大学の卒業旅行で訪れて以来、10年ぶりの学校でしたが、なつかしさと当時と変わらない習慣や風景があり、感動しました。

ここに来ればあの頃の気持ちがそのままよみがえってくる気がします。
先生方も変わらず温かく迎えて頂いてとても感謝しております。
帰国したら立教英国の友人と集まって写真を見せたり久しぶりの立教の話をしようと思います。

 

9月23日(日)本校を会場としてTOEIC及びTOEIC Bridgeの英語資格試験が実施されました。

 

本校では昨年よりオフィシャルセンターとして毎学期この試験を実施しています。2学期は小学生から高校3年生まで全校生徒が受験することになっています。
夏休みからこの試験をターゲットに勉強を続けてきた生徒、帰寮してから必死に問題集を解いている生徒、1週間前に行われたガイダンスをきっかけに最後の数日頑張った生徒など様々ですが、それぞれに目標を設定して取り組んでいたようです。
この試験の他にも、日本の英語検定、ケンブリッジ大学英語検定など公式英語資格試験を校内で実施していますが、TOEICは合否判定ではなく実力がそのまま点数として現れるので、継続的に受験して英語力向上のきっかけにするのに役立つ試験です。

 

当日は150名を超える生徒が受験した為、ダイニングホールのテーブルを並べ替えて試験会場を作りました。そしてこのホールと図書館の2会場で120名の生徒がTOEICに挑戦。高校生が中心でしたが、中にはこの9月に入学したばかりの小学校5年生を始め、英語に自信のある中学生18名もTOEICを受験しました。試験時間は2時間。リスニングは1度しか読まれない100問の問題が45分間続きます。英語力もさることながら、集中力も問われます。大きなホールには、大勢の生徒がいるにもかかわらず、静けさと張りつめた緊張感が漂っていました。
小学生・中学生は図書館でTOEIC Bridgeを受験。リスニングとリーディング、合わせて1時間の試験でしたが、英語を習い始めて数ヶ月の小学生や中学校1年生から高校受験目前の中学3年生まで、皆気を抜くことなく真剣に取り組んでいたようです。

 

どちらの試験結果も1週間以内には学校に届きます。夕食後には、試験の手応えがあったのか、早速何人かの生徒たちが結果はいつ知らされるのかを聞きにきていました。
この結果が英語学習にさらに前向きに取り組む刺激剤となれば何よりです。

 

人生で初めてイギリスで迎えた夏休みは、とっても内容の濃い夏休みとなりました。ロンドンに行って友達と会ったり、海外旅行に行ったり、オリンピックに行ったり。その中でも一番印象深かったのは「マルタ旅行」でした。

 

マルタ島というのは地中海に位置している島で、夏はとても温暖な気候で魚や貝などを中心とした料理が豊富なところです。マルタ島では大きく分けて2つのことをしました。
1つ目は「パラセーリング」です。パラセーリングというのは、パラシュートをつけ、ボートに引っ張られて砂浜から飛ぶ遊びです。僕はいとこと乗り地中海をものすごい高さから眺めることが出来ました。上空からも沢山の写真を撮り一生の思い出にすることが出来ました。
2つ目は、「エム・ディーナ」と「バレッタ」の町です。エム・ディーナというのは昔のマルタ島の首都でとても大きな塀をそなえた町です。そこは昔の町並みが今もそのまま残っていて猫が多い島として有名なので、多くの猫が店内やいたる所で昼寝をしていました。
バレッタは今のマルタ島の首都で、その城から見た景色はとてもきれいで思わず何枚も写真を撮ってしまうほどでした。
沢山の事をした今回の夏休みは有意義に日々を送ることができました。
(高等部1年生 男子)

 

今年の夏は横浜花火大会を見に行った。花火が打ち上げられる2時間前にも関わらず、公園は多くの人で賑わっていた。
 公園内に打ち上げ開始を告げるアナウンスの声が響き渡ると、夜の空に、次々と花火が打ち上げられ、暗く、静かだった空に、美しい色とりどりの花を咲かせていった。そこにいた誰もが、その美しさに感嘆の息を漏らした。

 

