22日(土)は、初めての陸上競技大会です。

まだ1年生しかいませんので、競技内容については文化祭と同様に教員主導で考えました。

今回は、「チャレンジ・世界記録」というサブタイトルを掲げ、世界記録に挑戦します。

世界記録に挑戦するといっても、様々な種目を数人掛かりで挑戦します。

たとえば、走り幅跳びの世界記録8m95を3人がかりで挑戦します。

3人の合計がこれを越えたら成功です。

この挑戦の結果、人間の能力は計り知れないことや、

才能を練習でしっかり鍛えれば、とてつもない記録が出るということを体験させたいと思います。

自分の才能は、なかなか分かりません。

一生分からないかも知れません。

これを機会に才能発見の旅に出ることも私は賛成です。

 

上野孝裕

今日の朝学習は、英語単語テストでした。

16問できないと放課後補習になります。

目の前の土佐先生が、採点しながら唸っていました。

「全体的に出来がよいぞ、満点続出だ」と、呟きながら採点しました。

採点が終了し平均点を出すと、「補習対象者はいない!平均点19.5点」と、また呟きました。

 

上野孝裕

 

電車通勤していると車内で会話している人の声が、否応なしに聞こえてきます。

特に高校生の声は大きいことにあわせて職業柄興味を引きます。

先日私のすぐ横で野球部員(持ち物のバッグに記名)とその友達が

野球部の顧問について話をしていました。

その内容は、以下のようでした。

・朝の練習に遅れないために、親に車で送ってもらっている生徒が多くいる。

・その事について、顧問からそんな甘えは良くないとの主旨のことを言われた。

・集合時間は40分前集合になっているので朝早いとバスや電車がなく仕方なしに親の世話になっている。

・そんな事情も分からず、一方的に怒られたのでは納得いかない。

・そして、全く監督を信頼していない。

 

この事から日頃の練習の様子が覗えます。

また、試合の成果も予想できます。

信頼関係のない顧問と生徒達では、良い成果は望めません。

何事も信頼関係が大切だと思いました。

 

上野孝裕

 

電車やバスの定期は、多くがタッチパネル形式になっています。

駅の改札口で定期をパネルに触れるだけで反応し扉が開きます。

定期入れや財布に入れたままでも反応しますので、

直接パネルに触れなくても反応する仕組みになっています。

その仕組みを知ってか知らずか、タッチパネルに定期入れ・財布を

思い切り叩きつける人を時折見かけます。

端で見ていると何かムシャクシャすることがあって、

その気持ちをタッチパネルにぶつけているように見えます。

そうでなければ、もう少し優しくタッチパネルを扱ってください。

心の在りようは行動に表れますので。

 

上野孝裕

先週は、6月に引き続き一日体験入学をしました。

 

学校で一番大切なものは、何と言っても授業です。

生徒は、一日のうち一番長い時間を過ごします。

先生方は、生徒の状況を考え一時間の授業を充実させるために様々なことを考えます。

授業をどのように進めれば良いのか、どのような方法が分かり易いか考え、授業に臨みます。

一時間の授業に数時間掛けることも稀ではありません。

そして、授業で生徒と会い対し上手く行くときもあるし、予定どおりに進まないこともあります。

予定どおりに進まないときは、どこが悪かったのか振り返り、また新たな挑戦が始まります。

このようなことの繰り返しです。

つまり授業を見ればその先生がどの程度授業の勉強をしてきたか分かります。

以前にも書きましたが、授業は先生と生徒の共同作品だと私は考えています。

良い授業は、生徒・先生が双方良いときに実現できます。

そのような意味で、私は授業見学に行きます。

 

今回は6月の時と比較し、先生方と心理的距離が近くなったせいか、

若干騒がしい授業もありましたが、全体的には整然と授業が進んでいたようです。

帰りの会で個々のクラスに、私から一日の授業態度ついて感想を述べました。

感想を聞いている生徒の様子から成長の一端が覗えました。

放課後、部活動(テニス部)にも参加しました。

7月には自分のタイミングでボールを打てなかった生徒が、見事にラリーをしている様子に驚かされました。

練習すれば上手くなると言うことが、勉強にも繋がればと思いました。

 

上野孝裕

昨日、制服にリボンが付いていない生徒の指導について書きました。

なぜリボンをつけなくてはいけないのかという質問には、

リボンも制服の一部と決めたからしか言いようがないと思います。

そこには、つける自由・つけない自由はありません。

規則で決められたことはそれを守らなくてはいけないのです。

しかし、近頃の風潮として、世間が自由と言うことをはき違えているように思います。

付けない自由もあるのだという理屈を堂々と述べてきます。

また、その決まり自体が間違っているのだという屁理屈も言ってきます。

このようなことに対して、力ずくで抑えようとするとそこに摩擦が起きます。

なぜ、規則を作るのかと問われれば、集団の秩序を維持するためにあるのです。

確かに誰にでも自由はありますが、集団の秩序を乱す自由はありません。

もう一つ、自分の思うようにならないとそれに対して過剰に反応する人間が増えてきました。

心の弱い人たちです。

我慢するという心の調整が出来なくなっている人たちです。

社会に出れば、自分の思うようにならないことばかりです。

そのようなときにもきちんと対処できる心を育てたいと思います。

 

