体罰「絶対」禁止への疑問(1)

校長 小川義男

誤解しないで頂きたい。私は生徒を殴って良い
などと考えているのではない。

代用教員をやっていた頃の「弟子達」に会うことが
あるが、彼らの言によると、四年の在勤期間、私は
生徒を絶対に殴らなかったそうである。

私はもともと暴力否定論者なのである。

だが昨今の教育委員会や校長、さらには文部科学省
の役人達の言動に接していると、この「体罰絶対禁止」
の原則が、異常なまでに強調され過ぎているように思う。

昔、小学校長を勤めていた頃、教育委員会のある指導室長の
講演に接することがあった。彼は教育相談の「大家」である。

私はもともと、こ の「教育相談」なるものに大きな疑念を抱いて
いる。そもそも「相談」 とは、誰と誰の相談なのか。親と教師の
相談なら十分に理解できる。しかし、いわゆる「教育相談」は、
親と教師のそれではなく、教師と生徒との相談を意味するもの
らしいのである。

しかし、教育とはそもそも相 談であろうか。 実はこの「相談」は、
「押しつけではなく、威圧ではなく、生徒に理解させ納得させ
共感させる方向で指導がなされなくてはならない」との前提に
立つものらしいのである。

 

その2につづく…..

 

肌を温め合う育児(5)

 

雌鳥と雛の関わりでさえこうである。

増して人間の母と子の間柄が疎遠で
あって良い訳がない。スキンシップと
いう言葉には、いかにも戦後アメリカ的
な意図が感じられて、 私は好きになれ
ないのだが、母と子の関わりにおいて
「肌を温め合う」ということの重要性は、
どれほど強調しても強調しきれない
ほどに重要だと思うのである。

どうも今日の育児政策、出産奨励政策は、
親と子を引き離すように、引き離すように
する傾向を有しているのではないだろうか。

病院が出産後、母と子を別々に「管理」
するばかりではない。ゼロ歳保育を
奨励する小泉内閣以来の「福祉政策」にも、
この気配が感じられてならない。

我々はどこかで道を間違えてしまったように
思えてならないの である。

(完)

肌を温め合う育児(4)

 

後に「刷り込み」、プリントインという言葉が
あるのを知った。

雛は卵から生まれ出たときに、「目の前で
動く最初のもの」を親と信じ込むように、
その心に「刷り込み」 がなされるらしいので
ある。最初に見たものが親である可能性は
百パーセントに近い。

悲しいことに、彼は孵卵器で孵化したから、
身近に親がいるはずもない。結局四六時中
彼を見守っている私を親だと信じ込んで
しまったのである。

彼は、職員室中を、移動する私の後について
歩き回った。授業に行くときにもついてくる。

こんな「子連れ男」は、一般会社ならはじき
飛ばされるところだが、そこは学校である。
「優しさ」に対しては、思いやりが特別に
尊ばれる世界だ。雛鳥と私との「甘酸っぱい
関係」に、校長も教頭も文句は言わなかった。

彼は階段だけは上ることができなかった。
そこで私が抱き上げて、出席簿の上に
載せて運んだりした。成長するにつれ彼は、
教室の中では私を離れて一人歩きするように
な った。

ドラマはまだまだ続くのだが、雛について
語るのが主眼ではないので、このくら いに
とどめよう。

しかし、自然界に生きて行く上で、動物の
親と子がどれほど深い愛情に結ばれて
いる ものかを、私はしみじみと味わった。

その5につづく…..

 

肌を温め合う育児(3)

 

私が青年教師の頃だから、ずいぶん昔の話である。
理科の先生が孵卵器で鶏の卵を孵化させようとして
いた。卵は温めているだけでは雛に孵れない。時折
孵卵器のふたを開けてひっくり返してやらなければ
ならないのである。

理科室では行き届かぬと思ったのであろう。理科の
先生は、孵卵器を職員室に持ち込んできた。 やがて
ひよこが生まれるというのだから、私は早くその姿を
見たいものだと思い、毎日卵をひっくり返すのを
手伝った。やがてそれは完全に私の仕事になって
しまった。

孵化させるというのは、なかなか難しい仕事である。
結局卵は一個しか雛に孵らなかった。ひよこが生ま
れたとき、そばにいたのは私であった。殻をつついて
出てくる雛の 懸命な努力は、涙が出てくるほど感動的
なものであった。

彼(後に分かるのだが、雛は雄であった。)を私は箱に
入れて、職員室の自分のデスクの上で育てることにした。

ひよこは生まれて直ぐに、そのあたりを自由に歩き回る
ことができる。私は運動不足になってはいけないと思い、
職員室の中を散歩させることにした。ところが彼は、
決し て私のそばを離れない。私が動けば必ずその後に
ついてくる。デスクで事務を執っていると、絶対に私の
そばを離れない。

どうやら彼は、私を親だと信じ込んでいるらしいのである。

 

その4につづく…..

