「日本が大変なことになっている。」

期末試験をようやく終え、ほっとしていたところ、母からメールが届いていた。いったい何が起きているのか。春休みにはディズニーランドに行く予定だったが、どうも休園になったらしい。え?どういうこと?私はまだ新型コロナウィルスの恐ろしさに気づいていなかった。

「マスクが品薄で買えないから、寮にあるものを持ち帰って。」

そう言われ、使っていないマスクをスーツケースに詰め込んだ。

「トイレットペーパーが買えない。」

そんなことあるの?まだ実感がなかった。

「ヒースロー空港でもマスクをしてね。」

いや、そういわれても、イギリスでマスクをしていると、かえって病人みたいで目立つんだよね。母がナーバスになり過ぎていることを心配した。

いざ日本に帰国してみると、その深刻さを私は日に日に実感していくことになった。テレビやネットニュースでは連日感染者数が報告され、このウィルスの怖さや予防法が伝えられている。外に出れば、皆マスク姿だ。念入りな手洗いはすぐに習慣になった。今私たちにできることは不要な外出をしない、うつらない、うつさないこと、それだけだ。しきりに外出自粛が呼びかけられているにもかかわらず、自分だけは大丈夫と過信しているのか人が集まってしまう場所がある。残念だ。スーパーは空いている時間に行くようにした。品物も買うものにしか触れない、散歩は人の少ない場所へ、出来ることから実践している。不便なこと窮屈に思うこともあるが、この困難を乗り切るためにはひたすら耐えるしかない。まだミサイルが飛んでこないだけでも幸せだと思わなくてはいけない。しかし、いつまで続くのか。早く学校に戻りたい。

(高等部3年生 女子)

今回の春期休暇はいつもと違う。三学期の初めには全く想像もしていなかったような退屈な日々。特別補習が終わる頃には本当に日本に無事に帰れるかさえ怪しい状況だった。

正直、最初はそんなにやばいの?とか、そんなに大袈裟にする事?と思っていた。しかし、空港に行ってみると普段はマスク習慣のない英国の人達でさえマスクをしている姿を見て本当にやばいんだなと痛感した。

日本に着くと、もはやマスクをしていない人が全くいないという光景が広がっていた。そして、改めて非常事態なんだと認識した。

日本に帰ってから2週間くらいは小学校の時の友人と遊んだりカラオケに行ったりしていた。でも3月末から今までは家族以外にはほとんど会わない日々が続き、勉強以外はやることがない退屈な日々を過ごした。

そんな時に私の暇を潰してくれたものが2つある。

ひとつは、SNS。LINEやインスタグラム、ツイッターなどで友人と電話したりみんなが元気か確認したり。現代だからこそ、こんな感じで直ぐに連絡が取れたり、立教でも行われているオンライン授業が出来るのは時代の進化だとつくづく思う。もし25年くらい前にこんな状況が起こっていたら友人との連絡もなく授業もないという日々が続いていたと思うとまさに、不幸中の幸いなのかなとも思ったりする。私の好きな俳優で音楽家の星野源さんは自身のSNSで「うちで踊ろう」という動画をあげてみんなの心をひとつにしようとしてくれている。他のアーティストもライブの動画を上げたりインスタライブをしたり。やはり、SNSは今の時代には欠かせないものであり、みんなをひとつにする手段のひとつだと思った。

もうひとつは、部屋の片付け。私は中一の時に千葉から東京に引っ越した。それと同時に立教に通い始めた為に、ちゃんと部屋の整理を終わらせていなかった。そして、月日は流れ、物は増えて、そろそろ整理整頓しなきゃと思っていた矢先、外出が出来ずに退屈な日々が続く春期休暇が来たのだ。これはチャンス!と思い、まず小物が沢山入っている棚を整理し始めた。すると、思った以上の過去のストラップやシール、折り紙などが出てきた。私は、少しでも思い出があると捨てられない性分なので、どうしようと悩みながらも断捨離しようと決意してたくさんの物を捨てた。次は本棚とその周辺。5年分のクリスマスカードや星野源のグッズがズラっと並んでいて捨てるものはほとんどなかったが、あんまり触ってないところには埃がたまっていた。それらも全て綺麗にして整理整頓が終わったあとの達成感とやらはとてもいいものだった。これで、心や気持ちの整理も着いたのかなと少し思った。

テレビでもずっと新型コロナウイルスのニュース、ドラマも撮影が中止になり過去のドラマの再放送。学校の再会も未定のままで、日本での感染拡大は抑えられておらず収束するのは2年後なんて話もあるこのご時世。そんな中、酔っ払って自分はコロナだと言いながら街を歩いたり、最前線で戦って下さっている医療従事者の方々を誹謗中傷したり。今こそ世界がひとつになってこの大変な時を乗り越えなければいけない。だから、みんなでお互いを支え合って今を乗り越えられたらいいなと心から思った春期休暇だった。