上野孝裕

春にはピンクのトンネルだったいつもの通勤路は、このところの急な寒さで紅葉が始まっています。

今朝、その道を通っていると、遠くで背広を着たおじさんが大きな声で中学生に声を掛けていました。

内容が分からない私は、一瞬「変なおじさん?」と、思いました。

そして、私の前を通り過ぎ前方を歩いていた二人連れの女子中学生のところで止まりました。

そして、なにやら話をしていました。

そこまで近づいた私は、やっとその「変なおじさん」の正体が分かりました。

まさしくその人は、中学校の先生で生徒の通学状況を点検していたのです。

話の内容は、冬制服にリボンを付けていないのはなぜかという主旨でした。

その中学校は、以前は大変荒れていた学校でした。

数年前には、学校の前によくパトカーが止まっていました。

また、窓ガラスが大量に割られていたこともありました。

しかし、近年はそのようなこともほとんど見かけなくなりました。

通学路で見る生徒の状態でしか学校の中を推測できないのですが、

以前より落ち着いていると思います。

自転車で走り回る先生のような努力が、そのような状態を作るのだと思います。

言いっぱなしでは生徒の生活指導は出来ません。

言ったことが本当に実践されているか点検し、

絶えず生徒の小さな変化も見落とさないきめ細かい指導の大切さを感じた朝でした。

 

上野孝裕

先日、新聞記事に今夏の全国高校野球選手権大会優勝校の小倉監督の記事が載っていました。

今年の日本大学第三高等学校は、圧倒的な力で勝ち進み頂点を極めました。

本県代表の習志野高校は準々決勝で5対0で完敗しました。

その記事の中で、私は次の記事が目にとまりました。

 「うちの選手は、他校の選手より多く練習している。

 素振りなどは、他校の倍はやっているだろう。」

とのコメントでした。

やっているだろう、とは、監督が見ていないところでやっていると言うことを指しています。

そうでもしなければ、バッティング時のバットのヘッドスピードは

あのように速くならないと言うことでした。

 

決められた練習、言われたことだけ行う練習は、限りがあります。

それを超えてこそ他の選手より力が付きます。

 

飜って、千葉明徳中学校では家庭学習の習慣を付けるために、

振り返りの朝テスト(朝学習)を行っています。

みんなの見えないところでどの程度勉強したのかすぐに分かります。

この小さな積み重ねが、必ず大きな成果となって自分に返ってきます。

みんな頑張りましょう。

 

上野孝裕

生徒の登校時間は、早く来る生徒で7時30分頃。

遅い生徒でも8時頃には登校してきます。

早く来た生徒は、朝テストの勉強や友達との会話で時間を使っています。

8時から中学の朝の打合せが始まりますので、その前にクラスの係りが日誌や出席簿を取りに来ます。

職員室への入り方は、職員室入口に貼ってありきちんと用件が言えない人は、やり直しになります。

 

今日は、職員室に数学の質問に来た生徒がいました。

昨日の授業で分からなかったのか、家庭学習で分からなかったのか分かりませんが、

そばで聞いていると連立方程式の質問をしていました。

根本から分からないのではなく、思い違いやうっかりミスで答が導き出せなかったようで、

担当の先生が順序立てて説明すると、生徒は理解したようでした。

このような事は、帰りのSHRが終わった後もあります。

この前は、光よりも速い物質が見つかったと言う新聞記事を切り抜いて来て、

理科の先生に質問に来た生徒がいました。

横で話を聞いていると私も大いに啓発されました。

このような生徒がもっと増えればいいなあと思いました。

 

上野孝裕

本日は後期の始業式でした。

校長先生のお話と、生徒指導部の山下先生からのお話とがありました。

人の話を聞く態度が育っていました。

 

始業式の後で、私も次のような話をしました。

 

ある日何気なくテレビ番組を見ていました。

すると事故で両腕を失った青年(劉偉23才)が足で見事にピアノを演奏していました。

その青年は、10歳の時に感電し一命は取り留めたものの両腕が壊死に陥り、

両腕を切断するに至ったとのことです。

その後、運動好きな彼は、水泳に挑戦しました。

そして、パラリンピックに出ることを目標に一生懸命練習しました。

しかし、今度は足が病気になり激しい運動は出来なくなりました。

せっかく目標が出来たのにそれが叶わず、大きく失望し暫く落ち込んでいました。

すると母親はピアノを購入し、「これを弾いて私を喜ばせてください」と、彼にお願いしました。

その時彼は、19歳でした。

それから猛特訓が始まり、今では全世界の人が彼の演奏を楽しみ、感動しています。

その番組の中で、彼は

「絶望で早く死んでしまうか、目標を定めまっしぐらに突き進み光り輝く人生を送るかは、どちらでも選べる。」

と、言っていました。

つまり、幸福な人生を送るか、不幸な人生を送るかは、他人が決めるものではなく、

自分自身が決めるものだということです。

この言葉に私はとても感動しました。

 

上野孝裕

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