 肌を温め合う育児(2)

 

胎児は、母の体内にいるときにも
外部の音を聞いているという。

彼らの耳に一番大き く響くものは、
母親の心臓の音であろう。母の心音を
録音しておいて、出産後、赤ん坊 が
ぐずったり泣いたりしたときに、これを
聞かせると泣きやむという話を聞いた
ことがある。

赤ん坊に取り、母親の胸に抱かれて、
その体温に温められ、「聞き慣れた」心音を
聞いているときこそ、至福のひとときな
のであろう。

生まれた途端からの数日は、人間に
対する信頼感を獲得させる最高の
チャンスだと私は思う。絶対的に安心
できる看護を受けられるとは言え、
私には、医学の持つ合理主義、
学問特有の傲慢さが感じられて
ならないのである。

私は残念ながら、我が子を育てた
経験がない。しかし生き物がどれほど、
その親を慕 うものであるかと言うことに
ついては、いささかの体験がある。

その3につづく…..

肌を温め合う育児(1)

(『藤棚』平成19年1月10日号より)

校長 小川義男

国会議員の皆さんと、議員会館で話し合う機会が
多いが、あるとき私は、若い国会議 員が、産院で
出産することのマイナス面を指摘していることに
衝撃を覚えた。

彼による と、昔は産婦の98 パーセントが自宅で
出産した。ところが現在では逆転し 98 パーセン トが
病院乃至産院で出産している。これが「いじめ」の
遠因になっているのではないか と、彼は心配する
のである。

病院は、出産すると直ちに母と子を切り離し、
赤ん坊は赤ん坊で、親とは別な部屋に 「保管」
する。出産後すぐ別々にするような生き方をさせる
から、死ぬときも別々になる結果を生むのだと、
彼は主張するのである。

赤ん坊は、おそらく極度に衛生状態の良い部屋に
寝かされているのだろうから、目く じらを立てて
憤慨するのはおかしいのかも知れぬ。しかし、
生まれた途端から母と子を 引き離すという考えは、
いかにも現代医学の考えそうなことだと、苦笑せざる
を得ない。 病院は、出産後間もなく赤ん坊だけ集めて
「管理」すれば、確かに便利なのではあろ う。無菌室に
して衛生に万全を期することもできる。

しかし、生まれた途端から母と引き離されることの、
人間形成に及ぼす影響は十分に研究されている
のであろうか。

 

その2につづく…..

日本的思想の深さを(4)

 

かくして、乱費してきた化石燃料が枯渇(こかつ)
するだけでなく、地球上に存在する 酸素の絶対量
までが不足してこようとしている。脊椎動物が生き続
けられるだけの酸素は、後百年保 も たないという説
さえあるくらいである。

ここで問われているのは、産業革命以来の傲慢(ごうまん)
な価値観なのではないだろう か。ヨーロッパ文明は、
自然を変革の対象と考えがちであった。自然は彼らに
取り、征服の対象だったのである。

これに反し、我が日本の文化は、自然にう ち解け、
自らも自然の一部であると考える文化だったのでは
ないだろうか。 「豊かなことは良いことだ」「便利なことは
良いことだ」という哲学は、結局人類を滅ぼそうとしている。

自然の片隅で、自らも大自然の一員であることを自覚し、
謙虚に、控えめに生きることが、今何より大切なのでは
ないだろう か。産業革命以来の西洋の哲学を克服し、
日本的な生き方、アジア的な生き方が今求められている。

現代の高校生に望むことは二つある。

一つは読書である。

今ひとつは、常に 「本物」に接触して感性を磨くことである。

そのことを通じ、私は人類を救出できる新たな理念を、
彼ら次の世代によって確立してくれることを願うのである。

(完)

日本的思想の深さを(3)

 