(高等部3年生 女子)

2020年は、高校生活最後の年で、高校を卒業したら日本に本帰国するので英国で暮らすのも最後の年になります。春休み前から湖水地方に行く計画など、親が立教から戻るわたしのために楽しい予定をたくさん立ててくれていたのに、全部行けなくなってしまってとても残念です。イギリス観光してから帰国したい気持ちがすごくあるけど、毎日命がけで働いている医療従事者の方々や公共交通機関の運転手さんなどのことを思うとそんなことも口に出してはいけないような気がしてしまいます。

家族以外の人と会えず、日々自宅にこもる生活はやはり寂しいものがあります。でも悲しいことばかり言ってても仕方がないので春休み中の楽しかった思い出を書きたいと思います。

私はもともと家でゆったり過ごすのは好きなタイプなので、長時間寝たり、映画やドラマをたくさん見たり、ずっと放置してた本をやっと読んだり、お母さんと料理したり、意外と充実した生活をおくることができました。たまに前の学校の友達や立教の友達と電話すると元気が出ました。前の学校の友達は大学受験で1日13時間勉強しているらしくて、電話するたびに自分の勉強量の少なさを反省させられました。

外出できないし立教にも戻れないけど、家の生活は穏やかで時間に縛られず自由に行動できるという良い点もあります。イギリスは曇り空が多いことで有名ですが、春休み中ほとんど毎日晴れていて驚きました。気温も20℃を超えている日もけっこうあり、半袖で過ごしたりしていました。たまに散歩するととても気分が良くなるので、外に出て太陽の光を浴びるって本当に大切なことなんだなと改めて感じました。

コロナウイルスの影響で外出禁止令が出てから、窓に虹の絵を貼って気分を明るくする運動や木曜日の夜にみんなでNHSへの感謝を込めて拍手する運動が行われています。そういう活動を見てると暖かい気持ちになります。とくに利益になるような活動ではないけど、優しさや励ましの気持ちから生まれた活動だという点が心に響きます。

スーパーや道で人と2M距離を置かないといけなくて、それはお互いの身を守るために必要なことではあるけれど、少し悲しい気がします。人がたくさんいる場所は好きではなかったけど、誰もいなくなった街中や意識的にお互いを避け合っている感じはもっと嫌なものなんだなと気がつきました。まだ先の見えない不安な状況だけど、ポジティブに生きて、一刻も早くみんなが安心して自由に外出できて活気溢れる賑やかな世界が戻ってきてくれることを祈っています。

(高等部3年生 女子)

私は春休みが始まる前にケンブリッジ研修に行っていました。そこではとても充実した日々を過ごしていましたが、ケンブリッジ研修が始まる前から流行っていたコロナウイルスが大変なことになっているという話がされていました。私はまだそのコロナウイルスのことを危険視していませんでした。

しかし、ケンブリッジ研修が終わりロンドンの家に帰ってきた何週間後にコロナウイルス拡大防止のために外出禁止令が出されました。私はこれまで危険視していませんでしたが、この外出禁止令が出された後、自分の身の近くまで来ているのだと強く実感しました。今までもしっかりと行っていた手洗いとうがいですが、外出し帰ってきたときにだけしか行っていませんでした。しかし家にいる間でも一日に2、3回は手を洗うようにしています。また、ご飯をしっかり食べる、定期的に運動をする、そしてしっかりと睡眠をとる。これらのことをとても気を付けるようになりました。

ある日、母から日本で若いアイドルがコロナウイルスに感染したらしいという話を聞きました。その女性は自分の症状をブログに書いており、それを母が読んでくれました。その内容に私はとても驚きました。若い人は症状が軽いとうわさされていますが、その思っていた軽症の症状の度合いが全く違っていました。その女性も軽症といわれていたそうなのですが、夜中に呼吸ができず起きてしまったり、せきやたんが止まらなかったり、さらに微熱のわりにとても体がつらい、などといった症状があったらしく、そこで私はコロナウイルスの感染の威力に驚くとともに若いからと言って軽く見てはいけないと改めて強く思いました。

私はこの長い春休みを過ごしていて気づいたことがあります。日常生活で健康のために大切とされている手洗い、うがいなど今まであまり関係ないと思っていた昔の自分がいます。しかし、これらのことを日常から行う大切さに気付きました。また、こんな中で働いてくださっているかたの活躍が素晴らしいということにも気づかされるとともに、感謝の気持ちでいっぱいです。今まで見えていなかった世界の現実、陰ながら活躍している方々、さりげなく過ごしていた今までの日常の中には、たくさんのありがとうがあること。私は、これらを強く感じて春休みを過ごしています。

