ラグビー部顧問尾花先生の3回シリーズ 愛と勇気の文化祭 その2

 フォークダンス、踊れなければ「地獄の練習」。そんな殺生な…。でも、あとでわかることなのですが、この話は一見理不尽なように思われて、実は運動部の先輩たちの“ささやかな愛情”がこめられていたのでした。

 

 もとより、田舎の男子校生と言えば、女子との接点がなかなかありません。自分の母校は、地元ではそこそこ人気のある男子校ではありましたが、それこそ一年中部活三昧のきびしい毎日にあっては、他校の生徒との交流など、部活を通して以外にはありえなかったのが実情でした。

だから二年の先輩たちは、後輩部員たちにあえて「地獄の練習」という言葉をもちだし、強制的に女子と話をする機会を設けてくれたというわけなのです。

 もちろん、文化祭は文化祭。フォークダンスを踊れなかっただけでシゴキまがいの練習なんて、実際にはあるわけがないのです。

 

 がしかし、当時の自分たちにとっては、それは冗談ではすまされません。

部に入部してから約四ヶ月。その間に、どれだけ高校の運動部がきびしいものか、もう嫌というほど味わっています。

 古き男子校の体育会系、先輩の言うことはとてもとても重いものでした。自分たちは、とりあえず直しても無駄な身だしなみを一応整え、校舎の中をひたすらウロウロ。後夜祭の開始まで一刻の猶予もありません。あちこちでダンスの相手を探しながら、校舎の内外で、何度も他の部員たちと顔を合わせます。

「おい、お前相手見つかったか?」

「ダメだよ、全敗だって」

「お前さ、理想高えんだよ」

「うっせえ。でもマジ『アレ』だけはやりたくねえよ、絶対見つけようぜ」

こんな会話が、学校のあちこちで繰り返されていました。

 

 そのうち、そこそこ男前な部員たちは相手を見つけてホッとひと息、あとはもう後夜祭を待つだけです。が、自分を含め、半分以上の部員はまだ相手が見つかりません。キャンプファイヤーの点火まであと少し、俺たちの命ものこりわずか…。しずむ夕日、せわしい蝉の鳴き声が、いやがおうにも焦る気持ちをかき立てます。そのうち、ほかの運動部員たちも、なぜラグビー部の一年生がこんなにも焦っているのか、次第にわかってきたようです。面白半分で応援したり、同じ気持ちでため息をついたり、でもやっぱり人ごとは人ごとのようです。もともと仲がよかった野球部など、後夜祭よりも楽しそうに、自分たちのことを遠目に見て笑っていました。

《またもつづく》

 

 

ラグビー部顧問尾花先生の「夏の思い出」 愛と勇気の文化祭 その1 をお送りします。

 

高校時代の夏の思い出というと、ハッキリいって、部活でしごかれたこと以外記憶になく、思い出せば思い出すほどブルーな気持ちになってくるので、あえてほのぼのとする話をひとつ。
それは、なつかしくもあり、少々恥ずかしくもある、文化祭にまつわる小さなエピソードです。夏というには、いささかズレているかもしれませんが、一応夏の名残りとしてお話しします。

自分の母校では、毎年9月の頭に文化祭があります。二日間にかけて行われる文化祭は、イベントの少ない高校生活の中で、誰もが心待ちにしている行事でした。というのも、男子校の文化祭であれば、ほとんど女子高生しかやって来ないからです。言うなれば、モテない男子高生にとって、年に一度〈地上の七夕〉みたいなもの。
その日を逃せば、またもとのむさ苦しい男だけの世界に逆戻り。ああ、青春かな文化祭。その日ばかりは誰もが胸高鳴り、血湧き肉躍り、そして無意味に雄叫びを上げたくなる、そんな二日間なのであります。以下の話は、自分が高校一年生の時の実話です。

文化祭2日目の朝、部活動における教育係、先輩の二年生から「部室前に全員集合」とのお達しがありました。尋常でないこの雰囲気、誰か何かやらかしたのだろうか? こんな日に呼び出しなんて、いったい何が起こったんだ?
一年生部員全員に緊張が走りました。みな即座に集合し、先輩の前に直立不動です。すると、二年生のリーダーから次のような言葉が。
「お前ら、後夜祭のキャンプファイヤーで、フォークダンスあるの知ってるな? そこで女の子と踊れなかったヤツは『アレ』だからな。以上」