狭山ヶ丘高等学校の修学旅行は、フランス、
イギリスである。パリ郊外のバ ルビゾンを訪れた
ことがあった。有名なミレーの晩鐘の背景と
なっている美しい田園である。そこにナポレオンが
愛したという豪華絢爛たる宮殿がある。 奢侈逸楽
(しゃしいつらく) の限りを尽くした豪華さを我々は
楽しんだが、

「人間の贅沢も、どん なに贅ぜい を尽くしたところで、
大したものではないな」

というのが実感であった。 宮殿を出て、何本かの
木立のある所まで来ると、そこに数人の本校生徒が
屯(たむろ) していた。私がそこに近づいたとき、
その日は曇り空だったのだが、雲の切れ間から
太陽の光が射し込んだ。その光が、葉の緑を
透かして我々の上に届いたのである。その美しさは
格別であった。

「宮殿の豪華さも、この葉っぱを 通して輝く太陽に
比べれば、とても喧嘩にはならんな」

私がつぶやくと、何人かの男子生徒が、私の予想を
超える強さで、共感を表明した。自然は本当に素晴
らしいものだと思うのである。

その大切な自然が今失われようとしている。産業革命
以来の「物質的幸福論」 は、今や熱帯雨林を滅ぼし、
世界から美しい川を駆逐(くちく)しつつある。やがて
十三 億の中国人、十一億のインド人のすべてが
自動車を乗り回すようになる。当然のことである。
先進国だけが利便を楽しんで、途上国は車を抑制
すべきだなどという理屈は通らない。

 

その4につづく……

日本的思想の深さを(2)

 

十七世紀、産業革命が始まった。次第に人々は
豊かになり、やがて家々に電 気洗濯機、電気釜、
掃除機、テレビが普及するようになった。

「豊かなことは 良いことだ」「便利なことはよいことだ」

これが、産業革命以来の人類の合い言葉だった
のではないだろうか。 自動車が普及して若者は
歩かなくなった。小学校以来大人になるまで、
人間の歩行の絶対量は著しく減少している。体位は
向上したが体力は衰えたと言われる。 何しろ移動の
ほとんどが車かバスなのだから、人々が吹く風の
心地よさを味わい、空を流れる雲の美しさに見とれる
ことも少なくなった。

私は人生の素晴らしさの大部分は、自然の美しさに
あるのではないかと思う。 豊かさも大切だし、友達と
のつきあいも大切である。しかし我々が身辺のすべてを
失ったとしても、風のさわやかさや、行く雲の美しさが
失われることはない。

その3につづく…..

日本的思想の深さを(1)

狭山ヶ丘高等学校長 小川義男

 

自動車を学校に置いたまま出張していたので、
夜九時頃、自宅から学校まで歩いて取りに行った。

藤沢小学校の前を通る坂道を下っていく頃、寒空に
月が 皓々(こうこう) と冴えているのに気がついた。
寒気で空気が澄んでいるためでもあろうか、 まことに
美しい月であった。これくらい冴えると、月にある山々
の影も見て取 れる。山影を判別できるほど近くに天体が
存在するとは、何と不思議なことだ ろう。

寒気はオーバーを通して肌にしみ通ってくるが、それに
しても、車では なく「人間の足で」歩くことは、こんなに
素晴らしいものかとしみじみ思った。

昔山奥の中学校で英語の代用教員をやっていた。
十八歳から二十一歳までの四年間である。学校は
駅から五キロの所にあった。その駅は上多度志(かみたどし)
と言ったが、その駅も今はない。鉄道そのものが撤去
されてしまったのだ。駅からの五キロは、徒歩による以外、
交通の手段がなかった。映画を見るには「本村」まで
行かなければならなかった。

距離は十二キロある。昔風に言えば三里だが、 土曜の
夜など、この三里を歩いて映画を見に行った。 見ている
間は楽しいが、三本立ての映画が終わると真夜中の
十二時である。 その後歩いて帰るのだから、帰宅するのは
朝の三時頃になった。三時間、晩秋の風の冷たさに
耐えながら、名月や、墨絵のように連なる山々を眺めつつ
歩き続けたのである。若いとは言え、良くやったものだと思う。
自動車ならほんの 十分程度の距離なのだが、昔は我ながら
辛抱が続いたものだ。

しかし、その辛く厳しい日々が懐かしまれてならないのである。

 

その2に続く…

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