスフォードに住んでいる自分を想像することが出来ず、辛いことしか考えられずにただただ泣いていた。その頃の自分に、このオックスフォードの街並みを見せてあげたい。
 オックスフォードは、僕にたくさんの思い出をくれた。たくさん英語を教えてくれた。だから、僕はオックスフォードが大好きだ。そして、今後一切オックスフォードを嫌いになることはないだろう。
 ありがとう、そして、さようなら、オックスフォード。

 

(高等部2年生 男子)

 

1学期から準備をすすめ、先週からブレイクを利用して1週間以上、学校中が一丸となって朝から晩まで最後の仕上げに取り組んできたオープンデー。数ある行事の中でも恐らく最も大きなイベントです。今年度のスローガンは「Make it happen!」。生徒たちの熱い思いが数々の奇跡を起こしました。

 

準備期間最後の2日は真夜中の12時、1時まで頑張る生徒たちを励ますかのような秋晴れでしたが、皮肉なことにオープンデー当日は朝から雨。止むことなく降り続く冷たい雨は、朝の礼拝後、生徒会長から開会宣言がある頃には叩きつけるような激しい雨に変わっていました。

 

それでもその後は皆で気合い入れをして、最後は校長先生から励ましの言葉。
「すごい雨ですね。朝起きてこんな雨だったら、立教のオープンデーにちょっと行ってみようかなと思っていた人は多分来ませんね。いい天気だったら行こうと思っていた人たちは絶対来ませんよ。だから今日来て下さる人達は本当に立教のオープンデーに来たいと思って来て下さる人達です。君たちはホスト役ですからね、そんな方々にしっかりとおもてなしをして下さい。」

 

礼拝が終わる頃になると父母の会の方々が続々と到着しました。
「凄い雨ですね。途中の道路、あちこちに大きな水たまりあったでしょ。大変でしたよ…」などと言いながらも笑顔で高校3年生たちと焼き鳥の仕込み、古本やバザー用品の運搬を続けていました。各クラスでは、あと1時間もしないうちにやって来るお客さまたちに見て頂く展示物の最終チェック。時折激しい雨が降る中、キャンパスを忙しそうに行き来する生徒達の顔は、これまでの努力の成果に自信たっぷりの爽やかな表情でした。

 

その思いが通じたのか、開場間際から時々眩しい光が雲の合い間から差し始め、小さな青空もチラホラ。キャンパスのあちこちにできた大きな水溜りがキラキラと輝くと、何か神秘的な運命さえ感じられるような気がしてきました。

 

続々とやって来るお客さまも傘を閉じて楽しそうにキャンパスを歩き回ります。もはや教室の原型をとどめていない各クラスの展示会場は、様々な模型、壁いっぱいの大きな背景画、日本語と英語の両方で解説が書かれた模造紙などで埋まり、遠方から駆けつけて下さった生徒達のご家族、地元イギリス人の方々、定期交流をしている現地校の生徒達、ホームステイのホストファミリーなど、皆さん心ゆくまでじっくりと展示物を鑑賞して下さっていたようです。

 

ここ数年生徒数が着実に増えてきたとは言え、小学生から高校生まで全員合わせても150人を少し超える程度。大きなキャンパスで開かれるこのビッグイベントのホスト役の生徒達は一人何役もこなして一日中休む暇もありません。昨日まで日々練習を重ねてきたダンス、エンターテイメント、剣道、茶道、ダブルダッチ、劇の各フリープロジェクトはこの日だけで数回の上演を行い、チャリティー企画は教室棟入口で終日手作りの品物の販売。高校3年生は食堂のお手伝いや食品の販売、バザー、ラッフル、古本販売などを朝から夕方まで父母の会の方々と立ち尽くしで行っていました。また、午後からは全校生徒の半分近くが出演するクラシックコンサートがあり、高校2年生のクラス企画では数回に渡って化学実験の実演やプレゼンテーションもありました。さっきまで着物姿で茶道を披露していた生徒がいつの間にかコンサートで演奏をしていたり、白衣をきて実験のデモをしていた生徒が今度は軽快なリズムにあわせてステージ上でダンスを踊っていたりと、生徒達は朝からずっとフル回転の一日でした。終始笑顔を絶やさないで頑張れたのは、きっと自分たちで作り上げてきたこのオープンデーに誇りと自信があったからだと思います。

 

最後のお客さまを見送ると、演劇やコンサートで使ったホールを高校1年生全員でテキパキと復元してすぐに夕食。長かった一日を振り返りながらお互いの作品について楽しそうに語り合う姿を見ていると、このオープンデー活動を通してまたひとつ大きくなった生徒達がとても頼もしく思えてきました。

 

二学期になってからずっと楽しみにしていたギルフォードショッピングに先日行ってきました。先学期のギルフォードショッピングは、町のことを全く知らなかったので、班のメンバーに付いていくだけでした。しかし、今学期のギルフォードショッピングは先学期よりも町のこと知っていたので楽しむことができました。

