今年は私にとって英国生活での二回目の冬休みとなった。英国に住んでいるにも関わらずあまり英語が得意じゃない。そんな自分に焦りを感じて、今回の冬休みはせっかくの機会だし少しでも英語に触れて上達したいなと思った私は近所のインターナショナルスクールへ二週間と僅かな時間ではあるが通うことを決めた。

私はとても人見知りでなかなか人に話しかけることができず、はじめは話せるか不安しかなかった。相手の言っていることもなんとなくこんな感じかな、、なんて考えて今までずっとその場逃れの返事や対応をして英語から逃げていた。けれど今回はそうは行かなくて、自分の意見を聞かれたり、周りに日本人もいなかったので助けてもらうこともできなくて、途中、辛くて諦めたくもなったけれど自分がどんなにメチャクチャな英語を話してもそれを受け止めてくれたり、文を直してくれる友達や先生がいてくれたから最後まで頑張ることができた。社会に出たらもう間違いを指摘してもらうことはあまりない。今は生徒の立場だから直してくれる人がいて、すごくありがたく思うし、もうあと残り少ないその限られた時間を大切にしていきたい。

大変な二週間ではあったが、その中でも楽しいことはたくさんあった。私が通っていた学校はインターナショナルスクールということもあって、ブラジル、ドイツ、イタリアなどなど世界中の国々から英語を学ぶために留学しに来ていた。休み時間などにはそれぞれの国のことや文化の違いを語り合ったりして、その中では私が知っていたことも初めて聞いた以外だったこともあって、話すのも聞くのもすごく楽しくて有意義な時間となった。私の行った時期はちょうどクリスマスの前ということもあって、クリスマスに食べるものや過ごし方について話している時間が英語のコミュニケーションの力ともなったし、異文化を知る良い機会となった。

どんなに苦手でも嫌いではないし、今不得意だからといって諦めることはしたくない。いくら英語を学びたくても自分が好きで学びたいと心から思う理系の道に進みたい。しかし理系に進んだからと言って英語を勉強しないわけでもないし、理系とか文系とか関係なく上達したいという気持ち次第でどんなに時間がかかっても、卒業までにその目標にたどり着けなくても、どこまでも行けると感じた冬休みとなった。長期休みの中で日本へ帰りたい気持ちもあるが英国でしかできない沢山のことを経験しておきたい。英語はすごく大切だが、英国で学ぶイコール英語ではないと思う。英語の上達はそのうちの一つであって、文化や宗教やその他にも英国で学ぶということにはたくさんの意味があると思う。帰国したときに後悔しないように今のうちにその学べることを見つけて沢山吸収しておこう感じた。焦らずに自分の決めた道をゆっくりと進んでいきたい。

(高等部1年女子)

今回の冬休みは、驚異のスピードで過ぎ去っていったなと思う。気がついたらこうしていつものように学校で生活している自分に今でも驚きを隠せない。

簡単に冬休みを振り返ると、一週目は、やりたいことが山ほどあり、希望に満ち溢れる。二週目は休みという開放された気持ちに反して少しずつ勉強を始める。三週目はクリスマスを思う存分楽しむ。四週目は解けた気持ちに追い打ちをかけてさらなる大晦日やお正月のイベントも楽しみつつ、やるべきことも並行してやる。五週目はひたすら勉強ややり残したことを潰す。というような過ごし方だった。どちらかというと今冬休みは楽しむというよりかは、いかにうまく時間を使うことができるかというようなゲーム感覚で日々を過ごしていったような気がする。

そのようにちゃんとしようと思うきっかけとなったのは、やはり姉の受験というのが大きい。姉は受験のために、早くも冬休み一週間で母と日本へ帰国してしまったのだ。私は、ずっと一緒に生活してきた姉が高校生を卒業して大人になるなんて今まで全く実感が湧かずにいたし、想像すると少し寂しく思えた。いつもの日常も、誰にも制御することのできない時間という枠によってあっけなく変わってしまうんだなと、何とも言えない気持ちになった。だから今できることをやっておかないとという少しの焦りと希望とが入り混じった気持ちでスタートしたのだ。