さて、『アレ』とはいったいナンぞや。そう、我が校ラグビー部独特の、それはそれは厳しい地獄のような練習のことを指すのです。ふだんの練習で、一年生がヘマをした時にだけ行われるあの練習。
全員の顔色が少しずつ変わって行くのがわかります。自分の隣にいた部員が、先輩には聞こえない小さな声で呟きました。
「ジーザス…」。
たかがフォークダンスをペアで踊れないだけで、地獄の『アレ』が。これはいかん、それだけはごめんだ。
楽しいはずの文化祭、部員に戦慄がはしりました。一年生全員の目の色が変わり、そして、部室前から校舎に向かって全力で走っていったのです。
《つづく》

その1

お題は「夏の思い出」。今年の夏の思い出は、何といっても長かった「夏期講習」。中学3年生の講習にてである。

 論説文・小説・古文・知識問題など、普段の授業ではなかなか扱えない、ちょっと難し目の入試問題を用いての問題演習を行っていた。問題を解く→解説(答え合わせ)という授業形式なのだが、「進学クラス」のある生徒が、なぜか、うれしそうに「やばい!」、次の問題も「やばい!」を連発している。

 何だ、やはり少し難易度が高いので分からないのか、それとも、体調でも悪いのか・・・。

気になったので、件の生徒に聞いてみた。

「K君、やばいとは何事かね?」

「先生、答えが調子よく『○』なんですよ!!」

 

しばし、考えた。自分で解いた答えが正解である、という普通に考えれば喜ばしき状況であるにも関わらず、本来、危険な状況であることを表す「やばい」とは、何事か?

 最近の若者はこの言葉をいい意味にも使うらしい。いわく、美味しいものを食べたときも「やばうま」・・・・・・。

 さて、そういう時、教員としてはどういう態度で接するべきか?

     昨今の若者の言葉遣いに理解を示しつつ、「そうか、最近はそういうふうにも使うのか」と、笑顔で明るく答え、若者文化全般に理解ある大人という評価を生徒の中に醸成させ、すぐに授業へ立ち戻る。

     昨今の若者の言葉遣いに半ばあきれながらも、ここで生徒が何気なく使った一語にこだわって授業を中断するよりは、授業の進度を最優先に考え、何も言わずに冷静に大人の態度でもって、そっと授業へ立ち戻る。

 さまざまな態度の示し方が、一瞬のうちに私の脳内を駆け巡る。

しかし、私の取った態度は、

「K君、『やばい』というのは、危険な状況などにおいて、つまりマイナスの意味で用いるものなのだよ、君は正解を連発しているという、本来喜ばしきものである事実が、何か、君の身の危険を呼び起こしているのかね!?」

 K君はあっけにとられているが、周囲の生徒はにやにやと笑っている。

 生徒達は、私のこういうやりとりにもうすでに2年以上つき合わされていることになる。

私はさらに続ける。

「K君、ここは正解が続いて、『やばい』ではなく、素直に『うれしい』と言い直すべきではないかな? 違うかなK君! 私も、君が正解を重ねてくれてとてもうれしいよ!!

「……う、うれしい。」

 恥ずかしさを押し殺した彼のはにかんだ表情には、言わずにはこの場を終えられないという、この2年間で身につけた大人らしい判断力とともに、かすかに男の子の可愛らしさが感じられる。

 その日の授業が10分ほど押したのは言うまでもない。

 

 

夏だろうと何だろうと言葉にこだわる その2

 

「ことば」にまつわることを書いてみたが(そんな偉そうなことでもないですが)、普段の生徒の言葉遣いを聞いていると、けっこう気になることがある。

 たとえば、夏休みの宿題の一覧表を配る。そうすると、ある生徒が

「国語の宿題、めんどくさくない?」

と、隣の生徒と話している。

 そういう言葉を私は聞き逃さない。このことばのどこが気になるのか。

 

    大切な宿題なのに、鼻から「めんどくさい」と言ったこと。

    よりによって、国語の宿題を「めんどくさい」と言ったこと。

    それをしかも、聞こえるように言ったこと。

    「めんどくさい」と、「面倒くさい」をくずした言葉遣いをしたこと。

 