(高等部3年生 女子)

この春休みを端的に言うと、「当たり前」はないということを学んだ休みだった。

先学期の最後の方から確かにコロナウイルスは猛威を振るっていたが、四月になれば立教に帰れて、みんなとの日常を過ごせると思っていた。だから三月にみんなと別れた時に発した言葉は「また四月ね。」だった。そのため、春休みが始まって1週間半経った、三月の中旬に立教から来たメールには腰を抜かした。帰校が四月ではなく、六月だというものだった。残り二学期間しかない立教生活が短くなるのかと思うと、とても悲しかった。休みが終われば立教に帰り、みんなに会えるという私の中での「当たり前」が一瞬で壊れた瞬間だった。「当たり前」だと思えている生活があるということは幸せなのではないかと思った。学校に行けること、友達に会えること、行きたいときに買い物に行けること、そのほかたくさんのことを「当たり前」だと思っていた。しかし「当たり前」なんてなく、不自由なく生活できているということはとても幸せだということに気づいた。

「当たり前」がないと知った私はこの四月から高三になった。異例ではあったがヒースロー空港で配られた高三の象徴である赤ネクタイが、立教に帰るときには似合っている高三になれるよう、立教に帰るまでの期間成長できるよう、頑張ろうと思う。そして残り少ない立教生活を満喫しようと思う。

(高等部3年生 女子)

四月二十六日。今日もあっけなく一日は過ぎてゆく。本来なら今頃春休みを終え、高校三年生の一学期を迎えているはずだった。しかし実際には、不要不急の外出を避け自宅で過ごす日々を送っている。私達から日常を奪い、世界中をも不況に陥らせている新型コロナウイルス。それは丁度SARSが流行した二〇〇二年に生まれた私にとって、初めてウイルスの脅威を痛感させるものとなった。

よく知る志村けんさんや岡江久美子さんがこのウイルスに命を奪われ、日本中にピリついた空気が漂っていることは確かだ。ニュースに耳を傾けていると、どうやら日本の対応は他国に比べてかなり遅れており、どこかあまいように感じた。個人の移動を管理するアプリを取り入れたり、体温などを測る防犯カメラを設置した国だってある。緊急事態宣言が出された日本は今、駅の利用者は八割減っても百貨店の利用者は二割増えたそうだ。なかなかピークを越えられない。国民全員が〝自分が感染していたら…〟そう考えれば良いだけなのに。それが今の日本では簡単ではないらしい。中でも私が気になったニュースがある。医療従事者の手当についてだ。感染のリスクが高い中、身を粉にして働いている方々に政府からの手当がほぼないこと。ヨーロッパや韓国では約十万円の支給がされているそうだ。一体何のための保険金なのか。単純に疑問に感じた。同時に、そんな方々に感謝を直接伝えられない私達が出来ることは、stayhomeに限ると改めて思わされた。

私の住む県では四月に入って急に感染者が増え、あっという間に十万人に対するコロナ感染者の割合は全国上位になってしまった。友人とも会えず退屈な毎日。そんな毎日もオンライン授業が始まって少し忙しくなった。それが今は凄く嬉しいし、ホームルームやテレビ電話で友人らと話すと、やっぱり学校って良いな、楽しいんだな、離れてみないと分からないことだった。それだけ当たり前の生活を送っていたことにありがたみを覚えた。高校三年生になった私達が立教英国学院で過ごせる日々は残り僅かになっているが、良き仲間たちとたくさん思い出を作っていきたいと思う。そのためにも私が今できることを今一度考え、決して無駄にならない二〇二〇年春にしたい。

(高等部3年生 女子)

私はこの春休み、コロナウイルスのため自粛しており、たまにする散歩以外はほとんど家で過ごした。その中で、私が海外に住むからこそ思ったことがおもに2つある。ひとつは家と学校が海を挟んでいることから感じた危機感で、もうひとつは差別という点だ。

私が住んでいるチェコ共和国は、3月12日に他国からのコロナ感染を防ぐために非常事態宣言を出し、14日からのチェコへの入国は困難になることを発表した。非常事態宣言が出された当日、私は学校で補習を受けており、帰りの飛行機は14日の土曜日の予定だった。このままでは家に帰れない、そう思った私の母は即座に学校に連絡し、なんとかして飛行機をとり、私は無事帰宅した。もしかしたら帰れないかもしれないという危機感は、私のコロナに対する恐怖を強めた。また、空港でマスクをつけた各国の人々とともに今までに見たこともないような長蛇の列に並んだ時も、コロナが世界規模で影響を与えているということを自分自身で感じることができた。