しかしスタート早々思いもよらぬことが起こる。それは全然集中できないということだ。一日最低5時間は勉強時間を確保しようという計画を立てたけれど、全くもって上手くいかない。最初の二週間は特に、いざ実践しようとしても、こんなにも続けることができないのかと集中力を保つことの難しさに痛感したのだ。集中力が切れると勝手に映画の続きを考えてしまいいても立ってもいられなくなる衝動に駆られ見てしまうこともあったし、午前中に3時間も確保できたと調子の良い日であっても午後になるとだらけて終わりということもあった。そう思うと受験生はどれだけ日々自分と戦っているのだろうと、改めて凄さを実感したし、それをきっかけに私も高1という時間に余裕のあるときから少しずつやれることは頑張りたいなと日々気合を入れ直すこともできた。

それでもなかなかうまくいかないときは、工夫もしてみた。例えば、絶対午前中にケータイを触らないために視界に入らない場所へ置く、Youtubeの人たちと一緒に一時間耐久してみる、集中力が切れて面倒くさくなったときは声に出して頭を整理してみる、ヨガでスイッチを入れ替える、やめてピアノの練習に励むなどのことをした。

このように、上手くいかない日であってもあれこれ工夫したりすることは案外楽しかったし、予定通りでないからこそ日々新たな楽しみを見つけられたりという面白さもあった。そのように休みを過ごすことで、一人の時間の貴重さに気がついたし、どのようにその時間を使うかということを無意識に意識できるようにもなったと思う。

これから学校生活はあっという間に過ぎて春休みになってしまうことだろう。時間はどうにも待ってくれないので、ダラダラと時間の流れのままに過ごすというのではなく、自分で上手く工夫をして時間をコントロールできるように短い期間を過ごせるようにしたい。

(高等部1年女子)2

今年の冬休みは2週間隔離が終わってすぐに友達と中学の先生に会いに行きました。中学校の校舎の中にいるだけなのに何故か急に中学生に戻った感じがしてすごく不思議な気分になりました。高校生になって一度も行ってなかったので全部が懐かしいなと思いました。知ってる先生も少なくなっていて寂しかったけどものすごくお世話になった大好きな先生たちに会えたので満足です。中学の先生に現状報告や世間話をしていたら音楽の先生が来て「本当にイギリスに行くなんてびっくりだ。そんな生徒は初めてでなんちゅう子かと思った」と言われて驚きました。たしかにそんなこと思いつく人は少ないのかなって思いました。

久しぶりに中学の先生にあえて新鮮でした。卒業してから日数的にはまだ一年も経っていないのに中学生時代が何年も前かのように感じました。先生たちがお元気そうで何よりでした。また一年後かに行こうと思っています。(高等部1年女子)

Tower bridge with firework, celebration of the New Year in London, UK

Tower bridge with firework, celebration of the New Year in London, UK

12月31日金曜日の大晦日に僕はこの作文を書いています。2021年もあっという間に終わってしまいましたq。冬休みもあと残すところ1週間弱となってしまいました。学校に戻れるのは嬉しいし、楽しみではあるけれど、家から離れるのは少し寂しいです。最近は毎日寝る前にこのことを思ってから寝ています。最近は昼と夜に少し勉強して、その後に友達とゲームをすることが日常になっています。来学期は高3の先輩たちがいないのがすごく寂しいです。せっかく先学期に久しぶりに関わって、新しく仲良くなれた人もいたのに、先学期限りの交流だったのはとても残念でした。来学期はもっと仲の良い人を増やせるように頑張りたいと思いました。
冬休みはあまり外出してないので、出来事が少ないですが、唯一遊んだのは立教の友達と5人でディズニーランドに行ったことです。僕自身ディズニーランドに行くのは2年ぶりだったのでとても楽しめました。みんなでお揃いの物を買ったりして少し中学生らしいことができたかなと思いました。
来学期が終わったらもう高校生なので、高校生に向けて何か目標を決めて頑張りたいです。2021年は本当にコロナウイルスの影響で色々なことがあって大変だったし、なかなか思い通りに行かない年だったので、2022年は新型コロナウイルス感染症も収まり、元の生活に戻れるようになってほしいと強く思います。
(中学部3年生 男子)