 夏の風物詩である花火大会の起源は、江戸時代(1732年)に大飢餓や疫病で10万人もの人が亡くなり、その人々を供養するために行った両国の川開き(現在の隅田川花火大会)とされている。今から約300年も昔の人々もこうして花火大会を開き、花火の美しさに感嘆の息を漏らしていたかと思うと何だか感動すら覚えてきた。

 

その日、横浜の空には、日本最大級の花火が打ち上げられた。音楽に合わせて止めどなく打ち上げられる花火。空はあっという間に花火で埋め尽くされ、その迫力と、スケールの大きさに圧倒されて息をすることすら忘れてしまいそうだった。二尺玉が打ち上げられると、これでもかというくらい大きな金の花が咲き、周囲からは拍手まで沸き起こった。散り際までもが、キラキラと輝き、これ以上に美しいものがこの世に存在するのだろうかと思った。

 

こんな事を言うのは大袈裟かもしれないが、花火には生きる勇気を貰った。それはきっと打ち上げられる花火の一つ一つに花火師たちの思いと情熱が込められているからだと思う。花火師たちの思いと情熱があったからこそ、日本の花火という素晴らしい伝統文化が継承され続けることが出来たのだと思う。そして、これからも彼らの思いと情熱によって、花火が続いていくことを強く願った。

 

時代は変わっても、変わらない思いと情熱がある。今から300年先の人々が、夜空に咲く色とりどりの花火を見て、その美しさに感嘆の息を漏らす…。いつまでもそんな風景が日本の夏にありますように。

 

(中学部3年生 女子)

 

昨晩は随分雨が降ったようでキャンパスのあちらこちらに水たまり。でも今朝は朝からいい天気で、空気も澄んでいて絶好の写真撮影日和になりました。
2時間目が終わるとキャンパスに鐘の音が鳴り響き、日直の先生方が生徒達を中庭に集合させます。ニコニコしながら眩しい顔で教室棟から出てくる生徒たちは、お互いにネクタイを直したり髪を整えたりと何やらいつもと違う様子。
「ネクタイはしっかりしまっているかな? さぁ、それでは背の順に並んでグランドへ移動しますよ!」
日直の先生の指示で全校生徒の長い列が、眩しい日差しの中をゆっくりと体育館横のグランドへ進んで行きます。先生方や英国人スタッフ、キッチンやオフィスで働いている人達もこの列に加わり、まさに学校中の人達が集まってきました。

 

グランドに組まれた大きな足場は、ここ数年生徒が増え続けている為か毎年どんどん大きくなっているような気がします。一番上からの眺めはさぞかしいいのだろうなぁと思える程の高さがあるその足場に、撮影スタッフがテキパキと生徒達を順番に並ばせていきます。今年は大きなスピーカーとワイヤレスマイクを使って誘導していました。
「新しい機械さ。毎年新しい装備を増やしていっているんだ。」と撮影スタッフの英人。
「まぁ、でもここの生徒達は皆お行儀がいいから、こんなの使わなくても大丈夫なんだけどね。」
200名を超える人たちの顔が一人一人ちゃんと写るように並べるのはかなり骨の折れる仕事らしい。
「上から2段目の女の子、前の人たちの間に入ってね、そう。その隣の人ももうちょっとずれてくれるかな?」
細かい指示が何度も出されて全体の形が整っていきます。今年もまた皆が協力して30分足らずで準備は完了しました。

 

「はい、いいですね~、立教の生徒諸君!いい顔しているよ!そのままの姿勢で!ハイ、ワン、トゥー、スリー!」カシャッ。
中央の赤ネクタイの高校3年生にとってはこれが最後の全校写真撮影。「来年は自分たちがああして赤ネクタイで真ん中に立っているんだろうなぁ」と思っていた一年前が懐かしく思い出されるこの瞬間。これから何十年もの間、教室棟最上階の踊り場に飾られることになる思い出の写真がまた一枚撮られました。

 

私は2学期が始まった今、今年の夏休みは充実していたのではないかと思う。休みが始まった週にはホームステイをし、ロンドンの家に帰ってからは、久々に中学時の友達と会ってお互いの事をいろいろ話したり、生のオリンピック観戦や被災地の中学生との交流会、家族旅行に語学学校… 今回は、その中で特に印象深かった被災地の中学生達との交流会について書こうと思う。