 

 今回のギルフォードショッピングで、一つ実感したことがあります。それは、英語での会話についてです。
 私は小さい頃から一応、外国の人に英会話を習っていました。なので、外国人の先生と話すのはあまり緊張しません。しかし、なぜか普通の外国人と話すと、とても緊張します。先学期のギルフォードショッピングは会計するときなども、緊張してしまい、あまり会話することができませんでした。しかし、今学期のギルフォードショッピングでは緊張はしましたが、先学期よりもリラックスした状態で話すことができました。それは、英語の授業での外出や、クランレー外出などのおかげだと思います。

 

 次のアウティングやギルフォードショッピングは、今学期よりも英語での会話ができるように、英語の授業などを今までよりも、真剣に取り組んでいきたいと思います。
(中学部2年生 女子)

 

26日(金)の午前中は授業を受け、昼食をとると、もう気持ちはオープンデイへ切り替わる。午後は、教室の椅子や机を所定の場所へ移動する。椅子も机もなくまっさらな空間が広がり、教室はもう勉強する場所ではなく、作業するための場所となる。この日から、オープンデイまでの期間、生徒をはじめ教師陣もオープンデイの作業を朝から就寝前まで1日中行う。

 

 しかし、オープンデイ準備とはなにも、この期間だけを指すのではない。オープンデイのための話し合いはもうすでに1学期から行っている。テーマは何にするのか。まずはここから始まるのだけれど、これが難しい。もちろん意見がまとまってスムーズに行くクラスなどほとんどない。意見がぶつかりなかなか決まらないというジレンマを大半のクラスは経験する。しかし、クラス全員の意見を尊重しながらテーマを決めなければ、みんなのオープンデイではなくなる。だからこそ意見が割れ、話し合いがこじれてもお互いの納得いくまで話し合う。そういう話し合いからこのオープンデイは始まる。

 

 テーマが決定すると、主にストーリーを担当する模造紙班、背景を描く背景班、模型を作る模型班にわかれ、どういうストーリーにするのか、そのためにどんな背景を描けばいいのか、どういう模型を作ればいいのかを話し合う。そこまで綿密に話し合いを重ね、後は実際に作業するのみ。ここまでがオープンデイ準備期間前にそれぞれのクラスが行っていることだ。

 

 オープンデイ準備期間のこの初日の日はまさに「闘いの火蓋は切られた」といってよい。この日から11月4日(日)までの約10日間はまさに闘いなのである。

 

 「今日これが終わって、明日あれを終わらせて・・・・・・」計画を立ててみると実はギリギリ。クラスの全員が頑張らねば決して終わらない作業であることがわかる。焦りは募り、精神的にも体力的にも一日一日疲労感が増す。時には喧嘩にもなったりするが、しかし結局は協力をしていかなければひとつのものは成し得ることはできない。そういう紆余曲折を繰り返しながら一つのものを作っていく。しかし、模造紙を、背景を、模型をうまく仕事したときの達成感は実にたまらない。「これでどうだ!」と他の班員に見せつける笑顔。それを見て、「負けてられない!」と頑張る気持ちにさせてくれる。そういういい雰囲気や刺激を与えながら、教師も加わりまさにクラスが一丸となって作り上げていくのがオープンデイなのである。

 

 またクラスの展示だけでなく、他学年と合同で行うフリープロジェクト(劇企画、ダンス企画、剣道企画、書道企画、チャリティー企画)も同様に1学期からもうすでに活動を始めており、このオープンデイ準備期間はクラスの活動の合間をぬって、フリープロジェクトにも精を出す。全速力で駆け抜けねばとても乗り切れないーそんな慌しい日々を送っている。

 

 さて、高等部3年生はというと受験を控え、オープンデイ活動には参加せず、90分×5コマの補習授業を受ける。わいわいと賑わう他学年とは隔離された場所で、静かに学習できる環境の中勉学に勤しんでいる。食事の席では後輩の苦労話を聞き、時にうらやましがり、時に先輩としてアドバイスをしたりという姿を見せている。彼らの参戦は最後の3日間、父母の会のお手伝いだ。
 

 

霧の町ロンドン。どこか幻想的な雰囲気を漂わすフレーズではあるものの、5年間何度も行ってしまうと現実の世界を受け止めざるをえない。イギリスの経済、政治の中心地であり、繁華街が集中するロンドンでは、18世紀半ば頃、つまり産業革命を起源に工業が発達するにつれて世界の貿易、金融の中心地として繁栄してきた。霧の町と言われるものの、要するにその霧は、霧でもミスト、もやのように自然に発生した美しいものではなく、空気をむしばみ、観光客、住民に害を与えるスモッグにちかい霧が充満しているのである。

 