Tower bridge with firework, celebration of the New Year in London, UK

Tower bridge with firework, celebration of the New Year in London, UK

冬休みが終わり3学期になったら、きっとあっという間に時は流れてもう卒業なのだろう。率直に言おう。私は、みんなの前ではあまり大きな声で言えないが、今のクラスが大好きだ。先生にも恵まれて、特にクラスのみんなには毎日すごく元気をもらっている。でも、高1になったら新しい環境になるのだろう。その環境に正直自分がうまく対応できるのかが少し不安でもある。どんな新入生が入ってくるのかと楽しみなところは色々ある。けれど、やや今の状態に執着している気がする。でも、この3学期は、一つの節目として過ごしてみようと思う。

立教の時間は、長いようで実は短い。あっという間に学期は終わってしまう。そして帰国。それをこの3年間くりかえしてきた。実際は、新型コロナウイルス感染症の影響で自宅でのオンライン学習を強いられていたこともあった。私たちは、そんな状況を乗り越えて中学生ラストの1年、みんなで思い出を作ってきた。それだけ恵まれた学年だったと思う。けれど、時の流れは早いもので、もう約2ヶ月で卒業だ。内心、このままずっと今のままでもいいのになんてどこかで思ってしまっているけれど、切り替えも大切だとも思う。

ここまで言ってきたが、正直パッと切り替えは出来ないかもしれない。今までの3年間の思い出を噛み締めて、最後には卒業するのが私の理想。それまでは、やり残すことがないような中学生活を送りたい。そして、高1になって様々な人と出会い新たな生活を送れたら良いなと思う。
(中学部3年生 女子)kirikae

 今自分は中学3年生の3学期に入ろうとしています。中1からずっとめんどうを見てくれ親しく接してくれた先輩たちは去年の2学期をもって立教から笑顔で去っていきました。もう入学してから早3年。いつまでも「後輩」ではいられなくなりました。そして来年からは高校1年生。もっといろんな事ができるようになる代わりに色んな責任も持たないといけなくなります。
この冬休み中、クリスマスカードや年賀状には「来年は高校生になります」と沢山書いたり、新年になって顔合わせをした時にはよく「大きくなったねー」などと言われ、僕が「もう高校生になります」と言う、そんなやり取りもたくさんありました。僕ももう高校生か。卒業していった先輩たちみたいに後輩と接している自分の姿を僕の中ではまったく想像出来ませんでした。
そんな中でだらりとすごした冬休みの最後。いよいよまた出発が近づいてきて、最後の中3、最後の中学生、と思うと「あー、やっぱりもう高校生なんだ。」という実感がかすかに沸いてきています。いったいどんな高校生になるかもわからないですし、どんなことをしたいとか、どんなことを将来に向けて積み重ねていきたいかなんて、全く検討もつかない状態です。ですがこの最後の中学校生活、友達と思い出を紡ぎながら、尊敬していた先輩に少しは近づきたいと思えるようになって来ました。中学最後の学期、悔いは残したくないですね。
(中学部3年生 男子)