 

1学期の終わりに、先生からこの交流会の事を聞いて、この夏はずっとロンドンにいるし、折角の貴重な体験なので行くことにした。
当日。近所に住む立教生と交流会が行われるジャパンハウスに行った。それまで何も感じていなかったが、突如初対面の中学生、しかも大地震の被害を受けている子たちと交流するんだと思うと緊張した。

 

正直、今までそういった、心に傷を受けた子と交流した事がなかったので、どういう顔をしていいか分からなかった。あの3・11が起こった時、私はすでにロンドンにいてあの揺れさえも体験していない。しかも、日本から離れた地で、何も変わらない生活をしている。そんな自分と会って、相手はどんな気分になるのだろうとまで考えてしまった。

 

しかし、そんな私の思いとは裏腹に、中学生たちはどこか緊張している表情を見せながらも少し笑って入ってきた。自己紹介を皆でした時も、好きなスポーツについて話し、トライアスロン観戦時も全力で日本の選手の応援を一緒にした。そんな彼らを見て、むしろ私が勇気や元気をもらった気がした。
今回の経験は、なかなかできない貴重なものだった。と同時に、3・11のことはきっと忘れる事はないとも思った。
(高等部1年生 女子)

 

電車に揺られ、45分。降りた駅のホームの地面は、緑地に白い線。それが何を指しているか分からず、5歩進み、また振り返り少し遠くを見て、ようやく分かった。テニスコートである。

 

私は、ウィンブルドン男子シングルス決勝を観るため、最寄りの駅で降りた。駅のホームから、ウィンブルドンをイメージさせるため、テニスコートや、普段目にしない壁一面のテニスプレイヤーが載っている広告などがあり、独特の感じに驚いた。
でも、あまり時間に余裕が無かったため、さっさと駅から出た。ウィンブルドンへ向かう道中から、私はわくわくしてきた。テニスをしている者として、決勝を観戦するというのは夢のような事だった。また、どのようなドラマが生まれるのか、そのドラマが生まれる瞬間、その場にいられると考えると嬉しくなってきた。このような事を考えているうちに、あっという間にウィンブルドンに着いた。

 

やはり、ウィンブルドンといえば、芝のサーフェスのコート。その中でも、選手、観客、共に憧れるセンターコートに、今から私は足を踏み入れるのである。
入口から、もうセンターコートの姿が見え始め、徐々に近づいて行くにつれて、センターコートの独特の雰囲気、大きさが体に伝わってくる。近くの売店で、水や食べ物などをそろえ、ついに、センターコートへと入っていった。

 

今回の決勝の顔合わせは、世界ランキング3位と4位だ。
大迫力のセンターコートに、目が点になり、席は満員で、今まで人生では感じなかった変わったムードだった。
変わったムードにのまれ、15分、試合が始まった。決勝の一人の選手がイギリス人だったため、その選手のファンが会場の7割を占めており、もう一方の選手が可哀相だった。

 

しかし、可哀相な選手が何処、この聖地のアウェイなムードを断ち切り、ベストパフォーマンスを観客に見せつけられるのか。さらに、イギリス人の選手もファンが大勢いる中、なぜプレッシャーに打ち勝てるのか。選手の奥に秘めているものは何か、不思議に思った。
それは、努力を苦に思わないことだと感じる。たまたまテレビ番組で、テニス選手の練習風景を目にしたが、苦しい表情を見せない。「努力」と口で何回言うのは楽だが、行動に移すのは、ものすごく難しいのだろう。

 

さらに、ファンを魅了し、引きつけられるのは、選手が練習や、いろんな経験で身に付けた自信や、ファンの大切さを一番理解しているからだと思う。
私は、何事にも挑戦し、大人になるまでさまざまな経験をし、少しずつ心身共にきたえ追い込んで行き、選手と同じくつらい試練をいつか乗り越えていきたい。
選手は、日々限界を越えて頑張っているだろう。来年、聖地でのドラマ作りに向けて。
(中学部1年生 男子)

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