実は、そのどれでもないのだ。

「めんどくさくない?」という時の、アクセントなのだ。

普通、「めんどくさくない?」と言う時、「く」のところにアクセント(高音にする)をつけて発声するはずだ。しかし、生徒達は、というか、最近の若者は「くさく」のところを、同じ音の高さで発音するのだ(こういうのを国語業界では『平板化』と呼ぶ)。

この発音がどうしても気になる。

昨今、もっとも使われているであろう、分かりやすい例でいうと、「いかんじ」を「いいかんじ」と発音するやつ(傍点はアクセントの位置…以下同じ)と言えば分かってもらえると思う。私は絶対にこんな発音では言うことはできない。

なので、生徒に言わずにいられない。

「○○君、『めんどくさくない?』、とは何事か?」

 一瞬、ぎくりとする生徒。やばい、聞こえたか!

「それは、『めんどくさくない?』ではなく、『めんどさくない?』だろ! 言い直しなさい。」

「……。先生、そこですか?」

「ああ、そこだ。」

 生徒達は、半分笑いながら、半分あきれながら話を聞いている。こうして、私のかわいい生徒達は、こういう私との「めんどくさい」やりとりに付き合ってくれる。

しかし、気になるものは、気になるのだ。

 ことばは生きものと言われる。その意味用法も時代とともに変化している。新しい文化を創造する主体の多くは若者であるし、新しいことばを生み出すこともあると思う。あることばが、時代を経て昔とは異なる意味で用いられるようになったのは、古文でいう「をかし」の例(「趣深い」という意味が、現代では「おかしい、変だ」という意味でも用いられる)を見れば明らかである。先日の「やばい」も同様、英語圏では「bad」は、良い意味でも用いられることがあるようだ(追悼 マイケル・ジャクソン!)。

 アクセントについても、地方による違いはある。たとえば、京都の先生と話したときに「んせい」と呼ばれると新鮮に感じる。

  しかし、ことこのアクセントについては、どうも「創造」や「地域差」というより、無意識のうちに、ある種の「均質化」を求めているように私には思えてしまうのだ。

こんな事を感じるようになったということは私もそれだけ年を食ったということなのだろうか。そういえば、少し前まで若手若手と言われたが、確かに最近言われることもなくなった。

しかし、年齢ばかりではあるまい。なぜなら、私よりも年配であり、授業における厳しさでは随一、日学きっての硬派で知られる、九州男児の某先生が、「伊藤さん、今日の説明会、いいかんじだったね」とかわいらしく言われたのを聞くにつけ、驚きとともに、そう感じずにはいられないのだ!

※某先生、引き合いに出してすいません。尊敬しています! 

今日の表題を見て、生徒諸君は「なーんだ。校長先生がこれまでもっともらしく書いてきたのは、僕たちを最後は勉強へ誘導するための悪巧みだったのか」とむくれるかもしれません。しかし大事なことですから、だまされたと思っても最後まで読んでください。納得するはずです。

夏休み講座の締めくくりの話は、社会に出たとき、君たちを高く飛翔させてくれる「想像力」、そして「創造力」は、しっかりした知識の蓄えなしには働いてくれないということです。ジャンプするにはキックする足元を支える揺るがない地面が必要です。その地面の役割を果たすのが、学ぶことによって得られる知識にほかなりません。

私は中学生時代、建築家になることを夢見ていました。夏休みは宿題を最初の一週間で済ませたあとは、遊びの残りの大半の時間を建物の設計図を描くことに費やしていました。大小の住宅に始まって、学校、劇場、店舗などの図面(と言っても大半が平面図どまりですが)を何枚も何枚も描きました。住宅設計集や建築物の外観や内部を撮影した写真集などを参考にしながら、そこから夢を膨らませて鉛筆を動かしたものです。

