ペリカン君の想い出(2)

モスクワ市内には、国際会議ということもあってか、
莫大な数の警官が動員されていた。車はペリカン
の専用車であったから、彼は前の座席に座る。
隣は運転手。 私と田が並んで後部座席。 ペリカン
が後ろを振り返り、にやにやしながら、

「小川、モスクワと東京ではどち らが警官の数が多い?」

と尋ねてきた。田中も笑みを浮かべながら私の顔を見守る。

「そうだなあ、数で比べれば、そりゃあモスクワの方が断然
多いさ。しかしモスクワの警官は民衆の味方だから、俺は
圧迫感は全く受けないよ。」

と私が答えると、ペリ カンが爆発したように笑い転げ始めた。
田中も上品にだが、声を出して笑う。

「はて、 俺はそんなに面白い答えをしたのかな。」

といぶかる私をしり目に、二人はなおも笑い続ける。

意味も分からぬままに、ついつり込まれて私も笑い出した。
その様子が おかしいとばかりに、二人は再び爆笑を始める。
ペリカンは当時三十代後半であったと思う。その体はものすごく
太っており、彼が体を揺すって笑うと、走りながら車がかなり
揺れたのを覚えている。それから十 年以上の歳月が過ぎ、
私はこのことを忘れるともなく忘れ去った。

その3に続く

ペリカン君の想い出(1) 

狭山ヶ丘高等学校長 小川義男

千九百五十七年(昭和32年)、まだ学生で
あった私は、ある国際会議の日本代表として
ヨーロッパに滞在していた。

ある日私は、国際的に著名な二人の人物と
一緒にモスクワ市内をドライブした。 一人は
国際学連委員長ペリカン、今一人は京都
大学の田中雄三である。

田中は、その前年まで日本全学連委員長を
務めていたが、当時はモスクワに常駐し
国際学連副委員長であった。

田中は大変な美男子であった。ある日彼は、
比較的小さな会議で議長を務めてい た。
私もこの会議に参加していたのだが、彼が、
ワイシャツの袖をまくり、腕を大 きく動かして
発言の指名を行っていた様を今でも思い出す。
青年の極限の美しさだ と思った。背も高くきりり
として色白、石原裕次郎など足元にも及べぬ
美しさであ った。

ペリカンはチェコスロバキア全学連の委員長も
兼ねていた。この二人が勤務する国際学連の
事務所はモスクワ大学内にあったが、その椅子
が、私など見たこともない革製の立派な物だっ
たのを覚えている。当時のソビエトで彼らは、
大臣並の待遇 を受けていたのである。

 

その2に続く

今やコンピューター時代になり、自分の手で文字を

書く機会がめっきり少なくなってしまいました。

しかし、そんな時こそ、美しい文字を書ける人に

なろうではありませんか!!

書道を愛する方、または興味のある方はぜひ来てください。

一緒に頑張りましょう。

 

詳細はこちら

道具を使うからす(最終話)

 

この、「道具を使うカラス君」と一年生との
交流はその後も続いた。

だが別れの日が来た。

教頭が、カラスに餌を与えてはならないと
私に命令したのである。 まだ若かった私は、
彼の「事なかれ主義」に強く抗議した。

狭山ヶ丘高等学校付属中学校校長メッセージ

しかし彼は、 「先生、そんなことを言って、
カラスが一年生の目玉を引っ張り出したら
どう するんですか。」と私を諭す。

何しろ、雑巾を道具にするくらいの彼である。
それくらいのことはやり兼ねない。かわいいと
は言ってもカラスだ、カラスに倫理性がある
はずもない。

結局私は生徒に、カラス君に餌をやってはならない
と命令した。 餌をもらえなくなった彼は、その後も
三日ほど、教室の外で甘え続けた。

しかし、ほかにやさしい教頭のいる学校でも見つけた
のか、その後は姿を現さなくなった。 今もカラスを
見かけると、たとえそれが、ゴミ袋を破っている真っ最中
であ ろうと、私は彼らに、ある種の親近感を禁じ得ない
のである。

あのカラスは、 その後どのような「人生」をたどったので
あろうか。

<完>

女子バレーボール部

1年生西部地区大会に臨む!

 

明日、高等部の女子バレー部は

西部地区No. 1を目指して、

1年生大会初戦に臨みます!

埼玉 狭山ヶ丘

9月30日土曜日

会場:入間向陽高等学校

第1試合 9:00

合同チーム

(入間向陽/飯能南/所沢北)

 

そのあと

和光国際と戦うリーグ戦です。

 

皆様からのご声援をよろしく

お願いいたします。

 

女子バレーボール部について

さらに知りたい方はこちらです。

 道具を使うからす(7)

 

薄皮を剥いた「蜜柑の実」だけを、
彼はうまそうに食べていたが、時折
片足 を上げて、指を妙に動かす。
どことなく不愉快そうなのである。
甘い蜜柑の汁が足にくっついて、
べたべたするのが嫌いであるらしい。
時折押さえる足を変 えたりしていたが、
そのうち、両足ともべたべたになってきた。
狭山ヶ丘高等学校付属中学校校長メッセージ
彼の乗っていた場所は、水道のカランが
幾つもついているコンクリートの上である。
高さは人間の腰くらいであろうか。そこに、
誰かが洗って固く絞った 雑巾が残されて
いた。すっかり乾燥して軽石のようになって
いる。彼は、その雑巾のかたまりの上に、
ひょいと飛び移った。そして、足にその雑巾を
つかむと、そのまま蜜柑のある場所に戻った。
驚いている私を尻目に、 彼はその雑巾で
蜜柑を押さえ、足が濡れないようにして、
薄皮を剥き続けたのである。

何と、「道具を使っている」のだ。

私はしばらく感心して見守っていた。
しかし、蜜柑を取られた口惜しさもあ り、
ばかばかしくなって、その場を離れた。

いよいよ最終話に続く・・・

 

道具を使うからす(6)

 

ところが、感謝するどころか、彼はぷいと
横を向いてしまったのである。

「何、お前、皮を剥けって言うのか。」

私は手早く皮を剥いた。その手元を、
く っつくくらいの近さで彼はじっと
見守っている。剥き終わって私は、
再びそれ を彼の足下に置いた。
狭山ヶ丘高等学校付属中学校校長メッセージ
一気に食い始めるかと思いきや、
彼はまたしても、ぷいと横を向いて
しまっ たのである。

「こんなかたまりを食えるか。」

というわけなのであろう。いったい
これまで、どんな育ち方をしてきた
のであろうか。

「バラバラにせえって言うのか。」

私は、蜜柑を幾つもの小袋に分け、
彼の足下に一列に並べた。並べ終わる
まで、彼は食いもせずじっと見つめている。

もしかすると、上流家庭のご出身なので
あろうか。 並べ終わったのを見届けて、
彼は食い始めた。足でおさえて、薄皮を
剥き、 くちばしをぴっぴっと振ってそれを
はねとばす。蜜柑の薄皮をぴっぴっと
はね飛ばす彼の技は、それはもう見事な
ものであった。

鳩や雀などとは、頭の出来 が違うのである。

その7に続く・・・

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