 スモッグの町ロンドンとはいえ、繁華街である事は、事実に変わりない。国会議事堂、ビッグベンを案内してくれたガイドのおじさんは、国の最高機関を案内することもあり正統で勤勉な趣を持ちながらも、気さくでユーモアのある表情を浮かべていた。ロンドンアイからのロンドン市内の眺望は、お洒落な町並みと陽気な雰囲気を感じさせてくれて、その裏側にある黒い影など想像すらできない。

 

 夜のロンドンは、盛り上がる。日中は英国紳士であったに違いない白髪のおじさんが、りんごのように真っ赤になった顔でパブから出てくる。市内のそこら中で大きな看板をはっているシアターには、開演を待ちきれずに大勢の人が興奮した様子で集まってくる。ロンドンのミュージカルは、国民にも観光客にも愛される超一流舞台芸術だ。

 

 実は僕は、ロンドンが大好きだ。いくら汚い空気であろうとも、裏道に恐ろしい影が潜んでいようとも、国際化の進んだ、世界中の人々の笑顔と出会える、明るく陽気なおしゃれな町。そんな大好きな町に大好きなメンバーで訪れることが出来た。最高の思い出を本当にありがとう。感謝の気持ちでいっぱいです。
(高等部3年生 男子)

 

「ケンブリッジは何もないよ。」
先輩達に聞くと必ず同じ答が返ってきた。そのため僕はあまり期待をせず、何を食べようかということしか頭になかった。丁度お腹がすいてきて、ただ座っているのに飽きてきた頃、バスの窓からまるでお城のようなケンブリッジ大学群のひとつが、今後数時間の活動を予想しているかのように、太陽の光に照らされて現れた。多くのヨーロッパの国を旅してきた僕は、懐かしいような温かい気持ちになった。どんな発見があるのだろうかと初めての町への期待を募らせた。

 

「なんだ、何にもなくないじゃないか。前回のアウティングよりも楽しいぞ。」
自由時間で班行動をしていて僕はそう感じた。釘一本使わず、今もなお堂々とそこに佇んでいる「数学橋」。本物ではないが、その木の前にニュートンが立っているのをつい想像してしまう「リンゴの木」。小説「モモ」の灰色の男達と同じようなものかな、と想像したくなる「タイムイーター」。寒かったが、ヴェネチアのゴンドラを思い起こさせる「パンティング」。みんなでお揃いで買ったパーカー。カメラの枠に収められ、立教に帰って暫く経った今でも僕の印象に強く残っているケンブリッジの街並。

 

しかし、その中でも特別印象に残っているのは、ガイドツアーで入れてもらったトリニティ・カレッジの中庭だ。1歩足を踏み入れたとたん、
「すごい!」と、バルセロナの「サグラダ・ファミリア」を見た時と同じ声が漏れた。
外側から眺めても見えなかったものが見えてきた。きれいに整備された芝と道の真ん中にある建物が太陽の光に照らされて僕の中でグッとくるものがあった。また、有名な学者達が昔、僕と同じこの道を歩いたのだと思うと、感動と共に想像することが出来て楽しかった。
もし僕にケンブリッジ大学に入れるだけの頭とお金があったら絶対に行きたいと思える程ぼくの心に訴えかけてきた。

 

ケンブリッジはもっと時間が欲しいと思った。もっといろいろな小道を歩いてみたかった。今度は家族とゆっくりと見てまわる機会があればいいと思った。

 

アウティングに行く前、僕はケンブリッジについて何も知らなかった。せいぜい知っていることといえば世界の一位、二位を争う名門大学であるということぐらいだった。でもケンブリッジを知るにつれて、一つの興味深いことを知った。それは「進化論」や「種の起源」で有名なダーウィンがケンブリッジ大学出身だということ、そして彼のコレクションが飾られている博物館があるということである。僕は半ば強引に班員を引き連れてセジウィック地球科学博物館へと足を運んだ。

 

 博物館で僕らを最初に迎えてくれたのは巨大なイグアノドンの化石だった。いきなりこんなものを見せられてはたまらない。僕の興味心はうずき、胸は期待で膨らむばかりだった。中へ入っていくと、肉食恐竜や象、鹿の頭部の化石やアンモナイトや草木の化石などとても豊富な種類の化石があった。首長竜の化石は形が復元されていて、これが海を泳いでいたと思うとゾクゾクした。中でも、クモの化石には驚いた。五十センチメートルもの巨大な化石だったのである。立教の森にもひょっこり出てきそうな迫力だった。この他にも沢山の貴重な展示物をこの目でしっかりと見ることができた。まるで古代にタイムスリップしたような、そんな感覚を味わえた。

 

 今回見た化石の中にダーウィンのコレクションはあった。きっと僕がこの博物館で最初に感じた興味心と同じような気持から、彼は研究をスタートしたのではないかと思う。それはダーウィンだけでなく、ケンブリッジや世界の科学者たちも同じであろう。この少しの興味心を忘れずにこれから過ごしていきたい。そんなことを思った、ケンブリッジのアウティングだった。
(高等部1年 男子)

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