冬休みはとても退屈でした。特になんの出来事もなく2022年を迎えました。そもそも、立教にいた時から「冬休み隔離が終わったら3週間ぐらいしか無いらしいし、あっという間なんだろうな。」と思っていました。本当にその通りで、気づいたらもう年賀状シーズンになってきて、僕はもうすぐで高校生。恐ろしいですね。
今年の冬休みは家でゴロゴロしたり、英語を勉強したりして過ごしていました。三学期に英検準2級の2次試験が控えていて、英語の勉強ばかりの毎日で、あっという間の日々でした。だから、僕は学校に帰ったら今のうち、中学生のうちでしかできないことを今度こそ満喫しようと思いました。中3のみんなで過ごせるのは三学期で最後になってしまうのが少し寂しいですが、後悔しないように楽しもうと思います。
ふとした時に、中2の頃先輩とした会話を思い出しました。それは「高校生になったら沢山新入生が入ってくるのは楽しみですか?」と聞いたところ、「いや、今の人数がちょうどいい。家族感があって好き」というものです。その時の僕は沢山友達がいた方が楽しいに決まってると思って、理解できなかったのですが、今はその気持がとても良く分かります。人数が増えることは嬉しいですが、元いた人たちと別々のクラスになったりしてしまうのが悲しいです。だから、僕は後悔のないように来学期を満喫したいと思います。
また、今学期の席次が大変な事になってしまっていたので、来学期で挽回します。最近期末テスト前のみんな(僕も含めて)の集中力が中1の時の僕らとは格段に上がったと感じました。僕も負けていられないです。
(中学部3年生 男子)enthusiasm-for-next-semester01

Collyer’s college 学期留学レポート第一弾
今年度、Covid-19の、イギリスにおける学校生活への影響も緩和されたことから、高校3年生3名がCollyer’s Collegeに学期留学に出かけています。日本と英国の教育の違いを肌身で感じ、モチベーションがますます高まっている、RTさんのレポートをご覧下さい。

Collyer’s Collegeでの一週間を通して
学校で一週間過ごして、言語の壁を実感しながらも知らないことばかりで新しいことを経験できることに楽しみを覚えている。授業については、特に私の取っているSociologyの授業が難しいと感じる。初日はInterpretivismとPositivismについてを取り扱っていて、全く先生の話していることが理解できずにただノートを取るだけだった。その後調べてみると、解釈主義と実証主義という日本語で解説を読んでも理解し
にくい内容だった。だが、私は授業についていけなくならないように内容を予習復習してから次回の授業に臨んだ。しかし、それでもまだ授業の内容が理解できずに先生の質問にも上手く答えることができなかった。まだ一週間の段階で授業についていくことに相当な労力が必要だが、これから日本に帰るまでに「Sociology、Health&Socialの授業で内容を理解しつつ、積極的に内容の濃い質問や解答を発言すること」を目標に英語の勉強も頑張りたいと考えている。
私は留学に来る前に将来英国大学に行くのだから、失敗も挫折も全てここで経験していこう!と意気込んでいた。これが私のモチベーションになっており、これからも生活面でも勉強面でも努力したいと思っている。
一方で、新しい友達と会話したり、一人で出かけたりなど必然的に英語を話さなければいけない環境は初めてであるため、毎日が刺激的である。英語能力が足りなくて悔しくなるのは、やはり友達とコミュニケーションするときである。今までは勉強のために英語を学んでいたが、今は友達ともっと会話したいためということに重きを置いて学んでいる。
加えて、日英の教育の違いをこの1週間で感じた。Collyer’sでの授業規模は20人ほどだが、もっと個人に対して話しているような感覚になった。日本は先生から全体へという講義形式が多いが、英国では全体に話しつつも個人をよく指したり一人一人回って状況確認をしたりとコミットしているように思える。そのためか、授業中の発言も多く(その分私語も多かったりするが)、わからないことがあったら友達に聞くことなくすぐに質問をしていた。これには、高校ですでにある程度の専攻が絞られており、自分の興味がある授業だからということも関連しているだろう。日本の高校ではおおまかに文系・理系と分かれるが、英国ではさらに深く分かれている。高校の時点で、個人の知的好奇に合わせて授業が取れることは日本にはない特性だろう。このような文化の違いを肌身で感じられることにも面白さを感じる。collyers-college-2022-01_01