あこがれの建築家は、最初は近代建築の巨匠ル・コルビュジュ(フランス人)でしたが、途中から帝国ホテル旧館の設計者として知られるフランク・ロイド・ライト(アメリカ人)に代わりました。そのきっかけは、建築雑誌にライト氏が設計した別荘の写真が載っていたからです。「落水荘」と呼ばれるその別荘は、うっそうとした森の中を流れる滝の上に建てられていました。張り出した大きなテラスの下から滝が落下しているのです。そのときの私は、「こんなことも出来るんだ」と驚嘆し、それからしばらくは、家のリビングに小川をそのまま取り込んだ住宅とか屋内に樹がそのまま生えている住宅などをテーマに図面を引いていました。ほぼ空想の世界に遊んでいたのだと、今は思います。

さまざまの建築物を頭の中で思い描くことは子供心に楽しいことでしたが、それは、マッチ棒を接着剤でつなぎ合わせた程度の実際には建てることのできない代物でした。なぜなら、私には建築設計に関する専門的知識はなかったからです。
あのように大胆な構想の「落水荘」という傑作が誕生したのは、ライト氏ならではの想像力と創造力が力強く働いた賜物です。しかし、構造力学(正確な用語かどうかわかりませんが)など建築に関する専門の知識の裏づけがなければ、所詮は<砂上の楼閣>です。建築家という仕事は優れて創造的な営みだと考えますが、そのための想像力が空想に流れないためには、数学や物理をしっかり学ぶ必要があります。科学的知識の裏付けのない想像は偽りの想像でしかありません。

また建物にはさまざまの材料を組み合わせますが、その素材一つひとつの特性について正確な知識を持つ必要があります。そもそも、例えばこういう素晴らしい石材があるということを知らなければ、その石材を使おうという発想自体が浮かんできません。
想像力も創造力も、正確な知識の土壌の上に花開くのです。その土壌が豊かであればあるだけ想像力が広がり、力強い創造力が立ち上がるのです。乏しい知識の上には貧困な想像力しか働きません。だから大いに学ぶ必要があるのです。貪欲に学ぶ姿勢を持ってください。君たちの夏休みも残り少なくなりました。新学期、元気な顔を見せてください。

ショーン先生からのメッセージの対訳です。

A Self-Introduction! 自己紹介

Hi. My name is Sean Green and I teach English to junior high first- and second-year students at Nihon Gakuen. Since this is my first time to write something for the school’s web site, please allow me the opportunity to introduce myself.

名前はショーン・グリーンで、日本学園の中学校1、2年生に英語を教えています。初めて学校のウェブサイトに投稿しますので、自己紹介をさせていただきたいと思います。

I am from the United States, from the state of Nebraska. Nebraska is a rural state and the population of my hometown was only 600 people – quite different from Tokyo! My parents were both teachers, but my father loved the outdoors, so we lived in the countryside, and as a boy I spent most of my time hunting, fishing, camping and playing outside. In school, I loved sports and played on the basketball, golf, track and football teams, as well as summer baseball.

私はアメリカのネブラスカ州出身です。ネブラスカは田舎の州で、私の町の人口はたった600人です(東京都とはかなり違いますね。)。両親は二人とも教師でしたが、父はアウトドアが大好きだったので、田舎に住むことになったのです。子供の時には、狩りや釣りやキャンプをし、外で遊んでばかりいました。スポーツが好きだったので、学校ではバスケットボール、ゴルフ、陸上、サッカー、野球をしました。

I graduated with a degree in journalism from the University of Nebraska-Lincoln and worked for a few years as a newspaper reporter. Then I decided to pursue my dream of living and working overseas, so I returned to graduate school and studied teaching English as a Second language. Two years later I got my first job teaching English in Japan!

Nebraska-Lincoln大学ではジャーナリズムの学位をとり卒業し、その後新聞記者として数年働きました。しかし、海外に住んで働くという夢をかなえようと決心したので、大学院に戻り英語を第二言語として教える勉強をしました。その2年後、日本で初めて英語を教える仕事を得ました。

I really enjoy living and teaching in Japan and the people in Japan and the teachers and staff at Nihon Gakuen are very friendly and helpful to me. I always try my best to create a very active, fast-paced lesson in my class and I hope they enjoy the time we spend together and improve their English.

日本に住んで英語を教えることを本当に楽しんでいます。また日本学園の方々はとても良くしてくださっています。アクティブで速いテンポのレッスンを作っていくことにいつもベストを尽くしています。そして、そのクラスを生徒が楽しんで、英語が上達してくれればと願っています。

Thank you!

Sean Green

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