世間の話題がコロナでもちきりになってきた頃から、欧米でのアジア人差別のニュースが増え始めた。私の周りにも、暴行などを受けた人はいないものの、街中でコロナと叫ばれたり、すれ違いざまに何か言われたりする人は少なくない。私自身はそういった被害にはあっていないが、学校から家に帰るとき様々な国籍の人がいる空港にいくことが怖かったり、散歩で外に出るときに少し不安になったりすることがあった。今まで過去にあった差別事件について学び胸が痛くなったりすることはあったが、自分が差別される側になるとは思わなかった。また、チェコにきて約7年、周りと自分の人種が違うことによる恐怖を感じたのは初めてだった。

このようなコロナウイルスによる影響を自分の肌で感じられたのは、海外に住んでいるならではのことだと思った。コロナ感染もアジア人差別ももちろんないに越したことはない。しかし今回のできごとである意味貴重な経験ができたと思う。

(高等部3年生 女子)

僕は毎年、春休みや夏休みなどの長い休みがあるときに家族で旅行に行ったり、親戚たちと集まってご飯を食べたり、遊んだりしていました。そういうスケジュールで過ごしていたので、今年の春休みまで一回も、長い休みで暇だと思ったことはありませんでした。でも、新型コロナウイルスの影響で、「親戚たちと遊ぼう。」とか「受験が終わったら、家族で旅行に行こう。」と、話し合っていたけど、なくなってしまい、とても悲しかったです。

それで、旅行に行けないから、お兄ちゃんと庭で水鉄砲で遊んだりしていました。お兄ちゃんは、勉強が忙しいけど、学校が休みになって時間に余裕ができたので一緒に遊べてうれしかったです。あと、お父さんと散歩をしました。お父さんは、いつも、仕事で帰って来るのが夜遅いから散歩は滅多に行けません。だから一緒に散歩に行けて色んな話ができてうれしかったです。それと、友達とはオンラインゲームで喋りながらゲームしたりしました。普段は、あまり話をしない学校の友達ともつながったり、新型コロナウイルスの影響で塾が休みになって時間ができた友達とか、一緒にやる友達が増えたから色んな友達とゲームができてうれしかったです。

他には、お料理を作ったりもしました。魚をさばく動画を見て、刺し身を切ったりしました。アヒージョもお店で食べた味を思い出しながら作りました。マッシュルームをたくさん入れておいしく作れました。

そんな感じで、今年の春休みは、今までと全然違う経験ができたので、悲しいこともあったけど、うれしいこともあった春休みでした。

(小学部6年生 男子)

こんなことになっているなんて、、、。

関西空港に着いた時、初めて大変なことが起こっていると思った。母から日本のコロナウイルス感染症によって、動物園や遊園地などがほとんど閉まっていると聞いていたが、私は楽観的にとっていた。でも、ほとんど人のいない空港を見て、考え方を変える必要を痛感した。もう私が予定していたことは何もできない。ミュージカルやコンサートもすべて中止。どう過ごせばいいのかわからなかった。白紙の春休みになってしまったのだ。その後、2週間自主隔離することを決意。母の家事を手伝ったり、パズルをしたり、読書をしたり。少し退屈で大変だったが、白紙だった紙には、ちらほら花が咲き始めた。

そんな隔離生活を終えてやっと外に出られると思っていたら、日本でもコロナが流行り出した。大阪府知事が外出自粛を宣言。その後、首相から緊急事態宣言が発令された。

それから何日かたったある日、ラジオを聞いていると、昔流行ったペストの話をしていたので耳を澄まして聞いた。ニュートンがリンゴの木を見て万有引力を発見したのがペストによる休校中とのことだった。私は、その話を聴いて3つの物事を計画した。断捨離と顕微鏡観察、ペットのアメリカミシシッピアカミミガメについて調べることだ。断捨離は五日以上かけたため、とてもきれいになってすっきりした。でも、玄関にたくさんごみがたまったので急いでゴミ出しをした。計十往復くらいはごみ捨てをしたと思う。アカミミガメについては、調べることでもっと大切に育てようという気持ちが高まった。顕微鏡観察は、見たいものが多くて、まだ途中だ。私は、塩などの粉末を見るのが好きだ。サラサラな粉が、一粒一粒ごつごつしている。本当の姿が見られて面白い。

今、私の春休みは桜が満開だ。こんな貴重な経験はきっと人生一番の経験になるだろう。きっと満開の桜は、一生散らないだろう。

(小学部6年生 女子)

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