長かった二学期を終了し、ホテル隔離も終えやっと家に帰ってきた。本来ならば喜ぶべき瞬間なのかもしれないが何故かこの作文に手をつけた今、どことなく寂しさを覚えている。これが寂寥感というものなのだろうか。この感情はどれだけ二学期が充実していたかの証だと思う。そんな二学期を少し振り返りたい。
中3全員で立教にて過ごすのは今学期で最後、この事実はどうにも変えることのできない現実で、同時に、この二学期を全力で楽しむ、これが私達に課された課題であった。
初めは中3全員の記憶に残る何かをしなくては、そんな焦りが13番教室を過ぎっていた。でも自然とその教室の中で起こる笑いや感動、空気感が何よりも幸せで、どれだけその幸せが私達の中に刻まれているか、段々と分かってきた。その証拠に今、その時間を思い出すだけで思わず笑顔が溢れてしまう。
今回の作文、何か印象に残った出来事を書こうと思っていたが、すべての出来事にたくさんの内容が詰まっていてそれができそうにない。
グループなんて存在しなかったほどみんなで楽しく過ごしたアウティング。直前まで鏡に張り付いていたクラス写真撮影。みんなのこだわりが強すぎてテーマ決めからつまずいたオープンデイも中3らしい結果を残すことができた。お尻が痛い上に寒すぎて文句しか出てこなかった教会外出。早く終わって自画自賛した皿並べ。ピンチな友達の気合い入れに必死だった期末テスト期間。これから新しい道へ歩みだす友達へメッセージを送るときに溢れ出した感謝と涙。最後の集合写真・・・。あれもこれも、思い起こしていくだけでどんどん白紙が埋まっていく。充実しすぎていたあの頃にはもう戻れないと考えると喪失感に襲われる。
でもこんなことを考えてるうちに三学期になり、時を過ごし高1になって新しい仲間と出会い、時には拒み、そして徐々に受け入れ、また時が流れる。こうして私達の先には未来が続いている。こうやって過去を見て悲しさを覚える今も未来になれば小さな過去の出来事にすぎないのだ。
でも、中3と呼ばれる日々が終わり、新しい仲間が増える未来でもこの今の心を失くさないで育てていけばいつまで経ってもその気持ちは「今」に存在し続ける。
どんなに時が経っても中3に思う気持ちを大切に未来の今を過ごしていきたい。そんな事を思えるクラスの一員になれたことは本当に幸せな事だと「今」、思う。
(中学部3年生 女子)engrave-on-the-future01

この2学期は私にとって思い出深いものとなった。だんだんと新型コロナウイルス感染症の影響も薄れ、少しずつ元の日常を取り戻していた。アウティングやオープンデイなどの行事も取り戻し、楽しい立教生活が再スタートした。その幸せを噛み締めながら、日本に帰った。
年末年始になると、親戚と会う機会が多くなる。立教に通っている人なら誰でも経験があることだと思うが、私達はそう言った場で必ず、英語が完全に喋れる、という勘違いをされる。私はその度に、まだまだ全然ですよ、と答える。そうすると相手も意外そうに、学校生活について尋ねてくる。そこで私は、イギリスにいても英語を話す機会はあまり多くない、と毎回テンプレートを答える。しかし考えてみると、なぜイギリスにいるのに英語を話せないのだろうか。これまで私は学校の環境だとか、コロナだとか、周りのせいにして、英語と関わること自体を諦めていたのだと思う。
しかし、それは周りの環境がどう変わったところで私が変わらないと意味がないことに気がついた。自分に積極性がなければ、いつまでも同じままだし、自分から英語に関わって行こうとすれば、どんどん上達していくだろう。なぜなら、私は置かれている環境が違うから。他の中学3年生には経験できない機会が私の周りにはたくさんあるはずなのに、それを自分から無下にしていた。これまでの3年間何をしていたんだろうと、申し訳なく、また恥ずかしく思った。
そこで私は、せめてこの3学期間は頑張ろうと思った。これまでの3年間を取り戻す、そして、立教にいる意味があるような生活を送ることを目標に決めて、3学期を過ごそうと思う。
(中学部3年生 女子)1kam

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